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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 翡翠


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10/15

第10話 素敵でしたわ、と言われましても、わたくしは平穏が欲しいだけですの

 終わりましたわね、とレオノーラは内心で静かに確信した。


 武芸棟での件を、しかも“素敵でした”などという好意的な方向で受け止められている。

 それはつまり、遠巻きに警戒されて終わるのではなく、興味を持たれてしまったということだ。


 困る。


 非常に困る。


 レオノーラが本当に欲しいのは、畏怖でも賞賛でもなく、平穏無事な学園生活である。

 できれば目立たず、必要最小限の社交だけで卒業まで駆け抜けたい。


 なのに現実はどうだ。


 皇太子と同じクラス。

 その側近とも会話済み。

 そして今、たぶんヒロイン級の立ち位置にいる少女から、キラキラした目で話しかけられている。


 前世知識が曖昧なせいで断定できないのが、なおさら怖かった。


「……恐れ入りますわ」


 レオノーラはとりあえず、最も無難な返答を選んだ。


 褒められた時は受け流す。

 否定しすぎても空気が悪くなるし、調子に乗ってもろくなことがない。


 するとレティシア・フローレンスは、ますます柔らかく微笑んだ。


「本当に。とても綺麗でしたわ。力強いのに、乱暴ではなくて。見ていて少しも怖くありませんでしたの」


 それはだいぶ珍しい感想だった。


 怖いとはよく言われる。

 大剣を背負っている時点で仕方ない。

 だが“怖くない”と言われることはほとんどない。


 レオノーラは少しだけ目を瞬いた。


「……そう、かしら」


「はい」


 レティシアは素直に頷いた。


「わたくし、武芸には詳しくありませんけれど、それでも分かるくらいに、ちゃんと扱っていらっしゃいましたわ」


 その評価は、たぶんかなり本質を突いていた。


 派手さだけではなく、扱っていることを見ていたのだ。

 少し意外で、少し困る。


 こういう相手は、苦手だ。


 表面的な怖がり方や偏見なら、距離を取れば終わる。

 だが、真っ直ぐに見て、しかも好意的に理解しようとする相手は、どう扱えばいいのか分からない。


「レティシア嬢は見る目があるね」


 アーネストが面白そうに言う。


「だろ? あれ、ただの怪力じゃない」


「お前は言い方を考えろ」


 リヒャルトが即座に切った。


 ありがたい。

 この人は本当にありがたい。


 だがレティシアは気にした様子もなく、むしろ少しだけ身を乗り出した。


「アルトヴァイス様は、やはり昔から武芸を?」


 来た。


 会話が伸びる。


 レオノーラは心の中で小さく呻いた。

 ここで素っ気なく切ると感じが悪い。けれど詳しく話せば話すほど、今後の接点が増えそうな気がする。


 選ぶべきは、短く、嘘なく、広がらない答え。


「ええ。幼い頃から少し」


 少し、で済ませるにはだいぶ無理があるが、完全な嘘でもない。

 少しずつ、何年も積み上げてきたのだから。


 しかしアーネストが横からすぐに笑う。


「少し、ねえ」


 黙っていてほしい。


 レオノーラは笑顔のままそう思った。


 アルベルトはそのやり取りを見ていたが、不意にレティシアへ言った。


「フローレンス嬢、君も一組なら、この先いくらでも話す機会はあるだろう。今は教室へ向かった方がいい」


 助かる。


 レオノーラは心からそう思った。


 だがレティシアは素直に引き下がる前に、もう一度だけレオノーラへ向き直った。


「では、また後ほどお話しできますか?」


 逃がしてくれない。


 だがここで断るのは不自然だ。

 しかも周囲には皇太子たちもいる。印象を悪くする手は取れない。


「……ええ、機会があれば」


 完全肯定ではなく、余地を残す返答。

 我ながら悪くない。


