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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第39話 剣を持たぬ戦いだとしても、整えるべきものが言葉と距離に変わるだけで、やること自体はあまり変わりませんわ

 それは、剣を持たぬ戦いの宣言でもあった。


 夜会当日。


 レオノーラは鏡の前に立ちながら、静かにそう思っていた。


 背に大剣はない。

 代わりにあるのは、夜会用の正装と、整えられた髪と、装飾を抑えた宝飾品だけだ。


 軽い。


 物理的には、ずいぶん軽い。


 だがその分、別種の面倒が増している気がする。


「お嬢様、本当にこちらでよろしいのですか」


 侍女が少し不安そうに問う。


「何がかしら」


「もう少し華やかな意匠の方が、夜会らしくは……」


 レオノーラは鏡越しに自分を見る。


 選んだのは、深い紺を基調とした、線の美しいドレスだった。

 豪奢すぎず、だが格は落ちない。

 肩や胸元の飾りも控えめで、動きやすい。


「これで結構ですわ」


「かしこまりました」


「目立つために行くのではございませんもの」


 侍女は一礼して下がった。


 それでいい。


 今日必要なのは、華やかさではない。

 雑に扱えない輪郭である。


 しばらくして、母エレオノーラが部屋へ入ってきた。

 一目見て、口元をやわらげる。


「いいわね」


「そうかしら」


「ええ。よく似合っているわ」


 母はレオノーラの周囲をゆっくり見て、それから頷いた。


「飾りすぎていないのがいいわ」


「そうでしょう?」


「ええ。今日のあなたは、“見せる”より“外さない”方が大事ですもの」


 その言い方は、かなりしっくり来た。


「お母様」


「何かしら」


「夜会で一番気をつけるべきことは何ですの?」


 母は少しだけ考えてから答えた。


「一つに絞るなら、“先に意味を決められないこと”ね」


「意味、ですの?」


「ええ」


 母はゆっくりと言葉を置く。


「誰と話した」


「誰に微笑んだ」


「誰と踊った」


「何を断った」


「何を曖昧にした」


「夜会では、その全部に勝手に意味がつくわ」


 レオノーラは静かに頷いた。


 武芸棟なら、動きに意味がついた。

 夜会では、沈黙にすら意味がつく。


「だから、意味を作らせる前に、こちらの温度を置くの」


「温度差、ですわね」


「ええ」


 母は微笑んだ。


「その顔なら、大丈夫そうね」


 出発の時間が近づき、玄関ホールへ降りると、父ヴァルターとクラウスがすでに待っていた。


 父は娘の姿を見るなり、ほんの少しだけ安堵したようだった。


「派手すぎないな」


「そのつもりですわ」


「よし」


 父は短く頷く。


「今日の目標は覚えているな」


「ええ」


「勝とうとしすぎず、負けないこと」


「その上で、雑に処理できないと思わせること」


 クラウスが補足する。


「お姉様」


「何かしら」


「踊る相手は選んでください」


「当然ですわ」


「殿下が最初に来る可能性は高いです」


「でしょうね」


「その時点で断るのは悪手です」


「ええ」


「ですが、連続で受けすぎるのも悪手です」


 そこもよく分かる。


 断ると角が立つ。

 受けすぎると意味が固定される。


 まったく、剣よりよほど面倒だ。


「分かっておりますわ」


 レオノーラがそう答えると、クラウスは少しだけ目を細めた。


「今のお姉様なら、たぶん大丈夫です」


 馬車は静かに皇都中央貴族会館へ向かった。


 石造りの壮麗な建物が見えてくる。

 灯りは暖かく、門前にはすでに多くの馬車が並んでいる。


 着きましたのね。


 レオノーラは小さく息を吐いた。


 怖い。

 面倒だ。

 帰りたい。


 その全部を抱えたまま、だが足は止めない。


 会館へ入ると、まず音が広がった。


 弦楽の柔らかな調べ。

 低く抑えたざわめき。

 靴音。

 グラスの触れ合う音。


 そして視線。


 やはり、来ますのね。


 だが、武芸棟のような露骨さはない。

 ちらり。

 ひそやかに。

