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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第66話 全部が揃っているわけではなくても始められるだけは揃っている、と思った翌朝に限って、だいたい余計な噂まで揃ってしまうのは本当にやめていただきたいですわ

 そう決めた時、ようやくレオノーラは、断星の柄から手を離した。


 そして翌朝。


 学院へ向かう馬車の中で、レオノーラは珍しく無言だった。

 考えることはある。

 だが、もう考えすぎても仕方がないところまで整理は済んでいる。


 第一班。

 途中条件変更あり。

 断星を持って出る。

 必要な時だけ前へ。

 必要でなければ、意味を置きすぎない。


「お姉様」


「何かしら」


「今日は静かですね」


「ええ」


「緊張していますか」


「少しは」


「ですが、顔は落ち着いています」


「決めることは決めておりますもの」


 クラウスが頷く。


「では、あとは周囲が余計なことをしなければよいですね」


「ええ」


「本当に」


 その時点では、レオノーラも本気でそう思っていた。


 学院の正門をくぐるまでは。


 馬車が止まり、扉が開き、降り立った瞬間――空気が少しおかしかった。


 見られている。

 しかも、演習前の緊張とは別の種類の目で。


「……何ですの、これ」


 小さく呟く。


 大変ありがたくない予感ですわね。


 一組の教室へ入ると、それはさらに明確になった。

 ざわついているわけではない。

 だが明らかに、何か一つ話題が共有されている空気だった。


「おはようございます」


「お、おはようございます、レオノーラ様」


「おはよう」


「おはようございます」


 挨拶は返る。

 だが、アーネストがこちらを見る顔が、だいぶ変だった。


「何ですの」


「いや」


「ええ」


「先に言っとく」


「何かしら」


「俺じゃない」


 その言い方をされる時点で、だいたい何か増えておりますわよね。


「何が、俺じゃないのかしら」


「噂」


 やはりそうですのね。


 レオノーラはゆっくり席へ向かいながら言う。


「内容によりますわね」


「いや、たぶん嫌だと思う」


「では聞きたくありませんわ」


「でもたぶんすぐ耳に入る」


 大変よろしくありませんわね。


 リヒャルトが本を閉じ、小さく息を吐いた。


「今朝、騎士科側から妙な話が流れてきました」


「妙な話」


「ええ」


「かなり妙です」


「そこまで仰るなら、覚悟はできますわ」


 セシリアが少し困ったような顔で言う。


「レオノーラ様」


「何かしら」


「落ち着いてお聞きくださいませね」


「その前置きが一番不安なのですけれど」


 レティシアまで、どう反応してよいか分からない顔でこちらを見ている。


「結論から申しますと」


 リヒャルトが淡々と言った。


「レオノーラ様が、森で正式に“大剣の聖別”を受けた、という噂になっています」


 数秒、教室の音が遠のいた気がした。


「……はい?」


「ですから」


「聞こえましたわ」


「ならよかったです」


「よくありませんわよ」


 アーネストが机に額を打ちつけそうな勢いで言う。


「だから俺じゃないって言っただろ!」


「そこはもう誰が最初かより、どうしてそうなったかの方が問題ですわ」


「だよな!」


 なぜそこでお前が嬉しそうなのですの。


「何ですの、その“大剣の聖別”とは」


「俺に聞くなよ!」


「だって気持ちの悪い言い回しですもの!」


 リヒャルトが静かに補足する。


「どうやら」


「ええ」


「森で断星を披露した」


「ええ」


「エルフたちに受け入れられた」


「ええ」


「世界樹に誓った友である」


「ええ」


「このあたりの情報が、どこかで綺麗につながってしまったようです」


 綺麗に、ではございませんわね。

 雑に、ですわね。


「結果として」


 セシリアが小さく言う。


「“世界樹のもとで聖なる大剣として認められた”みたいなお話に……」


「なってしまったのですね」


「ええ」


 レオノーラはゆっくり目を閉じたくなったが、もちろん閉じない。


「違いますわよ」


