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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 翡翠


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3/15

第3話 訓練用の大剣を見た私は、これだと思った

 帝国貴族学院の敷地へ足を踏み入れた途端、レオノーラは確信した。


 やはり、目立っている。


 周囲の視線が痛いほど集まっていた。

 新入生らしき者たちは遠巻きに見ているし、案内係の上級生たちですら一瞬だけ言葉を失っていた。


 もっとも、それも仕方ないだろう。


 公爵令嬢が、どう見ても護身用では済まない巨大剣を背負って、完璧な礼儀作法で歩いているのだ。情報の処理が追いつかなくても無理はない。


「お姉様」


「何かしら」


「今ならまだ間に合います。せめて、その剣を馬車へ戻すという選択肢を一度ご検討ください」


「却下ですわ」


「即答でしたね」


「当然でしょう。ここからが本番なのですもの」


 レオノーラは静かに学院の建物群を見回した。


 壮麗な正門。

 中央講堂へ続く広い石畳。

 整えられた花壇と並木。

 その向こうには、貴族子弟の教育機関にふさわしい壮大な校舎がそびえている。


 美しい。


 そして、どうにも信用ならない。


 乙女ゲームの舞台というものは、なぜああも見栄えが良いのか。見栄えが良い場所ほど、ろくでもないイベントが起こるのは世の常である。


 レオノーラが真剣にそんなことを考えていると、先ほど門の向こうにいた騎士科の青年が、こちらへ歩み寄ってきた。


 近くで見ると、かなり整った顔立ちをしていた。

 年は二、三歳ほど上だろうか。濃紺の騎士科上級生用制服がよく似合っている。肩幅は広く、目つきは鋭いが、品の良さもある。


 武を修めた貴族の青年、という印象だった。


 彼はレオノーラの前で足を止めると、まずクラウスへ軽く目礼し、次いでレオノーラへ視線を向けた。


「失礼。新入生か」


「ええ」


 レオノーラは一礼した。


「アルトヴァイス公爵家が長女、レオノーラ・アルトヴァイスと申しますわ」


 その名を聞いて、周囲がまた少しざわついた。


 三大公爵家の名は、やはりそれだけで重い。

 だが、青年の表情は名前よりも背中の剣に向いていた。


「……やはり、アルトヴァイスか」


「ご存じでしたの?」


「噂くらいはな」


 青年は微妙な顔をした。


「領内で魔獣を狩ったとか、盗賊を縛り上げたとか、竜骨を持ち帰ったとか」


「少々、尾ひれがついておりますわ」


「どこまでが事実だ?」


「全部ですわ」


「全部か」


 青年は無表情のまま黙り込み、そして数拍置いてから、妙に真面目な顔で言った。


「……いや、全部なのか」


「ええ」


 クラウスが横で遠い目をした。


 青年は一度額に手を当てたが、すぐに気を取り直したように姿勢を正した。


「騎士科三年、ルーク・ヴァンハイムだ。学院内の案内補助を任されている」


 レオノーラはわずかに目を瞬いた。


 ヴァンハイム。


 どこかで聞いたような気がする。

 乙女ゲームの攻略対象だったか、あるいはその周辺人物だったか。記憶が曖昧ではっきりしない。


 だが、少なくとも武人であることは見て分かる。


「よろしくお願いいたします、ルーク先輩」


「ああ。……それで、一つ確認したい」


「何かしら」


「あの剣は学院への持ち込み許可を得ているのか」


 来た。


 クラウスが顔を覆いそうになる気配を見せる。


 レオノーラは落ち着いて答えた。


「正式な確認はこれからですわ」


「つまり得ていないのだな」


「ただし、学院規則に“個人装備の持ち込みを一律禁止する”条文があるかは現時点で確認しておりません。武器携行についても、騎士科や魔導科の訓練用途を想定した例外があるのではなくて?」


