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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第63話 悪くはございませんわと言った以上、今の断星をきちんと使いこなしたうえで森へ向かわなければ、あの遠い到達点の話など軽々しく聞いた意味がなくなってしまいますもの

 悪くはございませんわ。


 そう口にした時点で、レオノーラの中ではすでに次の優先順位が固まっていた。


 断星。

 森。

 歓待。

 そして、その先に置かれた第二案と第三案。


 遠い未来の話を聞かされたからといって、今すぐ手を伸ばすつもりはない。

 だが、だからこそ今の剣を雑に扱うわけにもいかない。


 断星は今の自分の剣だ。

 ならばまず、それをきちんと背負って森へ行くべきだろう。


 馬車へ乗り込むと、クラウスが向かいで静かにこちらを見ていた。


「お姉様」


「何かしら」


「だいぶ整いましたね」


「そうかしら」


「ええ。工房へ入る前より、ずっと」


 レオノーラは断星の柄へ軽く触れた。


「仕方がございませんわ」


「ええ」


「第二案も第三案も、今のわたくしが軽々しく欲しがってよいものではないと、はっきり分かりましたもの」


「それは大きいですね」


「ええ」


「だから今は、断星ですわ」


 クラウスが小さく頷く。


「森行きも、少し意味が変わりましたね」


「どう変わったと思うの?」


「前は、完成した剣を見せに行く話でした」


「ええ」


「今は、“今の段階の自分”を持って行く話になった」


 その言い方は、かなり正しかった。


 断星は完成した。

 だが、自分はまだ完成していない。

 だからこそ、この森行きは単なるお披露目ではない。


 今の自分を持って行き、森の側へ示し、そこからまた次へ進むための場になる。


「……ええ」


 レオノーラは静かに答えた。


「たぶん、そういうことですわね」


 屋敷へ戻ると、出発前の確認はすでに進んでいた。

 父ヴァルターは応接室で書類を見ており、母エレオノーラは同行者の絞り込みを終えている。


「戻ったか」


「ええ」


「工房はどうだった」


 父の問いに、レオノーラはほんの少しだけ考え、それから答えた。


「断星は問題なし」


「ええ」


「それ以外は、少し未来の話を聞きましたわ」


 父が一瞬だけ眉を上げる。


「未来の話?」


「今ここで急ぐ類ではございません」


「そうか」


「ええ。ですから、今は森行きの確認だけで十分ですわ」


 父は娘の顔を少しだけ見つめ、それ以上は追わなかった。


「ならよし」


「出発は明朝」


「ええ」


「同行は最低限」


「はい」


「断星は家預かりではなく、お前の携行とする」


「承知しましたわ」


 母がそこで穏やかに言う。


「森では、剣そのものより、あなたがどう迎えられるかをよく見ていらっしゃい」


「どういう意味かしら」


「ドワーフ工房の時もそうだったけれど」


 母は少しだけ目を細めた。


「人は道具を見るようでいて、その道具を持つ人間を見ているものよ」


 その言葉は、静かに胸へ残った。


 たしかにそうだ。

 断星を歓待するのではない。

 断星を持って来る自分を、森は迎えるのだ。


「……ええ」


「分かりましたわ」


 翌朝。


 まだ空気の冷たい時間に、アルトヴァイス家の馬車は屋敷を出た。

 断星はレオノーラの背にある。

 今までの大剣とは違う重さ。

 だが、ずっと静かで、体に近い重さだった。


「お姉様」


「何かしら」


「断星、もうかなり馴染んでいますね」


「ええ」


「音が違いますもの」


「音?」


「背中で遊びません」


 たしかに、その表現はかなり正しかった。


 以前の大剣は、良くも悪くも存在感が強かった。

 背負っているだけで、重さをこちらへ主張してくるようなところがある。


 だが断星は違う。

 重いのに、無駄に騒がない。

 必要な時だけ前へ出る感じがある。


「今のわたくしには、こちらの方が正しいですわね」


「ええ」


 山道へ入るころには、朝の光が木々の間へ差し始めていた。

 森は静かだ。

 だがただ静かなのではない。

 人間の領分とは違う規律で呼吸している静けさだった。


 境界近くで、馬車は一度止まる。


 そこに、エルフの若い見張りが二人いた。

 弓を持ち、こちらをまっすぐ見ている。

 だが敵意はない。


 確認の目だ。


 御者が名を告げ、家の使いが森側との事前調整を伝える。

 そのあと、見張りの一人が視線をレオノーラへ向けた。


「久しいな、レオノーラ」


「ええ」


「ごきげんよう」


「その剣が新しいものか」


 挨拶より先にそこですのね。


 だが、嫌ではなかった。


「ええ」


「断星と申しますわ」


 その名を口にした瞬間、見張りの目がほんの少しだけ細くなる。


「名を得たのか」


「ええ」


「なら、なお歓迎しよう」


 その返しは、森らしかった。

 剣を神秘化しすぎず、だが名を持ったものとして正しく受け取る。


 馬車は森の中へ進んだ。


 木々が深くなる。

 空気は澄み、どこか湿り、土と葉の匂いが濃くなる。

