第68話 次へ進んでよいと思えた直後に限って、その“次”が学院の面倒であるあたり、本当にこの世界はわたくしへ休息を与える気がございませんわ
そう思えた時、ようやくレオノーラは、自分が本当に一つ先へ進んだのだと、静かに理解した。
だが、その理解をゆっくり抱えていられるほど、学院という場所は甘くない。
森から戻った翌朝、アルトヴァイス家の馬車が学院の正門をくぐるころには、レオノーラの頭の中はすでに切り替わっていた。
断星は今の剣。
森では受け入れられた。
なら次は、人の中でそれをどう使うか。
演習はもう終わった。
だが演習が終わったからといって、演習の意味まで終わるわけではない。
むしろ学院では、その後の方が面倒なことすらある。
「お姉様」
「何かしら」
「戻りましたね」
クラウスが向かいで言う。
「ええ」
「森の顔ではなくなっています」
「当然でしょう」
「どうして?」
「ここからは学院ですもの」
森では、何を見て、どこで止まり、どう立つかを見られた。
学院では、その結果にどんな意味がつくかを見られる。
どちらも面倒だが、種類が違う。
「お姉様」
「何かしら」
「今日は少しだけ、不機嫌寄りですね」
「演習後の学院は、だいたい余計な総評が付きますもの」
「なるほど」
「しかも、今回は噂まで乗っておりますわ」
大剣の聖別。
思い出すだけで気持ちの悪い言い回しである。
教室へ入ると、案の定、視線が集まった。
だが以前のような露骨な畏怖や、妙な遠巻きではない。
もっとこう――話しかけるべきか、やめるべきかを測っている感じだ。
「おはようございます」
「おはようございます、レオノーラ様」
「おはよう」
「おはようございます」
席へ向かうと、アーネストが半分だけ振り向いた。
「なあ」
「何かしら」
「今日の朝は、ちょっと静かだな」
「ええ」
「どうしてだと思いますの?」
「皆、演習のあとで何か言いたいけど、どこから触ればいいか分かってない」
珍しく正確ですわね。
「だいたいその通りでしょうね」
リヒャルトが本を閉じる。
「第一班の動きが、思ったよりきれいにまとまっていましたから」
「ええ」
「しかも、噂の方向とはだいぶ違う見え方をしました」
「それは助かりますわ」
「はい」
セシリアも穏やかに頷いた。
「わたくしも、少し安心いたしました」
「何がかしら」
「演習のあと、“やはり聖別された剣は違う”のような感想が増えるかと思っていたのです」
「やめてくださいまし」
「ですが実際には」
「ええ」
「“第一班は、役割変更がうまかった”という受け取りの方が多いようです」
それは欲しかった現実だった。
噂を真っ向から潰すのではなく、別の現実を強く置く。
昨日やったことは、そのためでもあった。
前方から、アルベルトの声が飛ぶ。
「まだ終わっていない」
やはり来ますのね。
「何がですの?」
「総評がある」
レオノーラは一瞬だけ遠い目になった。
「……ありましたわね、そういうものが」
「逃げるな」
「逃げてはおりませんわ」
「顔が逃げている」
否定しづらい。
ルークが窓際から短く言う。
「だが、昨日の内容なら極端にはならんだろう」
「そうかしら」
「そうだ」
「どうして?」
「お前がちゃんと止まったからだ」
それは、森で聞いた言葉に少し似ていた。
抜くか。
抜かないか。
出るか。
止まるか。
最近の自分は、どうもそこばかり見られている気がする。
だが、その精度が上がっているのもまた事実だった。
午前の授業が終わるころ、教員から通達が入った。
「本日午後、合同演習の簡易講評を行います」
やはりそうですのね。
「班単位で短く実施」
「個別の成績公開ではなく、傾向のみ伝える」
そこまではよい。
問題は、その“傾向”がどうまとめられるかだ。
昼休み、第一班の四人は自然とまた同じ一角へ集まっていた。
「先に決めておきましょう」
セシリアが言う。
「何をかしら」
「講評のあと、班内で拾うべき点を」
「なるほど」
「ただ聞いて終わるのではなく、次へ繋ぐために」
非常にありがたいですわね。
「一ついいか」
アルベルトが言う。
「何でしょう」
「途中条件変更への対応速度は悪くなかった」
「ええ」
「だが、初回共有の言葉数はもう少し削れた」
レオノーラは小さく頷いた。
「たしかに」
「短かったはずでは?」
セシリアが問う。
「短かった」
ルークが答える。
「だが、“短い中で説明しすぎた”」
「なるほど」
「特にお前」
来ますわよね。
「何ですの」
「“学院で遠いから切るを簡単に選ぶのは評価が悪い”のところ」
「ええ」
「理屈は正しい」
「ええ」
「だが、あの場では一段長い」
痛いところを突いてこられますわね。
「では、どうすべきでしたの?」
「“近いか確認する。その上で決める”だけでよかった」
たしかにそうだ。
理由を全部共有するのではなく、判断の骨だけを共有する。
その方が速い。
「今後の課題ですわね」
