幕間 レオノーラは帝国騎士団服だから駄目なのだと解釈し、公爵騎士団服を極秘で仕立て上げる
人は時として、正しい言葉を聞いても、都合のよい部分だけを抜き出して理解する。
そしてアルトヴァイス公爵家の長女レオノーラは、その点において実に優秀だった。
騎士服案が家族会議で却下された、あの夜。
父は言った。
帝国騎士団総長になる未来しか見えない、と。
母も言った。
貴族令嬢ではなく、その先の姿に見える、と。
クラウスに至っては、閣下と呼びそうだと言った。
そこから導かれる結論は、普通なら一つである。
騎士服そのものが危険。
だが、レオノーラの脳内では、なぜか少し違う形で整理された。
「……なるほど」
自室で一人、机へ向かっていたレオノーラは静かに頷いた。
「問題は帝国騎士団服なのですわね」
断星は壁際に立てかけられている。
何も言わない。
言わないが、少なくとも否定はしなかった。
「そうであれば」
レオノーラは紙を引き寄せる。
「最初から帝国に見えなければよろしいのではなくて?」
非常に危険な発想だった。
だが、本人は実に理知的な顔をしていた。
翌日から、レオノーラは静かに動き始めた。
まず、家の裁縫室へ行く。
「おはようございます」
「お、おはようございます、お嬢様」
針子たちは一瞬だけ緊張した。
令嬢が裁縫室へ来ること自体は珍しくない。
だが、レオノーラが自分から来るのは、少し珍しい。
「少し伺いたいのだけれど」
「はい」
「動きやすく、布の強度が高く、しかも見た目が整う服というのは仕立てられるかしら」
針子たちは互いに顔を見た。
「……普段着、ではなく?」
「ええ」
「乗馬服の延長のようなものでしょうか」
「少し違いますわね」
レオノーラはそこで、ごく自然に言った。
「公爵領騎士団服のようなものを考えておりますの」
空気が止まった。
「……お嬢様」
年長の針子が慎重に言う。
「確認してもよろしいでしょうか」
「何かしら」
「今、騎士団服と仰いました?」
「ええ」
「公爵領の、ですわ」
そこを強調されても困るのである。
その後、針子たちは、令嬢の気まぐれとして処理するには少し危険な気配を感じつつも、表向きは冷静に対応した。
「どのような色味をご希望で?」
「濃紺を基調に」
「はい」
「白銀は控えめに」
「ええ」
「装飾は最小限」
「……ええ」
「マントは短めがよろしいですわね」
針子たちは、完全に黙った。
その仕様は、あまりにも完成されていた。
「お嬢様」
「何かしら」
「それは本当に“少し考えてみただけ”の範囲でしょうか」
「もちろんですわ」
その即答がいちばん怖かった。
だが、針子たちにも経験はある。
公爵家で長く働いていれば、深追いしてはいけない案件の匂いは分かる。
なので彼女たちは、ひとまず仮採寸と仮布の提案だけで済ませることにした。
そしてその日のうちに、当然のように情報は母エレオノーラへ届いた。
さらに遅れて父ヴァルターにも届いた。
夜。
応接間に、父、母、クラウスが揃う。
「聞いたか」
父が低く言う。
「聞いたわ」
母がこめかみを押さえる。
「聞きました」
クラウスは静かに頷く。
「やはり、お姉様はお姉様でした」
「感心している場合ではない」
父が即座に切る。
「何をした」
「帝国騎士団服が駄目なら、公爵領騎士団服ならよいと解釈したらしいです」
「なぜそうなる」
「お姉様だからでは?」
クラウスのその返しは、問題の本質を突いていた。
そこへ、当人が入ってきた。
「皆さま、何か御用?」
父と母が同時に振り返る。
「ある」
「ございますわね」
レオノーラは少しだけ首を傾げた。
「どうしてそんなに構えていらっしゃるの?」
「お前の方がどうしてそんなに自然なんだ」
父が言う。
「何かいたしましたかしら」
「裁縫室へ行ったな」
「ええ」
「騎士団服の話をしたな」
「ええ」
「どうして?」
「どうして、とは」
レオノーラは本当に不思議そうだった。
「帝国騎士団服が駄目なら、公爵領騎士団服なら問題ないと思いましたの」
父は無言で天を仰いだ。
母は目を閉じた。
クラウスだけが少し納得した顔をしていた。
「……やはり、そういう解釈でしたか」
「どういう解釈ですの?」
「お姉様は」
クラウスが静かに言う。
「“騎士服が危険”ではなく、“帝国騎士団に見えるのが危険”と理解なさったのですね」