 ところがレティシアは、その“機会があれば”をほとんど気にせず嬉しそうに笑った。


「はい」


 強い。


 この少女、思ったより強い。


 押しが強いという意味ではない。

 自然に相手の防御を越えてくる強さだ。

 そういうタイプは厄介である。こちらが露骨に拒まない限り、距離が縮む。


 そしてレオノーラは、露骨に拒むわけにはいかない立場だった。


「では行こうか」


 アルベルトがそう言って、一団は教室棟の方へ動き出した。

 アーネストは最後まで興味深そうにレオノーラを見ていたし、リヒャルトは一礼だけして去っていく。レティシアは去り際にも小さく手を振った。


 レオノーラは淑女らしく微笑み返し、彼らが十分離れたところで、すっと表情を消した。


「……お姉様」


 クラウスが静かに言う。


「何かしら」


「今の数分で、だいぶお疲れになりましたね」


「分かりまして?」


「ええ。目が死んでいます」


 失礼極まりない弟である。


 だが否定はできない。


「わたくし、どうすればよろしくて?」


「何がです」


「明らかに、向こうから距離を詰めてこようとしておりますわ」


「はい」


「放っておいてほしいのですけれど」


「それはたぶん無理です」


 残酷なほど即答だった。


「なぜですの」


「お姉様が目立ちすぎたからです」


「心外ですわ」


「事実です」


 そこへ、今までやや距離を置いて見ていたセシリアが、控えめに近づいてきた。


 彼女は少し困ったような、でも好奇心を抑えきれないような顔をしている。


「……あの」


「何かしら」


「今の」


「ええ」


「完全に、一組の中心人物たちに認識されましたわね」


 やめてほしい言い方だった。

 だが、たぶんその通りでもある。


 セシリアの後ろにいた令嬢たちもうんうんと頷いている。

 つまり客観的に見てもそうなのだ。


「わたくしは認識されたくなかったのですけれど」


「お気持ちは分かりますわ」


 セシリアは本当に優しい。


「ですが、あれだけのことをしておいて、気づかれない方が無理ではなくて?」


 優しいが、正確でもあった。


 レオノーラは少しだけ項垂れたくなった。

 前世でも、結果から逆算すると「そりゃ目立つだろ」と言われることはたまにあったが、今回は規模が違う。


「とりあえず、教室へ参りましょう」


 クラウスが実務的に言う。


「これ以上、廊下で立ち話をしても人が増えるだけです。教室棟の手前まではご一緒できますが、その先は新入生だけでしょう」


 その判断は正しい。


 レオノーラは頷き、セシリアたちと別れて一組の教室へ向かうことにした。


 教室棟の廊下は、すでに新入生たちで賑わっていた。

 扉ごとに掲示されたクラス名、行き交う上級生、案内する職員。華やかで、少し浮ついた空気。これから始まる学園生活への期待が、あちこちに満ちている。


 その中を、レオノーラはできる限り目立たぬよう歩いた。


 だが、無理だった。


 すれ違うたびに見られる。

 ときには明らかに道を空けられる。

 しかも今日は武芸棟の話まで乗っているから、単なる大剣令嬢ではなくなっている。


「……」


「諦めてください」


 クラウスの慰めにならない慰めが飛んだ。


 一組の教室がある区画の手前で、クラウスは足を止めた。


「お姉様、私はここまでです」


「ええ」


「ここから先は新入生だけでしょうから」


「分かっておりますわ」


 レオノーラは小さく息を吐いた。


「少し心細いですわね」


「今さらですか」


「今さらですわ」


 クラウスはほんの少しだけ表情を和らげた。


「大丈夫です。お姉様は目立ちますが、それと同時に、そう簡単に侮られもしません」


「慰めになっているのか微妙ですわね」


「事実です」


 それから彼は、少しだけ真面目な顔になった。


「ですから、無理に構えすぎず、必要以上に戦わず、ですが必要な一線だけは譲らないように」


「……ええ」


「あと」


「何かしら」


「自己紹介で余計なことを言わないでください」


「わたくしを何だと思っておりますの」