 人間の庭園とは違う。

 整えられていないのに、秩序がある。


「お姉様」


「何かしら」


「少し、顔が変わりましたね」


「そうかしら」


「ええ。学院や工房と違います」


 レオノーラは少しだけ笑った。


「森ですもの」


「落ち着きますか」


「ええ」


「どうして?」


「余計な意味を足されにくいからですわ」


 森の民は、見る。

 だが雑に意味を盛らない。

 家格より、実際に何を成したかで見る。

 その視線は厳しいが、妙に心地よい時がある。


 やがて開けた場所に出る。


 エルフたちの住まう集落。

 だが“集落”と呼ぶには美しすぎる。

 世界樹の枝を遠景に望み、木と石が自然に組まれ、どこを見ても風が通っていた。


 馬車が止まる。


 扉が開く。


 降り立った瞬間、レオノーラは小さく息を止めた。


 迎えに出ていた数が、思っていたより多い。


 シェルヴァンが中央に立ち、その背後に年長のエルフが数名。

 さらに左右には若い戦士たち。

 そして少し離れた場所に、女性たちや子どもたちの姿も見える。


「……本当に歓待ですわね」


「言っただろう、レオノーラ」


 シェルヴァンが静かに言う。


「お前は友として迎えられる」


 レオノーラは一歩進み、森の作法を少しだけ混ぜて一礼した。


「お招き、感謝いたしますわ」


「来たことを歓迎する」


 シェルヴァンの言葉に続いて、年長のエルフが前へ出る。


「人間の剣聖」


 低く、よく通る声だった。


「森を災いから守った友よ」


 その呼び方は、やはり少しむず痒い。

 だが茶化せる場でもない。


「断星を得たと聞いた」


「ええ」


「ならば今日は、剣だけでなく、お前自身の変化も見せてもらう」


 やはり、そう来ますのね。


 母の言葉を思い出す。

 人は道具を見るようでいて、その道具を持つ人間を見ている。


 まさに、その通りだった。


「承知しましたわ」


 集落の奥へ通される道すがら、エルフたちの視線は断星にも、レオノーラにも向いていた。

 だが、学院のように測る目ではなく、工房のように素材を見る目でもない。


 もっと静かで、もっと深い。


 そして、ほんの少しだけ懐かしい。


「お姉様」


 クラウスが小声で言った。


「何かしら」


「本当に、受け入れられているのですね」


「ええ」


「思っていた以上です」


「ええ」


「世界樹に誓った友、ですもの」


 そう返した時、自分の声は思っていたより自然だった。


 その言葉が、もう無理なく自分の中へ落ちている。

 それに、少しだけ驚く。


 歓迎の席は、派手ではなかった。

 だが、温かかった。


 果実水。

 木の実を使った料理。

 焼いた白い魚。

 香草の匂い。

 どれも人間の食卓と違うのに、妙に体へ馴染む。


「断星を見せてもらえるか、レオノーラ」


 やがて、若い戦士の一人が言った。


 シェルヴァンは止めない。

 年長の者たちも、静かにこちらを見る。


「もちろんですわ」


 レオノーラは断星を背から下ろし、両手で静かに持ち直した。


 抜く。

 刀身が光を受ける。

 刃元の内側、背寄りのルーンは見える者にしか見えない。

 だが森の者たちは、それをすぐ感じ取ったらしい。


「ドワーフの仕上げか」


「ええ」


「そして、森の預託材も正しく入っている」


「ええ」


 シェルヴァンが短く言う。


「問題ない」


 その一言だけで、空気が一段落ち着いた。


 断星は、受け入れられた。


 いや、ただ受け入れられたのではない。

 森と工房、両方の筋を通した剣として、正しく見られたのだ。


「レオノーラ」


 年長のエルフがもう一度言う。


「何かしら」


「今日は、お前に二つの歓迎がある」


「二つ?」


「一つは、友の来訪に対するもの」


「ええ」


「もう一つは、断星を得たお前に対するもの」


 そこまで聞いた時、レオノーラはほんの少しだけ目を細めた。


 つまり今日は、食事と挨拶だけでは終わらない。


「……何をなさるおつもりですの?」


 シェルヴァンがわずかに口元を動かした。


「軽い試しだ」


 やはりそう来ますのね。


「安心しろ」


「まったく安心できませんわね」


「殺し合いではない」


「そこを基準にされると困りますわ」


 周囲のエルフたちが、ほんの少しだけ笑った。


 その笑いは悪意ではなく、歓迎に近い。


「断星を得た今のお前が」


 シェルヴァンは静かに言う。


「森の中で、どこまで静かに立てるかを見る」


 その言い方に、レオノーラはすぐ理解した。


 力比べではない。

 斬るかどうかでもない。


 森の側の“理解”を、剣と共に試されるのだ。


「……面倒ですわね」


 小さく呟くと、クラウスが隣で頷いた。


「ええ」


「ですが、前へ進む種類ですね」


 レオノーラは断星を持ち直した。


 工房を越え、学院を越え、今度は森で試される。


 それは確かに面倒だ。

 だが、ここまで来た以上、もう引く理由もない。


「分かりましたわ」


 静かにそう言う。


「断星と共に、今のわたくしをお見せいたします」

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