第47話 止まってはくれませんのねと思った直後に、さらに種族間外交級の素材話まで増えるのですから、本当にわたくしの人生は落ち着きませんわ
学院長室の隣にある小会議室を出た時点で、レオノーラの頭の中はすでにかなり詰まっていた。
特別講義。
条件付きで受ける。
学院の文脈に組み込まれるとしても、意味は選ぶ。
そこまでは整理できた。
できたのだが、その整理が済んだ瞬間に、別の整理事項がむくりと頭をもたげる。
――第一案の仕上げですわね。
工房で決まった新しい常用剣。
第二案の中芯試験。
第三案という危険物。
そして、第一案の素材配分。
あそこまで詰めた以上、次に必要になるのは、たぶん仕上げ工程の確認だ。
そしてその時、ふとレオノーラは思い出した。
ゴルドが、第一案の仕上げを語る際、ほんのわずかに言葉を濁した箇所があったことを。
オリハルコン。
残量。
要所補強。
「……少し、足りなかったかしら」
小さく漏れた独り言に、隣を歩いていたマグダ教員が目を向けた。
「何か言いましたか」
「いえ」
レオノーラはすぐに首を振る。
「こちらの話ですわ」
危ない。
学院の廊下で工房の素材配分を考えるのは少し危ない。
だが、考えてしまった以上、頭の中からは消えない。
教室へ戻る道すがら、レオノーラは静かに段取りを組み始めていた。
第一案は二週間。
学院の特別講義はその前後。
もし素材が不足するなら、仕上げに影響が出る。
なら、今のうちに手を打つべきだ。
問題は、その“手”が普通ではないことだった。
エルフ。
ハイエルフ。
ミスリル。
オリハルコン。
普通の人間社会では、話に出しただけで一段空気が変わる単語ばかりである。
「お姉様」
教室の前で待っていたクラウスが、姉の顔を見るなり言った。
「何か増えましたね」
「ええ」
「学院長室ですか」
「ええ」
「それ以外にも?」
鋭い。
非常に鋭い。
「どうしてそう思うのかしら」
「学院の件だけなら、もう少し不機嫌です」
「……なるほど」
「今は不機嫌というより、別件の算段をしている顔です」
弟は本当に嫌なところまでよく見ている。
「工房ですわ」
レオノーラは観念して答えた。
「やはり」
「第一案の仕上げで、少し気になることがありまして」
「素材ですか」
それを一発で当てるの、やめていただけません?
「ええ」
「オリハルコン?」
「……ええ」
クラウスはそこで、ほんの少しだけ黙った。
「お姉様」
「何かしら」
「それを学院で考え始めるのは、だいぶ危ないです」
「分かっておりますわ」
「自覚があるだけまだましですが」
教室へ戻ると、ちょうど昼休みへ入る頃で、空気は比較的ゆるんでいた。
だがレオノーラの頭の中は、学院と工房と特別講義と夜会の余波で、少しもゆるんでいない。
席へ着き、紙を一枚取り出す。
特別講義の条件。
工房への追加確認。
第一案の受領時期。
そこまで書いて、レオノーラは一度だけペンを止めた。
そして、小さく書き足す。
素材補充の可否確認
その文字を見た瞬間、前の席からアーネストが振り返った。
「また何か書いてるな」
「ええ」
「見せろよ」
「嫌ですわ」
「最近ほんと見せてくれないな」
「見せる必要がございませんもの」
リヒャルトが本を閉じながら言う。
「たぶん、見たところで理解できませんよ」
「ひどくないか?」
「事実では?」
「お前ら最近、俺への当たり強くないか?」
そのやり取りに少しだけ救われる。
いつも通りの雑音は、時にありがたい。
だが、ありがたさは長く続かなかった。
レティシアが近づいてきて、そっと尋ねる。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「先ほどから、少し難しいお顔をしておられますわ」
「そうかしら」
「ええ」
セシリアも、少し控えめに頷いた。
「学院の件だけではない感じがいたします」
この二人まで妙に勘が鋭くなっているの、少々困りますわね。
「工房のことも少し」
レオノーラはぼかして答えた。
「次の剣ですの?」
「ええ」
「まあ……」
レティシアの目がほんの少しだけ輝く。
やめてくださいまし。
その反応はたぶん、今から話す内容にあまり向いておりません。
「仕上がり時期の話かしら?」
セシリアが現実的に問う。
「それもございますけれど」
「それ以外にも?」
「素材ですわ」
その一言で、セシリアは「ああ」と理解したような顔をした。
レティシアは逆に、少しだけ首を傾げる。
「素材、ですの?」
「ええ」
「剣を作るのに、足りないものがございますの?」
レオノーラはそこで、一瞬だけ考えた。
ここでどこまで言うか。
エルフの話まで出すか。
出すなら、どう出すか。
だが、結論から言えば、隠してもあまり意味がない気がした。
いずれ必要になる。
そしてこの二人は、少なくとも勝手に面白おかしく拡散する類ではない。
「足りない、というほどではないのですけれど」
「ええ」
「少し追加できるなら、その方が仕上がりは良くなりますわ」
セシリアが頷く。
「希少素材?」
「そうなりますわね」
「たとえば?」
レティシアの問いは、相変わらずまっすぐだった。
レオノーラはそこで、さらりと言った。
「オリハルコンですとか」
昼休みの一角が、一瞬だけ静まった。
アーネストがぴたりと止まり、リヒャルトがゆっくり顔を上げる。
セシリアは目を瞬かせ、レティシアは数秒ほど完全に固まった。
「……はい?」
最初に声を出したのはアーネストだった。
「今、何て?」