 アーネストが即答する。


「そこは信じてるよ」


「だったらその顔は何ですの」


「いや、でも“違いますわよ”で済む話でもなくないか?」


 それはそれで少々腹立たしい。


「森では」


 レオノーラは静かに言う。


「断星と今のわたくしが正しく噛み合っているかを見ていただいただけですわ」


「それを世間では、かなり重い意味に受け取るのではありませんの?」


 セシリアのその指摘は、非常に正しかった。


「……そうかもしれませんわね」


「かもしれないではなく、そうだろ」


 アーネストが言う。


「“世界樹に誓った友が新しい剣を持って森へ入り、エルフたちに受け入れられた”って」


「ええ」


「それだけで十分重いって」


「重いのは分かりますわよ」


「じゃあ何でそんな普通みたいな顔してんだよ!」


 そこを責められても困りますわね。


「普通に起きたことを普通に申しているだけですわ」


 その返答に、教室の一角がしんとした。


 それからリヒャルトが、心底納得したように言う。


「これですね」


「何がかしら」


「レオノーラ様の周囲で、噂が神話になる理由」


 大変不本意ですわね。


「要するに」


 アルベルトが、前方から静かに口を挟んだ。


「君の基準が普通ではない」


「殿下までそう仰いますの?」


「事実だろう」


「森でのことを、どの程度“軽い試し”として話した」


 そこへ来ますのね。


「軽い試し、と申しましたわ」


「ほらな」


 アーネストが言う。


「それが駄目なんだって!」


「何がですの」


「“軽い試し”の基準がお前だけおかしいんだよ!」


 そこは少し否定しにくい。


「具体的には何をしたんだ」


 アルベルトの問いは、妙に静かだった。


 隠しても意味はない。

 だが盛る気もない。


「森の中で、どこまで静かに立てるか」


「ええ」


「断星を抜くべきか否かの判断」


「ええ」


「抜いた後に、過不足なく止まれるか」


 それだけ答える。


 アルベルトは数秒、黙っていた。


「それを君は“軽い試し”と呼ぶのか」


「ええ」


「どうして?」


「森の側から見れば、それは歓迎の一つでしたもの」


 また静かになる。


 やめてくださいまし。

 そこまで静まられると、かえって自分の方が不安になりますわ。


「……レオノーラ様」


 レティシアが、少しおそるおそる尋ねた。


「何かしら」


「それ、やっぱり十分に重くありません?」


「重いことは重いですけれど」


「ええ」


「森の方々にとっては、そこまで大げさな儀式ではございませんでしたわ」


「そこなのですわよね」


 セシリアが額へ手を当てる。


「たぶん森にとっては自然でも、人間社会では自然ではないのです」


 その通りですわね。


 そして、それをいちばん雑に受け取った結果が“聖別”なのだろう。


「ともあれ」


 リヒャルトが言う。


「今朝の時点では、騎士科側にその噂が広がっています」


「演習前に?」


「ええ」


「最悪ですわね」


「同意します」


 そこへ、扉が開いた。


 マグダ教員である。


 空気が一気に締まる。

 だが、教員は開口一番こう言った。


「アルトヴァイス嬢」


「はい」


「あなたに関する、妙な噂が流れているそうですね」


 先生まで把握済みですのね。


「ええ」


「内容は」


「大剣の聖別、とかいう非常に気持ちの悪いものですわ」


 教室の空気が一瞬だけ揺れた。

 笑ってはいけないが、笑いそうな者がいる。


「……そうですか」


 マグダ教員が、ほんの少しだけこめかみを押さえた。


「では、確認します」


「ええ」


「事実ではありませんね?」


「ありません」


「森で歓迎は受けた」


「ええ」


「断星は受け入れられた」


「ええ」


「ですが、聖別などという儀礼はございませんでしたわ」


 そこまではっきり言えば十分だろう。


 マグダ教員は小さく頷いた。


「分かりました」


「演習前に余計な神話化は不要です」


「まったく同感ですわ」


 その一言で、教室の空気が少しだけ整った。


 やはり、教員が“不要”と切ってくれるのは助かる。

 とても助かる。


「なお」


 マグダ教員は続ける。


