第55話 ゴルド殿がこれを見て機嫌よく第一案へ集中してくださると助かりますけれど、たぶんそう簡単には済まないのでしょうね
――さて、ゴルド殿がこれを見て、どこまで機嫌よく第一案へ集中してくださるかが問題ですわね。
そう思った翌々日には、問題はだいたい現実になった。
アルトヴァイス家預かりとなった預託材は、必要な確認を終えたうえで、レオノーラ自身が工房へ持ち込むことになった。
父ヴァルターは、そこまでした方が筋が通ると言ったし、レオノーラも同意した。
預かった以上、ただ届けるのではない。
何に使い、何に使わないかを、その場ではっきり切る必要がある。
つまり、また工房である。
「お姉様」
「何かしら」
「少しだけ、諦めた顔をしています」
馬車の向かいでクラウスが言った。
「ええ」
「否定はなさらないのですね」
「だって、ゴルド殿が素直に“第一案だけで行こう”となるとは思えませんもの」
「でしょうね」
「預託材を見た瞬間に、第二案と第三案へ夢を広げる顔が見えますわ」
そこはかなりの高確率でそうだろう。
「ですが」
クラウスは落ち着いて続けた。
「今回はこちらの方が筋を持っています」
「ええ」
「預託は第一案限定」
「ええ」
「学院も家もその前提で整理済み」
「ええ」
「なら、親方が拗ねても押し切れます」
押し切れる、という表現がすでに少し物騒である。
「なるべくなら、押し切る形にはしたくございませんわ」
「ええ」
「拗ねると悪ふざけ寄りの魔改造案が増えますもの」
「それが一番面倒ですね」
まったくもってその通りである。
山道を抜け、工房の煙突が見えてくる。
白い煙。
鉄の匂い。
打撃音。
前へ進む種類の面倒の匂いだった。
「来たか!」
門前で待っていたゴルドが、今日も腹の底から声を張る。
「参りましたわ、ゴルド殿」
「持ってきたな!」
やはりそこからですのね。
「ええ」
レオノーラは、従者が抱える細長い木箱へ視線をやる。
「ただし」
「何じゃ」
「使途は第一案のみですわ」
ゴルドの顔が、ほんの一瞬だけ分かりやすく止まった。
来ましたわね。
「……まずは中を見せい」
「ええ」
主工房脇の応接区画へ通され、木箱が机上へ置かれる。
眼鏡の細工師も、若いドワーフたちも、妙に静かだ。
レオノーラが蓋を開ける。
布を外す。
鈍い金のような、だが金とはまったく違う沈んだ光が現れた。
「……おお」
若いドワーフが息を呑む。
「本当に持ってきおった」
「静かにせい」
ゴルドはそう言ったが、本人が一番目を光らせていた。
「量は?」
眼鏡の細工師がすぐに実務へ入る。
「必要量に対して、ほぼ不足分ぴたりですわ」
「端数は?」
「預託条件上、余剰を出すつもりはございません」
「なるほど」
よろしい。
この人は話が早い。
「預託条件を読み上げますわ」
レオノーラがそう言うと、ゴルドが少しだけ顔をしかめた。
「そこまで堅くやるのか」
「やります」
「むう」
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「拗ねると余計な案へ広げるでしょう」
「……否定はせん」
「でしたら、なおさらですわ」
工房の空気が少し緩む。
何人かが笑いを堪えている気配もあった。
「第一案の仕上げに限る」
レオノーラは一つずつ置く。
「第二案、第三案への転用は禁止」
「ええ」
「余剰が出た場合は返還」
「ええ」
「代替材との混用も、第一案の設計範囲内に限る」
「ええ」
「そして」
レオノーラはゴルドを正面から見る。
「これは贈与ではなく預託ですわ」
ゴルドはしばらく黙っていた。
やがて、腕を組んだまま言う。
「……よかろう」
「本当ですの?」
「何じゃ、その疑いの目は」
「だってゴルド殿ですもの」
「ひどい嬢ちゃんじゃな!」
「事実ではなくて?」
眼鏡の細工師がそこで小さく咳払いした。
「親方」
「何じゃ」
「今回は素直に従った方が、あとで第二案の目も残ります」