「オリハルコン、と申し上げましたわ」
「いや、単語は聞こえた」
「でしたら十分ではなくて?」
「十分じゃないだろ!」
やはりそうなりますわよね。
リヒャルトが静かに額へ手を当てた。
「待ってください」
「何かしら」
「今の話は、“あれば良い”程度の比喩ですか」
「いいえ?」
「現実に必要な素材の話ですか」
「ええ」
リヒャルトが本当に一度黙った。
セシリアが、かなり慎重な声音で問う。
「……普通に手に入るものではありませんわよね」
「普通には無理でしょうね」
「ですよね?」
「ええ」
レティシアが、信じられないものを見る顔で言った。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「オリハルコンって、御伽話の金属ではございませんの?」
「普通の人からすると、そうかもしれませんわね」
「普通の人からすると?」
しまった。
言い方が少し危なかった。
だが、もう遅い。
「お前、まさか」
アーネストが目を見開く。
「手に入るのか?」
「少しなら」
その瞬間、空気が完全に止まった。
やめてくださいまし。
そんなに綺麗に止まらないでくださいまし。
「少しなら、って何だよ」
「少しは少しですわ」
「説明になってない!」
リヒャルトが低く問う。
「どこから、ですか」
そこは、さすがに外せない問いだった。
レオノーラは一度だけ息を整え、それからできるだけ平坦に言った。
「エルフの友人から融通が利くかもしれませんので」
今度こそ、教室のその一角が死んだみたいに静かになった。
「……エルフ?」
セシリアが呟く。
「ええ」
「友人?」
レティシアの声は、少し裏返っていた。
「ええ」
「融通?」
アーネストが、もはや単語しか出せていない。
「少しなら、と申しましたでしょう?」
レオノーラがそう返すと、アーネストは両手で顔を覆った。
「おい、リヒャルト」
「何です」
「俺の理解力が悪いのか?」
「いいえ」
「今の話、全部変じゃないか?」
「全面的に同意します」
セシリアが、ようやく少しだけ言葉を拾った。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「その“エルフの友人”というのは、物語的表現ではなくて?」
「いいえ」
「現実に?」
「ええ」
レティシアが、なぜかそこでほんの少しだけ嬉しそうに言った。
「まあ……やっぱりレオノーラ様の周りは、普通ではございませんのね」
そこをそんなに素直に受け入れられるの、少しすごいですわね。
だが問題は、そこではない。
前方の席から、今まで沈黙していたアルベルトが、静かに振り返った。
「エルフ、か」
来ましたわね。
「ええ」
レオノーラは観念して頷く。
「どの程度の交友だ?」
その問いは静かだったが、かなり核心だった。
どの程度。
そこをどう答えるかで、意味が大きく変わる。
少し曖昧にするか。
それとも、いっそ少しだけ先に出すか。
「普通の人間から見れば、御伽話寄りですわね」
「曖昧だな」
「ええ。そうしたいので」
アルベルトの目が、少しだけ細くなる。
「つまり、かなり深い」
「そう取られても否定はできませんわ」
アーネストが、机に突っ伏しそうな勢いで言った。
「待て待て待て」
「何ですの」
「ドワーフが出てきた時点で十分だっただろ」
「そうかしら」
「そこへエルフまで乗せるな!」
「わたくしが乗せたわけではございませんわ」
「いや、お前の人生に既に乗ってるだろ!」
そこは否定しづらい。
リヒャルトが小さくため息をついた。
「……その素材の件、他には」
「何かしら」
「ミスリルとか、そのあたりも」
レオノーラは一瞬だけ黙った。
黙ったのがよくなかった。
「あるのかよ!」
「少しならございますわ」
アーネストがとうとう天を仰いだ。
セシリアが目を閉じ、レティシアはなぜか感動している。
リヒャルトは完全に諦めた顔だ。
そしてアルベルトだけが、少し長く黙ってから言った。
「君は、本当に」
「何ですの」
「普通の婚約候補という言葉から、どんどん遠ざかるな」
それは、妙に正確な言い方だった。
レオノーラは少しだけ目を細める。
「望んでやっているわけではございませんわ」
「だが、止める気もない」
「必要なものなら、取りに行きますもの」
それが答えだった。
必要な剣。
必要な素材。
必要な順番。
それを前にして、普通らしさへ合わせて引くつもりはあまりない。
アルベルトは、その返答を聞いてほんの少しだけ笑った。
「だろうな」
それだけだった。
だがその一言の中に、少しだけ諦めと、少しだけ面白がりと、少しだけ理解が混ざっている気がした。
昼休みの終わりが近づく。
レオノーラは机上の紙へ、新しく一行書き足した。
エルフ側へ打診するか検討
「お前、今ここでそれを書くのか」
アーネストが呆れたように言う。
「忘れると困りますもの」
「いや、そうだけどさ」
「何か問題でも?」
「問題しかない」
セシリアが小さく笑い、レティシアはまだ少し夢見心地のまま頷いている。
リヒャルトは本を開き直しながら言った。
「もう驚くのをやめます」
「それが賢明ですわ」
「ですが」
「何かしら」
「次に“ハイエルフ王族とも知り合いです”と言われたら、さすがにもう一度驚きます」
レオノーラは一瞬だけ固まった。
しまった。
今の沈黙は、少し長かった。
「……おい」
アーネストが顔を上げる。
「まさか」
レオノーラは静かに視線を逸らした。
やはり、少し早かったかもしれませんわね。




