幕間 レオノーラ、父の「帝都の街中と、学院の周辺は駄目だ」との発言を受け、学院内なら問題ないと言質をとる
人は時として、明確な禁止よりも、中途半端な条件付き許可の方が危険である。
少なくともアルトヴァイス公爵家において、その実例はすでに何度も確認されていた。
そして今回もまた、その法則は正しかった。
第2回家族会議の翌朝。
レオノーラは、珍しく機嫌が良かった。
領地内であれば完全武装も許可。
帝都の街中と、学院の周辺では駄目。
屋敷から出る時は一声かける。
だいぶ譲歩を勝ち取ったと言ってよい。
言ってよいのだが、レオノーラの思考はそこで終わらなかった。
「……学院の周辺は駄目」
自室の机へ向かい、昨夜の会話を反芻する。
「ええ」
自分で頷く。
「つまり、学院の周辺が駄目なのであって」
断星は壁際に立てかけられている。
いつものように沈黙していた。
「学院内は、明言されておりませんわね」
たいへんよろしくない整理だった。
だが本人は、ひどく理知的な顔をしていた。
むしろ、こういう時ほど真面目である。
「周辺、とは」
紙へさらさらと書く。
一 学院の外縁
二 通学路
三 学院近接区域
四 学院本体は、含むとは限らない
「……問題ございませんわね」
問題しかなかった。
その日の夕刻。
父ヴァルターは執務室で書類を見ていた。
休暇前ということもあり、領地関係、学院関係、家の内外の諸調整が重なっている。
そこへ、控えめなノックが入った。
「お父様」
来た。
声で分かる。
この静かな呼びかけ方の時、だいたいろくでもない確認が来る。
「入れ」
扉が開き、レオノーラが入ってきた。
今日も令嬢として完璧に整っている。
少なくとも、今はまだ完全武装ではない。
「少し確認したいことがございます」
「嫌な予感しかしないが、言え」
レオノーラは一歩進み、極めて穏やかに口を開いた。
「昨夜、お父様は仰いましたわね」
「何をだ」
「帝都の街中と、学院の周辺は駄目だと」
父はそこで、すでに眉間を押さえた。
「……ああ」
「確認ですが」
「確認するな」
「学院内は問題ない、という理解でよろしいかしら」
父は、しばし黙った。
それは長い沈黙だった。
書類の上に置いていた手が、ゆっくり止まる。
額に指が当たる。
深く息を吐く。
「レオノーラ」
「何かしら」
「お前はなぜ、そういうところだけ恐ろしく頭が回る」
「必要な確認ではなくて?」
「必要ではない」
「ですが、昨夜のお父様のお言葉を正確に受け取るなら」
「やめろ」
「帝都の街中と、学院の周辺は駄目」
「やめろ」
「逆に申せば、学院内については」
「やめろと言っている」
だがレオノーラは止まらない。
むしろ、父が止めに入る時ほど、自分の論が整っていると確信している節がある。
「学院内は管理された空間ですわ」
「ええ」
「治安上の問題も起きにくい」
「ええ」
「しかも、断星を伴ったとしても、学院はそもそも武や訓練と無縁の場ではない」
「ええ」
「さらに」
「ええ」
「学院の周辺ではなく、学院の内側ならば、条件に抵触しない可能性が高い」
父はゆっくり顔を上げた。
「可能性が高い、ではなく」
「ええ」
「お前の中では、もう“ほぼ通った話”になっているな」
「かなり」
即答だった。
父ヴァルターは、ここで一つ理解した。
これは否定の仕方を間違えると危険である。
曖昧に流せば、その曖昧さを条件付き許可として拾われる。
正面から切れば、今度は文言上の穴を探し始める。
つまり、父としても高度な面倒を処理しなければならない。
「待て」
父は手を上げた。
「まず確認する」
「ええ」
「お前は、なぜ学院内でその装備を着る必要があると思う」
良い問いだった。
理由を問う。
ここで合理性を崩せれば、多少は押し戻せる。
