第4話 公爵令嬢として、優雅に応じてみせますわ
令嬢たちの一団は、まるで最初から進路が決まっていたかのような足取りで、まっすぐレオノーラの前へやって来た。
先頭に立つ少女は、鮮やかな蜂蜜色の髪を丁寧に巻き、上質な制服を隙なく着こなしている。
胸元の徽章と随伴する少女たちの態度から見て、かなり上位の貴族令嬢であることは明らかだった。
彼女はレオノーラの前で立ち止まると、まず顔を見て、それから背中の剣を見た。
そして再び顔へ視線を戻す。
困惑と、警戒と、好奇心。
その全部が綺麗に混ざった顔だった。
「ごきげんよう」
先に口を開いたのは、その少女だった。
「ごきげんよう」
レオノーラも同じく微笑む。
完璧な角度、完璧な声音、完璧な礼。
外から見れば、どこまでも優雅な令嬢同士の初対面だ。
背中の巨大剣を除けば。
「アルトヴァイス公爵家のご令嬢でいらっしゃるのよね?」
「ええ。レオノーラ・アルトヴァイスと申しますわ」
「やはり」
少女は納得したように頷いた。
「わたくしはセシリア・ローゼンベルク。侯爵家の長女ですの」
ローゼンベルク。
聞き覚えがあるような、ないような。
攻略対象の家名だったか、その婚約者候補の一族だったか。
レオノーラの曖昧な記憶は、こういう時に本当に役に立たない。
だが、名前がどうであれ今やるべきことは一つだ。
公爵令嬢として、丁寧に応じる。
余計な敵意は生まない。
そして、できれば穏便に終える。
「初等部以来、お目にかかる機会がありませんでしたけれど、こうして同じ学院で学ぶことができて光栄ですわ」
レオノーラがそう返すと、セシリアの後ろにいた令嬢たちが、わずかに空気を緩めた。
きちんとした応対だ。
少なくとも、噂されているような“いきなり剣を抜きそうな公爵令嬢”ではない。
たぶん、そう思ったのだろう。
その認識自体がだいぶ失礼ではあるのだが、レオノーラとしては誤解が解けるならそれでいい。
「その……」
セシリアは少しだけ言いにくそうにしながら、視線を剣へ向けた。
「お背中のものは、学院の流行でしょうか?」
「いいえ」
レオノーラは即答した。
「わたくしの私物ですわ」
「私物」
「護身用に」
ぴしり、と空気が止まった。
セシリアの背後で、令嬢の一人が明らかに瞬きを忘れている。
別の一人は口元に手を当てたまま固まっていた。
ルークが横で目を閉じた。
クラウスは非常に遠い目をしている。
レオノーラは内心で少しだけ首を傾げた。
なぜかしら。
今の返答に、おかしなところはなかったはずだ。
問いに対し、事実を端的に述べただけである。
「護身用、ですの……?」
「ええ」
「そ、それは」
セシリアは明らかに言葉を選んでいた。
「護身というには、少々、過剰ではなくて……?」
「状況によりますわ」
レオノーラは落ち着いて答えた。
「護身とは、無事に生き残るための備えでしょう? でしたら、過不足なく整えるべきですもの」
「過不足」
「はい」
「……」
セシリアはしばらく黙ったあと、恐る恐る尋ねた。
「ちなみに、何を想定なさっているの?」
「現時点では未定ですわ」
「未定」
「ただ、学院とは人間関係が複雑に動く場所ですもの。婚約、派閥、感情の対立、誤解、陰謀、あるいは突発的な危険――」
「学院を何だと思っていらっしゃるの?」
さすがにそこはセシリアも耐えきれなかったらしい。
かなり素で突っ込まれた。
レオノーラは数秒考え、それから正直に答える。
「油断してよい場所ではない、と」
「重いですわね認識が」
後ろにいた令嬢の一人が、思わずというように漏らした。
レオノーラは少しだけ反省した。
たしかに、初対面で話す内容としては重かったかもしれない。
「……失礼いたしましたわ。少々、備えを重視しすぎるきらいがございますの」
素直にそう言うと、セシリアは目をぱちぱちと瞬かせた。
たぶん彼女の中では、もっと扱いにくい相手を想定していたのだろう。
巨大剣を背負っているので無理もない。
「いえ、その……ええと、想像していたよりは、ずっとお話しやすい方ですのね」
「そうかしら」
「少なくとも、もっとこう……」
「こう?」
「怖い方かと」
なるほど。
レオノーラは少しだけ納得した。
見た目だけなら仕方ない。
公爵令嬢が巨大剣を背負っているのだ。
しかも背負い慣れている。
怖く見えるのは、まあ、そうだろう。
「よく言われますわ」
「本当ですの?」
「ええ」
「でも、少し安心いたしました」
セシリアはそこでようやく、緊張を解くように微笑んだ。
「わたくし、今年は色々と騒がしくなりそうだと思っておりましたの。三大公爵家のご令嬢が入学なさると聞いておりましたし」
