第46話 やはり止まってはくれませんのね、と呟いた時点で、だいたい次に来るのは少し急ぎで少し面倒で、しかも放っておけない類の話ですわ
……やはり、止まってはくれませんのね。
レオノーラは馬車の窓辺で小さくそう呟いた。
工房で前へ進む種類の面倒を片づけたと思えば、今度は学院から急ぎの招状である。
休ませる気がない。
まことに、休ませる気がない。
「内容は、まだ分かりませんの?」
レオノーラが問うと、従者は馬上から答えた。
「詳細までは」
「ですが、学院側の使者が“なるべく早くご確認いただきたい”と」
なるほど。
急ぎではある。
だが、今すぐ引き返せという種類ではなさそうだ。
「分かりましたわ」
「屋敷へ戻り次第、確認いたします」
「はっ」
従者が下がる。
馬車が再び動き出すと、向かいのクラウスが静かに言った。
「お姉様」
「何かしら」
「かなり良い顔をしていたところへ、水を差されましたね」
「ええ」
「否定はいたしませんわ」
せっかく工房で気分よく次の段階を整理したところだったのだ。
そこへ学院から急ぎの招状。
話の筋としては、あまりよろしくない。
「ただ」
クラウスが続ける。
「急ぎの“招状”という言い方は少し気になります」
「どういう意味?」
「呼び出しや通達ではなく、招状です」
「ええ」
「となると、叱責や処分ではなく、何かへの参加や同席を求められている可能性が高い」
それはたしかにそうだった。
学院からの文書は、語の選び方が妙に正確な時がある。
招状なら、誰かと会うか、場へ出るか、その類だろう。
「……面倒ですわね」
「ええ」
「ですが、殿下絡みか、夜会の余波か、あるいは工房の件か」
「工房の件がこんなに早く学院へ回るかしら」
「低めです」
クラウスが即答する。
「なら、実力測定と夜会の余波が本線でしょう」
やはりそこへ戻るのですわね。
屋敷へ着くころには、レオノーラの中で気分の整理はついていた。
工房の熱は好きだ。
だが、学院側の話も放ってはおけない。
ならば、順に片づけるだけである。
玄関ホールへ入ると、執事がすぐに進み出た。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りましたわ」
「学院より文書が届いております」
「ええ、伺ったわ」
「応接室にて旦那様がお待ちです」
やはり父も同席なのですね。
これは少し重めかもしれない。
応接室へ入ると、父ヴァルターがすでに封書を開いていた。
母エレオノーラもいる。
つまり家として受ける話、ということだ。
「来たか」
「はい」
「これだ」
父が差し出した文書は、学院の正式書式だった。
印章も二つ。
学院長室と、特別講義運営委員会。
嫌な予感がした。
「特別講義?」
レオノーラは思わず声に出した。
「そう書いてある」
父が低く言う。
「来週、上級生と一部新入生を対象にした合同講義があるらしい」
「合同」
「騎士科、文官科、魔導基礎の横断型だそうだ」
母が補足する。
「そして、あなたへ“実例協力”としての参加要請が来ているの」
……はい?
