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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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幕間 レオノーラ、ついに騎士団服に見えないという建前で帝都の服飾屋に騎士服を注文して受け取る

 人は、建前を手に入れた瞬間に強くなる。


 少なくとも、アルトヴァイス公爵家の長女レオノーラはそうだった。


 公爵領騎士団服そのものは止められた。

 家族会議でも、父ヴァルターと母エレオノーラとクラウスが全力で阻止した。

 だが同時に、一つの妥協案が認められてしまった。


 騎士団服に見えない程度に動きやすく、しかし断星と相性がよく、しかも見た目は令嬢としてぎりぎり成立する服。


 この、絶妙に危うい文言である。


 そしてレオノーラは、そこから一歩だけ思考を進めた。


「……騎士団服に見えなければ、実質的に騎士団服でも問題はないのではなくて?」


 たいへんよろしくない結論だった。


 だが本人は、自室の机へ向かったまま、ひどく真面目な顔をしていた。

 断星は壁際に立てかけられている。

 何も言わない。

 今回もまた、明確な否定はしなかった。


「問題は名称ではなく印象ですわ」


 レオノーラは紙へさらさらと条件を書き出していく。


 一 動きやすいこと

 二 断星との相性がよいこと

 三 騎士団服そのものには見えないこと

 四 しかし実務上はだいぶ騎士団服であること

 五 見た目は整っていること


「完璧ですわね」


 完璧ではなかった。

 かなり危険だった。


 数日後。


 レオノーラは学院の帰路、帝都で少しだけ寄り道をした。

 もちろん、表向きはごく穏当な理由である。


 休暇前の買い物。

 文具の確認。

 細かな日用品の補充。


 そのついでに、帝都でも腕が良いと評判の服飾屋を訪ねた。


 店構えは静かで上品だった。

 派手ではない。

 だが布と仕立てに本気の店だと、一目で分かる。


「いらっしゃいませ」


 年配の主人が、すぐに頭を下げた。

 レオノーラの身なりを見て、無礼のない距離を取る。

 なかなか良い。


「少し相談がございますの」


「はい」


「動きやすく、実用性が高く、ですが騎士団服には見えない服を仕立てたいのです」


 主人は一瞬だけ目を瞬いた。

 だが表情は崩さない。


「……ご用途を伺っても?」


「野外活動と訓練ですわ」


 間違ってはいない。


「ただし」


「はい」


「貴族令嬢として、ぎりぎり不自然でない程度には整っていてほしいの」


「なるほど」


 主人はそこで初めて少し考える顔になった。


「失礼ながら」


「何かしら」


「かなり高度なご注文かと」


「そうでしょうね」


 レオノーラは静かに頷いた。


「だからこそ、こちらへ参りましたの」


 その返しは、職人相手に非常に効いたらしい。

 主人の目がほんの少しだけ鋭くなった。


「お嬢様」


「何かしら」


「具体的に、どの程度の動きやすさをお求めで?」


「大剣を背負って、走れます?」


 空気が止まった。


「……大剣を?」


「ええ」


「背負って?」


「ええ」


「走る」


「ええ」


 主人は数秒黙った。

 それから、たいへん慎重に言う。


「お嬢様」


「何かしら」


「それは、服の問題だけではなく、ご本人の問題もかなり大きいのでは」


「それは存じておりますわ」


 この令嬢、会話が早い。

 そう思ったのが顔に出たのだろう。

 主人はごく小さく咳払いをした。


「承知いたしました」


「では、仮案を」


「ええ」


「濃色の上着に、装飾を抑えた立ち襟」


「ええ」


「裾は長すぎず、ただし礼を失さぬ程度」


「ええ」


「腰回りと肩は動きを優先して切り替えを」


「ええ」


「マントは?」


「不要ですわ」


 それは即答だった。


「なるほど」


「どうして?」


「あると完成しすぎますもの」


 主人は、そこで初めてほんの少しだけ笑った。


「お嬢様は、ご自身がどう見えるかをよくご存じで」


「ええ」


「ですから、“見えすぎないように”したいのです」


 その注文は、だいぶ本気だった。


 採寸が始まる。


 腕の可動域。

 肩の開き。

 背負い具を通す前提の背面。

 断星そのものは持ち込んでいない。