「ええ。ですから問題を切り分けたのですわ」
問題を切り分けるな。
そこを切り分けるな。
「レオノーラ」
母がやさしく、しかし逃がさない声音で言う。
「何かしら、お母様」
「どうして、公爵領騎士団服ならよいと思ったの?」
「だって」
レオノーラはごく自然に答える。
「アルトヴァイス公爵領の騎士団であれば、帝国騎士団総長には見えないでしょう?」
父が即答した。
「見える」
「どうしてですの」
「方向が変わるだけだ」
「ええ」
母も頷く。
「今度は“公爵領軍を率いる戦装束の公爵令嬢”に見えるのよ」
レオノーラは少しだけ黙った。
その後、静かに聞く。
「それの何が問題かしら」
「そこから説明しなければならないの?」
母が額に手を当てた。
「かなり」
「かなりですわね……」
父が深く息を吐く。
「いいか、レオノーラ」
「はい」
「騎士団服という時点で、もう駄目だ」
「どうしてですの」
「お前が着ると、役職になる」
短い。
だが、おそろしく正確だった。
レオノーラはその言葉を聞いて、少しだけ考え込んだ。
その表情は真面目で、ふざけている様子はない。
だからこそ厄介だった。
「……つまり」
「ええ」
「問題は服ではなく、わたくし?」
「そうだ」
「ようやくそこまで来たのね」
母も深く頷く。
クラウスが静かに補足する。
「お姉様が着ると、ただの衣装では終わらないのです」
「それは」
レオノーラは少しだけ視線を落とした。
「少し理不尽ではなくて?」
「理不尽だ」
父が即答する。
「だが現実でもある」
その返しに、レオノーラは珍しく少しだけ不満そうな顔をした。
「動きやすくて、見た目も整って、断星とも相性が良いのに」
「そこまでは、全部正しいのよ」
母が言う。
「ですが?」
「正しすぎるの」
「正しすぎる?」
「ええ」
「その格好で断星を背負った時点で、あなたの周りだけ別の物語が始まるのよ」
それは、かなり詩的な言い方だった。
だが家族全員が頷いているあたり、冗談ではないらしい。
「……本当に、そこまで?」
レオノーラが問う。
「試すか?」
父が返す。
「試せるの?」
レオノーラの目が少しだけ輝いた。
「駄目だ」
即座に却下だった。
「どうしてですの」
「それで完成してしまったら困る」
「何がですの」
「公爵領騎士団長兼ご令嬢みたいな存在が」
「父上」
クラウスが静かに言う。
「兼、では済まないかと」
「だろうな……」
母が、そこでふっと笑った。
「でも少し見てみたかったわね」
「お母様まで」
「だって、絶対に似合うもの」
「お母様」
「何かしら」
「味方ではありませんの?」
「味方よ」
「ですが?」
「全力で止める側の味方ね」
大変よろしくありませんわね。
しばらくして、父が結論を出した。
「極秘仕立ては禁止だ」
「禁止、ですの?」
「禁止だ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
レオノーラはそこで、少しだけ考え込んだ。
そして次の瞬間には、別の方向へ切り替えていた。
「では」
「何だ」
「騎士団服ではなく、“騎士団服に見えない程度に動きやすい服”なら?」
部屋の空気が、また止まった。
「……レオノーラ」
母が静かに言う。
「何かしら」
「あなた、本当に諦めないのね」
「合理的な代替案を探しているだけですわ」
それはまあ、間違ってはいない。
間違ってはいないが、方向がだいぶ危険だった。
父が低く言う。
「その案は……」
母が続ける。
「ものすごく慎重に進めましょう」
クラウスが頷く。
「完全却下より危険ですが、お姉様を放置するよりは安全かと」
「そうね」
「だな」
こうして、公爵領騎士団服そのものは阻止された。
だがその代わりに、
騎士団服に見えない程度に動きやすく、
しかし断星と相性が良く、
しかも見た目は令嬢としてぎりぎり成立する服
という、だいぶ危険な妥協案が動き出すことになった。
本人としては、半歩前進である。
家族としては、半歩後退である。
「……いつか本当に仕立てますわ」
その夜、自室へ戻ったレオノーラは小さく呟いた。
壁際の断星は、相変わらず何も言わない。
だが、今回ばかりは少しだけ、
それで十分ではないか、
とでも言いたげに、静かに立っている気がした。