だがレオノーラは、実に自然に答えた。
「休暇前後は荷の整理もございますでしょう」
「ええ」
「断星の扱いもございます」
「ええ」
「また、学院内での訓練や確認の可能性もゼロではないではありませんの」
「ゼロではないが」
「でしたら」
「ええ」
「最初から最適な状態で慣れておくのは、有益ではなくて?」
父は無言で天を仰いだ。
理屈が通っている。
実に困るほど通っている。
そこへ、救いのように扉が叩かれた。
「あなた」
母エレオノーラである。
「入ってよろしいかしら」
「入ってくれ」
父の声には、だいぶ助けを求める響きがあった。
母が入室し、部屋の空気を一息で読む。
そして、すぐに理解したらしい。
「まあ」
「何だ」
「始まっていたのね」
「始まっていた」
レオノーラは少しだけ首を傾げた。
「何がかしら」
「あなたの、条件文解釈会議よ」
母はそう言って長椅子へ腰を下ろした。
「それで?」
「お父様が、帝都の街中と学院の周辺は駄目と仰ったので」
「ええ」
「学院内なら問題ないのではないかと」
「やっぱりそう来たのね」
母は少しも驚いていなかった。
むしろ、来ると思っていた顔である。
「お母様は、どうお考えかしら」
「そうね」
母は、静かに指先を組んだ。
「まず、あなたの解釈は文言だけ見れば間違っていないわ」
父が呻いた。
「おい」
「ですが」
母は続ける。
「だから通してよいとは限らないの」
「どうして?」
「文言の穴を埋めるのが、家族会議の役目だからよ」
その返しは、かなり強かった。
レオノーラも少しだけ黙る。
母がその隙に、さらに続けた。
「レオノーラ」
「何かしら」
「お父様が“学院の周辺は駄目”と仰ったのは」
「ええ」
「場所だけの話ではないの」
「では?」
「学院という人目の多い空間で、あなたが完全武装して目立つこと全般を警戒していたのよ」
なるほど。
それは分かる。
分かるが、言われていない。
そう顔に出たのだろう。
母は少しだけ笑った。
「その顔をしている時点で、まだ諦めていないわね」
「だって、明言されておりませんもの」
「クラウス」
母が呼ぶ。
「はい」
いつの間にか扉の外にいたらしい。
入ってきたクラウスは、すでに全部聞いていた顔をしていた。
「あなたの意見は?」
クラウスは少しだけ考えた。
そして、たいへん静かに言った。
「学院内でも、通常時は駄目だと思います」
「どうして?」
レオノーラが問う。
「お姉様」
「何かしら」
「学院の中は、訓練場である前に、学生社会です」
「ええ」
「そこへ、お姉様が完全武装で現れると」
「ええ」
「普通の訓練参加者ではなく、“何か事情があって装備を整えている人”に見えます」
そこへ父が低く足す。
「しかもお前は竜殺しだ」
応接室ではなく執務室で、あらためてその事実が置かれる。
「ええ」
「お前が完全武装して学院内を歩いた時点で」
「ええ」
「“令嬢が備えた”では済まん」
「では?」
「“何かが起きる”になる」
それは、少しだけ分かってしまうのが嫌だった。
母も頷く。
「だから、学院の中でも駄目」
「少なくとも、通常時は」
「通常時?」
レオノーラはそこを拾った。
父と母とクラウスが、ほぼ同時に小さく顔をしかめる。
拾うな。
今それを拾うな。
全員がそう思った。
「何ですの、その反応は」
レオノーラが問う。
「今、“通常時”と仰ったでしょう?」
「言ったが」
「つまり、例外があるのではなくて?」
父は目を閉じた。
やはり拾われた。
しかも一番拾われたくないところを。
「ある」
観念したように父が言う。
「やっぱり」
「嬉しそうな顔をするな」
「いたしませんわ」
「している」
クラウスが静かに言う。
「お姉様、今かなりしています」
