第27話 やるなら勝ち筋を作るしかございませんわ
困る。
面倒。
できれば避けたい。
それでも、やるなら勝ち筋を作る。
そう決めた瞬間、レオノーラの中で思考が妙に静かになった。
資材区画の前には、教官補佐とレオノーラ。
そこへアーネスト、リヒャルト、そして少し遅れてアルベルトが加わっている。
最悪とまでは言わない。
だが、決して望ましい布陣ではなかった。
「標的候補、ってことは」
アーネストが資材を見回して言う。
「来週、もうかなり本格的にやるんだな」
「そのようですわ」
レオノーラは短く答えた。
「へえ。面白――」
「お前はそれを口にするな」
リヒャルトが即座に切る。
「分かってるって」
「分かっていないから毎回止めている」
そのやり取りを横目に、教官補佐がアルベルトへ一礼した。
「殿下」
「気にしなくていい。こちらは偶然通っただけだ」
偶然、ですのね。
レオノーラは心の中で少しだけそう思ったが、そこへは触れない。
今ここで重要なのは、余計な会話を増やさないことだ。
「確認は済みました」
教官補佐がレオノーラへ言う。
「意見は伝えます」
「ありがとうございます」
「また詳細が決まれば知らせる」
「承知しましたわ」
これで終わる。
終わってほしい。
そう願ったのだが、もちろん世の中はそこまで甘くない。
「どれを使うつもりなんだ?」
アーネストが聞いた。
聞きますわよね。
ええ、聞きますわよね。
レオノーラは少しだけ息を吐いた。
「まだ決定ではございません」
「でも候補は見たんだろ」
「ええ」
「なら、何を推した?」
「アーネスト様」
レオノーラは穏やかに微笑んだ。
「全部に答える義務はございませんわ」
一拍。
アーネストが、きょとんとした顔をする。
その横でリヒャルトが、わずかに目を細めた。
「……それはそうだな」
意外にも、アーネストはすぐに引いた。
「悪い。つい」
「ええ、つい、ですわね」
少しだけ刺した。
だが必要な線引きだ。
アーネストは困ったように頭をかいた。
「お前、そういうとこはちゃんと嫌だって言うんだな」
「嫌なことは嫌ですもの」
「分かりやすい」
「その分、こちらも分かりやすく申し上げておりますわ」
そこへアルベルトが、静かに口を挟んだ。
「つまり、まだ構成自体を見られたくないのだな」
鋭い。
非常に鋭い。
「ええ」
レオノーラは否定しなかった。
「そのくらいの警戒は、当然ではなくて?」
「当然だろうな」
アルベルトはあっさり頷いた。
「試験は見せ物ではない」
「ええ」
「だが、見られる前提で設計はしている」
その一言に、レオノーラは一瞬だけ黙った。
見抜かれた。
いや、見抜かれるだろうとは思っていた。だが、やはり早い。
「どうかしら」
あえて曖昧に返す。
するとアルベルトは、ごく薄く笑った。
「そういう顔をする時は、だいたい図星だ」
困りますわね。
本当にそう思う。
「殿下、分かるのか?」
アーネストがそこへ乗ってくる。
「分かりやすい」
「俺にはそこまで分からないぞ」
「お前はもう少し人の顔を見ろ」
「見てるだろ」
「違う方向にな」
リヒャルトの言い方が辛辣でよろしい。
レオノーラは、ここでこれ以上話を広げるのは得策ではないと判断した。
「では、わたくしはこれで失礼いたしますわ」
教官補佐へ一礼し、踵を返す。
「おい、待て」
アーネストが条件反射みたいに声をかける。
「何かしら」
「いや、その……」
珍しく言葉を探していた。
「来週、頑張れよ」
意外だった。
もっと軽い茶化し方をされるかと思っていたからだ。
レオノーラは一瞬だけ目を瞬き、それから答えた。
「ありがとうございます」
その返答が予想外だったのか、今度はアーネストの方が少しだけ黙った。
そこへリヒャルトが続ける。
「条件設定の件、筋は通っています」
「そうかしら」
「ええ。安全性と評価の両立を図るなら妥当です」
これも、かなりありがたい評価だった。
「助かりますわ」
「ただし」
「何かしら」
「当日、見ている側はそこまで細かく理解しないでしょう」
「でしょうね」
そこはレオノーラも分かっている。
構成の意図や管理思想まで、全員が正しく読むとは思っていない。
だからこそ、分かりやすい見え方も別に作っておく必要がある。
「そのあたりは、たぶん」
レオノーラは少しだけ口元を引き締めた。
「こちらで調整いたしますわ」
アルベルトが、その言葉にわずかに反応した。
「調整、か」
「ええ」
「やはり、来週はただ受けるつもりではないんだな」
「受けるだけの試験など、あまり意味がございませんもの」
言ってから、少し強すぎたかしら、と思った。
だがもう遅い。
アーネストが楽しそうに笑う。
リヒャルトは半ば諦めた顔。
アルベルトだけが、妙に静かにこちらを見ていた。
「君は本当に、戦う前から勝ち筋を組み立てるんだな」
その言い方は、少しだけ胸に刺さった。
前世でもそうだったからだ。
現場でも、人間関係でも、トラブルでも。
ぶつかる前に、どこが勝ち筋でどこが地雷かを引く癖がある。
「当然ではなくて?」
レオノーラはそう返した。
「負ける気で前に出る方が、不思議ですわ」
資材区画の空気が、一瞬だけ静まる。
教官補佐が低く息を吐いた。