「騒がしく?」
「アルトヴァイス家の噂、学院にも届いておりますもの」
後ろの令嬢の一人が、控えめに頷く。
「巨大な大剣を振るうとか」 「竜を討ったとか」 「騎士団の方々が真顔になるほどだとか……」
「だいたい事実ですわ」
レオノーラが答えると、令嬢たちがまた静止した。
どうやら、この反応は毎回入るらしい。
ルークが小さく咳払いをした。
「その話は、できれば人目の少ないところでやった方がいい」
もっともな指摘だった。
気づけば周囲に人が増えている。
新入生も上級生も、通りすがりの学院関係者ですら、さりげなくこちらを見ていた。
完全に注目の的である。
「お姉様」
クラウスが静かに告げる。
「穏便とは、何だったのでしょう」
「……まだ、騒ぎは起こしておりませんわ」
「存在だけで発生しているのです」
「厳しいですわね」
「事実です」
弟の言葉はだいたいいつも正しい。
そこが少しだけ悔しい。
だが、ここで下手に押し問答を続けるのも得策ではない。
レオノーラは気を取り直し、セシリアへと改めて向き直った。
「失礼いたしましたわ。立ち話が長くなってしまいましたわね」
「いえ、こちらこそ引き止めてしまって」
「よろしければ、また改めてお話ししませんこと? せっかく同じ学院で学ぶのですもの」
その言葉に、セシリアが目を見開く。
予想外だったらしい。
「……よろしくて?」
「もちろんですわ」
「その、わたくしなどで」
「侯爵家のご令嬢に対して“など”は不適切ではなくて?」
やんわりと返すと、セシリアは一瞬ぽかんとしたあと、少しだけ笑った。
「……まあ。たしかにそうですわね」
「ええ」
「では、ぜひ」
「喜んで」
よし、とレオノーラは内心で頷いた。
今のところ、社交は問題ない。
むしろかなり上出来ではないかしら。
少なくとも剣は抜いていないし、誰も気絶していない。
とても平和だ。
その時、セシリアの後ろにいた令嬢の一人が、おずおずと口を開いた。
「あの……ひとつだけ、お伺いしてもよろしいですか?」
「何かしら」
「その剣、本当に振れるのですの?」
純粋な疑問だった。
悪意はない。
ただ単に、見たまま信じがたいだけである。
レオノーラは少しだけ考えた。
「ええ」
「まあ……」
「一応、振れますわ」
「一応、の規模ではありませんでしょうに……」
クラウスがぼそりと呟いたが、レオノーラは聞こえなかったふりをした。
「ですが学院内で振るうつもりはありませんわ。必要がなければ」
「必要があれば振るうのですか!?」
今度はセシリアが声を上げた。
しまった。
言い方を間違えたかもしれない。
レオノーラは即座に補足する。
「正当防衛や、明確な危険への対処に限りますわ」
「最初からそう仰ってくださいませ!」
「ごもっともですわね……」
ここは素直に認めるしかなかった。
周囲の空気が、少しだけ和む。
どうやら令嬢たちは、レオノーラが思ったより話の通じる相手だと理解し始めたらしい。
もっとも、巨大剣を背負っている時点で“思ったより”のハードルがだいぶ低いのだろうが。
「それでは、わたくしたちは先に受付を済ませて参りますわ」
セシリアが言う。
「ええ。後ほどまた」
「はい。……あの、レオノーラ様」
「何かしら」
「その剣、とても……印象的ですわ」
「ありがとうございます」
「褒め言葉として受け取ってよろしいのですの?」
「ええ、たぶん」
そこは少し自信がなかった。
だがセシリアは、今度こそ本当に笑って一礼すると、令嬢たちを連れて受付棟の方へ去っていった。
彼女たちの背中を見送りながら、クラウスが小さく言う。
「……思ったより、まともに終わりましたね」
「失礼ですわね。わたくし、最初からまともに終えるつもりでしたわ」
「そのつもりであっても、結果がついてこない時が多いのです」
「今日はついてきておりますもの」
「今のところは」
ルークがそこでふっと息を吐いた。
「少し見直した」
「何をですの?」
「いや」
ルークはレオノーラを見て言った。
「君はもっと、力で全部押し切るタイプかと思っていた」
「必要なら押し切りますわ」
「必要なら、か」
「ええ。不要な場面でまでそうするつもりはありませんの」
レオノーラにとって、それは本心だった。
前世の経験もある。現場では、何でも力で押せばよいわけではない。
人間関係には人間関係の処理があるし、言葉で済むならその方が早いことも多い。
ただ、いざという時に押し切れるだけの準備はしておくべきだ。
それだけの話である。
「……なるほど」
ルークの目が、少しだけ柔らかくなった。
「その考え方なら、学院でもやっていけるかもしれない」
