第7話 わたくしは静かに入学したかっただけなのに、なぜ武芸棟に呼ばれておりますの
入学式が終わったあとも、レオノーラはしばらく動けなかった。
正確には、動こうと思えば動けた。
だが、心が追いつかなかったのである。
武芸適性特別確認。
その単語が頭の中で何度も反響していた。
なぜ。
どうして。
何を確認する必要がありますの。
いや、分かる。
分かるのだ。
巨大剣を背負って入学し、受付前で暴れ馬を止め、挙句の果てに新入生代表挨拶で「いかなる困難に直面しようとも、安易に屈することなく、自らの足で立ち、進み続ける所存です」などと言えば、学院側が「この生徒、本当に公爵令嬢枠で合っているのか?」と確認したくなるのは理解できる。
理解できるのだが、納得はしたくなかった。
「お姉様」
隣でクラウスが静かに声をかける。
「現実へ戻ってきてください」
「戻っておりますわ」
「目が遠いです」
「少しだけ、学院の理不尽さを噛みしめていただけです」
「学院側もたぶん同じことを思っております」
ひどい言い草だった。
だが、まったく否定できないあたりが悔しい。
講堂から退出する人の流れがゆっくりと動き始める。
新入生たちはそれぞれ興奮気味に話し合い、上級生たちはどこか面白そうにこちらを見ている。
完全に情報が広がっている。
しかも今度は「新入生代表を務めた三大公爵家の令嬢が、式後に武芸適性特別確認へ呼ばれた」という、さらに燃えやすい追加情報つきだ。
「……目立たないように、とは何だったのでしょうね」
「もうその段階は通り過ぎました」
クラウスは淡々と言った。
「今後は“これ以上、余計な伝説を増やさない”に切り替えてください」
「努力しますわ」
「本当に?」
「本当にですわ」
その時、少し前の列からセシリアが振り返った。
周囲の令嬢たちも一緒だ。全員、話しかけたいが遠慮もしている、という絶妙な顔をしている。
レオノーラは自分から軽く会釈した。
するとセシリアは少し迷ったあと、そっと近づいてきた。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「その……大丈夫ですの?」
何が、とは聞かなかった。
彼女の視線の先が、講堂前方の教員席、そしてその向こうにある武芸棟の方向をちらりと示していたからだ。
「大丈夫、とは?」
「特別確認、と……」
なるほど。
心配してくれているらしい。
レオノーラは少しだけ表情を緩めた。
「おそらく、学院側の手続き的なものですわ。武器登録の件もございましたし」
「そう、ですのね」
「ええ。ですから、たぶん問題ありません」
たぶん。
そこは断定できなかった。
だがセシリアは、その曖昧さを責めることなく、小さく息をついた。
「代表挨拶、とても立派でしたわ」
「ありがとうございます」
「少しだけ……戦場に向かう騎士の誓いのようでもありましたけれど」
「気のせいですわ」
即答すると、クラウスが横でわずかに顔をしかめた。
やめてほしい。そこは流してほしかった。
セシリアの後ろにいた令嬢の一人が、おずおずと尋ねる。
「武芸棟の確認って、やはりその大剣を振るのですの?」
「たぶんそうなりますわね」
「まあ……」
令嬢たちの顔が一斉に複雑になった。
見たい。
でも怖い。
そう書いてある。
レオノーラは少しだけ気まずくなった。
別に見世物をしたいわけではないのだが。
「お姉様」
クラウスが低く言った。
「その空気、分かっておられますか」
「ええ」
「何と?」
「見たがっておられますわね」
「はい。そして学院中がたぶんそうです」
ますます困る。
レオノーラとしては、静かに登録確認を済ませて、さっさと帰りたい。
だが状況はどう見ても、そうはならなそうだった。
その時、講堂後方からルークが歩いてきた。
入学式の補助をしていたらしく、制服はきっちりしているが、顔はすでに少し疲れている。
「いたか」
「ルーク先輩」
「武芸棟第一訓練場まで案内するよう言われた」
