第8話 三本でいいと言われましたけれど、その三本で済めばよろしいのですけれど
標的だ、とガレス教員が言った瞬間、訓練場の空気はさらに一段張り詰めた。
見学者たちのざわめきが低く広がる。
さっきまでは「本当に扱えるのか」という確認だった。だが標的を置くとなれば話は別だ。
威力が見える。
つまり、分かりやすく“やばさ”が伝わる。
レオノーラは大剣を握り直しながら、内心で静かにため息をついた。
やはりこうなるのだ。
学院側としては、抜刀と構えだけで「はい、問題ありません」とは言いづらい。
武器登録の判断材料として、実際にどれだけ制御できるか、どれだけ危険か、そしてどの程度の運用を想定すべきかを見たいのだろう。
理屈は分かる。
分かるが、見物人の数だけはどうにかならなかったのかしら。
「お姉様」
観覧区画からクラウスが静かに声をかける。
「何かしら」
「念のため申し上げます」
「ええ」
「壁と床と天井は壊さないでください」
「そのつもりはありませんわ」
「その台詞、今日三回目くらいです」
失礼な弟だった。
だが、心配する理由も分かる。
第一訓練場は確かに広いが、自分の剣を存分に振り回すには十分ではない。
特に横方向は危ない。天井高も、全力で振り上げるには少しだけ足りない気がする。
ならば選択肢は一つだ。
軌道を絞る。
力任せに見せず、あくまで制御で見せる。
打ち込みの質で納得させる。
それが最善だ。
訓練用の標的が二つ、教員補助の上級生によって運び込まれた。
一つは厚い丸太を束ねた切断用。
もう一つは硬質木材に金属補強を入れた打撃確認用。
学院の訓練設備としてはかなりしっかりしている。普通の新入生相手なら、ここまで頑丈なものはまず必要ないはずだ。
「三本だ」
ガレス教員が言う。
「一本目で軌道、二本目で威力、三本目で止めを見せろ」
「止め、ですの?」
「打ち抜いたあと、どこまで制御して止められるかだ」
なるほど。
それは確かに大事だ。
強い武器ほど、当てたあとに制御できるかどうかで評価が変わる。前世でも、重機でも工具でもそうだった。力そのものより、力を収める技術が危険管理の本体である。
レオノーラは頷いた。
「承知しましたわ」
「無理はするな」
「ええ」
その返答に、観覧区画のどこかで小さく笑う気配がした。
たぶん赤髪の令息だ。あの人はだいぶ楽しんでいる。
皇太子アルベルトは何も言わない。
ただ腕を組み、じっとこちらを見ている。
興味本位だけではない目だ。強さの質を測ろうとしている。そういう目だった。
レオノーラは標的の前へ立つ。
まず一本目。
これは見せる剣だ。
威力を抑え、軌道と精度だけを通す。
狙いは丸太束の左上。深く入れず、真っ直ぐ抜ける線。
足場を確認。
右足半歩後ろ。
腰を落とし、左肩をわずかに引く。
身体強化は薄く、肘と背中にだけ乗せる。
「――は」
短く息を吐き、振る。
大剣の刀身が空気を裂き、丸太束へ斜めに入る。
鈍い、しかし重い衝撃音。
深くはめり込まない。
その代わり、狙った線だけを正確に断ち切った。
標的の上部が、数拍遅れてずるりと落ちる。
ざわ、と観覧区画が揺れた。
よし。
まずは十分。
一本目は「大振りな力任せではない」と示すためのものだ。
ここで荒っぽくやると、以後の評価が雑な怪力寄りになる。
それは困る。
「……綺麗だな」
誰かがそう呟いた。
上級生か、教員かは分からない。
だがレオノーラは反応せず、二本目に意識を切り替える。
二本目は威力。
だが、あくまで訓練場仕様の威力だ。
全力は出さない。出す意味がないし、出してはいけない。
今度は打撃確認用の補強標的。
金属帯が巻かれている。普通の新入生の打ち込みなら、せいぜいへこみがつく程度だろう。
レオノーラは少しだけ呼吸を深くした。
今度は重さを乗せる。
ただし腕ではない。足から腰、腰から背、背から肩、肩から柄へ。流れを切らず、一息で落とす。
これは前世でもそうだった。
重いものは腕で持つと終わる。全身で運ぶのだ。
剣も同じだった。
踏み込む。
振り下ろす。
轟、とまではいかない。
だが明らかに先ほどとは違う重い音が訓練場に響いた。
補強標的が大きく震え、金属帯の一部がひしゃげる。