 だが寸法はすでに頭へ入っている。


「ここは少し余裕を」


「はい」


「ただし余りすぎると野暮ったいので」


「はい」


「このあたりは細く」


「……ええ」


「ですが見た目だけで絞らないでくださいまし」


「もちろんです」


 主人の返答は丁寧だったが、内心ではかなり驚いていた。

 令嬢がここまで実務的な注文を出すとは思っていなかったのである。


「お嬢様」


「何かしら」


「失礼ながら」


「ええ」


「かなりお慣れですね」


「そうかしら」


「ええ。普通はここまで明確に“動ける服”の条件は出てきません」


 レオノーラは少しだけ首を傾げた。


「必要なことを申しているだけではなくて?」


「その必要が、そもそも普通ではございません」


 それは言われてみれば、そうかもしれない。


 数日後。


 仕立て上がったという知らせが届いた。


 レオノーラは、家族に悟られぬよう極めて自然に外出の予定を組んだ。

 自然と言っても、本人基準である。

 他者から見れば少しだけ怪しい。


 だがそこを深く追う者はいなかった。

 なぜなら休暇前で、皆それなりに忙しかったからだ。


 帝都の服飾屋。

 奥の部屋へ通される。


「お待たせいたしました」


 主人が布を払う。


 そこにあったのは、まさしくレオノーラの望んだものだった。


 濃紺を基調にした上着。

 白銀はほとんど使わず、縁取り程度。

 腰は絞りすぎず、しかし野暮ったくない。

 肩と背は、断星を背負う前提で綺麗に抜かれている。

 裾は令嬢の服として辛うじて成立する長さ。

 だが走れば邪魔にならない。


「……これは」


 レオノーラは一歩近づいた。


「どうでしょう」


「かなり良いですわね」


 主人が、内心で小さく安堵する。


「試着を」


「ええ」


 着替え終え、姿見の前へ立った時、レオノーラはほんの少しだけ息を止めた。


 整っている。

 実に整っている。


 騎士団服ではない。

 少なくとも形式上は。

 だが、動ける。

 そして、だいぶ戦える人間に見える。


「お嬢様」


 主人が慎重に言う。


「もしご希望であれば、もう少し柔らかい印象へ寄せることも」


「不要ですわ」


 即答だった。


「これが一番良い」


「……左様でございますか」


 主人は、鏡越しのその姿を見て、だいぶ複雑な心境になった。


 美しい。

 非常に似合っている。

 だが同時に、この令嬢がこの姿で大剣を背負ったら、たぶん多くの人間が何かを勘違いする。


 少なくとも、普通の貴族令嬢には見えない。


「お嬢様」


「何かしら」


「一つだけ、確認してもよろしいでしょうか」


「ええ」


「これは本当に、“騎士団服ではない”というご認識で?」


 レオノーラは鏡の中の自分を見たまま答えた。


「ええ」


「どう見ても?」


「どう見ても、ではありませんわね」


 主人は少しだけ嫌な予感がした。


「どういう意味で?」


「騎士団服ではないように見せつつ、必要な機能はほぼ満たしていますもの」


 やはりこの方、理解したうえでやっておられる。


「つまり」


「ええ」


「建前としては令嬢の服」


「ええ」


「実態としては」


「かなり優秀な野外実務服ですわ」


 主人は思った。


 それを世間では、たぶんだいぶ違う名前で呼ぶのではないかと。


 だがもう遅い。

 注文は成立し、仕立ても終わった。

 しかも本人がたいへん満足している。


「では、これで」


「かしこまりました」


 包まれた服を受け取った時、レオノーラは本気で機嫌が良かった。


「良い仕事をなさいましたわ」


「恐れ入ります」


「また必要があればお願いするかもしれません」


 また。

 主人はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ遠い目になった。


 屋敷へ戻ると、当然ながら隠し通せるほど甘くはなかった。


 応接間の前を通ったところで、


「レオノーラ」


 父ヴァルターの声が飛んだ。


 終わりましたわね。


「何かしら、お父様」


「そこへ来い」


 入る。


 父と母とクラウスが揃っていた。

 たいへん嫌な気配である。


「……お手荷物は何かしら」


 母エレオノーラがやさしく問う。


 やさしい声の時ほど危険なのは、もう十分知っている。


「服ですわ」


「そうだろうな」


 父が低く言う。


