第53話 新しい種類の面倒が綺麗に形を持った以上、あとはその面倒を失礼のない文面へ落とし込むだけですけれど、それが一番神経を使いますわ
そう思った瞬間、また一つ、新しい種類の面倒が綺麗に形を持ったのだった。
要するに、次にやるべきことは明白だった。
エルフ側への打診。
ただし、それは決して“素材が足りないから送ってほしい”ではあってはならない。
友誼を便利な補給路みたいに扱うのは、筋が悪い。
レオノーラが最も嫌う類の雑さだった。
応接室を出て自室へ戻るまでの間、レオノーラの頭の中は、もう文面の組み立てに切り替わっていた。
何を先に書くか。
どこまで事情を開くか。
頼むのではなく、相談する形をどう保つか。
そこへ、クラウスが当然のように着いてくる。
「お姉様」
「何かしら」
「今、手紙の文面を考えていますね」
「ええ」
「やはり」
「考えますわよ」
レオノーラは廊下を歩きながら小さく息を吐いた。
「量は少ない」
「ええ」
「ですが、少ないからこそ気軽に頼んでよい話でもございませんもの」
「その通りです」
自室へ入ると、侍女がすぐに灯りを整えた。
茶も用意される。
ありがたい。
今夜は長くなる気がした。
机へ向かい、便箋を置く。
ペンを取る。
だが、すぐには書かない。
「……難しいですわね」
「どこがです?」
クラウスが少し離れた位置で問う。
「全部ですわ」
「雑ですね」
「正確ですもの」
まず宛先をどうするか。
そこからもう難しい。
ハイエルフ王族へ直接書くのは違う。
筋としても、空気としても違う。
まずはエルフの友人へ打診し、そのうえで向こうが必要と判断したなら、上へ上げてもらう方が自然だ。
「お姉様」
「何かしら」
「まず、誰に出すかを固定しましょう」
「ええ」
「王族筋へ直接ではなく」
「ええ」
「エルフ側の友人へ」
「そのつもりですわ」
それでいい。
レオノーラは便箋の上へ、相手の名を書きかけて、ほんの少しだけ止まった。
森の民。
最初は矢を向けてきた。
今では、妙に容赦なく物を言うが、筋の通った相手だ。
名前を書くだけで、空気が少し変わる気がする。
「……さて」
レオノーラはようやくペン先を落とした。
「挨拶からですわね」
「ええ」
「季節の挨拶は要るかしら」
「相手によるかと」
「そうですわね」
エルフへ人間流の季節の文句を長々と入れても、たぶん温度がずれる。
向こうは向こうで季節の捉え方が違う。
なら、過不足なく。
「近況確認」
「ええ」
「こちらの無事」
「ええ」
「相手の健勝を願う」
「十分です」
そこから本題へ入る。
だが本題の入り方が難しい。
剣の改修。
第一案。
工房。
必要量。
オリハルコン。
全部本当のことだ。
だが、全部をそのまま書くと重い。
「クラウス」
「何でしょう」
「“相談”だと明示した方がよろしいかしら」
「ええ」
「“必要としている”より、“もし負担なく可能なら相談したい”ですわね」
「はい」
「その上で、断っても何も損なわれないことも入れる」
そこが大事だ。
相手に選択権がある形にしなければならない。
レオノーラは一度、下書きの形で書いてみた。
工房にて常用剣の改修を進めていること。
要所補強に使う分として、ごく少量のオリハルコンがあれば仕上がりが安定すること。
ただし工房内代替案も存在すること。
ゆえに必須ではないが、もし負担なく相談可能であれば、融通の可否を伺いたいこと。
「……どうかしら」
クラウスが机の脇まで来て、視線を落とす。
「かなり良いと思います」
「本当?」
「ええ。少なくとも、“欲しいから寄越してほしい”には見えません」
「それならよろしいのですけれど」
「ただし」
やはり来ましたわね。
「何かしら」
「“常用剣の改修”という言い方だと、向こうはたぶん」
「ええ」
「“また変なことをしている”と理解するでしょう」
それはたぶん、その通りだった。
しかもかなり正確に。
「困りますわね」
「困りません」
「どうして?」
「たぶん事実だからです」
ひどい言われようだが、否定しにくい。
「では、そこはそのままで?」
「ええ。むしろ隠さない方がいいと思います」
結局、文面はあまり飾らず、しかし礼を外さない形で整った。
短い。
だが軽くはない。
読み返す。
もう一度読む。
余計な熱が入っていないか確かめる。
「……これでよろしいかしら」
「はい」
「お父様にもお見せした方が?」
「その方がよいでしょうね」
夜も更けていたが、執務室の灯りはまだ落ちていなかった。
父ヴァルターは文面を受け取ると、黙って二度読んだ。
「悪くない」
「そうですの?」
「ええ。頼みではなく、相談になっている」
「はい」
「そして、断られても関係を損なわぬ形もできている」
「でしたら、このままで」
「そうしよう」
父は便箋を机へ置き、それから少しだけ目を細めた。
「相手は、あの森のエルフか」
「ええ」
「ハイエルフ王族へ直接ではないのだな」
「そこは違いますもの」
父は頷いた。
「その線引きがあるなら十分だ」
翌朝。
手紙は家の最速便で送られた。