 だが確実に、“あれが”という気配が走っていく。


「アルトヴァイス公爵閣下」


「夫人」


 学院関係者と父母が挨拶を交わす間、レオノーラは一歩だけ後ろに控えた。

 前へ出すぎず、引きすぎず。

 まずはここだ。


 ほどなくして、何人かの貴族が挨拶に来た。


 年配の伯爵夫人。

 子息を学院へ入れている侯爵家。

 水面下で噂を集めていそうな顔ぶれである。


「レオノーラ様、学院では大変ご活躍だと伺っておりますわ」


 来ましたわね。


 初手からそれですのね。


 レオノーラは柔らかく微笑む。


「学院で求められたことに応えているだけですわ」


 打ち合わせ通り。

 余計な熱を乗せない。


「まあ、ご謙遜を」


「いえ、本当に」


 そこで父が自然に会話を引き取った。


「まだ入学したばかりですので、本人も手探りのようです」


 助かる。


 こういう時、父が前へ出てくれるのは本当にありがたい。


 しばらくして、挨拶の波が一度引いた。


 レオノーラは壁際に近い位置を取る。

 中央へ出すぎない。

 だが隠れすぎない。


「良い位置ですわね」


 聞き慣れた声に振り向くと、フローレンス侯爵夫人がいた。


「ごきげんよう、侯爵夫人」


「ごきげんよう、レオノーラ様」


「レティシア様もご一緒かしら」


「ええ、今は別の方へ捕まっておりますけれど」


 侯爵夫人は少しだけ楽しそうに言った。


「あなたが来ていると知って、だいぶ嬉しがっていたわ」


 それは少し困るが、悪くもない。


「本日は、お気遣いありがとうございます」


「いえ」


 侯爵夫人はレオノーラの装いを見て、満足そうに頷いた。


「とてもよくお似合いよ」


「ありがとうございます」


「そして、とても賢い選び方だわ」


「そうですの?」


「ええ。誰かの飾りとしては見えないもの」


 その言葉は、少しだけ胸に残った。


 誰かの飾りとしては見えない。

 まさに、それが欲しかった。


 侯爵夫人が去ったあと、レオノーラは改めて会場を見渡した。


 人の流れ。

 会話の輪。

 視線の交差。


 そして、その中央より少し奥。


 アルベルトがいた。


 正装の皇太子は、学院内にいる時よりさらに視線を集めている。

 当然だ。

 だが本人は、その重みを当たり前のように受けて立っている。


 その隣にはアーネストとリヒャルトもいた。

 やはり来ておられますのね。


 アルベルトは一度だけ、こちらへ視線を向けた。

 すぐに外す。

 だが、それだけで十分だった。


 来る。

 たぶん、そう遠くないうちに。


 音楽が切り替わった。


 最初の舞踏が始まる合図である。


 会場の空気が、また少し変わる。

 立ち位置が揺れ、視線が流れ、人々が誰と踊るかを探り始める。


 そして案の定というべきか、アルベルトがこちらへ歩いてきた。


 やはりそうですのね。


 会場の気配が、わずかにこちらへ寄る。


「レオノーラ嬢」


「ごきげんよう、殿下」


 アルベルトはごく自然に一礼した。


「一曲、どうだ」


 断れない。

 だが、受けるのも既定路線。


 ここは問題ない。

 最初から織り込み済みだ。


「喜んで」


 レオノーラは手を差し出した。


 会場の中央へ出る。


 視線が増える。

 だが今は、そこに意識を割きすぎない。


 音が入る。

 歩幅を合わせる。

 手の位置。

 距離。

 呼吸。


 踊りそのものは問題ない。

 問題は、この間に何を話すかだ。


「踊れるのだな」


 アルベルトが低く言う。


「一応は」


「学院で言っていた通りか」


「ええ。公爵令嬢にございますもの」


 アルベルトは少しだけ口元を緩めた。


「だが、やはり剣の方が楽か?」


「ずっと楽ですわ」


「どうしてだ」


 レオノーラは一拍だけ間を置いてから答える。


「剣は、どこまで入れてどこで止めるかを自分で決めやすいですもの」


「舞踏は違うと?」


「ええ」


 レオノーラは静かに視線を上げた。


「こちらは、自分の動きだけでは意味が決まりませんわ」


 アルベルトの目がわずかに細くなる。


 今のは悪くない。

 夜会の文脈にも合っている。


「たしかに」


 彼は頷いた。