「細かいわね」
だがもう遅い。
例外の存在は言質として取られた。
「では、例外とは?」
レオノーラが問う。
父ヴァルターは、ゆっくり言葉を選んだ。
「学院の正式な訓練」
「ええ」
「学院側の明確な指示」
「ええ」
「あるいは、武装状態が合理的と認められる特別な場面」
「なるほど」
「つまり」
「つまり、普段は禁止だ」
「ええ」
「ですが、必要な場面であれば学院内でも可」
「……そうなる」
レオノーラは、そこで静かに頷いた。
「分かりましたわ」
「本当にか?」
「ええ」
「では通常時は控えます」
父と母が少しだけ安堵しかけた、その時。
「ただし」
やはり来た。
「何だ」
「学院側の正式な訓練や、合理的に必要とされる場面があれば、その限りではないのですわね」
「そうだが」
「承知しましたわ」
父は察した。
この娘、今後はその“合理的に必要な場面”を自分で発掘する気だ。
「レオノーラ」
「何かしら」
「お前、今後それを拡大解釈するつもりだな」
「いたしませんわ」
「本当か」
「多少は」
「するのか」
「合理的な範囲で、ですわ」
母が深く息を吐いた。
「やっぱり、学院内なら問題ない、を取りに来たのね」
「違いますわ」
「では?」
「学院内でも、条件付きで可能である、という正確な整理をしただけです」
その言い方が一番困るのである。
だが父も母もクラウスも、もう知っていた。
ここでこれ以上押し問答しても、文言がさらに細かくなり、余計な穴が増えるだけだと。
「では、結論だ」
父が言う。
「学院内の通常時は禁止」
「ええ」
「ただし、学院の正式な訓練、学院側の明確な指示、武装が合理的と認められる特別な場面では可」
「ええ」
「その判断は、お前が一人で決めるな」
そこは強く言った。
「学院側、もしくは家へ確認を取れ」
「承知しましたわ」
「……今度こそ本当か?」
「本当です」
そこは本当に本当らしい。
少なくとも、レオノーラの中では、条件が明文化されたことで満足した部分もあった。
つまり彼女は、学院内で完全武装を“通常運用”できるとは取らなかった。
ただし、条件付きの例外は確保した。
それだけで十分な成果だった。
執務室を出たあと。
廊下を歩くレオノーラの足取りは、やや軽かった。
「お姉様」
クラウスが隣で言う。
「何かしら」
「だいぶ満足そうですね」
「そうかしら」
「ええ」
「どうしてだと思う?」
「学院内通常時は禁止されたはずなのに、なぜか勝った顔をしておられます」
それは少し失礼だったが、だいたい正しかった。
「だって」
レオノーラは静かに言う。
「学院内でも、絶対禁止ではないと確認できたではありませんの」
「……やはりそこですか」
「大きいですわよ?」
「そうでしょうね」
クラウスは少しだけ遠い目をした。
「父上の“学院の周辺は駄目”という言葉から、よくそこまで持っていきましたね」
「必要な確認でしたもの」
「お姉様」
「何かしら」
「たぶん家族全員、次から言葉がさらに慎重になります」
「それは、良いことではなくて?」
「父上たちにとっては、あまり良くないと思います」
その夜、自室へ戻ったレオノーラは、机へ向かって小さく書き留めた。
学院内通常時は不可。
ただし正式訓練、明確な指示、合理的な特別場面では可。
「……十分ですわね」
小さくそう呟く。
断星は壁際で静かに立っていた。
何も言わない。
だが今回もまた、少なくとも否定はしていない気がした。
こうしてレオノーラは、父の「帝都の街中と、学院の周辺は駄目だ」という発言から、見事に学院内条件付き可という言質を引き出したのである。
父ヴァルターは、後にぽつりとこう漏らしたという。
「次からは、一文ごとに注釈を付けるべきかもしれん」