アーネストの目がまた変な輝き方をした。
やめてほしい。
「……やっぱり、騎士団の若手に刺さるわけだ」
ルークではなく、教官補佐がそう呟いた。
しまった。
今のは少し、良いことを言いすぎた気がする。
レオノーラは内心で小さく反省した。
理屈としては本当に当然なのだが、こういう場面で言うと、また勝手に意味づけされる。
「今のは忘れてくださいまし」
即座にそう言ったが、たぶん遅い。
「無理だな」
アーネストが即答した。
「非常に無理ですわ」
「名言だろ、今の」
「名言ではなく実務です」
「そこがまたいい」
「よくありませんわ」
困る。
非常に困る。
だが、そこでアルベルトが意外な形で話を切った。
「もうそのあたりにしておけ」
静かな声だった。
だが、その一言で空気が少し締まる。
「今のは本人の基準の話だ。勝手に飾るな」
レオノーラは、ほんの少しだけ目を見開いた。
そこをそう切るのか。
それは、かなり助かる。
アーネストは軽く肩をすくめた。
「悪い悪い」
「本気で悪いと思っている時の顔ではないな」
「リヒャルト、お前最近ほんと辛辣だな」
助かった。
とても助かった。
だが同時に、またしてもアルベルトに借りを作ったような気がして、少しだけ嫌でもある。
「……では、本当に失礼いたしますわ」
レオノーラは仕切り直すようにそう言った。
今度は誰も止めなかった。
武芸棟から教室棟へ戻る道すがら、レオノーラの頭の中ではさっきの会話が反芻されていた。
来週はただ受けるつもりではない。
勝ち筋を組み立てる。
たしかに、その通りだ。
ならばもっと明確に言語化した方がいい。
勝ち筋とは何か。
学院側には、管理可能な生徒であると示す。
騎士団側には、偶像化しづらい実務的な異質さを見せる。
皇太子には、婚約相手としての面倒さを滲ませる。
そこまでは整理済みだ。
だが、それを一つの場でどう両立させるか。
その詰めがまだ足りない。
「……順番ですわね」
ぽつりと漏らした独り言に、ちょうど教室棟前で合流したクラウスが反応した。
「何がです」
「勝ち筋の見せ方ですわ」
「もう次の段階に入りましたか」
「当然でしょう」
クラウスは少しだけ苦笑した。
「それで?」
レオノーラは弟と並びながら答える。
「全部を一度に見せるのではなく、順番を作るべきですわ」
「どういう順で?」
「最初に学院側へ、制御と安全管理を見せる」
「ええ」
「次に騎士団側へ、価値観のズレを見せる」
「ええ」
「そして最後に、皇太子殿下へ、“面白い”より“面倒”を残す」
クラウスは数秒だけ考え込み、それから小さく頷いた。
「かなり良いです」
「でしょう?」
「ええ。少なくとも、“全部盛りで何となくすごい”よりはずっといい」
「その言い方、ひどくなくて?」
「褒めています」
つまり来週は、ただ剣を振るう場ではない。
印象を順番に積む場だ。
そう考えると、やるべきことはもう少し具体化できる。
「お姉様」
「何かしら」
「最後の“面倒”は、どう出すおつもりです?」
そこが核心だった。
レオノーラは少しだけ目を細めた。
「たぶん」
「ええ」
「基準、ですわね」
「基準?」
「ええ。わたくしにとっての“十分”や“適正”が、周囲と少し違うと自然に分かればよろしいのではなくて?」
つまり、強いかどうかではない。
何を当然と思っているか。
そこにずれがあると伝わればいい。
婚約条件を直球で言う必要はない。
だが、基準の異常さが少し透ければ、察する者は察する。
「……なるほど」
クラウスは深く頷いた。
「それなら、殿下にも刺さりますね」
「できれば刺さらないでほしいのですけれど」
「そこは難しいでしょうね」
まったくその通りである。
教室へ戻ると、次の授業までまだ少し時間があった。
レオノーラは席へ着くなり、さっと紙を一枚取り出す。
短く書く。
来週の順番
1 制御
2 安全
3 基準のずれ
4 面倒さを残す
「何を書いてるんだ?」
前の席のアーネストが振り返る。
「企業秘密ですわ」
「企業?」
「気にしないでくださいまし」
「余計気になるだろ」
だが今度は、それ以上食いついてこなかった。
少しだけ学習しているのかもしれない。
その日の残りの授業は、比較的静かだった。
もちろん完全な静寂ではない。
だがもう、朝から何かが爆発するような展開はない。
だからこそ、レオノーラは逆に来週のことばかり考えていた。
武芸棟。
標的。
見学者。
皇太子。
騎士科の上級生。
舞台は整いつつある。
整ってしまっている。
ならばこちらも、ただ乗せられるのではなく、自分の形で使うしかない。
放課後、屋敷へ戻る馬車の中で、レオノーラは静かに結論していた。
来週の実力測定は、防戦では足りない。
受け身では負ける。
ならば――
こちらから、どう見せるかを先に決める。
それしかない。
そしてその夜。
レオノーラが自室で来週の設計をさらに詰めていた時、屋敷の廊下を慌ただしく走る足音が聞こえた。
珍しい。
扉が叩かれる。
「お嬢様!」
侍女の声は、明らかにいつもより切迫していた。
「何かしら」
「ただいま帝国騎士団本部より急使が――」
レオノーラは顔を上げる。
そして、静かに思った。
――今度は何が増えますの。