やはりそうなった。
レオノーラは心の中で小さくため息をつき、セシリアたちへ向き直る。
「では、わたくしはこれで」
「ええ。ご武運を……で、よろしいのかしら」
「状況が状況ですので、それで構いませんわ」
セシリアは一瞬だけ吹き出しかけ、慌てて口元を押さえた。
「では、ご武運を」
「ありがとうございます」
穏やかに礼を交わし、レオノーラは講堂の外へ出た。
回廊は明るく、先ほどよりも人が増えている。
しかも、歩き出してすぐに分かった。視線がついてくる。
あからさまについてくる者はいない。
だが遠巻きに、進路の先々に人が増えていく。
「……ついてきておりますわね」
「ええ」
ルークが前を向いたまま答える。
「止めるか?」
「止められますの?」
「無理だな」
「でしたら放っておきますわ」
結局それしかない。
武芸棟へ向かう石畳の道の途中、ルークが低い声で言った。
「先に聞いておくが、学院長命令になった理由は何だと思う」
「分かりませんわ」
「本当に?」
「本当にです」
レオノーラは少しだけ考え、それから真面目に答えた。
「ただ、武器のサイズと登録の件、それから受付前の馬の件が重なったのではなくて?」
「たぶん半分正解だ」
「半分?」
「残り半分は、殿下だろう」
レオノーラは一瞬だけ足を止めかけた。
皇太子。
やはりそこが入ってくるのか。
「……どういう意味ですの?」
「君、殿下に見られていただろう。しかもかなり強く」
「それは、まあ……」
「殿下は武にも関心がある。見た目だけで強い弱いを決める方ではないが、逆に“妙なもの”には食いつく」
嫌な予感しかしなかった。
妙なもの。
たしかに自分は妙だろう。そこは自覚がある。
だが皇太子に食いつかれて良い妙さではない。
「先輩」
「何だ」
「わたくし、やはり気配を消すべきでは?」
「今さらだ」
「ですよね……」
ルークの返答は容赦がなかった。
武芸棟が見えてくる。
大きな石造りの建物で、主に剣技、槍術、格闘、基礎体術などの実技科目に使われる場所らしい。
横には屋外訓練場、奥には弓場、さらにその奥には騎乗訓練区画まで見える。
かなり本格的だ。
レオノーラは少しだけ感心した。
同時に、こういう場所なら巨大剣が浮きにくいかもしれない、という希望も生まれる。
しかし、その希望は入口を入った瞬間に砕けた。
第一訓練場の観覧区画に、すでに人がいたのである。
教員数名。
武芸系の上級生たち。
なぜかアルベルト皇太子とその側近らしき二人。
そして、見学禁止と言われていないのをいいことに遠巻きで集まった新入生たち。
「……」
レオノーラは無言になった。
「お姉様」
「何かしら」
「手続き的確認、という規模ではなくなりました」
「見れば分かりますわ」
中央にはガレス教員が腕を組んで立っている。
その横に学院長はいないが、代わりに武芸科主任らしき年配の教員がいた。
そして訓練場の片隅には、レオノーラの大剣がすでに運び込まれていた。
逃げ道がない。
「来たか、アルトヴァイス嬢」
ガレス教員が声をかける。
「はい」
「そう身構えるな。別に処罰ではない」
「でしたら何ですの?」
「確認だ」
「だから、その確認の内容を――」
「簡単だ」
ガレスは訓練場中央を顎で示した。
「その剣を、実際に扱えるかどうか見せてもらう」
ですよね。
レオノーラはうっすら予想していた未来を正面から突きつけられ、静かに諦めた。
武器登録の個別許可。
暴れ馬の件。
皇太子の関心。
全部が噛み合えば、そりゃこうなる。
「わたくしに拒否権は?」
「ないわけではないが、今後の扱いが面倒になる」
「……」
「それに」
ガレスの視線が少しだけ鋭くなる。
「君自身、扱えることを証明したいのだろう」
その言葉に、レオノーラは黙った。
否定できない。
ただの奇異な持ち物として扱われるのは嫌だ。
これは飾りではなく、自分の武器であり、自分の積み重ねそのものなのだから。
「……分かりましたわ」
