第48話 やはり少し早かったかもしれませんわねと思いましたけれど、沈黙で肯定した時点で、もう誤魔化しきれないところまで来ておりますわ
やはり、少し早かったかもしれませんわね。
そう思った時には、もう遅い。
レオノーラの沈黙は、あまりにも分かりやすかった。
ほんの一瞬、視線を逸らしただけ。
それだけだったのに、教室の空気は完全に“答え合わせ”の方向へ傾いてしまっている。
「……おい」
アーネストが、さっきより低い声で言った。
「今の間、何だ」
「何のことかしら」
「誤魔化すな」
「誤魔化してはおりませんわ」
「じゃあ否定しろよ」
そこをそう真っ直ぐ来られると、少し困る。
レオノーラは小さく息を吐き、それから極めて穏やかに言った。
「全部を今ここで申し上げる気はございません」
「全部じゃなくていい!」
「では?」
「ハイエルフ王族って単語に、何でそんな反応したんだよ!」
リヒャルトが静かに額を押さえた。
「お前は本当に、まっすぐすぎるな」
「だって今のは気になるだろ!」
「気にはなります」
「だろ?」
「ですが、詰め方が雑です」
その通りである。
ありがたい。
本当にありがたい。
だが、ありがたがっている場合でもなかった。
セシリアが、かなり慎重に口を開く。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「先ほどの沈黙は……その……」
「ええ」
「否定ではありませんのよね」
そこまで丁寧に聞かれると、逆に逃げにくい。
レオノーラは少しだけ考えた。
ここで嘘をつく意味は薄い。
だが、全部を開くのも違う。
「否定はいたしませんわ」
その一言で、今度こそ周囲が完全に固まった。
「うわ」
アーネストが本音そのままに声を漏らした。
「うわ、じゃございませんわよ」
「いや、うわ、だろこれは」
「気持ちは分かります」
リヒャルトが淡々と補足する。
「かなり、うわ、ですね」
レティシアは両手を胸の前で組み、なぜか少し感動した顔になっていた。
「まあ……」
「何ですの、その反応は」
「だって」
レティシアはきらきらした目で言う。
「エルフのお友達がいて、その上ハイエルフ王族の方までお知り合いなんて、御伽話みたいですもの」
「普通の人からすると、そうでしょうね」
「普通の人からすると、ではなく、普通にそうです」
セシリアの返しが冷静でよろしい。
そして前方では、アルベルトだけが変わらず静かだった。
だが、その静けさが逆に少し怖い。
「君は」
やがて彼が口を開く。
「どこまで人外側へ知己が広いんだ」
その問いは、少しだけ可笑しかった。
人外側。
たしかに、分類としてはそうなのだろう。
「広い、というほどではございませんわ」
「基準が狂っているな」
「そうかしら」
「そうだろう」
そこへアーネストが、まだ立ち直りきらない顔で言った。
「いや待て、待てよ」
「何ですの」
「ドワーフがいて、エルフがいて、ハイエルフ王族までいるんだろ?」
「ええ」
「お前の交友関係、どうなってるんだ」
「必要に応じて広がっただけですわ」
「必要に応じて広がるもんじゃないだろ、そこ!」
たしかに、普通はそうかもしれない。
だがレオノーラとしては、別に収集癖で集めたわけでもない。
修行して、戦って、知り合って、そのまま少しずつ繋がっただけだ。
「レオノーラ様」
今度はセシリアが、少しだけ本気の声音で問う。
「一つだけ、よろしいですか」
「ええ」
「その方々は、レオノーラ様を“公爵令嬢”だから大事にしているのではありませんわよね」
良い問いだった。
かなり良い問いだった。
レオノーラは迷わず答える。
「逆ですわね」
「逆?」
「ええ。たぶん、公爵令嬢だからではなく、人間として変だからだと思いますわ」
沈黙。
それから、リヒャルトが小さく吹き出した。
「それは、かなり納得できます」
「納得なさるの?」
「ええ」
「どこがですの?」
「高位異種族が、人間の家格だけで深く交わるとは思えません」
