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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第76話 休暇に入った瞬間に実務服へ着替えるのは、さすがに少し早い気もいたしますけれど合理的ですわ

 今度こそ、本当に学院の外で動く番ですわ。


 そう言って学院を後にした以上、まず必要なのは休息ではなく整理だった。


 休暇に入ったからといって、全てを行き当たりばったりで動かすほど、レオノーラは雑ではない。

 むしろ逆である。

 学院の外へ出るからこそ、先に何をどこまで動かすかを決めておく必要があった。


 そして、その休暇初日の朝。


 レオノーラは当然のように、騎士団服に見えないという建前で整えた野外実務服へ袖を通していた。


 濃紺を基調とした上着。

 動きやすさを優先した腰回り。

 断星を背負う前提で整えられた背。

 それに、革手袋と長靴。


 完全武装ではない。

 だが、どう見ても普通の令嬢の朝支度でもなかった。


 姿見の前で軽く肩を回し、裾を整え、レオノーラは静かに頷く。


「……やはり、休暇に入った瞬間からこちらの方が合理的ですわね」


 合理的ではある。

 だが、公爵令嬢の夏季休暇初日の装いとしては、かなりどうかしていた。


 朝食の席へ現れた瞬間、父ヴァルターが固まった。


「……レオノーラ」


「何かしら、お父様」


「お前は、なぜ休暇に入った瞬間にそれを着ている」


 母エレオノーラも、茶器を持ったまま目を細めた。


「本当に、瞬間からなのね」


「ええ」


 レオノーラはごく自然に答える。


「どうして?」


「本日から休暇ですもの」


「ええ」


「学院用の装いより、こちらの方が今後の予定に適しておりますわ」


 クラウスが静かにパンを置いた。


「お姉様」


「何かしら」


「理屈は通っています」


「でしょう?」


「ですが、休暇に入った瞬間からその実行速度なのが、お姉様です」


 そこへ父が低く言う。


「少しは段階を踏め」


「踏んでおりますわよ」


「どこがだ」


「完全武装ではありませんもの」


 父は黙った。

 たしかに、胸当ても肩当ても小手も脛当てもまだ付いていない。

 断星も背負っていない。


 だが、安心できるかと言われれば話は別だった。


「……つまり」


 母が静かに整理する。


「あなたの中では、もう“夏季休暇に入ったらこの服が通常”なのね」


「ええ」


 レオノーラは頷く。


「だいぶ」


「だいぶ、ではないわね」


 母は少しだけ遠い目をした。


「かなり、よ」


 そこまで言われると少しだけ心外だったが、レオノーラとしては譲れない理がある。


「だって」


 レオノーラは言う。


「森へも参りますでしょう」


「ええ」


「工房にも行きますでしょう」


「ええ」


「断星の調整もございます」


「ええ」


「でしたら、最初からこちらに慣れておく方が自然ではなくて?」


 理屈だけを抜けば、実に正しい。

 だからこそ困るのである。


 朝食後、レオノーラは珍しく自分から言った。


「お父様、お母様、クラウス」


 三人がそれぞれ顔を上げる。


「何だ」


 父ヴァルターが答える。


「休暇中の予定を、一度整理しておきたいのですけれど」


 応接間の空気が、ほんの少しだけ静まった。


「……レオノーラが、自分から整理を?」


 母エレオノーラが少しだけ目を瞬く。


「失礼ですわね」


「いいえ、良い意味で驚いているのよ」


「どうして?」


「あなた、最近は面倒が来てから整える方が多かったでしょう?」


 そこは否定しづらかった。


「今回は」


 レオノーラは静かに言う。


「森へも参りたいですし」


「ええ」


「工房にも行きたいですし」


「ええ」


「断星の調整もございますでしょう?」


「ええ」


「それに」


 そこで少しだけ間を置く。


「せっかく休暇仕様の実務服にも着替えましたもの」


 父がすぐに言った。


「休暇仕様という言い方で押し切るな」


「事実ではなくて?」


「その事実が重いんだ」


 クラウスが静かに咳払いをした。


「ですが、整理するのは良いことです」


「でしょう?」


 レオノーラが頷く。


「では、まず目的ごとに分けましょう」


 クラウスは紙を引き寄せた。

 最近、この手の整理を最も自然に始めるのは彼である。


「一つ目」


「森」


「ええ」


「二つ目」


「工房」


「ええ」


「三つ目」


「鍛錬」


「ええ」


「四つ目」


 クラウスは一拍置いた。


「何かしら」


「装備の実運用確認」


 父が顔をしかめる。


「それを堂々と四つ目に入れるな」


「ですが必要でしょう?」


 レオノーラが問う。


「必要ではある」


 父は認めた。

 認めたが、だいぶ不本意そうだった。


「では」


 母が静かに言う。


「順番を決めましょう」


「どういうこと?」


「全部を一度に動かすと、あなたは間違いなく休暇の二日目で濃度が上がりすぎるの」


 その言い方は少しだけ抽象的だったが、家族全員が頷いているので、たぶん正しいのだろう。


「濃度?」


「面倒の密度です」


 クラウスが補足した。


「それは、上げたくありませんわね」


「いいえ」


 父が言う。


「お前は上げる」


「どうしてそこまで断言なさるの」


「今までがそうだったからだ」


 それはまあ、その通りだった。


「まず森」


 母が言う。


「これは外せないのでしょう?」


「ええ」


 レオノーラは頷いた。


「断星を受け入れていただきましたもの」


「ですから、顔を出すのが筋ですわ」


「よろしい」


「次に工房」


 父が続ける。


「これも必要か」


