第28話 今度は何が増えますの、と問うた時点で、たいてい増えるのは面倒事だと相場が決まっておりますわ
――今度は何が増えますの。
レオノーラは机の上の紙から顔を上げたまま、静かにそう思った。
扉の向こうの侍女は、まだ息を整えきれていないらしい。
屋敷の中で、ここまで露骨に慌てた声が聞こえるのは珍しい。
「入りなさい」
許可を出すと、侍女がすぐに入ってきた。
顔色は悪くない。
つまり凶報そのものではない。
だが、平穏でもなさそうだった。
「失礼いたします、お嬢様」
「帝国騎士団本部より急使、ですのね」
「はい」
侍女はうなずいた。
「旦那様が、至急小会議室へと」
やはりそうですのね。
レオノーラは椅子から立ち上がる。
来週の実力測定用に整理していた紙を軽くまとめ、引き出しへしまった。
こういう時に机上を散らかしたままにするのはよろしくない。
前世でも、急な呼び出しほど、戻ってきた時の作業再開を想定して整えておくのが大事だった。
「内容は聞いておりますの?」
「いえ、わたくしは使者の到着をお伝えしたのみで……」
「そう。ありがとう」
短く礼を言い、レオノーラは廊下へ出た。
夜の屋敷は静かだ。
その静けさの中で、自分の足音だけが妙に響く。
小会議室の前には、すでにクラウスがいた。
やはり、というべきか。
弟の顔はいつも通り冷静だが、目だけが少し鋭い。
「お姉様」
「何かしら」
「内容はまだ不明ですが、父上の顔色はあまりよくありません」
「凶報寄り、ですのね」
「ただし、怒りというより困惑に近いです」
それは少し助かる。
怒り一色なら、人が絡んでいる。
困惑なら、物や制度や外部事情が絡んでいる可能性が高い。
「ありがとう」
「いえ」
クラウスが扉を開ける。
中には父ヴァルター。
母エレオノーラ。
そして見覚えのない騎士が一人、直立して待っていた。
年は四十前後。
制服の質と落ち着いた気配からして、単なる伝令ではない。
中間幹部か、少なくとも本部付きの実務役だろう。
「失礼いたしますわ」
レオノーラが一礼すると、父が疲れた声で言った。
「来たか」
「何がございましたの?」
父はすぐには答えず、まず伝令の騎士へ視線を向けた。
「本人が来た。説明してくれ」
「はっ」
騎士は礼を取り、レオノーラへ向き直る。
「夜分に失礼いたします。帝国騎士団本部、訓練監理局付のファルク・ゼーレンと申します」
「レオノーラ・アルトヴァイスですわ」
「単刀直入に申し上げます」
ファルクは無駄なく言った。
「来週の学院における実力測定について、本部へ問い合わせが入りました」
問い合わせ。
レオノーラは小さく眉を動かす。
「どこからですの?」
「学院側から正式に、です」
そこは自然だ。
別におかしくはない。
むしろ、レオノーラほどの特殊個体なら、騎士団との連携確認が入っても不思議ではない。
「それで?」
「本部としては、原則として学院内試験へ直接関与する立場にはございません」
「ええ」
「ですが、今回に限っては例外意見が出ました」
嫌な予感が強くなる。
「どのような意見ですの?」
ファルクは一拍だけ置いた。
「“レオノーラ・アルトヴァイス嬢の測定については、騎士団側からも見届け役を置くべきではないか”との声が上がっております」
……はい?