 ルークの眉がぴくりと動いた。


 理屈で返されるとは思っていなかったらしい。


 レオノーラは涼しい顔を崩さない。

 別に喧嘩を売っているわけではない。本当に必要だから持ってきただけである。


「仮に条文上問題がなかったとしても、常識の範囲というものがある」


「その常識は、実際に身を守れますの?」


 レオノーラが問うと、ルークは一瞬だけ黙った。


「……何?」


「世の中には“常識的だから安全”というものと、“安全のためには常識から外れる必要がある”ものがございますでしょう?」


「それは……」


「わたくしにとっては後者でしたの」


 レオノーラは静かに答えた。


「だから持ってきましたわ。護身用に」


 護身用。


 その言葉に、近くにいた上級生二人が吹き出しかけ、慌てて口を押さえた。

 ルークは笑わなかった。むしろ、かなり真面目な目でレオノーラを見た。


「君は、本気でそれを護身用だと思っているのか」


「ええ」


「……そうか」


 その返事のあと、ルークは奇妙な沈黙を挟んだ。


 呆れられたのか。

 あるいは変人を見る目を向けられるかと思ったが、そうではなかった。


 彼はゆっくりと、レオノーラの背中にある大剣の柄と、剣帯の位置、肩の使い方、立ち姿、重心の置き方を見た。


 武人の目だった。

 ただの奇抜さではなく、それを本当に扱えるかどうかを見ている目。


「……飾りではないのだな」


「当然ですわ」


「抜けるのか、そこから」


「三拍あれば」


「遅いな」


「正装と儀礼を崩さずに、ですわ」


 ルークの口元がわずかに動いた。


 笑ったのではない。

 だが少しだけ、興味を持った顔になった。


「なるほど」


「何がですの?」


「噂が誇張ばかりではないと分かった」


 その言葉にクラウスがぼそりと呟く。


「むしろ噂の方が実態より穏当です」


「弟君、それはそれでどうなのだ」


「私もそう思います」


 そんなやりとりをしているうちに、周囲のざわめきはさらに広がっていった。


 新入生たちの視線は、完全にレオノーラへ向いている。

 仕方ない。もう仕方ないと諦めるしかない。


 目立たないように、という初志は、入門五分でやや危うくなっていた。


「お姉様」


「何かしら」


「目立たない、とは何だったのでしょう」


「……少々、想定より反応が大きいですわね」


「原因は明白です」


 クラウスの冷静な指摘に、レオノーラはほんの少しだけ反省した。


 ほんの少しだけ、である。


 だが、必要性は揺るがない。


 そもそも、なぜ自分がこの剣にここまで執着するのか。

 その理由は、今も背中に馴染んでいる重みの始まりにあった。


 脳裏に浮かぶのは、まだ幼かった頃の訓練場だ。


 あの日、公爵家の訓練場で見つけた一振りの大剣。


 騎士見習いたちが筋力鍛錬に使うためだけに置かれた、刃引きされた無骨な鉄の塊。

 長く、幅広く、重く、実戦性より負荷だけを考えたような代物。


 周囲の子供たちは木剣や軽い短剣に興味を示した。

 だがレオノーラだけは違った。


 最初に見た瞬間、思ったのだ。


 これだ。


 なぜかは分からなかった。

 けれど直感した。


 もしこれを扱えるようになれば、大抵のことは何とかなる気がした。

 少なくとも、華奢な飾り剣を握っているよりは、よほど未来を切り開けそうだった。


 五歳のレオノーラは、大剣の前で真顔になった。


 周囲にいた騎士たちは微笑ましそうに見ていた。

 どうせ持ち上がらないと思っていたのだろう。


 実際、最初は持ち上がらなかった。


 びくともしない。

 両手で柄を握っても、床からわずかに浮く程度。

 無理に引けば、自分の体がよろける。


『お嬢様、さすがにそれはまだ早うございます』


『木剣の方がよろしいかと』


『危のうございます』


 そう言われても、レオノーラは首を横に振った。


『いえ、これがよろしいですわ』


『しかし』


『だって、これを扱えれば普通の剣はもっと軽く感じるでしょう?』


 あまりに真っ当な理屈に、一瞬だけ誰も反論できなかった。


 いや、真っ当ではないのかもしれない。

 少なくとも五歳児の選択肢ではなかった。


 それでも、レオノーラは毎日訓練場へ通った。


 持ち方を変え、足の幅を調整し、腰を落とし、重心を探り、身体強化魔法が使えるようになると、それをほんの少しだけ腕と背に流した。


 最初は持ち上げるだけ。

 次に半歩動く。

 それから構える。

 やがて振り下ろす。


 小さな積み重ねだった。


 できないことを、できる形まで分解する。

 昨日より一つだけ進める。

 前世で働いていた頃に身についた感覚が、そのまま生きたのかもしれない。


 いきなり完璧にやろうとすると壊れる。

 重いものは、重いと理解した上で扱わなければならない。


 そのあたりの考え方は、意外にも剣と相性が良かった。


『……振れましたわ』


 初めてまともに振り下ろせた日のことを、レオノーラはよく覚えている。


