第64話 断星と共に今のわたくしをお見せいたしますと言った以上、森の中で雑な真似をして、友の前で剣の名を軽くするわけにはまいりませんわ
断星と共に、今のわたくしをお見せいたします。
そう言った以上、もう後へは引けない。
いや、もともと引くつもりはなかったのだが、森の側がこうして正面から“見る”と言った以上、こちらも半端な顔はできない。
歓迎の席がいったん落ち着くと、シェルヴァンが静かに立ち上がった。
「行こう、レオノーラ」
「どちらへ?」
「試しの場だ」
「やはり、そこはもう確定ですのね」
「最初からそう言っている」
その返しは実にもっともで、反論しづらい。
集落の奥、世界樹を遠くに望む細い道を進む。
案内に立つのはシェルヴァンと、年長のエルフが一人。
その後ろをレオノーラとクラウスが歩き、さらに少し距離を置いて若い戦士たちが続く。
ぞろぞろと大人数で押しかける感じではない。
だが、必要な者は全員見ている。
「お姉様」
クラウスが小声で言った。
「何かしら」
「これは、武を見せるというより」
「ええ」
「森の側の基準で、断星とお姉様が噛み合っているかを見る場ですね」
「そのようですわね」
実際、その気配は強かった。
誰も、勝負だとか試合だとか、そういう分かりやすい言い方をしない。
ただ、“見る”と言う。
そこが森らしい。
やがて開けた場所に出た。
広場というほど人工的ではない。
だが自然に木々が引き、地面はほどよく固く、周囲には低い石が半円を描くように置かれている。
何度も使われてきた場だと分かる。
「ここですの」
「ええ」
シェルヴァンが振り返る。
「まず確認しておく」
「何かしら」
「これは力量を競う場ではない」
「ええ」
「お前が森でどれほど多くを斬れるかを見る場でもない」
「ええ」
「断星を得た今のお前が、何を見て、どこで止まり、どう立つかを見る」
やはりそこですのね。
レオノーラは断星の柄へそっと手をかけた。
「具体的には?」
「三つ」
シェルヴァンが指を立てる。
「一つ、気配の拾い方」
「ええ」
「二つ、剣を抜くべきか否かの判断」
「ええ」
「三つ、抜いた後に過不足なく止まれるか」
かなり面倒ですわね。
だが同時に、かなり正しい。
「力比べより、ずっと嫌ですわ」
「そうだろうな」
シェルヴァンが淡々と言う。
「だから意味がある」
その通りではある。
年長のエルフが一歩前へ出た。
「断星を抜いて構えるな」
「抜かないのですか」
「最初はまだ、な」
レオノーラは小さく息を吐いた。
断星を持ち込んで、いきなり抜かない。
つまり本当に、剣技の披露ではない。
「では、何をすれば?」
「立て」
「それだけ?」
「それだけだ」
広場の中央へ出る。
周囲は静かだ。
風が木の葉を鳴らし、遠くで鳥が一声だけ鳴いた。
レオノーラは断星を背負ったまま、目を閉じる。
森の中で静かに立つ。
簡単そうでいて、少し違う。
学院の中庭とも、武芸棟とも、工房とも違う。
森には森の圧があり、こちらの“立ちすぎ”をすぐに弾き返してくる。
「……なるほど」
小さく呟く。
「何か分かったか、レオノーラ」
シェルヴァンが問う。
「ええ」
「申してみろ」
「ここでわたくしが“試される側”として立ちすぎると、森の呼吸とずれますわ」
少しだけ、周囲の空気が動いた。
「続けろ」
「だから、見られるのを待つより」
「ええ」
「ここに居させていただく、くらいの立ち方の方がよろしいのでしょう?」
年長のエルフが小さく頷いた。
「悪くない」
レオノーラは目を開き、肩の力をほんの少しだけ抜いた。
断星の重さを重さとして受け、だが誇示しない。
地面の硬さ、風向き、木々の密度を拾いながら、自分だけを前へ出しすぎない。
すると不思議なことに、さっきまで少しだけ浮いていた感覚が薄れた。
「今ですのね」
「ええ」
「何が変わった」
シェルヴァンの問いに、レオノーラは静かに答える。
「わたくしが立っている、から」
「ええ」
「ここに立たせていただいている、へ少し寄りましたわ」
その言い方に、若い戦士の一人が目を細めた。
「人間にしては、分かるのが早いな」
「褒めておられますの?」
「半分は」
そこは森でも同じなのですね。
「次だ」
シェルヴァンが指を鳴らすでもなく、ただそう言った瞬間だった。
