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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第51話 講義も前へ進む種類の面倒ですわねと思えた以上、あとはその場で何を残し何を残さないかを、きっちり選ぶだけですわ

 そしてその整え方次第で、たぶんまた次の流れも変わる。


 だからこそ、レオノーラはその夜、珍しく早めに机へ向かった。


 武芸棟の前夜とも、夜会の前夜とも、少し違う。


 今回は剣を振るわない。

 だが、振るわないからといって楽になるわけではない。

 むしろ、言葉だけで輪郭を残す分、誤魔化しが利きにくい。


 机上へ紙を一枚置く。


 上に大きく書く。


 特別講義で残すこと


 その下へ、三つ。


 一 強さそのものではなく、運用と判断

 二 周囲の見られ方と、本人の制御

 三 対話と教育は、崇拝や隔離と別物


「……このくらいですわね」


 小さく呟く。


 多すぎてもいけない。

 少なすぎても流される。


 その時、扉が軽く叩かれた。


「お姉様」


「入りなさい」


 クラウスが、今日は書類ではなく茶を持って入ってきた。


「助かりますわ」


「かなり考え込んでいますね」


「ええ」


「講義の骨格ですか」


「そうですわ」


 クラウスがカップを置き、机上の紙へ目を落とす。


「悪くありません」


「でしょう?」


「ええ。ただ」


 やはりただしは来る。


「“崇拝や隔離と別物”は、少し強いです」


「そうかしら」


「ええ。言いたいことは正しい」


「ええ」


「ですが、講義の場でそこまで言うと、“周囲が未熟だ”と切っているようにも聞こえる」


 レオノーラは少しだけ考えた。


 たしかに、その通りだ。


「では、どう直すべきかしら」


「たとえば」


 クラウスは少しだけ考え、それから言った。


「理解しようとすること、と置き換える方が柔らかいです」


「理解」


「ええ」


「強い者を、ただ遠ざけるのでも、持ち上げるのでもなく、まず理解しようとする」


 なるほど。


 それはかなり良い。


「採用ですわ」


 レオノーラは三つ目を消し、書き直す。


 三 対話と教育は、まず理解しようとすることから始まる


「これなら、かなり良いかと」


「ありがとう」


「あともう一つ」


「何かしら」


「お姉様自身が、“自分は特別ではない”と言いすぎない方がいいです」


「どうして?」


「誰も信じないからです」


 ひどい言われようだが、だいたい当たっている。


「否定したいわけではございませんのよ」


「ええ」


「ただ、そこで無理に普通ぶると、逆にわざとらしくなる」


「……では?」


「“特別かどうか”ではなく、“だからといって扱い方を雑にしてよい理由にはならない”へ寄せた方がいいです」


 そこまで来ると、だいぶ仕上がってきた。


「本当に」


 レオノーラは小さく息を吐く。


「あなたは便利ですわね」


「それは褒め言葉として受け取っておきます」


 翌日。


 特別講義当日。


 学院の空気は、表面上は普段通りだった。

 だが、レオノーラには分かる。


 今日は見られている。


 武芸棟の時のような熱ではない。

 夜会のような探りでもない。


 もっと静かで、もっと理屈寄りの視線だ。


「おはようございます」


 教室へ入ると、返ってくる挨拶はいつも通り。

 だが、アーネストは妙に落ち着かず、リヒャルトは普段よりさらに静かで、セシリアとレティシアもどこか気にしている。


 そしてアルベルトは、やはり変わらない顔をしていた。


「今日だな」


 珍しく、先に声をかけてきたのはアーネストだった。


「ええ」


「気が重いか?」


「少しは」


「少しで済むのか」


「済ませる努力をしておりますの」


 アーネストが鼻を鳴らす。


「それ、昨日の俺なら茶化してたけど」


「ええ」


「今日はしない」


 それは少し意外だった。


「どうして?」


「講義なんだろ」


「ええ」


「なら、茶化すとたぶん空気がずれる」


 思っていたより、ちゃんと見ておりますのね。


「……助かりますわ」


「おう」


 そこへリヒャルトが加わる。


「今日に関しては、たぶん皆、少し慎重です」


「でしょうね」


「何を見せる場なのか、皆まだ決めかねている」


 その分析はかなり正しかった。


 レオノーラ自身も、今日の講義がどう受け取られるかで、今後の文脈が少し変わると分かっている。


「レオノーラ様」


 セシリアが柔らかく言う。


「無理はなさらないでくださいませね」


「ええ」


「講義なのですから、全部を綺麗に答えようとなさらなくてもよろしいのでは」


 それも、かなり良い助言だった。


「ありがとう」


「わたくしもそう思いますわ」


 レティシアが続ける。