その一言に、ゴルドの目が少しだけ細くなる。
なるほど。
制御役がちゃんといるのですね。
「……そうじゃな」
「ええ」
「今回は第一案に絞る」
「助かりますわ」
「ただし」
やはりただしは来ますのね。
「何でしょう」
「仕上がった後、森へ持って行け」
レオノーラは一瞬だけ瞬いた。
「森へ?」
「そうじゃ」
「どうしてですの?」
その問いに答えたのは、工房の誰でもなかった。
「それはこちらから説明しよう」
入口側から聞こえた声に、レオノーラはゆっくり振り向く。
そこにいたのは、シェルヴァンだった。
やはり来ますのね。
「……今日は学院ではなく工房ですのね」
「昨日、学院へ行った」
「ええ」
「今日は工房へ来た」
「理屈としては理解いたしますけれど、行動が少し速すぎますわ」
シェルヴァンはそれを否定しない。
ただ、工房の空気を一度見回し、それから木箱へ視線を落とした。
「預託材が、意図と違う使われ方をしないか確認する必要がある」
「ええ」
「なら、ここへ来るのが早い」
その理屈も正しい。
正しすぎて困る。
「シェルヴァン」
レオノーラは少しだけ声を落とした。
「昨日の今日で、もうここまで動かれるの?」
「お前も昨日の今日で工房へ来た」
返す言葉がございませんわね。
ゴルドがそこで、面白そうにシェルヴァンを見た。
「お主が森の側の確認役か」
「確認役というほどではない」
「では?」
「友として、必要な境界を見に来た」
工房が静まる。
その言い方は、少し重かった。
「友、か」
ゴルドが言う。
「ええ」
「口だけではないのだな」
「口だけなら、昨日の学院で終えている」
そこでレオノーラは、少しだけ目を伏せた。
こういうところだ。
彼らは、情に見えて、必ず行動を乗せてくる。
「それで」
レオノーラは話を戻す。
「森へ持って行け、とは?」
「第一案が仕上がったら」
シェルヴァンは淡々と言う。
「一度、森へ来い」
「試し斬り?」
「半分は」
「残り半分は?」
「顔を見せろ」
その返しに、レオノーラは数秒ほど黙った。
思っていたより、ずっと真っ直ぐだったからだ。
「エルフたちは」
シェルヴァンが続ける。
「お前の剣聖としての実力を知っている」
「ええ」
「森に潜んでいた魔獣を、お前が単騎で討ったことも知っている」
「ええ」
「恩がある」
工房のドワーフたちが、そこで少しだけ空気を変えた。
さっきまでの鍛冶師の顔ではなく、話を聞く顔になる。
「こちらから見れば」
シェルヴァンは静かに言う。
「お前は人間の剣聖であり、良き友だ」
その言葉は、思った以上に重く、まっすぐだった。
「だから」
「ええ」
「大剣が出来上がったなら、森へ遊びに来い」
「遊びに、ですの?」
「お前はそう捉えていい」
「歓待する」
レオノーラは、本当に少しだけ言葉を失った。
森に来れば迎えられる。
客としてではない。
友として。
それがどれだけ重いことかを、本人はもう知っている。
「シェルヴァン」
「何だ」
「それは、皆の総意ですの?」
「皆、ではない」
「ええ」
「だが、少なくとも拒む者はいない」
「それに」
彼はほんの少しだけ目を細めた。
「お前は、世界樹の前で誓っている」
工房が、しんと静まった。
ゴルドも、眼鏡の細工師も、若いドワーフたちも、今度こそ完全に黙った。
「……そこまで仰いますのね」
レオノーラがそう言うと、シェルヴァンは一歩も引かずに答えた。
「必要だろう」
「どうして?」
「この場の鍛冶師たちは、お前の剣を預かる」
「ええ」
「なら、お前がどこまで森に信義を持っているかを知っておくべきだ」
なるほど。
たしかに、それは筋だ。
「世界樹に誓ったのですか」
眼鏡の細工師が、珍しく真顔で問う。
「ええ」
答えたのはレオノーラだった。
「ハイエルフと」
「……ハイエルフと」
「ええ」
「世界樹の前で」
「ええ」
「何と?」
そこまで聞きますの?
