第44話 昼飯の前にもう一つだけ見せるものが増えたと言われた時点で、その“もう一つ”が全然軽くないことくらい分かっておりますわ
やはり、ろくでもなくも魅力的な何かは、まだ終わっていなかった。
「嬢ちゃん」
「ええ」
「先に言っておくが、これはまだ完成ではない」
「完成でないものが増える時点で、だいぶ不安ですわね」
ゴルドは真顔のまま頷いた。
「不安で正しい」
やめてくださいまし。
そこはせめて安心させる方向へ努めてくださいまし。
だが、工房の空気はもう完全に切り替わっていた。
先ほどまでの“面白い試作剣を見せる場”ではない。
もっと実務的で、もっと厄介な種類の熱が走っている。
眼鏡の細工師が紙束を脇へ置き、こちらへ向き直る。
「本来なら、これはもう少し後で見せる予定でした」
「ええ」
「ですが、反応が出た以上、先に共有した方がいい」
「何の反応ですの?」
若いドワーフが息を整えながら答えた。
「竜骨材です」
「それは先ほど伺いましたわ」
「普通の竜骨じゃないんです」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
普通ではない。
その言い回しは、だいたい面倒の前触れである。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「分かるように順番を立ててお話しくださる?」
「うむ。もっともじゃ」
よかった。
少なくとも今は、話が通じる状態らしい。
「まず前提じゃ」
ゴルドは腕を組んだ。
「嬢ちゃんの今の剣にも竜骨材は入っておる」
「ええ」
「じゃが、それは“素材”としての竜骨じゃ」
「つまり?」
「形質として安定しておる。加工材として扱える範囲のものじゃ」
そこへ眼鏡の細工師が続ける。
「今回、第二案の中芯試験用に持ち出したのは、もう少し深い部位の骨材です」
「深い部位?」
「脊柱に近い基幹材、とでも言えばよいでしょうか」
あまりよろしくない響きですわね。
「それの何が問題なの?」
クラウスが代わりに問うた。
「問題というより、性質です」
眼鏡の細工師が答える。
「竜骨には、素材として死んでいる部分と、妙に“癖”が残る部分がある」
「癖」
「ええ。魔力の通り方、圧への反応、熱を入れた時の返り」
レオノーラはそこで少しだけ理解した。
「……まるで、生きているみたいな言い方ですわね」
「完全に生きているわけではない」
ゴルドが言う。
「じゃが、死に切ってもおらん」
工房が静かだった。
火の音だけが遠くで鳴っている。
「それは」
レオノーラはゆっくり言葉を選ぶ。
「呪いの類ではないのですわね?」
「違う」
ゴルドは即答した。
「少なくとも、そういう下卑た話ではない」
その言い方なら信用できる。
この親方は、怪しいものを怪しいまま隠すような顔はしていない。
「では?」
「相性じゃ」
その一言に、レオノーラは黙った。
「竜骨材は、誰が持っても同じように馴染むわけではない」
眼鏡の細工師が言う。
「流し込む魔力、握りの癖、止め方、圧の逃がし方」
「ええ」
「条件が噛み合うと、骨材の側が応答する」
それが、先ほどの“反応”ということか。
「誰に対して?」
レオノーラが問う。
ゴルドが、にやりとも笑わずに答えた。
「お主にじゃ」
静かに、心臓が一つ跳ねた。
やめてくださいまし。
そういう“選ばれし者”みたいな響きは本当にやめてくださいまし。
「違いますわよね?」
思わず確認する。
「何がじゃ」
「“竜骨に選ばれた剣聖令嬢”みたいな、そういう物語にしたいわけではないのですわよね?」
工房の空気が、一瞬だけ止まり、それから何人かのドワーフが噴き出した。
「誰もそんな話しとらん!」
ゴルドが吠える。
「よかったですわ……」
「嬢ちゃん、どこまで周りに面倒な意味を盛られてきたんじゃ」
