第26話 やはり、向こうも本気で準備しておりますのね
――やはり、向こうも本気で準備しておりますのね。
レオノーラは武芸棟の前で足を止めたまま、静かにそう思った。
目の前には、剣術教官補佐の一人。
年の頃は三十前後、背は高く、いかにも実務派の騎士といった風貌である。
表情に無駄がなく、用件だけを持って来た顔だった。
「標的の候補、ですの?」
「はい」
教官補佐は端的に頷いた。
「来週の実力測定で使用するものです。あなたの場合、通常の木標的や藁束だけでは意味が薄いので、事前に適正を見ておくべきだと判断されました」
意味が薄い。
だいぶはっきり言う。
だが、間違ってもいない。
「わたくしに選ばせるのですか」
「最終判断は教官側です」
「ですが、意見は聞く、と」
「ええ」
それは悪くない話だった。
向こうが本気で準備しているなら、こちらも本気で条件を整えられる。
そして何より、試験の設計段階に少しでも関われるのは大きい。
前世でもそうだった。
運用の現場では、当日より前に条件を詰められる者が強い。
「分かりましたわ」
レオノーラは即答した。
「見せていただけます?」
「こちらです」
教官補佐に案内され、武芸棟の裏手にある資材区画へ回る。
そこには、すでにいくつかの標的が並べられていた。
普通の藁束。
厚みのある木標的。
金属補強された打ち込み用の柱。
さらに、見たことのない複合素材の板まである。
これはだいぶ本気だ。
「多いですわね」
「あなた用として考えられているのは、主に四種です」
教官補佐は、一つずつ示しながら説明した。
「一つ目は、通常強化型の木標的。これは比較用」 「二つ目は、金属帯補強の丸柱。衝撃分散を見るためのもの」 「三つ目は、複合板標的。切断と停止精度を同時に確認できます」 「四つ目は――」
そこで彼は、最後の一つへ視線を向けた。
「騎士科実戦訓練用の模擬装甲板です」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
模擬装甲板。
つまり、実戦で鎧や防具への通り方を想定した訓練材だろう。
一般の新入生基礎で使うには、だいぶ重い。
「そこまで必要でして?」
レオノーラが問うと、教官補佐は一拍置いてから答えた。
「正直に申します」
「ええ」
「あなたの評価で揉めています」
率直だった。
嫌いではない。
「どう揉めておりますの?」
「“新入生基礎で扱う範囲を超えている”という意見と、“だからこそ学院内で安全に評価しなければならない”という意見です」
なるほど。
そこはもう、何となく予想していた通りだ。
レオノーラは四つの標的を順番に見渡した。
重要なのは、壊せるかどうかではない。
何を見せたいかである。
「先に申し上げますわ」
レオノーラは静かに言った。
「わたくし、模擬装甲板は反対です」
教官補佐の眉がわずかに動く。
「理由を伺っても?」
「印象が強すぎますもの」
これはかなり大事な点だった。
「学院側は安全管理と制御を見たいのでしょう?」 「ええ」 「でしたら、装甲板は過剰ですわ」 「なぜです?」
レオノーラは迷いなく答えた。
「通れば“やはり規格外”となります」 「通らなければ“なぜ装甲板を用意した”になります」 「どちらに転んでも、試験の本質からずれますわ」
教官補佐は数秒黙った。
そして、小さく頷く。
「……たしかに」
よし。
この反応なら通る。
「では、何が適切だと?」
「複合板標的と金属帯補強丸柱の組み合わせがよろしいかと」
レオノーラは三つ目と二つ目を指した。
「複合板で軌道と停止、丸柱で衝撃制御を見る」 「両方とも、過剰な見世物にはなりにくい」 「それでいて、制御の差は明確に出せますわ」
「通常強化型の木標的は?」
「比較としては有効ですが、主課題には不要です」 「理由は?」 「わたくしにとっても、見ている側にとっても、結果が単純すぎますもの」
木標的は斬れるか斬れないかが分かりやすい。
分かりやすすぎる。
それは一見良さそうに見えて、今回の目的には合わない。
派手さだけが前に出る危険がある。
「今回必要なのは、“強い”ではなく“どう扱っているか”ですわ」
教官補佐は、そこでほんの少しだけ目つきを変えた。
ただの意見聴取ではなくなったのだろう。
今の一言で、レオノーラが試験の趣旨を正確に理解していると伝わったはずだ。