「この場は、意味を足されやすい」


「ええ」


「だから君は、最初から整えてきたのか」


 確認。

 またそれですのね。


 だが、今日は武芸棟ほど素直には答えない。


「さあ、どうでしょう」


 レオノーラはわずかに微笑む。


「夜会ですもの。少しくらいは曖昧にしておきませんと」


 アルベルトはそこで、本当に少しだけ楽しそうな顔をした。


「学院の時より厄介だな」


「普通ですわ」


「そうか」


 曲は続く。

 だが会話は短く、切れ目を残す。


 良い。

 悪くない。


 そこで、アルベルトが不意に言った。


「君は今日も、負けないことを優先しているな」


 レオノーラは一瞬だけ目を瞬いた。


 そこまで見ますのね。


「そう見えますの?」


「見える」


「でしたら、たぶんそうなのでしょうね」


 直接は認めない。

 だが否定もしない。


 そのくらいがちょうどいい。


 曲が終わる。


 二人が礼を交わした時、会場の視線が一段落するのが分かった。

 最初の一曲は無事に終えた。


 だが、ここからが本番でもある。


 連続で踊れば意味が固定される。

 すぐに離れすぎても不自然。


 さて、どう切るか。


 そこでレオノーラは、ほんの少しだけ歩みをずらし、会場脇の飲み物卓の方へ視線を向けた。


「喉が渇きましたわ」


 独り言のように、だが相手にも届く温度で言う。


 アルベルトはすぐに意味を取ったらしい。


「では、また後ほど」


「ええ」


 自然な切り上げだった。


 かなり良い。


 次の瞬間、アーネストがほぼ待ち構えていたように近づいてきた。


「いやー」


 やめてくださいまし、その入りは。


「何かしら」


「普通に踊れるじゃないか」


「だからそう申しましたでしょう」


「でも想像よりずっと様になってた」


「ありがとうございます」


「嫌味じゃないぞ」


「分かっておりますわ」


 リヒャルトも少し遅れて来る。


「今の切り方、綺麗でしたね」


「そうかしら」


「ええ。連続で意味を固定させない」


「でしたら何よりですわ」


 この人たち、本当に見ておりますのね。


 ありがたいような、ありがたくないような。


「で?」


 アーネストがにやりとする。


「次は誰と踊るんだ?」


「それを今ここで決めるほど素直ではございませんわ」


「お前、夜会だと本当に曖昧になるな」


「申したでしょう?」


「うん。実感した」


 そこで、少し離れた位置からレティシアがこちらを見つけ、やわらかく手を振った。

 レオノーラも小さく返す。


「……なるほど」


 リヒャルトが小さく言う。


「何がですの?」


「君は、誰か一人の意味に固定されるのを避けている」


 そこまで読まれますのね。


 だが、もう隠しきるつもりもない。


「当然ではなくて?」


 レオノーラはそう返した。


「夜会ですもの」


 アーネストが小さく笑った。


「やっぱ厄介だな」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「でしょうね」


 だが、その時点でレオノーラはもう確信していた。


 今夜も、やれる。


 武芸棟とは違う。

 だが、本質は同じだ。


 見せすぎず。

 引きすぎず。

 意味を固定される前に、こちらの温度を置く。


 だったら、あとは積むだけだ。


 そう思った矢先、会場の入口側がわずかにざわついた。


 何だろう、と視線を向けたレオノーラは、そこでほんの少しだけ目を細める。


 見覚えのある、いや、話にしか聞いたことのない姿があった。


 小柄で、髭が立派で、いかにも気難しそうな老ドワーフ。


 しかも、学院や貴族社会の場には明らかに不釣り合いなほど、堂々としている。


 まさか。


 いや、でも。


 レオノーラの胸に、嫌な予感と面倒の予感が同時に広がった。


 すると、その老ドワーフは会場を一度だけ見回し、まっすぐレオノーラを見つけた。


 そして腹の底から通る声で、こう言ったのである。


「レオノーラ嬢はおるか!」


 ……来る場所を間違えておりませんこと?

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