「かなりですわ」
クラウスが横で小さく頷く。
「その警戒は妥当です」
「うむ、そこは分かった」
ゴルドが咳払いした。
「で、話を戻すぞ」
「ええ」
「相性というのは、要するに“お主の使い方に素材が追随しやすい”ということじゃ」
「わたくしの側が素材へ合わせるのではなく?」
「それも必要じゃ。じゃが今回は逆向きの反応が出た」
眼鏡の細工師が補足する。
「試験台で仮組みしていた中芯へ、嬢ちゃんの今の剣から採った魔力残滓と、動作記録を合わせた」
「動作記録?」
「打ち込み痕、停止痕、手元圧の分布です」
なるほど。
完全に鍛冶屋の実測ですわね。
「すると、骨材の通りが明らかに変わった」
「ええ」
「つまり第二案の中芯候補は、嬢ちゃん用にかなり“育つ”可能性がある」
レオノーラは黙って聞いていたが、頭の中では一つの疑問がすでに立っていた。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「それ、かなり危ない話ではなくて?」
「ほう」
「わたくし専用に寄る、ということは」
「ええ」
「他者には扱いづらくなる可能性が高いのでは?」
ゴルドが、そこでようやく満足そうに笑った。
「そこに気づくのが早い」
「気づきますわよ」
「その通りじゃ」
やはり。
「第二案の骨材は、汎用性を捨てる代わりに、お主の癖へ深く馴染むかもしれん」
「かもしれん、ですのね」
「まだ確定ではない。だから見せる」
レオノーラは少しだけ視線を落とした。
魅力的だ。
非常に魅力的。
だが同時に、意味も重い。
自分専用の実戦剣が、素材段階からこちらへ馴染み始めている。
それは強い。
だが、外へ出した時の意味も強すぎる。
「見せる、とは?」
「来い」
ゴルドが踵を返す。
「工房の奥じゃ」
案内された先は、主工房のさらに裏手にある、少し温度の低い石室だった。
炉の熱が届ききらない代わりに、金属とも木材とも違う匂いがある。
中央の石台に、細長い骨材が固定されていた。
一見すれば、ただの加工済み中芯材料だ。
だが近づくと、妙な圧を感じる。
「……これですの?」
「うむ」
「見た目は普通ですわね」
「見た目は、な」
ゴルドが顎で示す。
「嬢ちゃん、手を近づけてみい」
「触れても?」
「まだ触るな」
そこは慎重で結構ですわ。
レオノーラは石台へ歩み寄り、そっと手をかざした。
何も起きない。
ように見えた。
だが、一呼吸遅れて、指先のあたりへ微かなざわつきが走る。
無属性強化を使う時の、ごく手前。
体の内側で魔力が立ち上がる前の感覚に似ていた。
「……あら」
「出たな」
ゴルドが言う。
「今のかしら」
「うむ。これまで他の者には、そこまで明確に出とらん」
クラウスがレオノーラの隣へ来る。
「僕でもいいですか」
「構わん」
クラウスも同じように手をかざす。
数秒。
何もない。
「……僕には分かりませんね」
「そうじゃろうな」
「お姉様には何かありましたか」
「微かに、ですけれど」
レオノーラは指先を見つめた。
「通り道が先にできる感じがいたしましたわ」
眼鏡の細工師が嬉しそうに紙へ何かを書き込む。
「表現が正確です」
「嬉しくない評価ですわね」
「最高に嬉しい評価じゃ」
やめてくださいまし。
「ゴルド殿」
「何じゃ」
「この反応を、どう使うおつもりですの?」
「第二案の中芯を、お主にだけ合わせて詰める」
「ええ」
「じゃが、その前に確認が必要じゃ」
「何の?」
「お主が、どこまで“専用”を許容するかじゃ」
その問いは重かった。
とても重かった。
第一案は常用型。
今の剣の延長であり、表向きにも扱いやすい。
だが第二案は違う。
完成させれば、かなり深く自分専用へ寄る可能性がある。
「専用、ですのね」
「うむ」
「それはつまり、替えが効きにくいということでもありますわよ」
「そうじゃ」
