第62話 これは嬢ちゃんのための剣ではない、まだ届いていない嬢ちゃんのための剣じゃと言われたなら、それはもう今のわたくしが軽々しく触れてよい領域ではございませんわ
答えはまだない。
だが、たぶんその答えが出る日は、そう遠くない。
そう思っていた矢先に、その“まだ名を持たない気配”は、思っていたより早く輪郭を見せた。
森へ向かう前日。
断星の最終点検のため、レオノーラはもう一度だけ工房を訪れていた。
目的は明確だ。
断星の重心確認。
運搬用の固定具の調整。
森へ持ち込む際の扱いについて、シェルヴァン側と工房側の齟齬がないか、その確認。
それだけのはずだった。
はずだったのだが、ゴルド・バルガンという男が絡む以上、話はだいたい“それだけ”で終わらない。
「嬢ちゃん」
「何かしら」
「断星は問題ない」
「それは結構ですわね」
「うむ」
「では帰っても?」
「帰る前に、一つだけ見せる」
やはり来ますのね。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「その“ 一つだけ ”が、だいたい一つで終わらないのは、もう存じておりますわよ」
ゴルドは豪快に笑った。
「今日は本当に一つじゃ!」
信用できませんわね。
だが、シェルヴァンが少し離れた場所で黙っているのが気になった。
止めない。
だが面白がってもいない。
つまり、ろくでもないだけではない。
クラウスもすぐ気づいたらしい。
「お姉様」
「何かしら」
「たぶん、今回は本当に“見せるだけ”だと思います」
「どうしてそう思うの?」
「シェルヴァン殿が止めていません」
なるほど。
それはたしかに、一つの基準になる。
「……では伺いますわ」
ゴルドは満足そうに頷き、主工房のさらに奥へ歩き出した。
眼鏡の細工師もついていく。
若いドワーフたちは、今日は珍しく浮ついた様子がない。
案内された先は、これまで何度か見た石室よりも、さらに奥だった。
空気が違う。
熱はある。
だが鍛冶場の熱というより、封じ込められた炉心のような熱だ。
壁には、見慣れたものより古いルーンの刻印が薄く走っている。
装飾ではない。
封じと均衡のための線だ。
「……ここまで来るのは初めてですわね」
「うむ」
「来る必要がなかったからじゃ」
石室の中央には、厚い布で覆われた長い台が一つ。
その周囲には固定具。
冷却のためらしい金属枠。
そして、見慣れぬ透明な樹脂状の瓶がいくつか並んでいた。
いやな予感と、興味と、警戒が同時に立ち上がる。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「先に申し上げますけれど」
「うむ」
「断星を持ったまま、さらに妙な剣まで抱えるつもりはございませんわよ」
「今日は持たせん」
「本当ですの?」
「本当じゃ」
その即答は逆に少し怖かった。
「では、何を」
「見ろ」
ゴルドが布を払った。
現れたのは、大剣だった。
完成しているように見える。
いや、ほとんど完成している。
断星よりも厚い。
断星よりも露骨に重い。
刃の幅は広すぎないのに、全体の密度が異様だ。
実戦特化。
対大型種、対重装、対硬質目標――そういう目的の骨格が、見ただけで分かる。
そして何より。
「……これ」
レオノーラは、一歩だけ近づいた。
見覚えがある。
いや、見覚えなどという曖昧なものではない。
流れがある。
癖がある。
あの剣の、続きの気配がある。
「そうじゃ」
ゴルドが言う。
「気づいたか」
「……以前の大剣ですわね」
「正確には、その続きじゃ」
石室が静まる。
ゴルドは腕を組み、台上の大剣を見た。
「お主がこれまで背負ってきた大剣は、役目を終えた」
「ええ」
「だから溶かした」
クラウスが、そこでほんの少しだけ目を細めた。
驚いてはいる。
だが、あり得るとも思っていた顔だ。
「……やはりなさったのですね」
眼鏡の細工師が代わりに答える。
「ええ」
「役目を終えた形を残すより、次へ回した方がよいと親方が」
ゴルドは当然のように頷く。
「断星は今のお主の剣じゃ」
「ええ」
「だが、これまでの大剣の流れは、それで終わりではない」
「ええ」
「だから、次へ繋いだ」
レオノーラは少しだけ黙った。
怒るべきか。
呆れるべきか。
それとも納得するべきか。
正直に言えば、全部だった。
「勝手にやりましたのね」
「うむ」
「理屈は?」
「ありすぎるほどある」
「腹立たしいですわね」
「だが否定しきれん顔をしとる」
そこは非常に遺憾だが、その通りだった。
「これは第二案じゃ」
ゴルドが言う。
「完成しているように見えますけれど」
「ほぼ完成しとる」
「ほぼ?」