 手のひらは痺れ、腕は痛く、着地した足もぐらついた。

 けれど、確かに振れた。


 その瞬間、訓練場にいた騎士たちの空気が変わった。


 子供の遊びを見る目ではなくなったのだ。


 そして父――ヴァルター・アルトヴァイスは、しばらく沈黙したあと、妙に低い声でこう言った。


『……本当にやるとはな』


 レオノーラは誇らしかった。

 ようやく一歩進んだ気がした。


 断罪回避への道は、たぶん遠い。

 でも、自分は確かに前へ進める。


 それが嬉しかった。


「……お姉様?」


 クラウスの声で、レオノーラは現在へ意識を戻した。


「何かしら」


「少し遠い目をされていましたが」


「昔を思い出しておりましたの」


「訓練場の大剣ですか」


「ええ」


 レオノーラは背中の剣を軽く叩いた。


「すべての始まりですもの」


 その仕草に、ルークが反応した。


「始まり?」


「元は訓練用の大剣でしたの」


「……それが?」


「ええ」


 ルークは絶句した。


「待て。それが、元は訓練用?」


「正確には、何度も折り返し鍛錬と再鍛造を繰り返しておりますけれど」


「何をどうしたらそうなる」


「色々ありましたの」


 色々。


 だいぶ雑なくくりだが、説明し始めると長いので仕方ない。


 魔鋼を混ぜた。

 芯材の相談をした。

 竜骨が欲しくなった。

 ドワーフたちが乗ってきた。

 最後はオリハルコンまで入った。


 どこを切っても色々としか言いようがない。


「……君は本当に新入生か?」


 ルークがしみじみと問う。


「戸籍上はそうですわ」


「聞き方が悪かったな。新入生というより、何だ、その……」


「災害予備軍みたいに聞こえます」


 クラウスが横から言うと、ルークは否定できない顔をした。


 レオノーラはやや不服だった。


「失礼ですわね。わたくし、穏やかに過ごすつもりですのに」


「その予定は、入学前から崩れ始めているように見えるが」


「気のせいですわ」


「気のせいではありません」


 弟と先輩の声がきれいに揃った。


 レオノーラは小さく咳払いをした。


「ともあれ、案内をお願いできますかしら。立ち話をしていると、さらに注目を集めてしまいますわ」


「その自覚はあるのか」


「ええ。ですから移動したいのです」


 それは正論だった。


 ルークは半ば呆れながらも頷いた。


「……分かった。まずは新入生受付だ。そのあと所属ごとの説明になる。弟君は途中まで同行可能だが、その先は在校生以外入れない区域がある」


「承知しております」


 クラウスが応じる。


 レオノーラたちはルークの先導で石畳の道を歩き始めた。


 左右から注がれる視線は、なおも多い。

 それでもレオノーラは背筋を伸ばし、ゆったりとした歩幅を崩さない。


 公爵令嬢としての所作は叩き込まれている。

 問題は背中の剣だけだが、もうそれは仕方ない。


「……しかし」


 歩きながら、ルークがぽつりと言った。


「君の話を聞いていると、妙に納得する」


「何をですの?」


「その剣を背負っている理由だ」


 レオノーラは少しだけ目を丸くした。


 初対面の相手にしては、意外な言葉だった。


「理解していただけますの?」


「完全には無理だ」


 ルークは即答した。


「だが、ただの見栄や奇矯ではないとは分かる。君にとっては必要なのだろう」


「ええ」


「それなら、まずはそれでいい」


 レオノーラはほんの少しだけ驚いたあと、素直に口元を緩めた。


「……ありがとうございます」


「礼を言われるほどのことではない。むしろ、学院側がどう反応するかは別問題だ」


「そこは必要なら交渉しますわ」


「必要なら?」


「必要なら、ですわ」


 その言い方に、ルークはなぜか少し嫌な予感を覚えたようだった。


 だが、それ以上は何も言わなかった。


 そうして三人が受付棟の前へ差しかかった時、前方から華やかな声が聞こえてきた。


 令嬢たちの一団である。


 鮮やかな髪飾り、よく仕立てられた制服、取り巻きを従えた中心の少女。

 いかにも高位貴族の娘らしい立ち姿だった。


 彼女たちはこちらを認めると、一瞬で会話を止めた。


 そして、中心にいた少女の視線がレオノーラの背中の剣に吸い寄せられる。


「……まあ」


 その一言に、クラウスが小さく目を閉じた。


「お姉様」


「何かしら」


「たぶん、穏便な学院生活の第一歩が始まります」


「望むところですわ」


「その返答がもう穏便ではありません」


 少女たちの一団が近づいてくる。


 レオノーラは静かに息を吸った。


 どうやら学院生活は、受付前から本格的に動き始めるらしい。


 それでも彼女の手は、剣の柄には伸びなかった。


 まだ必要ない。


 ならばまずは、公爵令嬢らしく。


 優雅に、丁寧に、隙なく応じるだけである。

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