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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第40話 来る場所を間違えておりませんこと、と本気で思いましたけれど、あのドワーフたちはたぶん場所より目的を優先するのでしょうね

 ……来る場所を間違えておりませんこと?


 レオノーラは夜会会場の中央で、心の底からそう思った。


 ざわめきが一段深くなる。

 貴族たちの視線が、一斉に入口へ流れる。

 弦楽は続いているのに、空気だけが妙に止まったようだった。


 そして、その中心にいるのは、どう見てもこの場へ自然に溶け込む気のない老ドワーフである。


 小柄。

 立派な髭。

 鋭い目。

 分厚い手。

 そして、場違いを場違いと思っていない堂々たる立ち姿。


 ゴルド・バルガン。


 間違いない。

 市井の噂と、父から聞いた特徴が一致しすぎている。


「……お知り合いですの?」


 セシリアが小さく問う。


「ええ」


 レオノーラは低く答えた。


「知り合いどころではございませんわね」


 アーネストが思わず吹き出しそうな顔をしている。

 やめてくださいまし。

 今はたぶん、面白がる場面ではございません。


「おい」


「何ですの」


「あれ、もしかして」


「ええ」


「ドワーフ?」


「ええ」


「本物?」


「たぶん一番困る種類の本物ですわ」


 リヒャルトが静かに額を押さえた。


「夜会に現れる相手ではないですね」


「まったくもってその通りですわ」


 だが、そう言っている間にも、ゴルドは周囲の貴族たちの視線など意に介さず、ずんずんとこちらへ歩いてくる。


 まずい。


 非常にまずい。


 なぜなら、ここで名前を大声で呼ばれた時点で、

 “レオノーラ・アルトヴァイスとドワーフ鍛冶師が深く繋がっている”

 という新しい情報が、夜会の参加者全員へ配布されてしまうからだ。


 これはかなり面倒である。


「レオノーラ嬢!」


 やめてくださいまし。


「ここにおったか!」


 やめてくださいまし、その確認方法も。


 レオノーラは一瞬だけ目を閉じ、それから静かに前へ出た。


「ごきげんよう、ゴルド殿」


 最低限の社交用微笑を浮かべる。

 だが内心はかなり真顔だった。


「ずいぶんと、思い切ったご登場ですわね」


「うむ!」


 ゴルドは豪快に頷く。


「案内の者に“ここだ”と言われたので来た!」


 案内した方、あとで少し話を聞かせていただけませんこと?