レオノーラはゆっくり頷いた。
「どの程度までお見せすればよろしくて?」
その場の空気が、少しだけ変わった。
見学者たちのざわめきが小さくなる。
たぶん今の言い方で、彼女が本当にやる気なのだと伝わったのだろう。
ガレス教員は口元をわずかに動かした。
「まずは基礎だ。抜刀、構え、移動、素振り、停止。そこまででいい」
「承知しましたわ」
「その後、必要なら打ち込み用の標的を使う」
打ち込み標的まであるらしい。
完全に見せる流れではないか、とレオノーラは思ったが、もう言わないことにした。
ここで渋るのは損だ。
前世の経験でも、こういう場では中途半端が一番まずい。
見る側に不安と疑念を残す。
なら最初から、必要なだけ見せて、危険ではないことと、適切に制御できることを示した方がいい。
それが一番早い。
「クラウス」
「はい」
「見ていてくださる?」
「もちろんです」
弟は少しだけ複雑そうに笑った。
「ただ、お姉様」
「何かしら」
「どうか、建物は壊さないでください」
「そのつもりはありませんわ」
「“つもり”で終わらないことを祈っております」
失礼な弟だった。
だが、周囲の全員がだいたい同じ顔をしているので、少しだけ悲しくなる。
レオノーラは訓練場中央へ歩み出た。
床はよく整えられ、広さも十分。
天井も高い。普通の剣なら申し分ない。だが自分の剣には、少し狭いかもしれない。
無理はしない。
軌道を絞る。
大振りは避ける。
頭の中で空間を計算しながら、レオノーラは片隅に置かれていた大剣の前に立つ。
久しぶりに手が届く距離だ。
安心する。
やはりこの重みがあると落ち着く。
柄に手をかけた瞬間、観覧席の空気が張るのが分かった。
上級生たちが息を呑み、新入生たちは目を離せなくなっている。
皇太子アルベルトは、腕を組んだまま静かに見ていた。
赤髪の令息はあからさまに楽しそうで、黒髪の令息は少しだけ眉を寄せている。
レオノーラは大きく息を吸い、吐いた。
ここで見せるべきは、力任せの豪快さではない。
制御だ。
この剣が自分の体の延長であり、暴れ回る危険物ではなく、扱い切られた武具であること。
それだけを示せばいい。
「始めますわ」
低く告げる。
そして、抜いた。
低い金属音。
巨大な刀身が、ほとんど無駄のない軌道で現れる。重いはずなのに揺れがない。
そのまま半身に構える。
静止。
訓練場の空気が、ぴたりと止まった。
誰もが思うのだろう。
あれを、本当に構えた。と。
レオノーラは一歩踏み出した。
足運びは小さく、重心は低く。
大剣の重みを前に落としすぎず、背と腰で受ける。
身体強化はごく薄く。見せるなら過剰には流さない方がいい。
次に、素振り。
真っ直ぐ振り下ろすのではなく、空間を切り取るように短く鋭く。
空気が低く唸る。
観覧席の誰かが、息を呑んだ。
さらに返し。
横薙ぎではなく、制限空間向けの圧縮軌道。
大剣がまるで重さを失ったように滑る。
止め。
ぴたり、と止まる。
レオノーラはそこで動きを切った。
必要十分。
これ以上は、見せるための剣になる。
自分がやりたいのはそれではない。
だが、十分だったらしい。
訓練場はしばらく無音だった。
それから、最初に声を出したのはガレス教員だった。
「……なるほどな」
低い声。
だが、はっきりと納得の混じった声だった。
「力で振っているんじゃない。体の中で重さを処理している」
その評価に、レオノーラは少しだけ安心した。
見てほしかったのはそこだったからだ。
だが、その安堵はすぐ次の言葉で吹き飛ぶ。
「では次、標的だ」
「……はい?」
「打ち込みを見せろ。三本でいい」
観覧席がざわついた。
レオノーラはほんの少しだけ空を見たくなった。
やはり終わらない。
やはりそうなりますのね。
しかもその時、観覧席から赤髪の令息の明るい声が飛んだ。
「殿下、面白くなってきましたね」
やめてくださいまし。
心の中でそう呟きながら、レオノーラは静かに剣を握り直した。




