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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第65話 自分が本当に一つ先へ進んだのだと理解した直後に学院へ戻るのですから、落差というものは本当に容赦がございませんわ

 そう思えた時、ようやくレオノーラは、自分が本当に一つ先へ進んだのだと、静かに理解した。


 だが、その理解に浸る時間は長くなかった。


 翌朝には、もうアルトヴァイス家の馬車は森を離れ、学院へ戻る道を進んでいたからである。


 森の空気は背中に残る。

 断星の重さも、昨日よりさらに体に馴染んでいる気がする。

 だが、馬車の車輪が石畳へ乗り、人の領分の音が増えてくるにつれ、思考もまた学院の方へ戻っていった。


 混成演習。


 班分け。


 第一班。


 アルベルト。

 ルーク。

 セシリア。

 そして自分。


 森での試しは終わった。

 なら次は、人の中でどう立つかだ。


「お姉様」


「何かしら」


「顔が戻りましたね」


 向かいの席でクラウスが言う。


「戻った?」


「ええ。森の静けさの中で整った顔から、学院の面倒を数え始める顔へ」


 嫌な言い方ですわね。

 だが否定しづらい。


「だって、戻ればすぐ演習ですもの」


「ええ」


「森で落ち着いたままではいられませんわ」


「その切り替えの速さは、お姉様らしいですね」


 学院へ着くと、空気がまるで違った。


 森の静けさではない。

 ざわめき。

 準備の熱。

 武具の点検。

 人が人を見て、互いの動きを測っている気配。


 演習前日らしい空気だった。


 一組の教室へ入ると、案の定、すぐに視線が集まる。


「おはようございます」


「おはようございます、レオノーラ様」


「おはよう」


「おはようございます」


 挨拶の直後、アーネストが椅子ごとこちらを向いた。


「帰ってきたな」


「ええ」


「森、どうだった」


「それを朝一番で聞きますの?」


「気になるだろ!」


「少し落ち着きなさい」


 リヒャルトが静かに言う。


「帰ってきた直後です」


「でも気になるだろ」


「気にはなります」


「だろ?」


「ですが、お前ほど雑に聞く気はありません」


 そのやり取りに、少しだけほっとする。

 学院へ戻ってきた、という感じがした。


「森は」


 レオノーラは席へ着きながら答える。


「良い種類の面倒でしたわ」


「またそれか」


 アーネストが半ば呆れたように言う。


「便利ですもの」


「便利だけど、何も分からない」


「十分ではなくて?」


「十分じゃない」


 セシリアが、少し控えめに近づいてきた。


「レオノーラ様」


「何かしら」


「断星は、受け入れられましたの?」


 その問いは、かなり本質だった。


「ええ」


 レオノーラは頷く。


「正しく、受け取っていただけましたわ」


 セシリアの表情が少し和らぐ。


「それならよかったですわ」


「ええ」


「森の側も、剣だけでなく、レオノーラ様ご自身を見ていたのでしょう?」


「そうですわね」


「どうでした?」


 そこへ問われると、少しだけ言葉を選ぶ。


「……静かでしたわ」


「静か?」


「ええ。学院のように意味を増やしすぎず」


「ええ」


「工房のように素材へ寄りすぎず」


「ええ」


「今のわたくしと断星が、きちんと噛み合っているかを見られました」


 その説明に、リヒャルトが小さく頷いた。


「なるほど」


「だいぶ森らしいですわね」


「ええ」


「それで、どうでしたの?」


 今度はレティシアが目を輝かせて問う。


「今のわたくしには、断星が正しいと分かりましたわ」


 その返しに、レティシアはなぜか少し嬉しそうに笑った。


「まあ……よかったですわ」


「ええ」


「とても」


 そこで前方から、アルベルトが紙を閉じた音がした。


「戻ったか」


「ええ」


「森は問題なかったようだな」


「ええ。かなり」


「ならいい」


 相変わらず短い。

 だが、その短さが妙にありがたい時もある。


「殿下は?」


 レオノーラが問う。


「何だ」


「演習前に、何か新しい通達はございましたの?」


「ある」


 やはりそうですのね。


「何でしょう」


「演習内容の一部が変更された」


 教室の空気が少しだけ締まる。


「どう変わりましたの?」


「単純な模擬任務ではなくなった」


「ええ」


「班ごとに途中で条件変更が入る」


 レオノーラは少しだけ目を細めた。


「……なるほど」


「講義との接続だろうな」


 リヒャルトが言う。


「最初に与えられた条件通りに動くだけではなく」


「ええ」


「途中の情報更新や想定外への対応まで見る、と」


「そのようですわね」


 面倒ですわね。


 かなり面倒ですわね。


「嫌そうだな」


 アーネストが率直に言う。


「嫌ですわよ」


「でもやるんだろ」


「当然ですわ」


 即答すると、アーネストが少しだけ笑った。


「そこは迷わないのな」


「必要な面倒ですもの」


 その時、マグダ教員が入ってきた。

