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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 翡翠


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第6話 皇太子殿下と目が合ったので、とりあえず気配を消してみましたわ

 目が合った。


 ほんの一瞬だった。

 だが、レオノーラには妙に長く感じられた。


 金の髪。

 よく通る鼻梁。

 年若いながらも完成された気品。

 周囲が自然と道を開ける空気。


 ――あれですわね。


 記憶は曖昧でも、空気で分かる。

 あれはたぶん、皇太子だ。


 そしてレオノーラの中で、警鐘が全力で鳴り始めた。


 まずい。

 非常にまずい。


 まだ学院に着いたばかりだというのに、もう危険要素の本体と接触してしまった。

 できればもう少しこう、段階というものが欲しかった。


「お姉様」


 隣でクラウスが低く囁く。


「ものすごく嫌な顔をなさっています」


「笑顔ですわ」


「口元だけです。目が据わっています」


 レオノーラははっとして、慌てて表情を整えた。


 いけない。

 皇太子相手に露骨な警戒を見せるのは悪手だ。

 前世の知識が曖昧でも、その程度は分かる。高位者に不自然な態度を取ると、余計に覚えられる。


 つまり今取るべき最適解は一つ。


 存在感を消す。


「気配を消しますわ」


「はい?」


「今からわたくし、なるべく背景になります」


「背景に巨大剣を背負った公爵令嬢は向いていません」


 弟の指摘はまったく正しかった。

 だが、やれるだけはやるべきだ。


 レオノーラはさりげなく立ち位置を半歩ずらし、目立たぬ角度を探った。

 人垣の流れに溶け込み、正面からの視認性を下げる。

 剣は仕方ない。せめて自分の視線だけでも外して、自然な立ち姿を装う。


「お姉様」


「何かしら」


「その場しのぎとしては見事ですが、根本的にはどうにもなっていません」


「努力は大事ですわ」


「その努力の向きがたまにおかしいのです」


 そんなやり取りをしているうちに、一団はさらに近づいてきた。


 先頭の少年――おそらく皇太子は、取り巻きらしき令息たちと何か話していたが、不意にまた視線を上げた。

 そして今度は、はっきりとレオノーラを見た。


 視線が止まる。


 レオノーラの背中に冷たいものが走った。


 いや、分かっている。

 別に殺気ではない。

 ただ見られているだけだ。


 だがこの相手は、将来的に自分の人生を面倒な方向へ持っていくかもしれない存在なのだ。警戒するなという方が無理である。


「……アルトヴァイス公爵家か」


 少年が足を止め、そう言った。


 声は落ち着いていて、よく通る。

 周囲のざわめきが一段静まった。


 やはりそうだ。

 この場で誰もが気を遣う相手など限られている。


 レオノーラは心の中で観念し、完璧な所作で一礼した。


「ごきげんよう、殿下」


 呼称を口にした瞬間、クラウスが小さく息を吐いた。

 たぶん正解確認が取れたのだろう。


 金髪の少年――アルベルト皇太子は、軽く頷いた。


「レオノーラ・アルトヴァイス嬢だな」


「はい」


「噂は聞いている」


 聞かなくていい噂ばかり聞いていそうですわね、とレオノーラは思ったが、もちろん口にはしない。


「学院へようこそ。……いや、同じ新入生に言う言葉ではないか」


 その言い方に、周囲で小さく笑いが起こる。

 自然な場の和ませ方だ。


 レオノーラは少しだけ意外に思った。


 もっとこう、鼻持ちならないタイプを想像していたのだが、少なくとも第一印象は悪くない。

 だからこそ余計に怖いとも言える。外面の良い攻略対象ほど厄介なのは、乙女ゲームあるあるである。


「恐れ入りますわ」


「……その剣も噂通りだな」


 来た。


 やはりそこに行く。


 アルベルトの隣にいた赤髪の令息が、明らかに面白がる目をしている。

 反対に、眼鏡をかけた黒髪の令息は警戒気味だ。

 取り巻きというより側近候補なのかもしれない。


「はい。わたくしの得物ですわ」


「学院にも持ち込むのか」


「必要でしたので」


「必要」


 アルベルトがその単語を繰り返した時、レオノーラは一瞬だけ迷った。


 ここで「護身用です」と言うと、また空気が変になる可能性が高い。

 だが嘘をつくのも違う。


 よって、今回は少しだけ言い換えることにした。


「慣れた武器を手放したくありませんでしたの」


 悪くない答えだ。


 実際、それは本音でもある。

 ガレス教員にも通じた理屈だし、武人相手ならなおさら理解されやすい。