だが、ここで濁しすぎるのも違う。
「エルフの友として、ですわ」
静寂。
それから、ゴルドがゆっくり髭を撫でた。
「嬢ちゃん」
「何かしら」
「お主、やはり普通の人間貴族ではないな」
「今さらですわね」
「今さらじゃな」
そして、ゴルドは大きく息を吐いた。
「分かった」
「何がですの?」
「第一案に、余計な遊びは入れん」
それは、かなり大きい譲歩だった。
「本当ですの?」
「本当じゃ」
「どうして急に」
「世界樹に誓われた友の剣へ、拗ねて悪ふざけを混ぜるほど、儂も腐ってはおらん」
その一言に、工房の空気が少しだけ変わった。
遊び半分ではなくなる。
職人の顔だ。
「ありがとうございます」
レオノーラは素直に言った。
「ええ」
「そこは礼を言う場面じゃ」
ゴルドは鼻を鳴らした。
「ただし」
「やはりただしは来ますのね」
「第三案は工房内で育てる」
やめてくださいまし。
「第一案に混ぜないならよろしいですけれど」
「うむ!」
「第二案は?」
シェルヴァンが問うた。
その声は、静かだがかなりまっすぐだった。
「中芯と設計で止める」
ゴルドが答える。
「完成はさせん」
「よろしい」
シェルヴァンはそれ以上追わなかった。
どうやら、彼としてもそこが重要らしい。
「お姉様」
クラウスが低く言う。
「何かしら」
「今日はだいぶ、思っていたより話が大きくなっています」
「ええ」
「ですが」
「ええ」
「方向は悪くありません」
その通りだった。
森の歓待。
世界樹への誓い。
工房側の理解。
預託材の使途限定。
全部が少し重い。
だが、全部に筋は通っている。
「では」
レオノーラは木箱を閉じた。
「第一案、進めてくださいまし」
「うむ」
「預託材はその場で開封、使用量を記録、余剰は封緘」
「うむ」
「第二案と第三案への転用はなし」
「うむ」
「森へ持って行くのは、完成後」
「ええ」
シェルヴァンが頷く。
「待っている」
「歓待、でしたわね」
「ええ」
「本当に遊びに行くくらいの気持ちで?」
「お前がそのくらいの気持ちで来る方が、森の者も喜ぶ」
その言葉に、レオノーラはほんの少しだけ笑った。
「では」
「ええ」
「完成したら、遊びに伺いますわ」
工房の中で、誰かが小さく息を呑んだ。
たぶんドワーフたちだ。
人間の剣聖令嬢が、完成した大剣を持って、世界樹に誓った友として森へ遊びに行く。
たしかに、外から見れば御伽話である。
だが本人にとっては、ようやく一つ片づいた段取りでもあった。
工房を出る頃には、煙の匂いが衣へ移っていた。
森から来たシェルヴァンは、帰り際にほんの一言だけ残す。
「レオノーラ」
「何かしら」
「次に学院で余計なことを漏らすな」
「善処いたしますわ」
「善処では足りない」
「前にも同じやり取りをした気がいたしますわね」
「同じだから言う」
そこは反論できなかった。
馬車へ乗り込むと、クラウスが静かに言った。
「お姉様」
「何かしら」
「今日は、かなり大きな設定が増えましたね」
「設定みたいに言わないでくださる?」
「事実でした」
「ええ」
「世界樹の前で誓っている、はさすがに重いです」
「ええ」
「ですが」
「何かしら」
「ゴルド殿には効きました」
それは本当にそうだった。
「ええ」
レオノーラは少しだけ目を閉じた。
「拗ねて魔改造されるよりは、ずっとよろしいですわ」
馬車はゆっくり山道を下っていく。
工房。
森。
学院。
全部が少しずつ繋がっていく。
面倒は増える。
だが、信義も増える。
それならたぶん、まだ前へ進める。