レオノーラは数秒ほど本当に黙った。
「何の実例ですの?」
「“高出力個体に対する統制・観察・対話”」
父が読み上げる。
「言い方が少々腹立たしいですわね」
「そこは同意する」
クラウスが後ろから静かに言った。
「高出力個体」
「ずいぶんと研究対象みたいですわ」
「ですが、文面そのものは丁寧です」
レオノーラは文書を読み進めた。
要するにこうだ。
実力測定の結果を受けて、学院内では
高い武的才能を持つ生徒を、どう教育し、どう運用し、どう周囲と接続するか
が議論になった。
そのため、上級生や一部教員志望者も交えた特別講義を設ける。
その中で、レオノーラ・アルトヴァイスを実例の一つとして扱いたい。
ただし公開断罪や査問ではなく、あくまで教育的な対話形式である。
なるほど。
なるほど……ではない。
「ずいぶんと勝手ですわね」
レオノーラが言うと、父は頷いた。
「だが、断りにくい」
「でしょうね」
「学院側の狙いは分かるか?」
父の問いに、レオノーラは文書を閉じた。
「三つほど」
「言ってみろ」
「一つ。わたくしを“特別扱いして野放しにしている”とは見せたくない」
「ええ」
「二つ。実力測定後に増えた憶測へ、学院側の公式な解釈を置きたい」
「ええ」
「三つ。上級生や周囲へ、“強い個体はただ崇拝するのではなく、理解し、管理し、対話するものだ”と示したい」
父は小さく息を吐いた。
「その通りだろうな」
母がゆっくり言う。
「要するに、あなたを教材にしたいのね」
「かなり率直に言えば、そうですわね」
嫌な話ではある。
だが、完全に不合理とも言い切れない。
「お姉様」
クラウスが問う。
「どうします?」
レオノーラは少し考えた。
断るか。
受けるか。
もし受けるなら、どの条件で受けるか。
「結論から申しますと」
レオノーラは静かに言った。
「受ける寄りですわ」
父も母も、そしてクラウスも、表情を変えないまま聞いていた。
「理由は?」
父が問う。
「断れば、“やはり扱いづらい”へ寄ります」
「ええ」
「受ければ、“少なくとも対話はできる”を学院側の公式文脈で置けます」
「ええ」
「そして、これは」
レオノーラは少しだけ間を置いた。
「婚約話にも効きますわ」
母が目を細める。
「どう効くの?」
「“強いから婚約にふさわしい”という雑な読みを、学院側が一度止められますもの」
「なるほど」
「強いことと、どう教育しどう扱うかは別問題だと、学院が先に言う」
「ええ」
「それはわたくしにとって、かなり都合がよろしいですわ」
クラウスが頷いた。
「筋は綺麗です」
「でしょう?」
「ただし」
またただしが来る。
「どういう形式で出るかは、絶対に条件を切った方がいい」
「ええ」
そこは、レオノーラも最初から同意だった。
「わたくしもそう思いますわ」
父が腕を組む。
「具体的には?」
レオノーラは指を折った。
「一つ。査問や糾弾の形式では受けない」
「当然だな」
「二つ。あくまで講義内の一例であり、わたくし一人を見世物にしない」
「ええ」
「三つ。実演を求める場合は、事前に内容を開示する」
「それもいるな」
「四つ」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
「講義の主題を、“強者の制御”ではなく、“高出力個体との対話・統制・教育”に置くこと」
父が小さく頷く。
「“危険物管理”みたいな文脈へ寄せるな、ということか」
「はい」
「かなり重要ですわ」
母が微笑む。
「よく見えているわね」
「だって、そこを誤ると、学院公認で“危険物の珍獣枠”ですもの」
「その表現は少し過激だけれど、本質的にはそうね」
結局、その夜のうちに返答方針は固まった。
参加は前向き。
ただし条件付き。
父の名で、学院へ照会を返す。
翌日。
学院へ向かう馬車の中で、レオノーラは前日ほど穏やかではなかった。
工房の余韻はまだある。
だが、その上に学院側の文脈が重なってきている。
「お姉様」
「何かしら」
「不機嫌ではありませんね」
「ええ」
「ですが、少し固いです」
「そうかしら」
「ええ。今は“どこまで利用できるか”を計算している顔です」