「やっていけないと困りますわ」
「違いない」
そうして再び歩き出そうとした、その時だった。
受付棟の方角から、急に鋭い声が上がった。
「離れなさい!」
続いて、悲鳴。
ざわ、と周囲の空気が変わる。
レオノーラは一瞬で視線を向けた。
受付棟の脇、馬車止めの近く。
一頭の馬が興奮して暴れ、手綱を振り切りかけている。
御者が抑えようとしているが、乗り慣れていないのか、体勢を崩していた。
近くには新入生らしき少年少女たち。
令嬢もいる。
巻き込まれれば危ない。
「お姉様」
「ええ」
クラウスが短く呼び、レオノーラも短く応じる。
こういう時は早い。
思考より先に体が動く。
前へ出ようとしたレオノーラの横で、ルークも同時に一歩踏み出した。
さすがに判断が早い。
だが、レオノーラの方がわずかに速かった。
「レオノーラ!」
クラウスの声を背に受けながら、レオノーラは石畳を蹴る。
スカートの裾を乱さぬまま、身体強化を一瞬だけ脚へ流した。
空気がぶれる。
次の瞬間には、もう馬の前だった。
暴れる馬の視界に割り込まず、斜め前方から最短で入る。
正面に立てば余計に刺激する。
横から抑えるしかない。
レオノーラは躊躇なく左手で手綱の根元を掴み、右手で馬の首筋へ触れた。
「落ち着きなさい」
低く、短く告げる。
馬がさらに首を振る。
かなり力が強い。普通の令嬢なら弾き飛ばされる。
だがレオノーラは足を滑らせない。
踏み込みを深くし、腰を落とし、強化した体幹で衝撃を受け止める。
無理にねじ伏せるのではなく、逃がす方向を読みながら押さえる。
「っ……!」
周囲から息を呑む音がした。
暴れる馬と、制服姿の公爵令嬢。
絵面がまるでおかしい。
だがレオノーラにとっては、剣より軽い。
怖くない。
馬は二度、三度と激しく身をよじったあと、やがて大きく鼻を鳴らし、動きを鈍らせた。
そこへルークが駆け込み、すぐさま補助に入る。
「こっちだ、任せろ!」
「お願いしますわ」
二人で角度を作り、ようやく馬を完全に落ち着かせる。
御者が青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「も、申し訳ございません……!」
「怪我人は?」
ルークが鋭く問う。
「い、いえ、たぶん……」
「ならまず馬を離すな」
「は、はい!」
レオノーラは手を離し、一歩下がった。
呼吸は乱れていない。制服の乱れもほとんどない。
ただ、周囲の視線だけが完全に変わっていた。
静まり返っている。
さっきまでの「巨大剣を背負った変わった公爵令嬢を見る目」ではない。
今の一瞬で、それがただの飾りではないと全員が理解してしまったのだ。
セシリアたちの一団も、受付棟の前で固まってこちらを見ている。
ルークは馬を御者へ引き渡しながら、ちらりとレオノーラへ目を向けた。
「……君は本当に、新入生か?」
「本日二度目でしてよ、その台詞」
「言いたくもなる」
クラウスがゆっくり歩いてきて、こめかみを押さえた。
「お姉様」
「何かしら」
「穏便とは」
嫌な予感がした。
「……人命優先でしたわ」
「それはその通りです」
「でしたら問題ありませんでしょう?」
「対応自体は完璧でした。完璧でしたが」
クラウスは周囲を見た。
新入生たち、上級生たち、学院職員、そして遠巻きに眺める令嬢たち。
誰もがレオノーラを見ている。
「入学初日の受付前で、公爵令嬢が暴れる馬を素手で制圧したという事実は、もう取り消せません」
レオノーラは数秒黙った。
そして、そっと視線を逸らした。
「……不可抗力ですわね」
「その通りです」
「では仕方ありませんわ」
「開き直りが早すぎます」
だが否定はできない。
放っておくわけにはいかなかったのだから。
ルークが小さく笑った。今度は本当に、わずかだが笑っていた。
「君の“護身用”の意味が、少し分かった気がする」
「ご理解いただけて嬉しいですわ」
「まだ剣を抜いていないところが恐ろしいがな」
「今回は必要ありませんでしたもの」
「必要があれば抜くのか」
「ええ」
ルークは深く息を吐き、そして半ば諦めたように言った。
「……なるほど。学院が少し騒がしくなりそうだ」
その言葉に、レオノーラは心外そうに首を傾げた。
「わたくしは静かに過ごしたいのですけれど」
「もはや誰も信じないでしょうね」
クラウスの即答が、あまりにも早かった。
レオノーラは少しだけ不服そうにしたが、反論材料がない。
なにしろ、まだ入学手続きすら済ませていないのだ。
それなのにもう、視線の中心にいる。
乙女ゲーム本編開始前。
穏便な学園生活への道は、どうやら最初から少しばかり険しいらしかった。