 予想通り、アルベルトの隣の赤髪の令息が片眉を上げた。


「へえ。言うな」


 黒髪の令息は無言で剣を見ている。

 そしてアルベルトは、少しだけ考えるような顔をした。


「武芸に自信があるのか」


「多少は」


 レオノーラは謙遜した。


 しかしその瞬間、クラウスと少し離れた場所にいたルークが、ほぼ同時に微妙な顔をした。

 なぜかしら。


 アルベルトもまた、わずかに口元を緩める。


「多少、か」


「はい」


「その“多少”の基準を、少し知りたい気もするな」


 嫌な予感がした。


 非常に嫌な予感である。


 こういう言い回しの先にあるのは大抵、実技、手合わせ、もしくは公開の場での能力確認だ。

 やめてほしい。入学初日である。まだ講堂にも入っていない。


「殿下」


 黒髪の令息が一歩前に出て、静かに言った。


「まもなく式が始まります。ここで立ち話を続けるのは」


「そうだな」


 助かった。


 レオノーラは心の中でその令息に感謝した。

 名前は分からないが、非常にありがたい判断である。


 アルベルトは再びレオノーラを見た。


「いずれ話す機会もあるだろう。式の後、新入生代表挨拶をするそうだな」


 レオノーラは一瞬だけ固まりそうになった。


 それまで知らなかったくせに、もうその事実が重くのしかかっている。

 しかも本人の前で言及されると逃げ場がない。


「……はい」


「楽しみにしている」


 やめてくださいまし。


 本音はそうだった。

 だが、もちろん口にはしない。


「ご期待に沿えるよう努めますわ」


 無難。

 実に無難な返答である。


 アルベルトは軽く頷くと、そのまま人垣の中を進んでいった。

 赤髪の令息はすれ違いざま、面白いものを見るようにレオノーラを見て、黒髪の令息は最後まで警戒を解かなかった。


 一団が去ったあと、レオノーラはそっと息を吐いた。


「……疲れましたわ」


「まだ何も始まっていません」


 クラウスが即座に返した。


「皇太子殿下と会話した時点で十分始まっております」


「お姉様の中ではそうでしょうね」


「違いまして?」


「たぶん、概ね」


 そこへ、いつの間にか近くに戻ってきていたルークが苦い顔で言った。


「君は本当に、厄介事の中心へ自然に立つな」


「立ちたくて立っているわけではありませんわ」


「そう見えないのが問題なんだ」


 レオノーラは少しだけ不服だった。

 こちらは本気で回避したいのに、どうしてこうも向こうから接触してくるのか。


 だが考えてみれば、自分は三大公爵家の令嬢で、新入生代表で、巨大剣を背負い、受付前で暴れ馬を止めたのだ。

 目を引かない方が難しい。


「お姉様」


「何かしら」


「もう“目立たないように”は諦めて、せめて“余計に燃料を投下しない”に目標修正した方が現実的では?」


 クラウスの提案は極めて合理的だった。


 行動経済学的にも、失われたものを取り返そうとして無理を重ねるより、損失を限定する方がいい。

 すでに“目立たない”は失敗している。ならば次善策へ移るべきだ。


「……そうですわね」


 レオノーラは素直に頷いた。


「では本日以降の方針は、余計な燃料を投下しない、に変更いたしますわ」


「賢明です」


「そのためにも、代表挨拶を無難に終えます」


「それが最大の難所です」


 ルークが真顔で言った。


 なぜそんなに信用がないのか。

 いや、理由は分かるのだが、それにしたって少しは信じてほしい。


 鐘が再び鳴り、講堂への入場が始まる。


 新入生たちが順に流れ始め、華やかな衣擦れの音とざわめきが回廊を満たした。

 レオノーラもその流れに乗って歩き出す。


 講堂の大扉は開かれており、中には赤い絨毯、整然と並ぶ座席、上段には教員席、そして正面には壇上。

 実に堂々たる空間だ。


 そして、壇上の中央にある演台を見た瞬間、レオノーラは微妙な気持ちになった。


「あそこですのね……」


「ええ」


「剣を持って立てないのが不安ですわ」


「その発想がもう危険です」


 クラウスの呆れはもっともだった。


 レオノーラは講堂脇の指定場所で剣を外し、登録札付きの臨時保管具へ預けた。

 背中から重みが消える。


 軽い。


 だが同時に、落ち着かない。

 長年背負ってきたものがないというのは、思った以上に心許なかった。


「お姉様」


「何かしら」


「その顔で入場しないでください。まるで丸腰で敵陣に入る兵士です」


「似たようなものではなくて?」


「全然違います」


 言われて、レオノーラは意識して表情を整えた。


 大丈夫。

 剣がなくても死にはしない。

 壇上に敵兵はいない。たぶん。