ひどい言われようだが、だいたい当たっている。
「学院へ着いたら、何か動きがあると思います?」
「おそらく」
クラウスが答える。
「もう文書が届いた以上、マグダ教員あたりは把握しているでしょう」
「でしょうね」
「殿下も、遅かれ早かれ知ると思います」
そこも、やはり面倒だ。
一組の教室へ入ると、空気は思ったより静かだった。
だが静かなだけに、逆に何かが来る前触れにも感じる。
そして案の定、着席してほどなく、マグダ教員が入ってきた。
「アルトヴァイス嬢」
「はい」
「放課後、少し時間を取りなさい」
やはりそうですのね。
「承知しましたわ」
そのやり取りだけで、何人かの意識がこちらへ向くのが分かった。
アーネストも、リヒャルトも、セシリアも、レティシアも。
ただし今日は、誰もすぐには聞いてこなかった。
ありがたい。
かなりありがたい。
だが昼休み、ついにアーネストが耐えきれなくなったらしい。
「なあ」
「何かしら」
「また何か増えたか?」
率直すぎますわね。
「ええ」
「やっぱり」
「ですが、まだ詳細は伏せますわ」
「そこまで言っといて?」
「そこまでしか言いたくないのですもの」
アーネストが唇を尖らせる。
そこへリヒャルトが静かに言った。
「それで十分でしょう」
「気になるだろ」
「気にはなります」
「だろ?」
「ですが、毎回お前の好奇心に付き合う必要もありません」
大変ありがたい。
本当にありがたい。
アルベルトは少し離れた席で、そのやり取りを聞いていた。
やがて、教科書を閉じるような動きのまま言う。
「学院側か?」
鋭い。
非常に鋭い。
「ええ」
レオノーラは短く答えた。
「呼び出しか」
「少し違いますわね」
「では?」
「招き、に近いですわ」
その返しに、アルベルトの目がわずかに細くなる。
「なるほど」
「何がですの?」
「また一つ、君を学院の文脈へ組み込もうとしている」
レオノーラは少しだけ息を止めた。
まったくその通りだったからだ。
「……否定できませんわね」
「だろうな」
そこまで言われると、いっそ清々しい。
「ですが」
レオノーラは少しだけ口元を引き締めた。
「組み込まれるとしても、どう組み込まれるかはこちらで選びますわ」
アルベルトは、ごく小さく笑った。
「君らしい」
「褒めておられますの?」
「少なくとも、嫌ってはいない」
そういう曖昧な返しを、どうして自然になさいますの。
少し困る。
だが今は、その困り方も前よりだいぶ穏やかだ。
放課後。
レオノーラは再びマグダ教員に伴われ、今度は応接室ではなく、学院長室の隣にある小会議室へ通された。
そこには学院長、マグダ教員、そして特別講義運営委員の教員が二名。
かなり本格的だった。
「アルトヴァイス嬢」
学院長が穏やかに言った。
「急で申し訳ありません」
「いえ」
「文書はご家族へ届いているでしょう」
「はい」
「本日は、その補足説明と条件確認です」
よろしい。
最初から条件確認に入るなら話が早い。
「では、こちらからも申し上げますわ」
レオノーラは椅子へ着く前に言った。
「参加自体は前向きに考えております」
学院長の目が少し和らぐ。
「それは助かります」
「ただし」
レオノーラは続ける。
「講義の文脈と形式には、条件がございます」
小会議室の空気が少し締まった。
ここが本番だ。
「申してみなさい」
学院長が言う。
「一つ。査問や糾弾の形式では受けません」
「当然です」
「二つ。一個人を見世物にするような構成では受けません」
「ええ」
「三つ。実演が必要なら事前開示を求めます」
「合理的ですね」
「四つ」
レオノーラは静かに学院長を見た。
「講義の主題を、“強者の危険性”ではなく、“高出力個体との対話・統制・教育”に置いていただきたいのです」
数秒、沈黙が落ちた。
それから学院長が、ゆっくり頷く。
「……よく見ていますね」
「見られる側ですもの」
レオノーラがそう返すと、マグダ教員の口元がほんの少しだけ緩んだ。
それを見て、レオノーラは少しだけ確信する。
この条件は、間違っていない。
学院はたぶん、こちらを教材にしたい。
だったら使わせる。
だが、意味は選ぶ。
それが今の最善だった。