「油断すると“断罪”とか“生き延びる”とか言いそうな人です」


 ひどい。

 ひどいが、否定しきれないのが悔しい。


 レオノーラは肩をすくめた。


「努力しますわ」


「その言い方が一番不安です」


 クラウスはそう言って一礼した。


「では、また後で」


「ええ。また後で」


 弟を見送ってから、レオノーラは一人で教室棟の奥へ向かった。


 少しだけ、背中の剣が重く感じた。


 一組の教室は、教室棟の最奥寄りにあった。

 広い。机も質がよく、窓から中庭が見える。席は自由選択らしいが、前方中央寄りはすでに皇太子周辺が自然に固められていた。


 レオノーラは教室へ入った瞬間に判断する。


 前はだめ。

 中央もだめ。

 窓際後方、できれば端。


 認知科学的にも、人は中央や前列に注意を向けやすい。

 なら視線の集まりにくい場所を選ぶべきだ。


 つまり――


「後ろの端ですわね」


 レオノーラは一人、小さく呟いた。


 一番後ろの窓際、そのさらに壁寄りの席へ荷物を置く。

 よし。ここならまだいい。出入口と教卓の視線導線から少し外れる。


 完璧ではない。

 完璧ではないが、今できる最善ではある。


「少し落ち着きましたわ」


 誰に言うでもなくそう漏らした時、教室へ生徒たちが次々と入ってきた。

 中にはレオノーラを見て一瞬固まる者もいたが、さすがに同じ一組だけあって露骨に騒ぐ者はいない。


 そのうち、セシリアも入ってきた。

 彼女は少し迷ったあと、レオノーラから二列前の窓際席を選んだ。絶妙な距離感である。賢い。


 逆にレティシアは、自然な顔で前方中央やや横――つまりアルベルトたちからそう遠くない位置へ座った。


 やはり、そういう配置になりますのね。


 レオノーラは心の中で静かに頷いた。

 ゲームの記憶が曖昧でも、こういう座席の引き寄せ方には妙な説得力がある。


 そして最後の方に入ってきたアーネストが、教室を見回してから、にやりと笑った。


 嫌な予感。


 彼はつかつかと歩いてきて、なんとレオノーラの一つ前の席に座った。


「……なぜですの」


 思わず小声で漏らすと、アーネストは振り返って明るく言った。


「面白そうだから」


 理由が最悪だった。


「お前は本当に分かりやすいな」


 少し遅れて入ってきたリヒャルトが、呆れたように言いながら、その隣へ座る。


 結果、レオノーラの前列はアーネストとリヒャルトになった。


 逃げ場がない。


 ほどなくして、教室の扉が閉まる。

 中年の女性教員が入ってきた。背筋の伸びた、理知的な雰囲気の人だ。一組を受け持つだけあって、かなり手強そうである。


「静粛に」


 一声で教室が静まる。


「本日より一組の担任を務めます、マグダ・シュトラールです」


 教室内に程よい緊張が走る。


 よし。ここからは普通のオリエンテーションだ。出席確認、今後の日程、寮や授業の説明。その程度で終わるはず。


 レオノーラはそう思っていた。


 だが、マグダ教員は名簿を開く前に、一度教室全体を見回し、少しだけ意味深に言った。


「……なお、本日はすでに色々と話題の多い入学初日となっているようですが、一組においては個々の事情より、まず学業と規律を優先します」


 何人かの視線が、さりげなくレオノーラへ向いた。


 やめてほしい。


「ただし」


 マグダ教員は続ける。


「互いを知る意味でも、本日は簡単な自己紹介をしてもらいます。一人ずつ、前へ」


 教室の空気が少しだけざわめいた。


 レオノーラは静かに天を仰ぎたくなった。


 まだ続きますのね。

 今日、まだ続きますのね。


 しかもこの流れだと、ただ名前を言って終わりになるとは思えない。

 最悪の場合、皇太子、ヒロインっぽい少女、側近二人、そのあとに自分、あるいはその逆。どう転んでも気が重い。


 そして前の席で、アーネストが楽しそうに肩を震わせた。


「面白くなってきた」


 全然面白くありませんわ、とレオノーラは心の中で返した。

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