左奥の茂みで、小さく気配が揺れた。
獣。
大きくはない。
だが速い。
レオノーラの手が、反射で断星の柄へ行きかける。
そこで止める。
今、抜くべきか。
気配は一つ。
敵意は薄い。
むしろ、こちらを窺っている感じが強い。
次の瞬間、灰色の小獣が木陰から跳ね出した。
鹿に似ているが、角はなく、耳が長い。
こちらを一瞥し、広場の端を横切って森の奥へ消える。
抜く必要は、まったくなかった。
「……危ないところでしたわね」
「何がだ」
「学院なら、もう少し早く抜いていたかもしれませんもの」
シェルヴァンが少しだけ目を細めた。
「だが抜かなかった」
「ええ」
「どうして?」
「殺気がなかったからですわ」
「それだけか」
「いいえ」
レオノーラは断星へ触れたまま答える。
「断星を抜くこと自体が、この場では一つの意味になりますもの」
「ええ」
「なら、その意味を置くほどの対象かどうかを、先に測るべきだと思いましたわ」
今度は、はっきりと周囲の空気が変わった。
年長のエルフが、初めて少しだけ笑った。
「よい」
それは短かったが、確かな評価だった。
「お姉様」
クラウスが小さく言う。
「何かしら」
「今のはかなり良かったですね」
「ええ」
「少しだけ、ほっとしておりますわ」
「まだ二つ目です」
「それを今言いますの?」
「必要かと」
弟はこういうところで容赦がない。
「最後だ」
シェルヴァンが告げる。
「今度は抜け」
来ましたわね。
「何が出ますの?」
「見て決めろ」
それは、あまり親切ではございませんわね。
だが文句を言っている場合でもない。
広場の空気が少しだけ締まる。
若い戦士たちも視線を上げた。
右前方、木々の間に、今度はもっと重い気配が立つ。
獣。
だがさっきより深い。
こちらを見る圧がある。
レオノーラは断星の柄を握る。
抜く。
金属音は短い。
断星は手の中で静かだった。
気配が動く。
木陰から現れたのは、黒褐色の中型獣だった。
狼に似ているが、肩が高く、牙も長い。
魔獣とまでは言わない。
だが普通の獣でもない。
距離はまだある。
飛びかかる気配は――ある。
ただし、真っ直ぐな殺意ではない。
こちらを試しているような前圧。
「一歩だけ前へ」
レオノーラは心の中でそう決めた。
踏み込む。
断星を下段気味に置き、だが斬り急がない。
獣が地面を蹴る。
速い。
そこで初めて、断星を振る。
大きくではない。
深くでもない。
ただ、相手の進路の手前を断つように、空間を切る。
風が裂ける。
断星の刃が、獣の鼻先すれすれの位置を通った。
当てていない。
だが、十分だ。
獣は空中で身をひねり、着地と同時に大きく横へ跳んだ。
そのまま低く唸り、だが次の飛び込みはせず、木々の中へ消えていく。
広場に静けさが戻る。
レオノーラは追わなかった。
断星を構えたまま、一呼吸だけ置き、それから静かに刃を下ろす。
「そこで止めるか」
シェルヴァンが言う。
「ええ」
「どうして?」
「断てましたもの」
「斬ってはいない」
「ええ」
「ですが、十分に断てましたわ」
年長のエルフが、今度ははっきりと頷いた。
「よい」
若い戦士たちの空気も、さっきまでと少し変わっている。
単純な強さを見る目ではない。
断星の使い方と、レオノーラの止まり方を見た目だ。
「今のが三つ目だ、レオノーラ」
シェルヴァンが静かに言う。
「ええ」
「抜いた後、過不足なく止まれるか」
「ええ」
「お前は止まった」
短い。
だがそれで十分だった。
「では」
レオノーラは断星を収める。
「これで試しは終わりですの?」
「一応は」
その“一応”が嫌なのですけれど。
「シェルヴァン」
「何だ」
「その言い方は、まだ何かある時の言い方ですわよ」
「ある」
やはりそうですのね。
だが今度は年長のエルフが先に口を開いた。
「最後は、問うだけだ」
「問う?」
「断星をどう思う」
少し意外な問いだった。
強いか。
使いやすいか。
そういうことではないらしい。
「今のお前の剣として、だ」
なるほど。
レオノーラは少しだけ考えた。
断星を抜いた時の静かさ。
流れの散らなさ。
必要な時だけ前へ出る感じ。
そして今、自分があの獣へ“当てずに断った”時の感触。
「……静かですわ」