 いるのは教員と新入生と上級貴族だけだ。十分怖いが、剣を抜く類の危険ではない。


 そう自分に言い聞かせながら、レオノーラは新入生席の最前列へ向かった。


 周囲の新入生たちが、遠巻きにしつつもちらちらとこちらを見ている。

 剣を外していても、もう顔は覚えられてしまったらしい。


 前方席にはセシリアの姿もあり、彼女は目が合うと小さく会釈してきた。

 レオノーラも静かに返す。


 そのさらに斜め前には、アルベルト皇太子と側近らしき令息たちの席があった。

 当然だが彼らは新入生席とは別枠である。


 レオノーラは視線を合わせぬよう慎重に座った。


 今は挨拶に集中。

 余計なことは考えない。


 やがて入学式が始まる。

 学院長の祝辞、教員紹介、上級生代表挨拶。どれも格式ばっていて長いが、内容は概ね「励め」「学べ」「交友を深めよ」である。


 そしてついに、その時が来た。


「続いて、新入生代表。レオノーラ・アルトヴァイス」


 講堂中の視線が、一斉に集まった。


 レオノーラは立ち上がる。


 静かに。

 揺らぎなく。

 公爵令嬢として、剣を持たずとも背筋は伸ばせる。


 階段を上がり、演台の前へ立つ。


 正面には教員たち。

 左右には新入生と上級生。

 そして少し離れた特別席には、皇太子アルベルト。


 喉が渇く。


 だが恐れるな。

 剣の構えと同じだ。呼吸を整え、足場を安定させ、視線をぶらさない。


 レオノーラはゆっくりと口を開いた。


「本日、帝国貴族学院へ入学を許された新入生を代表し、謹んでご挨拶申し上げます」


 よし。

 出だしは問題ない。


 あとは無難に、期待と抱負と決意を述べればいい。

 余計なことは言わない。

 “生き延びる”とか“断罪”とか“厄介事の本体”とか、そういう単語は絶対に出さない。


「我々は本日より、この学院にて多くを学び、互いに切磋琢磨しながら、それぞれの責務にふさわしい者となるべく励んでまいります」


 うん。

 良い。

 かなり良い。


「知を磨き、技を鍛え、礼を学び、他者との縁を結びながら――」


 そこで、ふと視界の端にアルベルト皇太子が入った。

 それだけで、思考の隅にまた嫌な予感が顔を出す。


 婚約。

 断罪。

 投獄。


 いけない。

 引っ張られる。


 レオノーラは強引に意識を戻し、続けた。


「――いかなる困難に直面しようとも、安易に屈することなく、自らの足で立ち、進み続ける所存です」


 講堂が、ほんの少し静かになった気がした。


 しまったかしら。


 いや、ぎりぎり大丈夫な範囲だ。

 熱意として解釈できる。

 たぶん。


「未熟ではございますが、本日ここに集う新入生一同、学院の名に恥じぬよう誠実に学び、努めることをお誓い申し上げます」


 最後まで言い切り、礼をする。


 静寂。


 次いで、拍手。


 大きい。


 想定より大きい。


 レオノーラは顔を上げ、ほんの少しだけ目を瞬いた。

 教員たちは真面目な顔で頷いており、新入生たちもどこか圧されたような面持ちで拍手している。


 そして特別席で、アルベルト皇太子が静かに拍手していた。


 その横で、赤髪の令息が何か面白そうに囁き、黒髪の令息は無言のままだ。


 レオノーラは席へ戻りながら、そっとクラウスの方を見た。


 弟は複雑そうな顔で拍手していた。


 席へ戻ると、彼は小声で言った。


「無難、でしたね」


「でしょう?」


「七割くらいは」


「十分ですわ」


「ただし後半、“何があっても屈しない”あたりから少しだけ武人の宣誓になっていました」


「……気のせいでは?」


「いいえ」


 だが、最悪ではない。

 むしろ想定よりうまくいった。


 レオノーラは少しだけ安堵した。


 よし。

 これで今日はもう大きな山は越えたはず。

 あとは式が終わって解散、各クラス説明が済めば、ようやく落ち着ける。


 そう思った、その時だった。


 壇上の学院長が咳払いを一つし、穏やかな声でこう告げた。


「なお、新入生代表レオノーラ・アルトヴァイス嬢には、式後、武芸適性特別確認のため、武芸棟第一訓練場へ来るよう申し付ける」


 講堂がざわついた。


 レオノーラは固まった。


 クラウスがゆっくりと顔を覆った。


「お姉様」


「……何かしら」


「余計な燃料を投下しない、とは何だったのでしょう」


 レオノーラは答えられなかった。

 なぜなら今回は、本当に自分から何もしていないからである。


 なのに、なぜか話が武芸棟へ飛んでいる。


 そして前方席では、赤髪の令息が露骨に楽しそうな顔をし、アルベルト皇太子が静かにこちらを振り返っていた。

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