「噂は噂として流れますが、今日と明日は演習を優先します」


「班の判断に余計な先入観を持ち込まないように」


 その視線は、教室全体へ向けられていた。

 特に騎士科に近い話題へ敏感な者たちへ。


「いいですね」


「はい」


 返事が揃う。


 教員が出ていくと、アーネストが小さく息を吐いた。


「助かったな」


「ええ」


「本当に」


 セシリアが静かに言う。


「でも、完全には消えませんわね」


「消えないでしょうね」


「なら」


 アルベルトが立ち上がりながら言う。


「なおさら、演習で変に見せるな」


 来ますわよね、その結論に。


「存じておりますわ」


「今日の噂がある状態で、君が雑に突出すれば」


「ええ」


「勝手に“やはり聖剣の使い手”みたいな話になる」


「やめてくださいまし」


 本当にやめていただきたい。


 昼休み、第一班は予定より少し早く集まった。


 原因はもちろん、噂である。


「確認しておきましょう」


 セシリアが言う。


「何かしら」


「今日の噂込みで、わたくしたちは演習に出ることになります」


「ええ」


「つまり、少しでも極端に見える動きをすると」


「また変な意味が増える」


「そうですわね」


 ルークが腕を組んだ。


「だからといって、縮こまる気はない」


「当然ですわ」


 レオノーラが答える。


「噂へ引っ張られて動きを歪める方が、むしろよろしくありません」


「なら、どうする」


 アルベルトが問う。


「いつも通りですわ」


 レオノーラは即答した。


「ただし」


「ただしか」


「ええ」


「“いつも通り”の基準を、班で揃えます」


 そこが大事だ。


「初動は共有」


「ええ」


「途中条件変更では短く止まる」


「ええ」


「必要なら断星を使う」


「ええ」


「ですが、“断星を使ったから解決した”ではなく、“班として必要だったから使った”の形を崩しません」


 ルークが小さく頷く。


「それでいい」


 アルベルトも言う。


「噂に対抗するには、噂を否定するより、現実を整えて見せた方が早い」


「その通りですわ」


 それは、森でも学院でも同じなのかもしれない。


 午後の授業を終え、演習前最後の帰宅となった。


 馬車の中で、クラウスが言う。


「お姉様」


「何かしら」


「だいぶコメディじみた方向に誤解されましたね」


 思わずレオノーラは小さく笑ってしまった。


「ええ」


「笑いごとではございませんのに」


「ですが、あまりに雑すぎて、少しだけ」


「少しだけ?」


「気持ちが軽くなりましたわ」


 それは本心だった。


 重く、深く、神話めいた方向へ誤解されるより、どこか滑稽なほど盛られてしまった方が、まだ対処のしようがある。


「“大剣の聖別”ですものね」


「本当にやめていただきたいですわ」


「ええ」


「ですけれど」


「何かしら」


「お姉様が“軽い試し”と仰ったのが原因の一端では?」


 そこを突かれると痛い。


「……否定はいたしませんわ」


「やはり」


「だって、森の側ではあれで自然でしたもの」


「それが、お姉様の勘違いの起点ですね」


 勘違い。

 少しだけ引っかかるが、たしかにそうとも言える。


 自分にとって自然な重さと、周囲にとっての重さが、ずれている。


「今後は少し言い方を改めるべきかしら」


「全部は無理でしょうね」


「どうして?」


「お姉様は、たぶんまた普通に“ちょっとした確認でしたわ”くらいで済ませますから」


「……あり得ますわね」


「ええ」


 その返しに、二人で少しだけ笑った。


 演習前夜。

 断星は静かに机の上に置かれている。


 噂はある。

 誤解もある。

 だが、それで剣の意味が変わるわけではない。


「さて」


 レオノーラは小さく呟く。


「明日は、雑な神話より、きちんとした現実をお見せしませんと」


 そう言って、断星の柄へ手を置く。


 今の剣。

 今の自分。

 今の班。


 全部が少し騒がしい。

 けれど、だからこそ整えて見せる価値がある。


 そう思った時、レオノーラの口元には、ほんの少しだけ不敵な笑みが浮かんでいた。

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