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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第38話 剣ではなく、言葉と視線と沈黙で整える戦場だとしても、やること自体は結局あまり変わりませんわ

 だからたぶん、今度も大丈夫だ。


 そう思えた時点で、レオノーラの中ではもう半分ほど、夜会は始まっていたのかもしれない。


 学院からの帰路。


 馬車の窓へ映る自分の顔は、思っていたより落ち着いていた。

 武芸棟のような明快さはない。

 だが、夜会にも夜会のやり方がある。


 剣ではなく、言葉。

 踏み込みではなく、距離。

 停止精度ではなく、沈黙の置き方。


 置き換えるだけだ。

 やることの本質は、実はそこまで変わらない。


「お姉様」


「何かしら」


「もう考え始めていますね」


 向かいに座るクラウスが、淡々と言った。


「何をかしら」


「夜会で何を言い、何を言わず、どこで引くかです」


 レオノーラは少しだけ肩をすくめた。


「ええ」


「やはり」


「考えない方が危険ですもの」


 これは本心だった。


 夜会は、武芸棟以上に“流される”と危ない。

 場の空気。

 貴族たちの視線。

 何気ない会話。

 笑顔の下にある探り。


 明確な線がないからこそ、自分の中で線を引いておかないといけない。


「今の時点での方針は?」


 クラウスが問う。


 レオノーラは少しだけ考え、それから答えた。


「三つですわ」


「ええ」


「一つ。婚約の話を自分から広げない」


「はい」


「二つ。聞かれた場合も、肯定も否定も雑にしない」


「はい」


「三つ。わたくしの基準が、普通の令嬢の基準とは違うことだけは自然に残す」


 クラウスは小さく頷いた。


「悪くありません」


「でしょう?」


「ただし」


 やはりただしが来る。


「“自然に残す”が一番難しいです」


「ええ。それは分かっておりますわ」


「お姉様は、自然にやろうとすると、たまに妙に刺さる言い回しになりますから」


 そこが悩みどころだった。


 レオノーラにとっては、実務感覚で言っているだけのことが、なぜか武人の名言じみて受け取られる。

 非常に困る。


「……否定しきれませんわね」


「ええ」


「では、どうするべきかしら」


 クラウスは少しだけ考え、それから答えた。


「今回は、“正論”より“温度差”を使う方がいいと思います」


「温度差?」


「ええ」


 弟は続ける。


「周囲が婚約や夜会や社交を重く見る場で、お姉様だけが別の優先順位で物事を見ている」


「ええ」


「そのズレが出れば十分です」


 なるほど。


 それはかなり良い。


 正論で切ると強すぎる。

 だが“価値を置く場所が違う”と滲ませるだけなら、角は立ちにくい。


「採用ですわ」


「どうも」


 屋敷へ戻ると、今日はすでに父ヴァルターと母エレオノーラが待っていた。


「来たか」


「ただいま戻りましたわ」


「学院から正式な招待状が届いた」


 父がそう言って、封書を机上に置く。


 やはり来ましたのね。


 レオノーラは席へ着き、それを受け取った。


 上質な厚紙。

 余計に格式ばった文面。

 実に夜会らしい。


「週末、皇都中央貴族会館にて開催……」


 読み上げながら、内心で少しだけげんなりする。


「新入生上位者および高位貴族家子女の親睦を兼ねた小規模晩餐会、ですって」


「小規模、ねえ」


 母が少し笑った。


「そう書いてあって、本当に小規模だった試しはあまりないのよね」


「でしょうね」


 レオノーラは即答した。


 こういう“親睦”は、だいたい親睦だけでは終わらない。

 観察。

 値踏み。

 探り。

 そういうものが全部入る。


「出席は確定だ」


 父が言う。


「断る理由は作れん」


「ええ。分かっておりますわ」


「怖じているか?」


 不意の問いだった。


 レオノーラは少しだけ考える。


「武芸棟とは別の意味で、怖いですわね」


「どう違う?」


 父が問う。


「武芸棟は、まだ答えが明快ですもの」


「ええ」


「夜会は、正しいことを言っても、それが正しく届くとは限りませんわ」


 母が静かに頷く。


「そうね」


「だから、怖いというより、面倒で、面倒だからこそ怖い、に近いかもしれません」


 父が低く息を吐いた。


「よく分かっているな」


「実感がございますもの」


 そこで母が、ゆっくりと口を開いた。


「では、今夜は夜会の話をしましょう」


 来ましたわね。


 レオノーラは背筋を伸ばした。


 これは、たぶん必要な時間だ。


「まず前提として」


 母は扇を閉じたまま言う。


「あなたは、夜会で“勝とう”としすぎると失敗するわ」


 かなり鋭い。


 レオノーラは一瞬だけ目を瞬いた。


「そうかしら」


「ええ」


「どうしてですの?」


「武芸棟では、勝ちが目に見えるでしょう?」


「ええ」


「でも夜会では、勝ったように見える振る舞いほど、後で“扱いづらい”“棘がある”“意図的すぎる”へ変換されるの」


 それは、非常によく分かる話だった。


 目立って勝つのではなく、崩れずに終える。

 武芸棟でも本質はそうだったが、夜会ではそれがもっと極端になる。


「では、どうすればよろしいのです?」


 レオノーラが問うと、母は迷わず答えた。


「“負けない”ことを優先するのよ」


 ああ。

 それですのね。


 レオノーラの中で、何かがすっと落ちた。


「婚約をその場で潰そうとしない」


「ええ」


「殿下を言い負かそうとしない」


「ええ」


「周囲へ強い印象を焼きつけようとしない」


「ええ」


「その代わり」


 母は静かに微笑む。


「この令嬢は、思ったようには運べない、と思わせるの」