 レオノーラはそう思ったが、もちろん口には出さない。


「本日は、どういったご用件で?」


 ここは重要だ。

 先にこちらが用件を絞らせる。


 ゴルドは胸を張った。


「剣じゃ!」


 やめてくださいまし。


「お主の次の剣の話に決まっておろう!」


 やめてくださいまし、その言い方も。


 会場の空気が、今度こそはっきりと揺れた。


 次の剣。

 それはつまり、今の大剣がまだ過程であり、さらに先があるという意味に取られる。


 非常によろしくない。


 だが、ここで慌てるのは悪手だ。


「ゴルド殿」


 レオノーラは声量を変えずに言った。


「本日は夜会ですわ」


「うむ」


「剣の詳細をここでなさるのは、少々場にそぐわないかと」


 まずは場のルールへ引き戻す。

 これが一つ。


 ゴルドは腕を組み、少しだけ考えた。


「ふむ」


「ええ」


「つまり、ここでは詳しく言うなということか?」


「そう受け取ってくださると助かりますわ」


 よし。

 通じた。


 意外と通じた。


 その瞬間、背後からアルベルトが一歩前へ出た。


「そちらが、バルガン殿か」


 ゴルドがアルベルトを見る。

 目が細くなる。


「おお。噂の皇太子殿下か」


 やめてくださいまし。

 その“噂の”は、今この場であまり広げないでくださいまし。


「初めまして。アルベルトだ」


「ゴルド・バルガンじゃ」


 この二人、妙に落ち着いておられますわね。


 レオノーラは内心で少し頭痛を覚えた。

 だが同時に、アルベルトが前へ出たことで、場の空気が“困惑”から“正式な応接”へ少し寄ったのも感じていた。


 助かる。

 少しだけ。


「バルガン殿」


 アルベルトは静かに言う。


「今宵は晩餐会の場だ。用件が急ぎでなければ、詳細は別の機会の方がよいだろう」


 非常に正しい。

 非常に助かる。


「ふむ」


 ゴルドは髭を撫でた。


「急ぎではあるが、今すぐでなければならんほどではない」


 急ぎではあるのですわね。


 そこはあとで聞かせていただきますわね。


「でしたら」


 レオノーラはすかさず言った。


「後日、正式にお時間を取りましょう」


「うむ!」


 ゴルドはまた大きく頷いた。


「そのつもりで来た!」


 そのつもりで来る場所がなぜ夜会なのですの。


 レオノーラはそう思ったが、これ以上は言わない。


「ですが、一つだけ伝えておくぞ」


 ゴルドがずいと身を乗り出す。


 やめてくださいまし。

 “ 一つだけ ”が一番危険なのですわ。


「何でしょう」


「今の剣は、もう次へ上げられる」


 会場の空気が、またわずかに張る。


 だが今度は、レオノーラは即座に返した。


「それは、工房で伺いますわ」


「うむ!」


「そして、ここではそれ以上は申されませぬよう」


「心得た!」


 本当に心得ておられます?