「どうして分かりますの?」


「お前が今、少し嬉しそうだからだ」


 そこは少しだけ否定しにくい。


「見せなさい」


「どうしてですの」


「見せろ」


 短い。

 逃げ道なし。


 レオノーラは少しだけ考えた。

 だが、ここで隠しても意味がない。

 いずれ見つかる。

 だったら、今見せて理性的に説明した方がまだよい。


「……騎士団服ではありませんわよ?」


 その前置きが、もうだいぶ怪しかった。


 包みを開ける。

 濃紺の上着。

 絞りすぎない腰。

 実務寄りに整えられた線。


 父が黙った。

 母も黙った。

 クラウスだけが、少しだけ目を閉じた。


「お姉様」


「何かしら」


「建前だけ残して本体を通しましたね」


「違うわ」


「何がですの?」


「きちんと令嬢の服として成立しているもの」


 父が低く言う。


「成立しすぎている」


「どういう意味かしら」


「“戦える令嬢”として」


 母も深く頷いた。


「ええ。しかも、だいぶ上の方で」


 レオノーラは少しだけ不服だった。


「騎士団服ではないでしょう?」


「そうだな」


 父が認める。


「では問題ないのでは?」


「問題は、問題の核をすり抜けたことだ」


 その言い方は少し格好よかったが、内容はだいぶ心外だった。


「どうしてですの」


「帝国騎士団総長には見えない」


 父が言う。


「ええ」


「だが」


「ええ」


「今度は“公爵領独自戦力の完成形”に見える」


 なるほど。

 それは少しだけ分かる気もした。


 いや、分かってはいけないのかもしれないが。


「……そこまで?」


「そこまでよ」


 母が言う。


「しかも、騎士団服ではない建前がある分、余計にたちが悪いの」


「どうして?」


「止めにくいからよ」


 クラウスが静かに補足する。


「父上も母上も、“違反”とは言えません」


「ええ」


「ですが、見た瞬間に“やりましたね”とは分かる」


 その評価は少しだけ理不尽だった。


「だって、必要だったのですもの」


「何に必要なんだ」


 父が問う。


「動きやすく、断星と相性がよく、しかも見た目が整っている服に」


「必要性があまりにも高いのが問題なのだ」


 しばし沈黙。


 その後、母がふっと笑った。


「でも」


「何だ」


 父が嫌そうに言う。


「似合うわね」


「似合うな」


 父も認めた。


「かなり」


 クラウスも頷いた。


「やはり閣下感があります」


「だからそれはやめてくださる?」


 だが、レオノーラは少しだけ満足した。


 似合う。

 そして、少なくとも騎士団服ではない。

 建前は守った。

 機能も通した。


 かなりの勝利ではなくて?


「お父様」


「何だ」


「これは駄目ですの?」


 父は少しだけ考えた。

 母を見る。

 クラウスを見る。

 それから、重々しく答える。


「屋敷の外での常用は禁止だ」


「どうしてですの」


「帝都の治安維持のためだ」


 母が少しだけ肩を震わせた。

 笑っている。


「ですが」


 父は続ける。


「領内での訓練、工房、森、その他必要な場面に限っては」


「ええ」


「……黙認する」


 レオノーラの目が、ほんの少しだけ輝いた。


「本当?」


「本当だ」


「やりましたわ」


 その本気の喜び方に、父は深く息を吐いた。

 母はもう笑っていた。

 クラウスだけが静かに言う。


「お姉様」


「何かしら」


「勝った顔をしています」


「だって勝ちましたもの」


「半分だけですよ」


「半分あれば十分ですわ」


 その夜。


 自室へ戻ったレオノーラは、仕立て上がった服を改めて眺めた。


 騎士団服ではない。

 だが必要な機能はある。

 断星とも合う。

 そして何より、きちんと似合う。


「……建前は大事ですわね」


 小さくそう呟く。


 壁際の断星は静かに立っていた。

 何も言わない。

 だが今回ばかりは、少なくとも否定はしていない気がした。


 レオノーラは満足げに頷いた。


 こうして彼女はついに、騎士団服に見えないという建前のもと、実質的にだいぶ危険な服を手に入れたのである。


 家族の評価は、

 勝手に本体を通した娘。


 本人の評価は、

 理性的な折衷案。


 その溝は、今日もたいへん深かった。

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