 今日は説明より確認の顔だ。


「明日の演習について、最終確認をします」


 教室が一気に静まる。


「武装は指定範囲内」


「実戦用薬品の持ち込み禁止」


「途中条件変更への対応は、班の判断として扱う」


「なお」


 マグダ教員の目が、ほんの一瞬だけレオノーラを含む数名へ向いた。


「個人能力の突出で解決した場合でも、班としての判断が欠けていれば高評価にはしません」


 分かっておりますわよ。

 分かっておりますけれど、改めて言われるとやはり少し面倒ですわね。


「また」


 マグダ教員は続ける。


「過度に遠慮し、必要な行動を取らなかった場合も同様です」


 つまりやはり、塩梅を見られる。


 森でもそうだった。

 学院でもそうらしい。


 最近の自分は、どうやら“どこで抜き、どこで止まるか”ばかり試されている気がする。


 午前の授業は、その演習前の緊張で少し落ち着かなかった。

 だが、それは自分だけではないらしい。


 昼休み、第一班の四人は自然と同じ場所へ集まっていた。

 窓際の、少しだけ人の少ない一角だ。


「もう一度だけ整理しましょう」


 最初に口を開いたのはセシリアだった。


 やはりありがたいですわね。


「そうですわね」


 レオノーラも頷く。


「初動は共有」


「ええ」


「誰か一人が全部を持たない」


「ええ」


「途中条件変更が入った時は、その都度短く立ち止まる」


「ええ」


 アルベルトが腕を組んだまま言う。


「問題は、どの程度で立ち止まるかだ」


「全部ではございませんわね」


 レオノーラが言う。


「当然だ」


「ええ。全部で止まっていては遅いですもの」


「では?」


 ルークが問う。


「班の前提を変える情報が入った時だけ、ですわ」


 ルークが少しだけ目を細める。


「たとえば」


「目標の変更」


「ええ」


「守る対象の追加」


「ええ」


「あるいは、こちらの動きが周囲へ別の意味を持ち始めた時」


 その三つ目に、セシリアが頷いた。


「それが一番大事かもしれませんわね」


「ええ」


「演習ですもの」


「実際の達成だけでなく、どう達成したかまで見られます」


 アルベルトが短く言う。


「君らしい整理だな」


「褒めておられますの?」


「褒めている」


 珍しい。

 だが今は流す。


「わたくしは」


 セシリアが静かに言う。


「途中条件変更が入った時の整理役を引き受けます」


「助かりますわ」


「ただし」


「何でしょう」


「最初から後ろへ固定されるつもりはありませんの」


 その言い方に、ルークが少しだけ笑った。


「分かってる」


「よろしい」


「むしろ、お前が後ろから見てるだけだと班が偏る」


 それはたしかにそうだった。


「では」


 レオノーラが言う。


「わたくしも、前衛寄りではありますけれど、固定火力にはなりませんわ」


「そうしろ」


 ルークが短く答える。


「必要な時だけ前へ」


「ええ」


「それ以外では、前へ出すぎない」


「ええ」


 アルベルトがそこで静かに付け加えた。


「そして」


「何でしょう」


「君が止まるべき時に止まったなら、それをこちらもちゃんと読む」


 その一言は、思っていた以上にありがたかった。


 自分だけが塩梅を考えるのではない。

 班の側も、それを読むつもりでいる。

 それだけで、だいぶ違う。


「……ええ」


 レオノーラは小さく頷いた。


「そこは、お願いいたしますわ」


 放課後は、各自早めの帰宅になった。

 演習前に無駄に疲れるな、ということだろう。


 屋敷へ戻る馬車の中で、クラウスが言った。


「お姉様」


「何かしら」


「森から戻って、少し変わりましたね」


「どう変わったと思うの?」


「前より、止まることに迷いが少ないです」


 その指摘は、かなり鋭かった。


「そうかもしれませんわね」


「森で、断星を軽く使わなかったことが効いていますか」


「ええ」


「抜く意味と、抜かない意味」


「ええ」


「どちらも同じくらい重いと、あらためて分かりましたもの」


 それは、演習にもそのまま繋がる。


 前へ出るか。

 止まるか。

 押し切るか。

 残すか。


 最近の自分は、ずっとそこを見られている。

 だが、だからこそ、少しずつ精度も上がっている気がした。


 夜。


 断星を背から下ろし、鞘のまま机へ置く。


 明日はこの剣を持って学院の演習場へ出る。

 森で受け入れられた今の剣を、人の場でどう使うか。

 それが問われる。


「……さて」


 小さく呟く。


 嫌ではある。

 かなり面倒だ。

 だが、逃げる理由はない。


 窓の外では、風が庭木を揺らしていた。

 世界樹ほど大きくもなく、森ほど深くもない。

 それでも、静かな夜の気配が少しだけ背を押してくる。


 今の剣。

 今の自分。

 今の班。


 全部が揃っているわけではない。

 だが、十分に始められるだけは揃っている。


 だったら、明日はその“今”を見せるだけだ。


 そう決めた時、ようやくレオノーラは、断星の柄から手を離した。

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