第45話 かなり面倒ですけれど、前へ進む種類の面倒だと分かっている時のわたくしは、たぶん少しだけ機嫌がよろしいのですわ
けれどその面倒は、たしかに前へ進む種類の面倒だった。
だからだろうか。
ドワーフ工房の食堂で、山盛りの肉と芋を前にしているというのに、レオノーラの気分は思っていたより悪くなかった。
夜会のように、見えない意味が勝手に増えていく場ではない。
学院のように、常に視線と評価が付きまとう場でもない。
ここはもっと単純だ。
良いか。
悪いか。
使えるか。
使えないか。
もちろん、その単純さの中に、鍛冶師たちなりの狂気はある。
だが少なくとも、社交辞令の裏に刃を隠すような面倒は少ない。
「お姉様」
「何かしら」
「少しだけ、楽しそうです」
向かいの席でクラウスが言う。
「そうかしら」
「ええ。夜会の時より、だいぶ」
レオノーラはスープを一口飲み、それから素直に頷いた。
「ええ。たぶん」
「どうしてです?」
「ここでは、何を問われるかが分かりやすいですもの」
クラウスは小さく納得したようだった。
「なるほど」
「怖くはございますわよ」
「ええ」
「ですが、怖さの形が明確ですわ」
そこが大きい。
曖昧な場は、それだけで疲れる。
だが工房は違う。
測るなら測る。
振るなら振る。
危ないなら危ないと、先に顔へ出る。
その率直さは、レオノーラにとってかなり助かるものだった。
「食ったか!」
離れた席からゴルドが吠える。
「おおむね」
「おおむねでは足りん!」
「足りますわ」
即答すると、周囲のドワーフが笑った。
「嬢ちゃん、食は細いのう」
「皆さまが多すぎるのです」
「これで普通じゃ!」
普通ではございませんわ。
だが、ここでその議論をしても勝てる気がしないのでやめておく。
食後、レオノーラたちは再び主工房脇の測定区画へ通された。
先ほどまで布がかかっていた台は片付けられ、代わりに見慣れぬ器具がいくつも並んでいる。
幅の違う柄。
手首の角度を見る木枠。
踏み込み位置を記す床線。
肩から腕へ革紐のようなものを這わせた、妙な測定具。
さらには、無属性強化の流れを見るためらしい魔導板まであった。
「……本格的ですわね」
「本格的じゃ」
ゴルドが胸を張る。
「お主専用へ寄せると言うたじゃろう」
「ええ」
「なら、感覚だけで打つわけにはいかん」
そこは、まったくその通りだった。
「では、順にやるぞ」
眼鏡の細工師が紙束を手に前へ出た。
「第一測定、握り幅」
「はい」
「今の剣と第一案、それぞれで確認します」
まずは柄の太さと、手の置き方から始まった。
レオノーラは今の剣の柄を握る。
その上から、細工師が手元を覗き込み、親指の位置、薬指の締まり、小指の遊びまで見ていく。
「少しだけ、小指側へ逃がしていますね」
「ええ」
「なぜです?」
「止めの時に、手首の内側へ負荷を集めすぎたくないのですわ」
「なるほど」
また紙へ何か書き込まれる。
やめてくださいまし。
その書き込みが増えるたびに、被験体感が増してまいります。
「第一案では?」
今度は試作剣の柄を握る。
「……こちらの方が、わずかに細くてもよろしいかと」
「理由は?」
「戻しが早いので、締める場所を少し遅らせたいですわ」
眼鏡の細工師の目が光る。
「良いですね」
「嬉しくない評価ですわ」
「いや、かなり重要です」
次は手首の返し。
次は肘の畳み。
次は肩の可動域。
レオノーラは木枠の前へ立たされ、腕を上げ、下げ、返し、止める。
踏み込み姿勢のまま数秒保持させられたり、軽く強化を流して筋の入り方を見られたりもした。
「お姉様」
「何かしら」
「本当に被験体ですね」
「ええ。今ならその表現を否定しませんわ」
クラウスのその一言に、工房の何人かがまた笑った。
まことに遺憾である。
「次、踏み込み時の重心移動じゃ!」
床へ引かれた線の上へ立つ。
今の剣。
第一案。
それぞれで、半歩、一歩、斜め、止め。
そのたびに、床下の魔導板が淡く光る。
「見ての通りじゃな」
ゴルドが言った。
「第一案の方が、二歩目の沈みが浅い」
「ええ」
レオノーラも頷いた。
「余計な押し込みが減っておりますわ」
「そこを詰める」
「なら、踏み込みの深さは今より少し削れますわね」
「そうじゃ」
「学院でも、だいぶ扱いやすくなります」
クラウスがすぐ拾う。
「常用型としての意味がさらに強くなりますね」
「ええ」
「単に強い剣ではなく、制御寄りへ寄る」
「そうですわ」
そこが大きい。
次は、実際に振る測定へ移った。
斬るのではなく、抜き、入れ、止めるだけ。
低い軌道。
上からの軌道。
返し。