レオノーラは一瞬だけ、本当に一瞬だけ言葉を失った。
父が額を押さえる。
母は目を細めた。
クラウスだけが静かにため息をついた。
「どういう意味ですの、それは」
レオノーラはゆっくり問うた。
「理由は複数ございます」
ファルクは淡々としている。
「一つ、若手騎士の間で話題が過熱していること」 「一つ、学院側が安全管理と評価の両立に苦慮していること」 「一つ、レオノーラ様の武を、騎士団としても誤認なく把握したいという意見が出ていること」
全部、面倒ですわね。
本当に全部、面倒だった。
「誤認なく、とは?」
「簡単に申し上げれば」
ファルクの声には、かすかに疲れが混じった。
「騎士団内部で、あなた様の武が神格化されすぎている向きがありまして」
父がぼそりと言った。
「はっきり言うな」
「事実ですので」
ファルクも遠慮がなかった。
レオノーラはその点、むしろ少しだけ好感を持った。
妙に飾られるより、ずっといい。
「つまり」
レオノーラは整理しながら言う。
「騎士団側も、見ないまま噂だけが膨らむのはよろしくない、と?」
「はい」
「一理ございますわね」
認めざるを得ない。
放置すれば、勝手な理想像ばかりが膨らむ。
ならば一度、実際の運用として見せた方がいい。
理屈だけならそうだ。
だが。
「ですが、それを学院実力測定へ持ち込まないでいただきたいですわね」
レオノーラはきっぱり言った。
ファルクもすぐにうなずく。
「本部内でも同意見です」
そこは救いだった。
「ですので、本日の使者は要請ではなく、確認に参りました」
「確認?」
「はい。アルトヴァイス公爵家として、そのような立ち合いを望まれるか否か」
なるほど。
つまり、学院と騎士団で話が少し動きそうになった段階で、先に家の意向を取ろうということか。
レオノーラは少し考え、それから答えた。
「望みませんわ」
即答だった。
ファルクはまばたきもせず受け止めた。
「理由を伺っても?」
「理由は三つございます」
さっきの若手騎士と同じ流れですわね、と少しだけ思ったが、今度は自分が言う側だった。
「一つ」
レオノーラは指を一本立てる。
「学院の実力測定は、あくまで学院の評価ですわ。騎士団が前へ出れば、試験の意味がぶれます」
「はい」
「二つ」
二本目。
「騎士団が立ち合えば、見学者の印象が“学院内の生徒評価”ではなく、“騎士団が見に来る特別案件”へずれます」
父がそこで深くうなずいた。
「その通りだ」
「三つ」
三本目。
「それをされますと、若手騎士の崇拝がむしろ補強されますわ」
これが一番大きい。
「“騎士団本部まで見届ける存在”などという物語を与えるつもりはございません」
静かな言い方だったが、部屋の空気は少しだけ張った。
ファルクは数秒、何も言わなかった。
それから、低く息を吐く。
「……非常に妥当なご判断です」
「ありがとうございます」
「本部としても、立ち合い派へは同様の懸念を示しておりました」
やはりそうですのね。
つまりこの人は、もともとやや反対寄りだったのだろう。
だからこそ、説明が通じる。
「では、そのように伝えてくださる?」
母エレオノーラが穏やかに口を挟む。
「娘は、学院の枠内で評価されることを望んでおります」 「もちろんです」
ファルクは一礼した。
「本日の返答をそのまま持ち帰ります」
そこで父が一つ確認した。
「学院側には、もう話が回っているのか?」
「正式にはまだです」
「まだ?」
「ええ。あくまで騎士団内部で意見が出た段階にございます。学院へ何か申し入れる前に、公爵家のご意向確認を優先いたしました」
かなりまともだ。
いや、だいぶまともだ。
レオノーラは少しだけ肩の力を抜いた。
話がさらに大きくなる前に止められるなら、それが一番いい。
「ファルク様」
「は」
「一つだけ、お願いしても?」
「内容によります」
そこを即答で濁さないのは好印象だった。
「騎士団内部へは、立ち合いの件を見送るだけでなく」
「ええ」
「“学院の枠内で、必要十分に評価される”という認識も一緒に流していただきたいですわ」
要するに、余計な英雄譚の燃料を減らしたい。
「そうすれば、多少は神格化も薄まるかもしれませんもの」