「ええ」
「むしろ、レオノーラ様ご本人の気質や実力を面白がっていると考える方が自然です」
そこは、たしかにそうだった。
エルフも、ハイエルフも、ドワーフも、家格だけで寄ってくるような相手ではない。
むしろその逆だ。
家や肩書より、本人の在り方を測ってくる。
「それにしても」
アルベルトが静かに言う。
「ハイエルフ王族か」
「ええ」
「確認していいか」
「内容によりますわ」
「その言い方、最近ずいぶん板についてきたな」
「必要ですもの」
アルベルトはわずかに口元を動かしたが、すぐに本筋へ戻した。
「君は、その相手へオリハルコンやミスリルの融通を打診できるのか?」
ここが核心だ。
レオノーラは一拍だけ置いて答えた。
「できますわ」
教室の空気がまた少し変わる。
「ただし」
「ただしか」
「ええ。頼めば必ず通る、という意味ではございません」
「当然だな」
「友誼はございます」
「ええ」
「ですが、相手には相手の領分と事情がございますもの」
これは大事だ。
レオノーラはそのあたりを、わりと本気で区別している。
友人だから無制限に何でも頼ってよい、とは思っていない。
「つまり」
セシリアが整理するように言う。
「可能性はある。けれど、それを当然のようには扱わない」
「そうですわ」
「……少し安心しました」
「どうして?」
「もし、レオノーラ様がそうした縁を“使える手札”としてだけ話される方なら、少し怖かったかもしれません」
その言葉は、少しだけ胸に残った。
「そういうつもりはございませんわ」
レオノーラは静かに答える。
「縁は便利だから使うものではなく、壊さぬように使うものですもの」
言ったあとで、少し実務的すぎたかしら、と思った。
だが今日は、その返しが妙に重く受け取られたらしい。
アーネストが珍しく黙り、リヒャルトはわずかに目を伏せた。
レティシアはまたしても、少し感動したような顔をしている。
「……やっぱり」
レティシアが小さく言った。
「何かしら」
「レオノーラ様は、格好いいですわ」
やはりそこへ戻りますのね。
「そういう話ではございませんでしょう」
「でも、そう聞こえましたもの」
困りますわね。
本当に困りますわね。
「それで」
クラウスが、教室の入口側からいつの間にか来ていた。
そこへ自然に混ざるのはずるい。
「お姉様」
「何かしら」
「もうここまで出たなら、いっそ少し整理した方がよいのでは?」
その提案は正しかった。
中途半端に濁すと、余計な神話が盛られる。
だったら最低限の輪郭だけ置く。
「では、最低限だけ申し上げますわ」
レオノーラは紙を伏せ、周囲を見た。
「エルフの友人がおります」
「ええ」
「その縁で、ハイエルフ王族とも面識がございます」
「面識、ですの?」
セシリアが問う。
「ええ。友人と呼んでも、先方が怒らない程度には」
今度はレティシアではなく、リヒャルトが目を閉じた。
「それはもう、面識の範囲を超えていますね」
「そうかしら」
「ええ」
アーネストが、もはや笑うしかないという顔で言う。
「お前、本当に何なんだよ」
「わたくしにもよく分かりませんわ」
「そこは自覚してくれ!」
「自覚はございますわよ」
「どこまで?」
「普通の婚約候補ではない、くらいは」
そこでアルベルトが、本当に少しだけ笑った。
「だろうな」
それだけだった。
だが、その一言にはもう、前みたいな単なる面白がりは薄い。
半分くらいは事実確認だ。
「レオノーラ様」
セシリアが改めて言った。
「オリハルコンの打診は、実際になさるおつもりですか」
レオノーラは少しだけ考えた。
「今すぐではございません」
「ええ」
「まずは工房側へ、現在の在庫と必要量を正確に再確認いたします」
「ええ」
「その上で、本当に必要なら打診しますわ」
これは筋として正しい。
最初から“貰えるから足そう”ではない。
必要量を把握し、必要なら頼む。
それが順番だ。
「お姉様」
クラウスが頷く。