「銘を入れておらん」
その一言で、レオノーラは少しだけ息を止めた。
やはりそうですのね。
「つまり」
「器だけは閉じておる」
「ええ」
「だが、まだ“お主の剣”にはしておらん」
そこが、ゴルドなりの一線だった。
勝手に作った。
勝手に進めた。
だが最後だけは越えていない。
だから、怒りきれない。
「どうして今ですの?」
レオノーラが問うと、ゴルドは即答した。
「断星が出来たからじゃ」
「どういう意味かしら」
「今のお主には、断星が要る」
「ええ」
「だからこそ、その次を今のうちに器だけ作っておく必要があった」
「来る時は急に来る、でしたわね」
「そうじゃ」
それは、確か以前も言っていた。
「ですが」
レオノーラは台上の第二案から目を離さないまま言う。
「今のわたくしには、まだ必要ございませんわよね」
「うむ」
「では、なぜここまで?」
ゴルドは、そこで初めて少し真面目な顔になった。
「嬢ちゃん」
「何でしょう」
「これは強い剣ではない」
その言い方に、石室の空気がさらに沈む。
「届いた者にしか応えん剣じゃ」
その一言は、断星の時とは違う重さを持っていた。
「もっとはっきり言えば」
ゴルドは続ける。
「剣聖なら扱える、では足りん」
「ええ」
「大剣聖でなければ、この剣は使いこなせん」
レオノーラは、そこでようやくゴルドを見る。
「……大剣聖」
「そうじゃ」
「それはつまり、今のわたくしでは足りない、と」
「うむ」
迷いのない肯定だった。
悔しい。
だが、嫌ではない。
なぜならそれが、明らかに煽りではなく、鍛冶師としての判定だからだ。
「今のお主が持てば」
ゴルドが言う。
「振ることはできる」
「ええ」
「だが、使いこなしたとは言えん」
「どうして?」
ここで答えたのは、ゴルドではなくシェルヴァンだった。
「聖属性を宿すからだ」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
「……聖属性」
「ええ」
「この剣は、ただ硬く、重く、よく斬れる剣ではない」
シェルヴァンは台上の第二案を静かに見た。
「もし最後まで仕上げるなら、神性を宿す」
「それが第2案ですの?」
「違う」
ゴルドが短く切った。
「それは第3案じゃ」
石室が静まり返る。
第3案。
これまで“工房で育てる”“遊び心が入った”などと曖昧にされてきた、あの最後の案。
「……ではこれは」
「第二案じゃ」
「ええ」
「だが、その先にある第三案を見据えぬと、第二案の意味も分からん」
レオノーラは、そこで初めて、石室の壁際に並ぶ瓶や樹脂、固定具の意味を少し理解した。
これは第二案のためだけの部屋ではない。
もっと先を見るための部屋だ。
「伺いますわ、ゴルド殿」
「うむ」
「第3案とは、何ですの?」
ゴルドは少しだけ黙った。
それから、低く言う。
「ドワーフの叡智の結晶じゃ」
その声音には、珍しく誇張がなかった。
だからこそ重い。
「一生で一度、打てるかどうか」
「ええ」
「儂が積んできた鍛冶の理屈も、遊び心も、全部突っ込む大業物じゃ」
お茶目も真面目も、ですのね。
だが、そこで笑う者はいなかった。
ゴルド本人すら笑っていない。
「必要な素材は三つ」
ゴルドが指を立てる。
「神竜の鱗」
空気が張る。
「世界樹の樹脂」
シェルヴァンの目がほんのわずかに細くなる。
「そして」
ゴルドは、レオノーラをまっすぐ見た。
「神聖なる血――神竜の血じゃ」
レオノーラは数秒、完全に黙った。
そこまで行きますのね。
そこまで行って、ようやく第3案なのですのね。
「それは」
やっとのことで言葉を出す。
「もはや普通の大剣ではございませんわね」
「当たり前じゃ」
ゴルドは即答した。
「第3案は剣ではない」
「ええ」
「到達点じゃ」
その一言が、ひどくしっくり来た。
「だから今のお主には要らん」
「ええ」
「いや、要るかもしれんが、まだ届かん」
「ええ」
「だから今は構想じゃ」
なるほど。
だから第3案は、悪ふざけではなく、封じた未来なのだ。
「シェルヴァン」
レオノーラは静かに問う。
「何だ」
「世界樹の樹脂、とは」
「そのままの意味だ」
シェルヴァンは淡々と答える。
「世界樹に傷をつけて採るものではない」
「ええ」
「世界樹が古い周期で落とす、極めて少量の樹脂だ」
「つまり」
「森が許さなければ、手に入らん」
やはりそうですのね。
「神竜の鱗も、血も」
ゴルドが続ける。
「討って剥ぐ類の話ではない」
「ええ」
「向こうが認めて初めて届く類の神性素材じゃ」
それでいて、第3案は“主人公のための剣”ではある。
だが、今の主人公のためではない。
ひどく遠くて、ひどく具体的だ。