「ええ」
「前の剣は、良くも悪くも、こちらへ強く主張してきました」
「ええ」
「ですが断星は違う」
「どう違う」
「わたくしがどう使いたいかを、先に受け取ってくれる感じがいたします」
そこで、シェルヴァンがほんの少しだけ目を細めた。
「ならよい」
「それでいいの?」
「今のお前には、それが一番大事だ」
その返答は、妙に腑に落ちた。
断星は、今の剣。
第二案は、まだ名を持たぬ未来。
第三案は、遠い到達点。
だから今、森が見たかったのも、断星を持った今のレオノーラなのだ。
「レオノーラ」
年長のエルフが静かに告げる。
「何かしら」
「お前は友としてここへ来た」
「ええ」
「断星もまた、友の剣として受け取った」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「感謝いたしますわ」
「よい」
「そして」
年長のエルフは、ほんのわずかに口元を和らげた。
「まだ届いていない先があるのなら、いずれまた来い」
やはり、そこまで見えておられるのですね。
「ええ」
レオノーラは静かに頷いた。
「その時は、また参りますわ」
試しが終わると、森の空気は一気に和らいだ。
若い戦士たちも今度は遠慮なく断星を見たがり、さっきまでの静かな圧とは違う、純粋な興味の目を向けてくる。
「この重さで、あそこまで静かに振るのか」
「人間の骨格で、よく支えられるな」
「ルーンはドワーフ流か」
矢継ぎ早ではない。
だが、かなり熱量は高い。
「お姉様」
クラウスが小さく笑う。
「何かしら」
「今の方が、むしろ歓迎らしいですね」
「ええ」
「試しが終わったからでしょうね」
歓迎の本番は、その後の食卓でだった。
森の果実酒。
香草焼き。
焼きたての白い薄パンのようなもの。
そして静かに流れる歌。
派手ではない。
だが、友を迎える場としての温度が、どこまでも行き届いていた。
「レオノーラ」
席の途中で、シェルヴァンが低く呼ぶ。
「何かしら」
「今日のお前は、悪くなかった」
ずいぶん簡潔ですわね。
「ありがとうございます」
「特に」
「ええ」
「二つ目の止め方がよかった」
あの、断星を抜くか抜かないかを測った場面か。
「殺さずに済むなら、その方がいいと?」
「それもある」
「ええ」
「だが、それより」
シェルヴァンは杯を置いた。
「剣の名を軽く使わなかった」
その一言は、思っていたより深く刺さった。
断星。
名を与えられ、ルーンを刻まれ、剣として閉じた相棒。
それを、必要以上に振り回さなかった。
そのことを森は見ていたのだ。
「……ええ」
レオノーラは小さく答える。
「軽くするつもりは、ございませんもの」
「ならよい」
その返答だけで、十分だった。
夜が深まる前、集落の高い場所から世界樹を遠く望むことができた。
レオノーラは一人、少しだけその景色を見上げる。
巨大な幹。
遠くても分かる、圧倒的な存在感。
世界樹に誓った“友”という言葉の重みが、今さらのように胸へ落ちる。
「……お姉様」
後ろから来たクラウスが、小声で言った。
「何かしら」
「今日、来てよかったですね」
「ええ」
「かなり」
「断星も、ちゃんと受け入れられました」
「ええ」
「それだけではなく」
レオノーラは世界樹から目を離さずに答えた。
「今のわたくしが、どこまで来ていて、どこから先がまだなのかも、少し見えましたもの」
クラウスは静かに頷く。
「第二案と第三案ですね」
「ええ」
「今はまだ遠いですわ」
「ですが」
「ええ」
「遠いと分かったからこそ、断星の意味が増しました」
それが本音だった。
届かないものを知ったからこそ、今あるものを雑にはできない。
それは悔しさでもあり、同時に前へ進む理由でもある。
「では」
クラウスが言う。
「次は学院ですか」
「そうですわね」
「また面倒が待っています」
「ええ」
「ですが」
レオノーラは少しだけ笑った。
「今日の面倒は、かなり良い種類の面倒でしたわ」
森の夜風が、静かに髪を揺らした。
断星は背にあり、世界樹は遠くに立ち、まだ見ぬ未来はそのさらに向こうにある。
全部は届かない。
だが、今はそれでいい。
そう思えた時、ようやくレオノーラは、自分が本当に一つ先へ進んだのだと、静かに理解した。