保持。
眼鏡の細工師が、途中で何度も止める。
「今の位置、もう一度」
「ええ」
「停止の瞬間、肩ではなく背中側へ逃がしていますね」
「その方が次へ繋がりやすいですもの」
「ふむ」
「何ですの」
「第一案、刃元の粘りをほんの少しだけ増やした方がよさそうです」
ゴルドが頷く。
「やるか」
「やりましょう」
その場で設計が動いていく。
ろくでもない。
だが気持ちがいい。
必要な情報が、その場で形へ返っていく感覚は、かなり好ましいものだった。
「第一案はよろしい」
やがてゴルドが言った。
「次は第二案の中芯試験じゃ」
来ましたわね。
空気が少しだけ変わる。
第一案の測定は、言ってしまえば実務だ。
だが第二案は違う。
まだ剣になっていないものと、自分との相性を見る。
言い換えれば、可能性を覗く工程だ。
「こちらへ」
案内されたのは、先ほどの石室の隣にある小さな試験区画だった。
中央に石台。
その上へ固定された中芯材。
周囲に、細い金属線と魔導板が巡らされている。
「大げさですわね」
「安全のためです」
眼鏡の細工師が真顔で答えた。
「何が起きるか分からんのですもの」
やめてくださいまし。
その一言で不安が倍になりますわ。
「手順を説明します」
「ええ」
「まず、お嬢様にはこの中芯材へ直接触れていただきます」
「はい」
「その上で、ごく微量の無属性強化を流してもらう」
「ええ」
「こちらが通り方を記録し、反発、偏り、応答の有無を見る」
「了解ですわ」
クラウスが横から静かに問う。
「危険は?」
「現時点では大きくありません」
「現時点では?」
「完成剣でないので、素材側が返す力は弱いはずです」
はず、ですのね。
その“はず”が一番嫌なのですけれど。
「お姉様」
「何かしら」
「嫌でしたら、ここでやめられます」
クラウスの言い方はいつも通り淡々としていた。
だが中身は、ちゃんと逃げ道を置いてくれている。
「ええ」
レオノーラは一度だけ中芯材を見た。
怖い。
少しだけ。
だが、それ以上に知りたい。
「やりますわ」
ゴルドが口を開きかけ、しかし何も言わなかった。
その無言は、意外とありがたい。
レオノーラは石台の前へ立つ。
中芯材へ手を伸ばす。
触れる。
冷たい。
そして、ただの冷たさではない。
妙に、奥へ残る冷たさだ。
「そのまま」
眼鏡の細工師が言う。
「ごく微量で」
「ええ」
レオノーラは意識を落とす。
無属性強化の、ごく手前。
立ち上がりだけを、細く、薄く流す。
最初の一瞬は何もない。
次の瞬間、指先の奥で、何かがすっと通った。
「……っ」
声には出さない。
だが確かに感じた。
通る。
こちらから押したというより、通り道が先に開く感覚だ。
「出た!」
若いドワーフが叫ぶ。
魔導板に淡い線が走る。
金属線がかすかに震える。
「偏りは?」
「少ない!」
「返りは?」
「今のところ穏当!」
「穏当、ですのね」
レオノーラは目を細めたまま言う。
その表現は、穏当でなければ何が起きるのかを考えさせるので、あまり心に優しくない。
「そのまま、ほんの少しだけ増やしてください」
「ええ」
もう一段だけ流す。
すると今度は、中芯材の奥からごく微かに返ってくる感覚があった。
押し返すのではない。
寄り添うように、こちらの流れへ骨が道を作る。
「……これは」
レオノーラは息を整えながら言った。
「だいぶ、気持ちが悪いですわね」
工房が静まった。
「悪い意味で?」
ゴルドが問う。
「いえ」
レオノーラは正直に答える。
「気味が悪いくらい、通りますわ」
次の瞬間、ゴルドが獣みたいに笑った。
「やはりじゃ!」
「親方、数値も出ています!」
「これは強い!」
やめてくださいまし。
嬉しそうすぎて、こちらが少し怖くなりますわ。
「解除してよいです」
眼鏡の細工師の声に従い、レオノーラはゆっくり手を離した。
中芯材の気配が切れる。
それと同時に、体の内側に少しだけ空白ができたような感覚が残る。
「……妙ですわね」
「何がです?」
クラウスがすぐに来る。
「離した後の方が、少し違和感がございます」
「残響かもしれません」
眼鏡の細工師が真面目な顔で言う。
「もう一度だけ、今度は短くやりましょう」
「まだやるのです?」
「比較が必要です」
正しい。
だが、やはり被験体である。
もう一度、短く触れる。
流す。
今度は先ほどよりさらにはっきり通った。
「完全に馴染みますね」
「……ええ」
レオノーラもそれは認めざるを得なかった。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「第二案、完成させたら本当にまずいかもしれませんわね」
