第69話 前より少し高度な面倒ですと言われましたけれど、高度になったということは、結局わたくしが考えることも増えたという意味ですから、手放しで喜べる話ではございませんわ
高度な面倒。
クラウスがそう言った時、レオノーラは少しだけ笑った。
だが、その言葉を家へ持ち帰ってから改めて考えると、やはり笑ってばかりもいられなかった。
高度になったということは、単に難しくなったということでもある。
これまでのように、出すか抑えるかだけでは足りない。
今度は、自分という戦力をどう班へ編み込ませるかまで考えなければならない。
つまり、面倒はきちんと増えていた。
屋敷へ戻ったあと。
夕食を終え、自室の机へ向かったレオノーラは、珍しく剣ではなく紙へ向かっていた。
上に一行。
「今後の課題」
その下へ、三つ。
「一 自分が前に出る条件を明確にする」
「二 他者が前に出やすい形を先に作る」
「三 止めるだけでなく、活かす」
「……嫌ですわね」
小さく呟く。
やること自体は分かる。
だが分かることと、楽なことはまったく別だ。
扉が控えめに叩かれた。
「お姉様」
「入りなさい」
クラウスが入ってくる。
手には茶器。
最近、本当にタイミングが良い。
「助かりますわ」
「考え込むと思いましたので」
机へ置かれた紙を見て、クラウスが小さく頷いた。
「整理していますね」
「ええ」
「講評の件ですか」
「そうですわ」
「止まるだけでは足りない」
「ええ」
「だから今度は、活かし方を考える」
「その通りですわ」
クラウスは紙を見下ろしたまま言う。
「悪くないと思います」
「本当?」
「ええ。ただし」
やはり来ますのね。
「何かしら」
「“他者が前に出やすい形を先に作る”は、少し広いです」
「どういうこと?」
「抽象的です」
クラウスはレオノーラの紙を指で示す。
「誰に」
「ええ」
「どんな場面で」
「ええ」
「どう前に出てもらうのか」
「ええ」
「そこまで落とした方がいい」
なるほど。
それはかなり正しい。
「たとえば?」
「今回の第一班なら」
クラウスは迷わず続けた。
「殿下は全体判断」
「ええ」
「ヴァンハイム先輩は現場の初動」
「ええ」
「セシリア様は情報整理と温度調整」
「ええ」
「つまりお姉様は、全部を持つのではなく」
「ええ」
「その三人が動く余白を先に潰さないこと」
レオノーラは、そこで少しだけ目を細めた。
「……それですわね」
「ええ」
「“活かす”というより、“潰さない”から始めるべきですわ」
「そう思います」
レオノーラは紙へ書き足した。
「二 他者の余白を先に潰さない」
「これなら?」
「かなり良いかと」
翌日。
学院の空気は、演習直後の熱がまだ少し残っていた。
だが、噂の方向は確かに少し変わっている。
聖別。
神話。
そういう分かりやすく大げさな言葉より、
「第一班はうまかった」
「思ったより連携していた」
「レオノーラはちゃんと止まる」
そんな実務寄りの受け取りが増えていた。
それは助かる。
本当に助かる。
「おはようございます」
教室へ入ると、返る挨拶もいつも通りだった。
「おはようございます、レオノーラ様」
「おはよう」
「おはようございます」
アーネストが、今日は椅子を回す前に言った。
「なあ」
「何かしら」
「昨日の講評、結局どう受け取った?」
それは悪くない問いだった。
「そうですわね」
レオノーラは席へ着きながら答える。
「止まることはできた」
「ええ」
「でも、それだけでは足りない」
「ええ」
「今度は、班へどう自分を使わせるかまで考えなければならない」
アーネストが少しだけ眉を上げる。
「“自分を使わせる”って、何か言い方すごいな」
「実際そうではなくて?」
「まあ、分からなくはないけど」
リヒャルトが静かに言った。
「昨日の講評を、その言い方で取れるのはかなり正しいと思います」
「そうかしら」
「ええ。単に“もっと活躍しろ”ではありませんでしたから」
その通りだった。
「わたくしも」
セシリアが柔らかく続ける。
「昨日のお話は、“レオノーラ様がもっと出るべき”ではなく」
「ええ」
「“レオノーラ様を含む班として、もっと噛み合わせられる”という意味だと感じました」
「ええ」
「その方が、だいぶ建設的ですもの」
ありがたいですわね。
この方は、本当に。
そこへ、前方からアルベルトが口を挟む。
「少なくとも」
「何でしょう」
「昨日の班で、君だけが課題を持ち帰る形では意味がない」
その言い方は、妙にまっすぐだった。
「どういう意味ですの?」
「君が“もっと上手く止まる”を考えるだけでは足りない」
「ええ」
「こちらも、“どう活かすか”を考えるべきだということだ」
レオノーラは、一瞬だけ言葉を失った。
そこまで言われるとは思っていなかったからだ。
「……殿下」
「何だ」
「ずいぶん、班単位でお考えになりますのね」
「昨日の評価がそうだった」
「ええ」
「なら、受け取る側もそうであるべきだろう」
短い。
だが、非常に正しい。
ルークも腕を組んだまま言う。
「俺も同意見だ」
「先輩も?」
「お前だけが調整役になると、また形が崩れる」
「ええ」
「だから次があるなら、最初からもう少し強く使う」
その言い方に、レオノーラは少しだけ笑った。
「それはそれで、少し怖いですわね」
「だろうな」
「でも、悪くない」
そこまで言われると、少しだけ気持ちが軽くなる。
結局、自分だけで抱える形が一番きついのだ。
班の課題なら、班で持てばいい。