「ええ」


「どうして?」


「断星の確認と、今後の話ですわ」


「今後とは」


 その問いに、レオノーラは少しだけ視線を伏せた。


「第二案と第三案のことも、ございますでしょう?」


 応接間が少しだけ静まる。


 第二案。

 第三案。

 その二つは、まだ先の話でありながら、もう完全に先の話だけでもない。


「……そうね」


 母が静かに言う。


「今すぐではなくても、確認は必要かもしれないわ」


「ただし」


 父が言った。


「休暇中に一気にそこまで進めるな」


「どうしてですの?」


「お前は、目の前に階段があると三段飛ばしで登ろうとする」


 それは少しだけ心外だった。


 だが、やはり否定はしきれない。


「では」


 クラウスが紙へ書きながら言う。


「森は最初の数日で一度」


「工房はそのあと」


「鍛錬はその合間に分散」


「装備の確認も、鍛錬と一体で」


「なるほど」


「これなら、少なくとも全部が同日に重なりません」


 だいぶ良い整理だった。


「かなり助かりますわね」


「そうでしょう?」


 クラウスが言う。


 その時だった。


 執事長が静かに入ってくる。


「失礼いたします」


「何だ」


 父が問う。


「工房より、使いの者が」


 全員の視線が自然とそちらへ向いた。


「何の用かしら」


 母が問う。


「ゴルド殿より、“時間が空いたなら休暇の早いうちに顔を出せ”とのことです」


 レオノーラは、そこで少しだけ目を細めた。


「早いですわね」


「ええ」


「内容は?」


 執事長が紙片を差し出す。


「“断星は一度、休暇仕様で見たい。あと、お前の妙な服の話も聞いた。持って来い”とのことです」


 応接間の空気が止まった。


「……誰が漏らしたのかしら」


 レオノーラが静かに言う。


「おそらく、帝都の服飾屋でしょうね」


 クラウスが言う。


「仕事が早いですわね」


「そこを感心しないでくださる?」


 母が言った。


 父は低く呻いた。


「工房の一件に、装備の話がもう繋がったな」


「ええ」


 クラウスが淡々と頷く。


「しかも、かなり自然に」


 大変よろしくありませんわね。


「では」


 レオノーラは少しだけ考え、それから言った。


「森の前に工房へ寄る方がよろしいかしら」


「どうして?」


 母が問う。


「断星を休暇仕様で見る、とありますもの」


「ええ」


「つまり、森へ入る前提で調整が入る可能性がございます」


「なるほど」


「その方が筋は良いですわ」


 父は腕を組んだ。


「一理ある」


「ですが」


「何だ」


「その場合、工房でこの実務服も見られますわね」


「見られるでしょうね」


「かなり」


 母が遠い目をする。


 そこへ、さらに執事長が付け加えた。


「なお」


「まだあるのか」


「森からも、短い文が届いております」


 家族全員が、今度は本気で黙った。


「……読みたくありませんわね」


 レオノーラが言う。


「気持ちは分かります」


 執事長はそう言いつつも、文を読む。


「“夏の間に来るなら、風が強くなる前がよい。剣も服も、森で見る分には構わない。ただし、森で騒がしく見えるなら笑う”」


 沈黙。


 そして、母がゆっくり言った。


「笑われるのね」


「ええ」


「しかも服まで把握されている」


 クラウスが静かに補足する。


「つまり」


「ええ」


「工房と森の双方で、すでに実務服の話は共有されています」


 父ヴァルターは、深く天を仰いだ。


「なぜこうも早く広がる」


「似合うからでしょうね」


 母が言う。


「その答えはもう聞き飽きた」


「ですが、たぶん正しいわ」


 レオノーラは、届いた文を少しだけ見つめた。


 森は、笑うと書いた。

 つまり止めるとは書いていない。

 工房は持って来いと言った。

 つまり興味があるのだろう。


「……お父様」


「何だ」


「もう、順番は決まりましたわね」


「言ってみろ」


「工房が先」


「ええ」


「そのあと森」


「ええ」


「鍛錬と実務服の確認は、その途中で」


 父は少しだけ考え、それから頷いた。


「そうだな」


「それが一番ましだろう」


「まし、ですのね」


「最善ではない」


「ですが、最悪でもない」


 母が言う。


「それだけでも休暇の初動としては上出来よ」


 それはたしかにそうだった。


「では」


 クラウスが紙を整える。


「明日、工房への訪問準備」


「ええ」


「明後日、出発」


「ええ」


「完全装備は?」


 その問いに、レオノーラは静かに答えた。


「持って行きますわ」


 父がすぐ言う。


「完全装備で馬車から降りるな」


「どうしてですの」


「帝都の人間が見るからだ」


「では、工房に着いてから整えます」


「それならよい」


 少しずつ条件が詰まっていく。

 そして、その条件の隙間を縫うようにレオノーラの自由度も確保されていく。


 だいぶいつもの流れだった。


 会議が終わり、自室へ戻ると、断星が壁際で静かに立っていた。

 その隣には、整えられた野外実務服。


 レオノーラは、それらを見渡して小さく息を吐いた。


「……やはり、休暇は休暇らしく静かには始まりませんのね」


 だが、不満ばかりでもなかった。


 工房。

 森。

 断星。

 実務服。

 第二案と第三案の気配。


 ようやく、学院の外でしか進まない話が動き始める。


「ですが」


 レオノーラは静かに口元を緩めた。


「これはこれで、悪くありませんわ」


 壁際の断星は、相変わらず何も言わない。

 けれど今は、たぶんそれで十分だった。

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