ファルクはそこで、初めてほんの少しだけ笑った。
「なるほど。あなた様ご自身が、一番その神格化を嫌っておられるのですね」
「ええ、かなり」
「分かりました。そこも含めて調整いたしましょう」
助かる。
本当に助かる。
だが、その会話が一区切りついた時点で、レオノーラはもう一つ別のことにも気づいていた。
これだけ本部内で話が動くということは、騎士団内部での自分の扱いは、思っていた以上に大きい。
来週の実力測定。
やはり、ただの学院試験で済む規模ではない。
「……面倒ですわね」
つい本音が漏れた。
ファルクが、わずかに視線を和らげる。
「その感想は、非常に現実的かと」
「光栄ですわ」
「褒めてはいません」
「それは残念ですわね」
少しだけ、空気が和んだ。
その後、形式的な確認をいくつか終え、ファルクは辞去した。
扉が閉まる。
小会議室に、ようやく家族だけの空気が戻る。
「……本当に、次から次へとよく来るものだな」
父が重く言った。
「ええ」
レオノーラは素直に同意した。
「ですが、今回は悪化する前に切れましたわ」
「それはそうね」
母がうなずく。
「しかも、あなた自身の言葉で止められたのは大きいわ」
「どういう意味ですの?」
「“騎士団立ち合いを望まない理由”が、全部きちんと筋が通っていたということよ」
母の言葉に、父も続く。
「感情で嫌がっているのではなく、運用と印象で切った。あれなら相手も納得する」
なるほど。
たしかに、そこは大事かもしれない。
前世でも、ただ“嫌です”ではなく、“何がどのようにまずいか”まで言えた時の方が、相手は引きやすかった。
「お姉様」
クラウスが言う。
「来週の実力測定、また意味が増えましたね」
「ええ」
「学院だけでなく、騎士団への認識補正も兼ねる」
「本当に、仕事が増えるばかりですわ」
「でも、お姉様はもう腹を括っていますよね」
レオノーラはそこで少しだけ黙った。
そして、ゆっくりとうなずく。
「ええ」
もうここまで来れば、腹を括るしかない。
避けたい。
逃げたい。
静かにしていたい。
その気持ちは今も本物だ。
だが一方で、ここまで舞台が整ってしまった以上、使わない手はない。
学院。
婚約。
騎士団。
全部まとめて、少しずつ印象をずらす。
それが今の勝ち筋だ。
「でしたら」
クラウスは淡々と言った。
「明日からは、来週へ向けた言動の精度をさらに上げましょう」
「ええ」
「具体的には、“格好よく見える言い回し”を減らすことです」
やはりそこですのね。
レオノーラは思わず額を押さえたくなった。
「本当にそこ、そんなに問題かしら」
「かなり」
父母弟、三人がそろってうなずいた。
納得がいかない。
いかないが、実際に若手騎士へ刺さっている以上、無視もできない。
「……善処いたしますわ」
「もう少し具体的にお願いします」
クラウスの返しが容赦ない。
「では、実務的にしすぎないよう、実務的に気をつけますわ」
言ってから、少しおかしいと自分でも思った。
母がとうとう笑い、父が顔を覆い、クラウスが深々とため息をつく。
「お姉様」
「何かしら」
「今のも、わりと刺さる側の言い回しです」
「どうしてですの?」
「そこが問題なんです」
レオノーラは少しだけ天井を見上げた。
本当に難しい。
強く見せない。
格好よく見せない。
だが弱くもしない。
そして普通の令嬢にも見せない。
ほとんど綱渡りである。
「……ですが」
やがてレオノーラは口元を引き締めた。
「やりますわ」
父が見る。
母も、クラウスも見る。
「来週の実力測定」
レオノーラは静かに言い切った。
「学院にも、皇太子殿下にも、騎士団にも、“都合の良い解釈”をさせないようにいたします」
それが、今の最終目標だった。
勝手に強さを盛らせない。
勝手に理想の武人にしない。
勝手に婚約へ都合よく繋げさせない。
こちらは、こちらの文脈で立つ。
レオノーラ・アルトヴァイスという女は、誰かの物語のために剣を振るうのではない。
自分の生存と、自分の意思のために振るうのだ。
「それでこそ、お姉様です」
クラウスが静かに言った。
それは少しだけ、嬉しかった。