当たり前のことだが、当たり前に実行されるとは限らない。
「レオノーラ様」
セシリアが少し考えるように言う。
「何かしら」
「昨日の件、わたくしなりに一つ思ったのですけれど」
「ええ」
「もし次があるなら」
「ええ」
「最初の共有時点で、“誰が何を持つか”だけでなく」
「ええ」
「“誰の判断をどこで優先するか”まで決めてもよいかもしれません」
なるほど。
それはかなりいい。
「たとえば?」
「初動の現場判断はヴァンハイム先輩」
「ええ」
「班全体の切り替えは殿下」
「ええ」
「途中の情報整理はわたくし」
「ええ」
「そして、突破が必要ならレオノーラ様」
かなり綺麗ですわね。
「つまり」
リヒャルトが補足する。
「役割固定ではなく、“優先権の担当分け”ですね」
「その通りですわ」
セシリアが頷く。
「そうすれば、レオノーラ様が毎回“どこまで出るべきか”を一人で抱え込まずに済みます」
それは、だいぶ魅力的だった。
「……採用したいですわね」
「次があればな」
アーネストが言う。
「何ですの、その言い方は」
「いや、第一班また組まれるか分かんないだろ」
それは確かにそうだった。
だが、今ここで共有した考え方自体は無駄にならない。
相手が変わっても、班が変わっても、使える整理だ。
「無駄ではございませんわ」
レオノーラが言うと、アーネストが少し笑う。
「まあ、お前ならそう言うと思った」
午前の授業が終わるころには、昨日の講評がただの評価ではなく、次の設計図みたいなものへ変わっているのを感じた。
悪くない。
面倒ではある。
だが悪くない。
昼休みの終わり、教室の外から控えめに呼ぶ声がした。
「アルトヴァイス嬢」
学院の事務方の生徒だった。
「はい」
「学院長より伝言です」
来ますわよね。
「本日は呼び出しではありません」
「ええ」
「ただ、森林圏から学院宛てに短い謝意の文が届いたため、共有までにと」
空気が、少し止まった。
「……謝意?」
「はい」
「内容は、森での来訪が友誼の確認として良いものであったこと」
「ええ」
「また、貴学院がそれを妨げず整えてくれたことへの謝意だそうです」
それは、予想していなかった。
いや、森ならそういうこともするのかもしれない。
だが、学院宛てにきちんと文を送るのは少し意外だ。
「分かりましたわ」
「放課後、お時間があれば学院長室へ」
「承知しました」
事務方が去ったあと、アーネストがゆっくりこちらを見た。
「なあ」
「何かしら」
「またちょっと重い話じゃないか?」
「ええ」
「軽くはございませんわね」
「お前の周り、ほんと極端だな」
それは否定できない。
放課後、学院長室へ向かう廊下で、レオノーラは少しだけ息を整えた。
森からの謝意。
学院への文。
そこにどんな意味が付くかは、まだ分からない。
だが一つだけ分かるのは、森での一日が、こちらの思っていたよりずっときちんと“外へ伝わる形”を持っていたということだ。
学院長室では、学院長とマグダ教員が待っていた。
「アルトヴァイス嬢」
「はい」
「短い共有だけです」
「ええ」
学院長は文を見せながら言う。
「非常に簡潔です」
「“友の来訪は良きものであった”」
「“断星は正しく扱われた”」
「“学院の理解に感謝する”」
それだけだった。
だが、それだけで十分に重い。
「……ずいぶん、まっすぐですわね」
「ええ」
学院長が頷く。
「そして、まっすぐだからこそ、こちらも余計な解釈を挟まずに済みます」
たしかにそうだ。
変に飾られていない。
だからこそ、神秘化もされにくい。
「これは」
レオノーラは少しだけ考えてから問う。
「学院内で共有なさるのですか?」
「全文はしません」
「ええ」
「必要な範囲で、“来訪は良好に終わった”程度に留めます」
それなら助かる。
本当に助かる。
「アルトヴァイス嬢」
マグダ教員が静かに言う。
「はい」
「あなたの周囲では、時々、事実がそのままでも十分に重いのだと、こちらも学びました」
その言い方に、レオノーラは少しだけ口元を緩めた。
「それは何よりですわ」
「ええ」
「余計な神話より、余計な誤解の方が厄介ですから」
「まったく同感です」
学院長室を出る時には、朝より少しだけ気持ちが軽くなっていた。
森は、きちんと筋を通した。
学院も、それを過不足なく受け取ろうとしている。
なら、少なくとも今はそれでいい。
帰りの馬車へ向かうと、クラウスが待っていた。
「お姉様」
「何かしら」
「少し軽い顔をしています」
「そうかしら」
「ええ」
「学院長室で何かありました?」
「森から学院へ、短い謝意の文が届いていたそうです」
クラウスが一瞬だけ目を見開く。
「……それはまた、きれいに筋を通してきましたね」
「ええ」
「だから、少しだけ安心いたしましたわ」
「どうして?」
「森の一日が、変な神話ではなく、きちんとした友誼として閉じたのだと分かりましたもの」
クラウスは小さく頷いた。
「それは大きいですね」
「ええ」
馬車へ乗り込み、断星を背に預ける。
森。
学院。
剣。
班。
第二案。
第三案。
全部が繋がりきるわけではない。
だが、ばらばらに散っているわけでもない。
「……本当に、面倒ですわね」
小さく呟く。
するとクラウスが、向かいで静かに言った。
「ええ」
「ですが」
「何かしら」
「前より、少しだけ綺麗に面倒です」
その言い方に、レオノーラはほんの少し笑った。
「それは、少しだけ分かりますわ」
綺麗な面倒。
矛盾しているようでいて、たぶん今の自分には一番近い言葉だった。