「全部を分かっていただこうとする方が、きっと疲れますもの」


 レオノーラは少しだけ笑った。


「ええ。その通りですわ」


 昼過ぎまでは通常授業。

 そして放課後、レオノーラは指定された講義室へ向かった。


 普段の教室より少し広い。

 だが公開講堂ほどではない。

 席数は抑えられていて、前方に教員席、中央に対話用の椅子が三つ置かれている。


 かなり“見世物”寄りにもできる配置だが、今回はぎりぎり講義として保たれている。


 よろしい。


 入室すると、学院長、マグダ教員、運営委員の教員二名。

 そしてすでにルークが着席していた。


「ごきげんよう、先輩」


「来たか」


「ええ」


「緊張しているか」


「少しは」


「そう見えないな」


「見せておりませんもの」


 ルークはほんの少しだけ口元を動かした。


「だろうな」


 講義室の後方には、選ばれた上級生と一部新入生が座っていた。

 騎士科。

 文官科。

 魔導基礎。

 そして、一組からはアルベルト、アーネスト、リヒャルト、セシリア、レティシアの姿もある。


 見ておりますのね。


 だが、それでいい。

 少なくとも、勝手な伝聞だけで回るよりはずっといい。


「では、始めましょう」


 学院長が立ち上がる。


「本日の特別講義は、“高出力個体との対話・統制・教育”を主題とします」


 高出力個体。

 やはり言い方は気に入らない。

 だが、昨日より文脈は整っている。


「なお、本講義は誰か一人を特別視し、神秘化し、あるいは危険視するためのものではありません」


 よろしい。


 その一文が先に来るなら、かなりいい。


「力の強い個人が共同体の中でどう見られ、どう扱われ、本人がどう振る舞うべきか」


「その三者を考えるための講義です」


 学院長はそこでレオノーラとルークを見る。


「実例協力として、レオノーラ・アルトヴァイス嬢」


「はい」


「上級生側の視点として、ルーク・ヴァンハイム生徒」


「はい」


「両名に協力してもらいます」


 導入は悪くない。

 かなり悪くない。


 最初の問いは、学院長からレオノーラへだった。


「アルトヴァイス嬢」


「はい」


「あなたは、実力測定以降、自分への見られ方が変わったと感じていますか」


 良い問いだ。

 強さそのものではなく、見られ方から入る。


「ええ」


 レオノーラは落ち着いて答える。


「かなり変わったと感じております」


「どう変わりましたか」


「強い、という評価自体は仕方ございません」


「ええ」


「ですが、それが先に立ちすぎると、人格や判断まで単純化されやすいですわ」


 講義室が静かになる。


「たとえば」


「危うい」


「扱いづらい」


「あるいは逆に、何でもできる」


「そういった極端な見られ方へ寄ります」


 学院長が頷く。


「では、あなた自身はそれにどう対応しようとしているのですか」


「全部を否定する気はございません」


「ええ」


「強いこと自体を、なかったことにはできませんもの」


「ええ」


「ですが、強いことと、どう判断するかは別です」


 そこまで言って、レオノーラは少しだけ言葉を置いた。


「ですから」


「周囲の方に、少なくとも“力だけで見てよい相手ではない”と分かっていただけるようにはしております」


 悪くない。

 かなり悪くない。


 次に、ルークへ問いが飛ぶ。


「ヴァンハイム生徒」


「はい」


「あなたは上級生として、アルトヴァイス嬢をどう見ていますか」


 ルークは迷いなく答えた。


「強いです」


 短い。

 だがそこで終わらないのが良い。


「ですが、そこだけを話すと間違うと思っています」


「どうしてですか」


「強い相手を見る時、周囲は二つに振れやすい」


「ええ」


「持ち上げるか、遠ざけるかです」


 講義室の後方が静まる。


「ですが、どちらも雑です」


「では、どう見るべきだと?」


「少なくとも」


 ルークはレオノーラを一度だけ見て、それから前へ戻した。


「どういう判断をする相手なのか、何を嫌がり、何を制御しようとしているのか、そこを見ないと話になりません」


 かなりいい。

 かなりいいですわね。


 後方の一部、特に騎士科上級生たちの空気が少し変わるのを感じる。

 強い、すごい、だけではない方向へ引っ張られている。


 よろしい。


 そこで運営委員の教員が、少し踏み込んだ問いを投げた。


「アルトヴァイス嬢」


「はい」


「あなたは、“強い者が理解されにくい”と感じていますか」


 レオノーラは一瞬だけ考え、それから答えた。


「理解されにくい、というより」


「ええ」


「理解の前に意味を決められやすい、と感じます」


 教員が目を上げる。


「意味を決められる?」


「ええ」


「崇拝される」


「危険視される」


「便利に期待される」


「そういう“意味”ですわ」


 静寂。