中心部には、深い打ち割り痕。
完全切断ではない。
だが、それでいい。
狙いは“破壊できる”ではなく、“この規模でも制御付きで通せる”の証明だ。
観覧区画の空気が変わった。
さっきまで半信半疑だった新入生たちも、今ので完全に理解したはずだ。
あの剣は飾りではない。
そして、あの令嬢は本当に振れる。
「おいおい……」 「新入生だろ、あれ……」 「本当に公爵令嬢か?」
ひそひそ声が漏れる。
それに混じって、赤髪の令息が感心したように言った。
「見た目よりずっと理詰めですね」
アルベルトは答えない。
だが、その視線はさらに深くなっている気がした。
そして三本目。
ガレス教員の言う“止め”だ。
これは一番難しい。
威力も軌道もある程度出しつつ、標的に当てたあと、余剰をどれだけ殺せるか。
雑にいけば壁まで持っていく。
丁寧すぎれば、今度はただの小さな打ち込みになる。
見せるべきは中間。
十分な打ち込みと、十分な停止。
「……」
レオノーラは標的と距離を取り、静かに構え直した。
剣の重みが手に馴染む。
大丈夫。できる。
ここまで何度もやってきた。
幼い頃、訓練場で初めて大剣を振れた日。
あの日からずっと、この止め方を体に叩き込んできた。
折れぬように。
暴れぬように。
自分ごと持っていかれぬように。
呼吸を整える。
周囲の視線が遠のく。
標的だけが近い。
踏み込み。
切り下ろし。
そして――受ける。
刀身が標的へ深く食い込み、そこから先へ流れようとする力を、腰と背と足裏で殺す。
骨ではなく面で止める。
腕ではなく体幹で収める。
ぎり、と硬い音。
それきりだった。
大剣は標的へ入った位置で止まり、レオノーラの姿勢も崩れない。
訓練場の床も、壁も、何も壊れない。
静寂。
そして次の瞬間、どこかから大きく息を吐く音が聞こえた。
たぶん、誰かが無意識に緊張していたのだろう。
レオノーラはゆっくり剣を引き、元の位置へ戻る。
礼。
「以上ですわ」
ガレス教員はしばらく黙っていた。
武芸主任らしき年配教員も無言だ。
観覧区画の上級生たちは、面白がるより先に呆然としている。
新入生たちは完全に固まっていた。
ややあって、ガレス教員が低く言う。
「……許可だな」
レオノーラは目を上げた。
「では」
「武芸棟、第一から第三訓練区画、ならびに登録済み移動経路に限り、個別登録武器として携行を認める」
よかった。
ひとまず目的は達した。
レオノーラは内心で小さく安堵した。
この場に引っ張り出されたのは不本意だったが、武器の扱いについて正式な許可が得られるなら悪くない。
「ありがとうございます」
「ただし」
やはり続きがある。
「対人訓練は当面禁止だ」
「それは当然ですわね」
「ずいぶん素直だな」
「訓練場を壊さないよう気を遣っている時点で、対人向きではありませんもの」
そこは本当にその通りだった。
さすがに新入生相手へこの剣を向ける気はない。模擬戦でも嫌だ。加減の方向が違いすぎる。
武芸主任がそこで初めて口を開く。
「アルトヴァイス嬢」
「はい」
「君の武は、剛力ではなく制御に支えられているようだ」
「ありがとうございます」
「だが学院は戦場ではない。そこを履き違えるな」
レオノーラは一瞬だけ考え、それから真面目に頷いた。
「承知しておりますわ」
その返答に嘘はない。
少なくとも今のところは、本当に戦場であってほしくないと思っている。
観覧区画で、赤髪の令息が楽しげに笑った。
「いやあ、これは面白い」
黒髪の令息は眉間を押さえている。
対照的だ。
そしてアルベルト皇太子が、静かに口を開いた。
「レオノーラ・アルトヴァイス嬢」
その場の空気が、またわずかに変わる。
「はい、殿下」
「先ほど“慣れた武器を手放したくない”と言っていたな」
「ええ」
「今のでよく分かった」
アルベルトは訓練標的へ視線を向け、それからレオノーラへ戻した。
「君にとってあれは、奇抜な装飾ではなく、完成した実用品なのだな」
その表現に、レオノーラはほんの少しだけ驚いた。
理解された、と思ったからだ。
ただ珍しいとか、怖いとか、危ないとか、そういう見方ではない。
“実用品”だと正しく捉えられた。
「……はい」
レオノーラは静かに答える。