「なるほど」
彼は低く言った。
「あなたは、試験を“突破する場”としてではなく、“印象管理の場”として見ているのですね」
鋭い。
かなり鋭い。
レオノーラは一瞬だけ黙り、それからやや曖昧に返した。
「学院で行う以上、印象は無視できませんもの」
「否定はしないのですね」
「できませんわ」
教官補佐は、小さく息を吐いた。
「面白い方ですね」
その評価はあまり嬉しくない。
「面白がられるのは困りますわ」
「失礼。ですが、少なくとも、ただ強いだけの生徒ではないと分かりました」
それは悪くない。
むしろだいぶ望ましい。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。こちらとしても助かる」
そこで彼は少しだけ声を落とした。
「正直、教員側でもあなたを“どう扱うべきか”で見方が割れています」
「ええ」
「危険物として厳格管理すべきという意見」 「才能として広く見せるべきという意見」 「通常枠に混ぜて、運用可能性を見るべきという意見」
やはりそうですのね。
レオノーラは内心で頷いた。
「あなたの今の意見は、三つ目を後押しします」 「でしたら何よりですわ」
ここでふと、レオノーラは一つ気になったことを尋ねる。
「先輩」 「先輩、ですか」 「教官補佐ですもの」 「……まあ、間違いではありません」
少しだけ面白そうにされた。
やめてほしい。
「何を気にしている?」
「この標的選定、誰の発案ですの?」
教官補佐は、ほんの一瞬だけ迷うような間を置いた。
「複数名です」
「その中に、騎士科の上級生は?」
「……ええ」
やはり。
「ヴァンハイム先輩も?」
「はい」
レオノーラは少しだけ視線を逸らした。
あの人、だいぶ本気でこちらの運用を考えている。
ありがたい。
だが、ありがたいと思うほどに、周囲との接点が増えるのが困る。
「困っている顔をしますね」
教官補佐が、少しだけ口元を緩めた。
「困っておりますもの」
「ヴァンハイムに借りを作るのが?」
「借りというより、関係が増えるのが」
「なるほど」
妙に納得された。
「距離を保ちたいのに、まともな人ほど助けてくる」 「そういうことが、最近多いですわ」 「それはまあ……」 教官補佐は少しだけ考える顔になった。 「見ていて助けたくなるのでしょう」 「やめていただきたいですわね」 「それはたぶん無理です」 「でしょうね」
不本意ながら、そこは理解している。
そこで彼は、改めて標的の方へ視線を戻した。
「分かりました。あなたの意見は伝えます」
「ありがとうございます」
「ただし」 「何かしら」 「当日の構成は最終的に教員側で決めます」
「当然ですわ」
「そこに不満は?」 「ございません。事前に意見を聞いてくださっただけで十分ですもの」
それも本心だった。
最初からこちらの希望通りになるとは思っていない。
だが、何も知らされず、何も言えずに当日を迎えるのとは全く違う。
そしてその時、資材区画の入り口側から、また誰かの気配が近づいた。
レオノーラは反射的にそちらを見る。
見慣れた顔だった。
アーネスト。
その後ろにリヒャルト。
さらに、少し離れてアルベルト。
どうして皆さま、そう揃って動かれますの。
レオノーラは心の中で本気で頭を抱えた。
「……何をしているんだ?」
アーネストが興味津々の顔で聞く。
やめてほしい。
この問いかけの後に広がる会話ほど、ろくなものがない。
だが教官補佐が先に答えた。
「来週の実力測定について、標的候補を確認していた」
あっさり言いましたわね。
とはいえ、別に隠す話でもない。
むしろ変に隠す方が不自然だ。
「へえ」
アーネストの目が完全に輝いた。
「もうそんな段階か」 「やめておけ」 リヒャルトが低く言う。 「何がだよ」 「顔がうるさい」 「そんな言い方あるか?」
レオノーラは、そこで一つだけ確信した。
来週の実力測定。
やはり、ただの学院試験では終わらない。
向こうも本気で準備している。
そしてこちらの周囲も、想像以上に本気で見に来る。
ならばもう、やることは一つだ。
最初から、こちらの土俵で見せる。
そう決めた時、レオノーラの中で何かがすっと定まった。
困る。
面倒。
できれば避けたい。
それでも、やるなら勝ち筋を作る。
それがレオノーラ・アルトヴァイスという女だった。