ゴルドは腕を組み、にやりと笑う。
「じゃろうな」
「そこ、否定していただけません?」
「無理じゃ」
でしょうね。
「ですが」
レオノーラは中芯材を見つめたまま言った。
「今ここで止める判断も、やはり正しかったですわ」
「うむ」
「今の段階でこんなに寄るのなら、完成した時の意味が重すぎますもの」
ゴルドはそこで、珍しくすぐには返さなかった。
やがて、静かに頷く。
「お主の言う通りじゃ」
レオノーラは少しだけ目を瞬いた。
「意外ですわね」
「何がじゃ」
「もっと押してこられるかと」
「押したい気持ちはある!」
やめてくださいまし。
「じゃが、お主の言う“意味が重い”も分かる」
ゴルドは中芯材を見た。
「良い剣は、ただ強ければよいわけではない」
「ええ」
「持ち主の戦い方と、持ち主の立場にも耐えねばならん」
その一言は、かなり深く胸へ残った。
たしかにそうだ。
剣は、ただ斬れるだけでは足りない。
自分の文脈、自分の立場、自分の戦場に合う必要がある。
「……ありがとうございます」
レオノーラがそう言うと、ゴルドは少しだけ鼻を鳴らした。
「礼は、第一案を使いこなしてからにせい」
その返しは、実に工房らしかった。
試験がひと段落し、レオノーラたちは再び主工房脇の机へ戻った。
紙束が積まれ、そこへ次々に記録が重なっていく。
第一案は仕上げへ進む。
第二案は中芯と設計を凍結保存。
第三案は極秘案として寝かせる。
形が、かなりはっきりしてきた。
「仕上がりは?」
レオノーラが問う。
眼鏡の細工師が答える。
「第一案だけなら、そう長くはかかりません」
「次の休みまでには?」
「そこまで早いと雑になります」
それはよろしくない。
「では?」
「二週間」
「思ったより早いですわね」
「今回、骨格はすでに見えているので」
なるほど。
実測で詰める部分が多い分、方向性はもう固まっているということか。
「第二案は?」
「中芯を安定処理して寝かせる」
「ええ」
「そこから先は、お嬢様が本当に要ると決めた時です」
それでよい。
レオノーラははっきりそう思った。
「お姉様」
クラウスが低く言う。
「何かしら」
「顔がだいぶ満足そうです」
「そうかしら」
「ええ」
レオノーラは少しだけ考えてから、素直に認めた。
「……ええ。たぶん」
「理由は?」
「ようやく、“今の剣の次”が、夢物語ではなく手順になりましたもの」
それはかなり大きかった。
ただ強くなるのではない。
必要な意味を持つ剣を、必要な順で進めていく。
その形が見えた。
それが、妙に嬉しい。
帰り際、ゴルドが門前まで出てきた。
「嬢ちゃん」
「何ですの」
「第一案は、きっちり仕上げる」
「ええ」
「学院でも夜会でも、雑には見せるな」
「心得ておりますわ」
「そして」
ゴルドがにやりと笑う。
「第二案が要る時は、要る時じゃ」
レオノーラはその言葉を、少しだけ重く受け取った。
要る時。
つまり、本当に実戦が必要になる時。
対大型種か、重装か、それに類する何かか。
「その時が来ない方がよろしいのですけれど」
「うむ」
「ですが、来たなら備えは欲しい」
「うむ」
「だから寝かせておくのですわね」
「そうじゃ」
その会話で、すべてが収まった気がした。
工房を離れ、馬車へ戻る。
窓の外では、煙がゆっくりと流れていた。
鉄の匂いも、まだ服に少し残っている。
「お姉様」
「何かしら」
「今日は、かなり良い日でしたね」
クラウスが言う。
レオノーラは窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。
「ええ」
「工房が楽しかったですか」
「かなり」
「それは何よりです」
「ええ」
そして、少しだけ間を置いてから続ける。
「ですが」
「何でしょう」
「帰ったらたぶん、また学院と殿下の文脈へ戻るのですわね」
クラウスが苦笑する。
「ええ。残念ながら」
「でしょうね」
その答えに、レオノーラも少しだけ笑った。
前へ進む種類の面倒は、確かに進んだ。
だが自分の世界は、それだけでできてはいない。
学院。
夜会。
婚約。
剣。
全部が少しずつ動いている。
だからこそ、止まらずに整理し続けるしかないのだろう。
そしてその帰路の途中、アルトヴァイス家の従者が前の馬から戻ってきて、馬車の窓越しに告げた。
「お嬢様」
「何かしら」
「屋敷から早馬が来ております」
レオノーラは目を細めた。
「内容は?」
「学院より、お嬢様宛てに急ぎの招状が届いたとのことです」
……やはり、止まってはくれませんのね。