「わたくしにとっては」
「なるほど」
アルベルトはそこで小さく頷いた。
それだけなのに、妙に厄介な気配がした。
興味を持たれた。
深く。
たぶん、そういう頷きだった。
嫌な予感が増す。
すると赤髪の令息が、待ってましたとばかりに口を挟んだ。
「なら一度、騎士科の訓練も見に来るといいんじゃないか? 新入生でその剣を扱えるなら、上の連中も喜ぶだろ」
やめてくださいまし。
レオノーラは心の中で即答した。
喜ばなくていい。注目しなくていい。放っておいてほしい。
だがアルベルトは、その提案をすぐには否定しなかった。
むしろ少しだけ考える顔をしている。
まずい。
非常にまずい。
ここで騎士科まで関わってくると、本格的に“目立ちたくない学園生活”が消し飛ぶ。
「殿下」
黒髪の令息が低く制した。
「本日は入学初日です。さすがに話を広げすぎかと」
ありがとうございます、とレオノーラは本気で思った。
この人は今日二度目の救世主である。
アルベルトはわずかに口元を緩めた。
「そうだな。急ぎすぎたか」
急がなくても困るのですが、とは言えない。
「では、いずれ機会があれば」
その“いずれ”も要りませんわ、と思ったが、もちろん口には出さない。
「光栄ですわ」
反射的にそう返してから、レオノーラは少しだけ後悔した。
断るべきではなかったのか。いや、皇太子相手にそれは難しい。ここは無難が正解だ。たぶん。
ガレス教員がそこで一区切りと判断したのか、手を打った。
「よし、確認は以上だ。見学は解散。新入生は各自の所属説明へ戻れ」
それでようやく、訓練場の空気が少しだけ緩んだ。
見学者たちが動き出す。
だがその動き方は、完全に“見てはいけないものを見たあと”のそれだった。
新入生たちはひそひそと話し合い、上級生たちは明らかに面白そうな顔をしている。
噂は、今日中に学院中へ広がるだろう。
いや、学院中どころか、下手をすると帝都の貴族街まで数日で行くかもしれない。
「お姉様」
クラウスが訓練場へ降りてきた。
「何かしら」
「手遅れです」
「……何がかしら」
「静かな学院生活です」
レオノーラは少しだけ視線を逸らした。
「まだ分かりませんわ」
「入学式前に暴れ馬を止め、入学式で代表挨拶をし、式後に武芸棟で皇太子殿下の前で大剣を振ったのです。もう十分です」
反論できない。
まったく反論できなかった。
ルークが少し遅れて訓練場へ入ってきて、壊れた標的を見ながら言った。
「……君、本当に新入生か?」
「その台詞、何度目かしら」
「何度でも言いたくなる」
疲れたような顔だったが、呆れの中に少しだけ感心も混じっていた。
レオノーラは大剣を背へ戻しながら、ほんの小さく息をつく。
重みが戻ると落ち着く。
やはりこれがないと調子が狂う。
それでも、心の重みは別だった。
静かに入りたかった。
目立たぬように、余計な接触を避けて、平穏に学園生活を始めたかった。
それなのに現実はどうだ。
皇太子に覚えられた。
騎士科に興味を持たれかけた。
新入生たちには完全に顔を知られた。
令嬢たちの間でも、もう噂になっているだろう。
どう考えても出だしがおかしい。
「……本当に、なぜこうなりましたの」
思わず漏らすと、クラウスが間髪入れずに答えた。
「お姉様が、普通の公爵令嬢ではないからです」
「そういう問題ではなくて」
「たぶん、そういう問題です」
ひどい弟である。
だが、やはり否定はしづらかった。
訓練場の出口へ向かう途中、ふと振り返ると、アルベルト皇太子はまだその場に立っていた。
側近たちと短く言葉を交わしながらも、最後にもう一度だけこちらを見る。
目が合う。
今度はレオノーラも逸らさなかった。
逸らすと余計に不自然だ。
だから、淑女らしく、静かに一礼する。
アルベルトもまた、軽く頷いた。
それだけのやり取りなのに、妙に嫌な予感だけが濃くなる。
――これは、絶対に面倒な流れですわね。
レオノーラは確信した。
そしてその確信は、たぶん外れない。
なぜなら乙女ゲームの攻略対象というものは、一度“気になる存在”を見つけると、ろくな方向へ転ばないからである。
レオノーラは心の底から思った。
どうか、放っておいてくださいまし、と。