 少し不安だが、今は止まっただけで十分だった。


 そこへ、父ヴァルターがようやくこちらへ来た。

 少し遅れたのは、周囲への最低限の断りを入れていたからだろう。


「ゴルド殿」


「おお、公爵」


「ご無沙汰しております」


 父は完璧な貴族の顔で応じる。

 内心はたぶんそうでもない。


「本日は娘に用件があって来られたとのこと」


「うむ」


「でしたら、後日あらためて場を設けましょう」


「話が早いな!」


 父がにこやかに答える。


「今宵は晩餐会ですので」


「うむ、分かっとる!」


 分かっておられるなら、本当にありがたいのですけれど。


 だが結果として、話はそこできれいに畳まれた。


 ゴルドは最後にレオノーラを見て、にやりと笑う。


「楽しみにしておれ」


「ええ」


「今の剣でも十分おかしいが、次はもっと良くなるぞ」


 やめてくださいまし。


「工房で伺いますわ」


 レオノーラは三度目になる同じ返しを、穏やかに置いた。


 重要なのは、夜会で意味を増やさせないことだ。

 今はそれでいい。


 ゴルドが去っていくと、会場のざわめきはじわじわと戻った。

 だが、当然ながら何事もなかったことにはならない。


 視線が増えた。

 明らかに増えた。


「……すごいな」


 アーネストが呆れ半分、感心半分で言う。


「何がですの」


「夜会のど真ん中にドワーフ鍛冶師を呼び込む令嬢なんて初めて見た」


「呼んでおりませんわ」


「そこは信じる」


 リヒャルトが低く言った。


「ですが、結果としてはかなり強烈です」


「でしょうね」


 レオノーラは即答した。


「今夜の“意味を固定させない”方針、だいぶ揺らぎましたわ」


「いや」


 不意にアルベルトが言った。


「そうでもない」


 レオノーラはそちらを見る。


「どういう意味ですの?」


「たしかに目立った」


「ええ」


「だが、君はその場で“剣の詳細を夜会へ持ち込まない”と線を引いた」


 アルベルトは静かに続ける。


「つまり残った印象は、“ドワーフと繋がる令嬢”であっても、“それを場に合わせて制御する令嬢”でもある」


 ……なるほど。


 たしかにそうかもしれない。


 完全な事故ではあった。

 だが、収め方次第で意味は少し変えられる。


「殿下」


「何だ」


「こういう時だけ、本当に整理が速いですわね」


「君も速いだろう」


「わたくしは当事者ですもの。少し削れますわ」


「だろうな」


 その短いやり取りだけで、妙に肩の力が抜けた。


 そこへレティシアが、おそるおそる近づいてきた。


「レオノーラ様」


「何かしら」


「今の方が、例の……?」


「ええ」


「ドワーフですわ」


「本当に?」


 その反応は実にレティシアらしかった。

 怖がるより先に、素直に驚く。


「本当に、ですわ」


「まあ……」


 レティシアは目を丸くしたまま、少しだけ笑う。


「やっぱりレオノーラ様の周りは、普通ではございませんのね」


 それを今ここで言われるのは、少々不本意だが、否定もしづらい。


「できれば普通でいたいのですけれど」


「でも、先ほどの対応はとても落ち着いていらっしゃいましたわ」


「そうかしら」


「ええ」


 セシリアも小さく頷く。


「慌てずに線を引いておられましたもの」


 そこは少し嬉しかった。

 学院でも夜会でも、結局評価されるのはそこらしい。


「……ありがとうございます」


 レオノーラがそう返した時、ふと気づく。


 今の一件で、会場の見方はまた少し変わった。


 単に“皇太子と踊った令嬢”ではない。

 単に“学院で強かった令嬢”でもない。


 そこへ、

 ドワーフ鍛冶師と深く関わりながら、それを社交の場で無秩序に広げない令嬢

 という、さらに面倒な輪郭が追加されたのだ。


 ……面倒ですわね。


 だが、悪いばかりでもない。


 少なくとも、“普通の婚約候補”からはまた一歩遠ざかった。


「お姉様なら、こういう時どうするかしら」


 また、ぽつりと心の中で呟く。


 前世の自分ならどうする。

 たぶんこうだ。


 事故は起きる。重要なのは、事故の意味をどこで止めるか。


 その考えが浮かんだ瞬間、レオノーラは少しだけ落ち着いた。


 そうだ。

 完全に防げないなら、収めればいい。

 今夜も結局、それだけだ。


「レオノーラ嬢」


 今度は父が低く声をかける。


「何でしょう、お父様」


「このあと数組ほど挨拶が来る」


「でしょうね」


「今の件で余計に増えた」


「でしょうね」


「対応できるか」


 レオノーラはほんの一瞬だけ考え、それから頷いた。


「ええ」


「何を言う」


「学院で求められたことに応えただけ」


「ええ」


「剣の話は工房で伺うだけ」


「ええ」


「そして、夜会では夜会の礼を尽くす」


 父は小さく頷いた。


「それでいい」


 そこからしばらく、予想通り挨拶の波が来た。


 ドワーフとの関係を直接聞いてくる者。

 学院の測定と結びつけてくる者。

 皇太子との一曲目を遠回しに探る者。


 だが、レオノーラは同じ温度で返した。


 学院では学院のことを。

 工房のことは工房のことを。

 婚約の話は軽々しくしないことを。


 繰り返す。

 繰り返す。

 少しずつ、同じ輪郭を残す。


 夜会の終盤に差しかかるころには、さすがに疲れていた。

 武芸棟とは違う意味で、ひどく神経を使う。


「顔色が少し落ちましたわね」


 セシリアが小さく言う。


「ええ。言葉は剣より軽いはずなのに、妙に削れますわ」


「分かる気がします」


「そうですの?」


「ええ。切れ味が見えない分だけ、疲れますもの」


 その表現は少し面白くて、レオノーラはほんの少しだけ笑った。


「たしかに」


「でも」


 セシリアは柔らかく言う。


「今夜のレオノーラ様、とてもお上手でしたわ」


「そうかしら」


「ええ。誰にも流されていないのに、誰も無下にはしていませんでしたもの」


 それは、かなり嬉しい評価だった。


 なぜなら、まさにそれをやろうとしていたからだ。


 帰りの馬車に乗り込んだ時、レオノーラはさすがに深く息を吐いた。


「……終わりましたわね」


 向かいに座るクラウスが、すぐに姉の顔を見た。


「かなり削れていますね」


「ええ」


「でも、崩れてはいない」


「そのつもりですわ」


 クラウスは小さく頷く。


「勝ちましたか」


 レオノーラは窓の外の夜景を少しだけ見て、それから答えた。


「勝ち、というより」


「ええ」


「負けませんでしたわね」


 それが一番正確だった。


 武芸棟のような明快な一撃ではない。

 だが、夜会という流動的な場で、自分の輪郭を崩されなかった。


 それだけで十分に近い。


「では」


 クラウスが静かに言う。


「次は工房ですか」


 レオノーラはそこで、ようやくほんの少しだけ笑った。


「ええ」


「今度こそ、ゴルドたちの番ですわね」


 夜会のざわめきの向こうで、ようやく次の盤面が見えた気がした。

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