「ええ」
セシリアが静かに言う。
「でも、あそこでレオノーラ様が“遠いなら切る”へ流れなかったのは大きかったですわ」
「どうして?」
「班の空気が、効率だけに寄りすぎなかったからです」
「それはあるな」
アルベルトも頷く。
「昨日は、そこが一番よかった」
そこを皇太子殿下に褒められるの、少し妙な気分ですわね。
「逆に、悪かった点はございます?」
レオノーラが問う。
数秒の沈黙。
それからルークが答える。
「お前を止める前提で組みすぎた」
「……あら」
「悪い意味じゃない」
「ええ」
「だが、“レオノーラが全部やらないようにする”へ意識が寄りすぎて」
「ええ」
「他三人がどう強く動くかの設計が少し薄かった」
それはかなり本質的だった。
抑制はできた。
だが、抑制だけでは班は伸びない。
「つまり」
セシリアが整理する。
「次があるなら、“止める”ではなく“活かし方を組む”へ寄せるべきなのですわね」
「そうだ」
ルークが短く答える。
「なるほど」
レオノーラは少しだけ目を伏せた。
それは嬉しくもあり、難しくもあった。
自分が前に出すぎないことは、もう意識できる。
だが次は、自分をどう班へ組み込ませるかまで考える必要がある。
講評前にそこが見えたのは、悪くない。
午後。
講評は演習場脇の講堂で行われた。
班ごとに呼ばれ、教員がごく簡潔に評価を置いていく。
「第一班」
呼ばれる。
四人で前へ出る。
教員は記録紙を見ながら淡々と言った。
「目標選定は妥当」
「途中条件変更への対応も概ね良好」
「役割変更が自然だった点は評価できる」
よろしい。
「一方で」
やはり来ますのね。
「突出可能な戦力を“抑える”方向へやや意識が寄りすぎた」
そこでレオノーラは、ごくわずかに目を細めた。
やはり、そこですのね。
「結果として」
教員は続ける。
「安定はしたが、第一班ならではの強みを最大化したとは言い難い」
「ただし」
紙をめくる。
「これは減点というより、次段階への課題である」
その言い方は、かなりありがたかった。
「つまり」
アルベルトが静かに問う。
「今回は“まとまり”が先に立ちすぎた、と」
「そういうことです」
教員は頷く。
「第一班は、雑に強い班ではありません」
「ええ」
「だからこそ、強みをどう共同体へ編み込むか、そこをさらに詰める余地があります」
かなり正確だ。
そして、その言葉は少しだけ胸へ残った。
雑に強い班ではない。
たしかにそうだ。
「以上です」
四人は一礼して下がる。
席へ戻る途中、アーネストが小声で言った。
「何かめちゃくちゃ真面目な評価されたな」
「でしょうね」
「でも悪くなさそうだった」
「ええ」
「かなり」
講評が終わり、解散が近づくころには、朝の妙なざわつきはだいぶ薄れていた。
噂は消えていない。
だが、演習の現実が一枚かぶさったことで、少なくとも雑な神話の勢いは弱まったらしい。
教室へ戻ると、レティシアが珍しくかなり真面目な顔で言った。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「昨日の噂、少しだけ引っ込んだ気がいたします」
「そうですの?」
「ええ」
「どうして?」
「“聖別された剣の使い手”というより」
「ええ」
「“思ったよりちゃんと周りを見る人”という印象になったようです」
それは、かなり嬉しい修正だった。
「……それは、よろしいですわね」
「ええ」
セシリアも柔らかく笑う。
「わたくしもそう思います」
「格好いい、は残っておりますけれど」
やはりそこは残るのですね。
「全部消す必要はないかと」
「どうして?」
「少し格好いいくらいは、事実ですもの」
その返しに、レオノーラはわずかに言葉を失った。
こういうところで、この方は妙にまっすぐですわね。
帰りの馬車へ向かう途中、クラウスがいつものように待っていた。
「お姉様」
「何かしら」
「講評、どうでした?」
「かなりまっとうでしたわ」
「それは何よりです」
「ええ」
「ただし」
「何でしょう」
「次は“抑える”だけでなく、“組み込む”を考えろ、とのことでした」
クラウスは少しだけ目を細めた。
「それは、かなり次に繋がる評価ですね」
「ええ」
「ですから」
「ええ」
「悪くはございませんわ」
馬車へ乗り込み、窓の外を眺める。
森。
学院。
断星。
第二案。
第三案。
全部がすぐに繋がるわけではない。
だが、どれも今の自分から完全に切れているわけでもない。
今日の講評で分かったのは、たぶんそこだった。
前へ出すぎないだけでは足りない。
止まるだけでも足りない。
今度は、自分をどう使わせるかまで見なければならない。
「……面倒ですわね」
小さく呟くと、クラウスが向かいで頷いた。
「ええ」
「ですが、前より少し高度な面倒です」
その言い方に、レオノーラはほんの少しだけ笑った。
「たしかに」
高度な面倒。
それなら、悪くないのかもしれない。