「……ゴルド殿」
「何じゃ」
「第3案は、何のために作るのですの?」
その問いに、ゴルドは少しも迷わなかった。
「お主が、大剣聖に届いた時のためじゃ」
短い。
だが、十分だった。
「今のわたくしでは、使えない」
「うむ」
「持てても、振れても、使いこなしたとは言えない」
「うむ」
「では、第3案は今後もしばらく、構想のまま」
「そうじゃ」
「第二案は?」
「器だけ完成」
「銘はまだ」
「うむ」
「断星が今」
「ええ」
「第二案が、来るべき時」
「ええ」
「第3案が、到達点」
「そういうことじゃ」
整理すると、あまりにも綺麗だった。
だからこそ、少し怖い。
「親方」
眼鏡の細工師が低く言う。
「そこまで話してよかったのですか」
「今話すべきことだけ話した」
「第三案の設計細部は?」
「まだじゃ」
「ええ」
「嬢ちゃんが今知る必要はない」
そこは、確かにそうだった。
知ったところで、今の自分に使えない。
そして使えないものを“いつかの自分のため”に先に抱え込むのは、少し違う。
「……分かりましたわ」
レオノーラはそう言った。
「今のわたくしが持つべきは断星」
「ええ」
「第二案は、まだ銘を持たぬ未来の剣」
「ええ」
「第3案は、届いていない境地の剣」
「ええ」
「でしたら、今はそれで結構ですわ」
ゴルドが、そこでようやく少し笑った。
「そう返すと思った」
「どうして?」
「今欲しがるなら、まだ早い」
その判定は厳しい。
だが正しい。
「ただし」
ゴルドが続ける。
「嬢ちゃん」
「何でしょう」
「第二案の存在だけは覚えておけ」
「ええ」
「お主が、断星だけでは足りんと本気で思う時が来たら」
「ええ」
「その時、初めて銘を入れる」
石室の空気が、また少しだけ変わる。
名前はまだない。
だが、未来はある。
それだけで十分重かった。
「シェルヴァン」
レオノーラは今度は彼へ向く。
「何だ」
「第3案の話まで聞いて、止めませんの?」
「止める理由がない」
ずいぶん自然に仰いますのね。
「世界樹の樹脂は、森が許さなければ届かん」
「ええ」
「なら、今はまだ遠い」
「ええ」
「だが、お前がそこへ届くかどうかを見るのは、悪くない」
その言い方は、少しだけ腹立たしく、少しだけありがたかった。
「皆さま」
レオノーラは小さく息を吐く。
「わたくしの未来を、少し先回りしすぎではなくて?」
「そうかもしれんのう」
ゴルドが笑い、
「そうだな」
シェルヴァンが淡々と頷いた。
否定しませんのね。
だが、そこに悪意がないのも分かる。
「お姉様」
クラウスがようやく口を開いた。
「何かしら」
「今の顔、少しだけ悔しそうです」
「ええ」
「でも、嫌そうではありません」
レオノーラは第二案を見た。
そして、その先にまだ見えぬ第3案の影を思う。
「当然でしょう」
「ええ」
「届いていないと言われれば、少しは悔しいですわ」
「ええ」
「ですが」
「ええ」
「届かぬものを無理に今欲しがるほど、子供ではございませんもの」
その返しに、ゴルドが大きく頷いた。
「よし」
「何がですの」
「今の返しなら、第三案の話をして正解じゃった」
そういう判断で開くの、少しやめていただきたいですわね。
だがもう遅い。
レオノーラは断星の柄へそっと触れた。
今の剣。
今の自分。
今、必要なもの。
そして、その先にある、まだ名を持たぬ未来と、さらに遠い到達点。
全部を今手に入れる必要はない。
だが、そこにあると知った以上、きっといつか見に行くのだろう。
「では」
レオノーラは静かに言った。
「今は、断星を持って森へ参りますわ」
「うむ」
ゴルドが頷く。
「第二案は?」
「今はまだ、眠っていていただきます」
「第三案は?」
ゴルドがわざとらしく問う。
「夢として置いておきますわ」
その答えに、石室の空気が少しだけ柔らかくなった。
夢。
だが、ただの空想ではない。
素材と理屈と信義の上に立つ、遠い現実だ。
工房を出る時、空は少し暮れかけていた。
煙突から上がる煙が、夕光の中でゆっくり流れている。
馬車へ向かう途中、クラウスが静かに言った。
「お姉様」
「何かしら」
「今日はかなり大きな話を聞きましたね」
「ええ」
「重いですか」
「かなり」
「ですが?」
レオノーラは、少しだけ空を見上げた。
「前へ進む理由にもなりますわ」
それが本音だった。
到達点を知ったからといって、今の足場が消えるわけではない。
むしろ逆だ。
今の断星を、今の自分で、きちんと使いこなす意味が増した。
「なら」
クラウスが小さく頷く。
「悪い話ではありませんね」
「ええ」
「悔しいですけれど」
「ええ」
「悪くはございませんわ」