「その順序なら良いと思います」
「ありがとう」
「ただし」
「何かしら」
「今この場で、もう一つは言わない方がいいでしょうね」
レオノーラは一瞬だけ黙った。
もう一つ。
つまり、アダマンタイト。
たしかに、それはまだ早い。
「ええ」
「分かっておりますわ」
アーネストがそこで不穏な顔をした。
「おい」
「何ですの」
「今の“もう一つ”って何だ」
「気のせいですわ」
「絶対気のせいじゃないだろ!」
「気のせいにしておくのが賢明です」
リヒャルトの援護は本当にありがたい。
「そうだな」
アルベルトも静かに言う。
「これ以上は、一度に聞くには重い」
その言い方が少し可笑しくて、レオノーラは内心でだけ小さく息を吐いた。
重い。
その通りだ。
ドワーフ。
エルフ。
ハイエルフ王族。
オリハルコン。
ミスリル。
ここまでで、もう十分すぎるほど重い。
昼休みの終わりが近づき、教室の空気も少しずつ授業へ戻り始める。
だが戻りきる前に、レティシアがそっと聞いた。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「エルフの方々って、お綺麗ですの?」
そこですの?
思わず、レオノーラは少しだけ目を瞬いた。
「ええ」
「やはり」
「ですが、綺麗というより、完成しすぎていて少し怖いですわね」
セシリアが小さく笑う。
「その表現、少し分かる気がいたします」
「ハイエルフの方は、なおさらですわ」
「まあ……」
レティシアがうっとりしそうな顔になったので、少しだけ方向が違う気がした。
その時、始業の鐘が鳴る。
会話はそこで打ち切られた。
それでよかった。
これ以上続けると、本当に際限がない。
午後の授業中、レオノーラは表面上はいつも通り座っていた。
だが内心では、もう一つ別のことを整理していた。
工房へ必要量を確認する。
学院の特別講義の条件調整を待つ。
そして必要なら、エルフ側へ打診。
やることは増えた。
だが、もう増えること自体には慣れている。
「……面倒ですわね」
授業の切れ目に、ほんの小さく漏れた本音へ、前の席のアーネストが振り返った。
「何が?」
「全部ですわ」
「雑だな」
「正確ですわよ」
その返しに、アーネストは苦笑しただけだった。
そして放課後。
教室を出る直前、アルベルトがふと立ち止まり、レオノーラへ向き直る。
「君は」
「何ですの」
「本当に、どこまで行くつもりなんだろうな」
その問いは、珍しく確認ではなかった。
独り言に近い。
だが、確かにこちらへ向けられている。
レオノーラは少しだけ考えてから答えた。
「必要なところまで、ではなくて?」
アルベルトは数秒、何も言わなかった。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「そうだろうな」
そのまま彼は教室を出ていった。
後に残ったレオノーラは、少しだけ目を伏せる。
必要なところまで。
そう答えたのは本心だ。
だがその“必要”が、どこまで広がるのかは、自分でもまだ分からない。
剣。
学院。
婚約。
異種族。
全部が一本の線で繋がってきている。
だからこそ、順番を間違えないことが重要なのだろう。
迎えの馬車へ向かう途中、クラウスが静かに言った。
「お姉様」
「何かしら」
「今日もだいぶ増えましたね」
「ええ」
「疲れましたか」
「少しだけ」
「でも、顔は死んでいません」
レオノーラはそこで、少しだけ笑った。
「それはたぶん」
「ええ」
「工房の件が、前へ進む種類の面倒だからですわ」
クラウスも小さく頷く。
「なるほど」
「そして学院の件も、文脈次第では前へ進めます」
「ええ」
「でしたら、まだ大丈夫ですわ」
馬車へ乗り込む。
窓の外では、夕方の光が石畳へ斜めに落ちていた。
落ち着かない。
面倒が多い。
普通ではない。
だが、その全部を抱えたままでも、まだ前へは進める。
だったら、今はそれで十分だった。