 そして、その静寂は悪くない。


「ですが」


 レオノーラは続けた。


「だからといって、対話を諦める理由にはなりません」


「どうしてですか」


「理解しようとする側がいるなら、こちらも理解される努力をすべきですもの」


 言った瞬間、後方で誰かが小さく息を呑んだ気配がした。


 だが、そこへ意識を向けすぎない。


 今大事なのは、残すべき文脈を残すことだ。


 学院長がそこで、最後に一つだけ問いを置いた。


「アルトヴァイス嬢」


「はい」


「あなたは、自分が特別だと思いますか」


 良い問いだ。

 そして危ない問いでもある。


 ここで“思わない”と答えれば嘘くさい。

 “思う”と答えれば、神話化へ寄りかねない。


 レオノーラは、ごく短く考えた。


「特別かどうかは、わたくしが決めることではないかもしれません」


 講義室が静まる。


「ただ」


「ええ」


「特別に見えるからといって、雑に見てよい理由にはならないと思っております」


 学院長は数秒黙って、それからゆっくり頷いた。


「……ええ」


「本日の主題にふさわしい答えです」


 これで、骨格は通った。


 講義の終盤は質疑に移ったが、学院側がうまく整理した。

 極端な問いは流し、必要な問いだけを拾う。


 そのおかげで、“レオノーラは危険物なのか”みたいな安い方向へは落ちなかった。


 終わった時には、講義室の空気そのものが少し変わっていた。


 崇拝でもない。

 恐怖でもない。

 もっと理屈と実感の混ざった、少し落ち着いた見方。


 講義が終わり、後方の生徒たちが散り始める。


 アーネストが真っ先に来た。


「お前さ」


「何かしら」


「今日のあれ、かなり効いたと思う」


「何がですの?」


「“意味を決められやすい”ってやつ」


 レオノーラは少しだけ目を瞬いた。


「そうかしら」


「うん」


 アーネストは今日は本当に真面目だった。


「何か、見てる側の雑さを言い当てられた感じがした」


 それは、かなり大きい評価だった。


 リヒャルトも頷く。


「ええ。強い相手の話なのに、強さそのものへ寄り切らなかったのが良かったです」


「ありがとうございました」


 セシリアとレティシアも、少し遅れて来る。


「とても、よかったですわ」


 セシリアが言う。


「“理解しようとする側がいるなら”のところ、特に」


「そうかしら」


「ええ」


 レティシアも強く頷く。


「格好よかったですわ」


 やはりそこへ戻りますのね。


「そういう講義ではございませんでしたでしょう」


「でも格好よかったですもの」


 もうそこは諦めるしかなさそうだった。


 少し離れたところで、アルベルトが立ち上がる気配がした。

 彼はすぐには来ない。

 数秒置いてから、静かに近づく。


「終わったな」


「ええ」


「どうだった」


「前へ進む種類の面倒でしたわ」


 アルベルトは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「そうだろうな」


「殿下は?」


「何がだ」


「ご覧になって、どう思われましたの?」


 アルベルトは少しだけ考えた。


「君は」


「ええ」


「自分が特別かどうかを曖昧にしながら、扱いの雑さだけはきちんと拒む」


「そうですわね」


「かなり厄介だ」


 その評価は、もはや褒め言葉として受け取ってよい気がした。


「ありがとうございます」


「褒めたわけではない」


「でしょうね」


 だが、レオノーラは分かっていた。


 今日の講義で、また一つ輪郭が変わった。

 強さの話から、判断の話へ。

 崇拝から、理解へ。


 それだけでも十分、大きい。


 講義室を出る時、ルークが最後に一言だけ言った。


「悪くなかった」


「ええ」


「先輩も」


「そうか」


「かなり助かりましたわ」


 ルークはそれ以上何も言わず、手だけ軽く上げて去っていった。


 外へ出ると、夕暮れが少し濃くなっていた。

 空気は冷たい。

 だが、胸の奥は少しだけ軽い。


 迎えの馬車へ向かう途中、クラウスが待っていた。


「お姉様」


「何かしら」


「終わりましたね」


「ええ」


「どうでした」


 レオノーラは少しだけ空を見上げ、それから答えた。


「かなり良かったですわ」


「それは珍しい」


「ええ。珍しいですわね」


 馬車へ乗り込む。


 窓の外で、学院の灯りが少しずつ遠ざかる。


 特別講義。

 工房。

 素材。

 異種族。


 面倒はまだ終わらない。

 だが、今日の講義で少なくとも一つ、無駄な誤解は減った。


 それだけで、今は十分だった。


 そして、そう思えた次の瞬間には、もう次の課題が頭をもたげる。


 ――さて、工房へ必要量の確認を入れませんと。

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