 それは、かなり良い整理だった。


 クラウスがすぐに引き取る。


「つまり、“場を制する”ではなく、“雑に処理できない相手だと理解させる”ですね」


「そういうことよ」


 父も頷いた。


「お前の場合、そちらの方が向いている」


 レオノーラは少しだけ考え、それから小さく息を吐いた。


「……やはり、武芸棟と似ておりますわね」


「そうなの?」


 母が問う。


「ええ」


 レオノーラは自分でも少し可笑しくなった。


「全部見せず、必要な印象だけを残す。結局それですもの」


 それなら、やれる。


 剣が言葉に変わるだけだ。

 線を引く場所が変わるだけだ。


「では具体的に」


 父が言う。


「何を言われると思う?」


 この問いは大事だ。


 レオノーラは指を折りながら整理した。


「一つ。実力測定のこと」


「ええ」


「二つ。殿下との距離について」


「ええ」


「三つ。今後の学院生活と、婚約の可能性」


「そのあたりだろうな」


 父も同意する。


「では、その返しは?」


 レオノーラは少しだけ考え込んだ。


 ここで大事なのは、明言しすぎないこと。

 だが、曖昧に逃げすぎても“都合よく前向き”に解釈される。


「実力測定については」


 レオノーラは静かに言った。


「学院で求められたことに応えただけ、と申しますわ」


「よろしいわね」


 母が頷く。


「では殿下については?」


「同級生として接している、と」


「それだけ?」


「今の段階では、それ以上でもそれ以下でもございませんもの」


 そこへクラウスが言う。


「婚約の可能性について聞かれた場合は?」


 そこが核心だった。


 レオノーラは一拍置いてから答えた。


「家同士の話にございますので、軽々には申し上げられません」


 父が少しだけ目を細める。


「無難だな」


「ですが、そのままでは少し弱いですわね」


 母が補足した。


「はい」


 レオノーラもそれは理解している。


「では、その後にこう続けますわ」


 少しだけ言葉を選ぶ。


「わたくし自身、人生を預ける相手については、自分なりの基準がございますので」


 父と母とクラウスが、同時にこちらを見た。


「……それは、かなり効きますね」


 クラウスが言う。


「でしょう?」


「ええ。ただし」


 またただし。


「その先で、基準を具体的に語らないことです」


「ええ。そこは分かっておりますわ」


 ここで竜殺しだの剣聖基準だのを出したら、さすがに強すぎる。

 必要なのは、“普通の婚約観ではない”と残すことだけだ。


「お姉様」


「何かしら」


「今の言い回し、かなり使えます」


「よかったですわ」


「ただ、言う時は笑ってください」


 母が言う。


「真顔だと少し怖いわ」


「そうですの?」


「ええ」


 父まで頷いた。


「お前は自覚がないかもしれんが、静かに本気のことを言う時が一番怖い」


 それは心外である。

 だが、たぶん本当でもあるのだろう。


「では、少し柔らかく申し上げますわ」


「それがいいわね」


 その夜の打ち合わせは、武芸棟前夜とはまた違う意味で有意義だった。


 剣の軌道ではなく、言葉の軌道。

 停止位置ではなく、会話の切り上げ位置。

 考えることは違う。

 だが、制御するという意味では似ている。


 翌日。


 学院で大きな事件はなかった。

 それが逆にありがたい。


 レオノーラは、その静けさを使って、夜会までの残り時間を“平静を保つこと”にあてた。


 余計な衝突をしない。

 余計な言葉を増やさない。

 それだけで十分だ。


 だが、そういう日に限って、放課後の帰り際にアーネストが妙なことを言う。


「なあ」


「何かしら」


「夜会、お前踊るのか?」


 やめてくださいまし。

 よりによってそこですの?


「一応、その可能性はございますわ」


「へえ」


 アーネストが心底面白そうな顔をする。


「見たいな」


「見ないでくださいまし」


「何でだよ」


「何でもですわ」


 リヒャルトが小さくため息をつく。


「お前は本当に余計な方向へ興味を広げるな」


「だって気になるだろ」


「気になるが言わないのが普通だ」


 その通りである。


 だがそこで、アルベルトが不意に口を開いた。


「君は踊れるのか?」


 その問いは、アーネストの茶化しとは少し違った。

 確認に近い。


「一応は」


 レオノーラは答える。


「公爵令嬢にございますもの」


「そうか」


「ですが」


「何だ?」


「得意かと問われれば、剣の方がずっと楽ですわ」


 それは本心だった。


 夜会の舞踏は、技術だけなら身についている。

 だが意味づけが面倒なのだ。


 誰と踊るか。

 何回踊るか。

 断るか受けるか。

 その全部に文脈がつく。


「……なるほど」


 アルベルトはほんの少しだけ口元を緩めた。


「君らしい答えだな」


「褒めておられますの?」


「どうだろうな」


 やめてくださいまし。

 そういう曖昧さは、夜会だけで十分ですわ。


 その日の帰り道。


 クラウスが迎えの馬車の前で待っていた。


「お姉様」


「何かしら」


「顔が少し疲れています」


「武芸棟の時とは違う疲れですわね」


「でしょうね」


「言葉で整える方が、地味に削れますもの」


 クラウスは小さく頷いた。


「ですが、もう形にはなっています」


「ええ」


「夜会、いけそうですか」


 レオノーラは少しだけ空を見上げた。


 夕暮れ。

 風は穏やか。

 だからこそ、次の戦場の気配が少しだけ濃い。


「ええ」


 やがて、ゆっくり答える。


「今度も、整えてまいりますわ」


 それは、剣を持たぬ戦いの宣言でもあった。

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