ただし普通の街道便ではない。
森の境界近くまで行ける、アルトヴァイス家側の使いに慣れた者が持つ。
それでも返答がいつ来るかは分からない。
そこは相手次第だ。
「お姉様」
「何かしら」
「今朝は少し静かですね」
学院へ向かう馬車の中で、クラウスが言った。
「やることをやった後ですもの」
「返事待ちですか」
「ええ」
「落ち着きません?」
「少しは」
「ですが?」
「待つしかない段階の面倒は、考えすぎても仕方がございませんわ」
それもまた本心だった。
学院へ着く。
教室へ入る。
空気はやや落ち着いている。
昨日までの“エルフ”“ハイエルフ”の衝撃は、いったん表面上は沈んでいた。
代わりに、慎重さがある。
よろしい。
驚きが飽和した後の方が、話は整えやすい。
「おはようございます」
レオノーラがそう言うと、返ってくる挨拶も普段通りだった。
「おはようございます、レオノーラ様」
「おはよう」
「おはようございます」
一限目前の短い時間、アーネストがやはり耐えきれずに口を開く。
「なあ」
「何かしら」
「結局、打診するのか?」
そこへ来ますのね。
「ええ」
「したのか?」
「ええ」
「早いな!」
「必要量が見えた以上、先へ進めませんもの」
アーネストが頭を抱えたような顔をする。
「お前、本当に躊躇がないな」
「ございますわよ」
「どこが?」
「文面を整えるのにかなり悩みましたもの」
その答えに、リヒャルトが静かに問う。
「直接ですか」
「いいえ」
「友人経由?」
「ええ」
「なら筋は通っていますね」
そこをすぐ拾うのは、やはりリヒャルトらしい。
セシリアも穏やかに言った。
「昨日の話し方なら、雑なお頼みにはなさらないと思っておりましたわ」
「そう見えていたならよかったですわ」
「ええ。かなり」
そしてレティシアは、相変わらず少し違う方向から頷く。
「でも、返事が来るまでそわそわいたしますわね」
「そうですわね」
「早く来るものなのですか?」
「相手次第ですわ」
「森の方々は、時間の流れが違いそうですもの」
それは、たしかにそうだった。
「すぐ来る時はすぐ来ますし」
「ええ」
「待たせる時は妙に待たせますわね」
その時、前方でアルベルトが紙から顔を上げた。
「送ったのか」
「ええ」
「返答はまだ」
「もちろんですわ」
「そうか」
アルベルトはそこで一拍置いた。
「君は、その返答が来たらどうする」
「量と条件によります」
「条件?」
「相手が何を対価と呼ぶか、ですわ」
それは金銭ではない。
たぶん、向こうは別の種類のバランスで物を見る。
「対価を取る相手なのか」
アルベルトの問いに、レオノーラは少しだけ考えた。
「取る、というより」
「ええ」
「均衡を好む相手ですわね」
「なるほど」
「だから、こちらも雑には受け取れません」
アルベルトは小さく頷いた。
「君らしい」
それだけだった。
午前の授業は意外なほど穏やかに進んだ。
大きな呼び出しもない。
講義の余波も、今のところは静かだ。
だからこそ、昼休みの始まりに入ってきた学院の使いが、妙に目立った。
「アルトヴァイス嬢」
「はい」
「学院長室より伝言です」
またですの?
「本日は、急ぎではありません」
「ええ」
「ですが、放課後にお時間が取れるなら、学院長がお話ししたいと」
急ぎではない。
だが話はある。
良い予感ではない。
悪い予感でもない。
そういう曖昧さが一番困る。
「承知しましたわ」
使いが去ったあと、アーネストが真顔で言う。
「また増えたな」
「ええ」
「何だと思う?」
「分かりませんわ」
「珍しいな」 「分からないから困っておりますの」 「それはそうか」 リヒャルトが静かに言った。
「講義の件では?」
「終わったあとですのに?」
「だからこそ、かもしれません」
その可能性はある。
だが、もう一つ別の予感もあった。
講義。
異種族。
工房。
そして学院長。
もしここで来るとすれば、学院側が“どこまで把握しているか”を静かに確認したい話かもしれない。
放課後。
レオノーラは学院長室へ向かう廊下で、ほんの少しだけ息を整えた。
前へ進む種類の面倒ならいい。
そうでなくても、整えればいい。
扉の前には、学院長付きの書記が立っていた。
「アルトヴァイス嬢」
「はい」
「お待ちしておりました」
書記の声音は柔らかい。
だが、その柔らかさが逆に少し気になった。
「失礼いたしますわ」
中へ入る。
学院長室には、学院長とマグダ教員。
そして、見慣れぬ来客が一人いた。
長い耳。
淡い銀髪。
整いすぎた顔立ち。
静かな翠の瞳。
その姿を見た瞬間、レオノーラは一歩だけ足を止めた。
――早すぎませんこと?
来客は、椅子からゆっくり立ち上がる。
そして人間の礼法に、少しだけ森の流儀を混ぜたような優雅な一礼をした。
「久しいな、レオノーラ」
やはりそうですのね。
学院長が穏やかに言う。
「紹介は、必要ありませんね」
必要ありませんわね。
そこにいたのは、レオノーラが昨夜手紙を送った相手――エルフの友人その人だった。