「他者に貸せない」
「そうじゃ」
「汎用兵装ではなくなる」
「そうじゃ」
ゴルドは一つひとつ、迷いなく頷いた。
「じゃが、お主が本気で対大型種や重装を割りに行く時、そこまで寄せた方が強い」
「でしょうね」
レオノーラは素直に認めた。
強い。
たぶん、かなり強い。
だが同時に、それは“公爵令嬢の持つ剣”としてはさらに理解しづらい代物になるだろう。
だからこそ、今ここで完成させないと決めた判断は、やはり間違っていなかった。
「結論は変わりませんわ」
レオノーラは静かに言った。
「第一案を本命に」
「ええ」
「第二案は、設計と中芯試験まで」
「ええ」
「ただし」
ゴルドが少しだけ目を細める。
「何じゃ」
「今の反応試験は、最後まで取りましょう」
工房の空気が、少しだけ動いた。
「お姉様」
クラウスが言う。
「そこは進めるのですね」
「ええ」
レオノーラは中芯材から目を離さずに答えた。
「今、完成させる気はございません」
「うむ」
「ですが、“どこまで寄るか”を知らずに保留するのは気持ちが悪いですもの」
ゴルドが腹の底から笑った。
「よい!」
その反応は少し悔しいが、こちらも本心だ。
「じゃあ決まりじゃ」
眼鏡の細工師が紙束を抱え直す。
「昼飯の後、第一案の実測」
「ええ」
「そのあと、第二案の中芯反応試験を追加する」
「追加、ですのね」
「ええ。これは思ったより価値がある」
そしてゴルドが、妙に楽しそうな顔で付け加えた。
「第三案は、時間が余ったら少しだけ振らせてやる」
「余らせませんわ」
「はっはっは!」
クラウスが横で静かに言う。
「お姉様」
「何かしら」
「今の返し、だいぶ本気でしたね」
「当然ですわ」
「第三案、そんなに危ないですか」
「危ないというより」
レオノーラは少しだけ視線を上げた。
「わたくしが気に入りそうで危ないのです」
その瞬間、工房中のドワーフが、なぜか一斉に満足そうな顔をした。
やめてくださいまし。
その空気は本当によろしくありませんわ。
「よし!」
ゴルドが大きく手を打った。
「では昼飯じゃ!」
「切り替えが早いですわね」
「腹が減ると、まともな鍛冶も判断もできん!」
それはたしかに正しい。
食堂めいた広間へ通されると、無骨な長机に、信じられない量の料理が並んでいた。
肉。
芋。
濃いスープ。
焼いたパン。
漬物のような何か。
「……多くありません?」
「普通じゃ」
普通ではございませんわ。
だが、工房の連中にとっては本当に普通なのだろう。
働く体の量が違う。
席につきながら、クラウスが小さく言った。
「お姉様」
「何かしら」
「さっきの中芯材の件ですが」
「ええ」
「かなり踏み込みましたね」
「ええ」
「怖くはありませんか」
レオノーラは少しだけ考えた。
「怖いですわよ」
「ええ」
「でも、だからこそ中途半端に離れたくないのです」
クラウスは何も言わず、続きを待つ。
「自分専用へ寄る剣、というのは」
「ええ」
「強さだけでなく、覚悟まで問われますもの」
それは、かなり本音だった。
ただ便利な道具ではなくなる。
自分の癖も、戦い方も、優先順位も、剣へ刻まれることになる。
それは少し怖い。
だが同時に、たぶん嫌ではない。
「……お姉様らしいですね」
クラウスは小さくそう言った。
「そうかしら」
「ええ。怖いからやめるのではなく、怖いから最後まで把握したい、の方です」
それは否定しにくかった。
そこへ、少し離れた席でゴルドが大声を上げる。
「食ったらすぐ動くぞ!」
やはりこの工房、休ませる気がございませんわね。
だが、レオノーラはスープを口に運びながら、少しだけ口元を緩めていた。
今の自分は、学院でも夜会でもなく、火と鉄の真ん中で、次の剣の可能性を測っている。
面倒だ。
かなり面倒だ。
けれどその面倒は、たしかに前へ進む種類の面倒だった。




