第24話 朝の応接間に騎士団の若手がいる時点で、穏やかな一日の気配は完全に消えましたわね
――本当に、休ませる気がございませんのね。
レオノーラは応接間の入口で足を止めたまま、心の中でそう結論づけた。
目の前には、帝国騎士団第三隊所属を名乗る若い騎士が二人。
二人とも年の頃は二十代前半ほどだろうか。姿勢はよく、制服も乱れていない。だが、その眼差しだけが妙に熱い。
嫌な予感しかしない。
「レオノーラ様」
「我ら、帝国騎士団第三隊所属にございます」
「どうか一つ、ご指導を賜りたく――」
やめてくださいまし。
朝からその単語は本当にやめてくださいまし。
レオノーラは表情だけは完璧に保ったまま、ゆっくりと応接間へ入った。
父ヴァルターと母エレオノーラはすでに着席している。
つまり、この二人を追い返せなかったということだ。
クラウスは壁際に立っていたが、顔がだいぶ引いていた。
珍しい。
いや、珍しくもないかもしれない。姉が帝国騎士団の若手から朝一番で師事を願われているのだから。
「ごきげんよう」
レオノーラは席へ着く前に一礼した。
「まず確認いたしますわ。これは正式な騎士団からの申し入れではございませんわね?」
二人の若手騎士が、ぴしりと姿勢を正す。
「はい!」
「我ら個人の願いにございます!」
でしょうね。
レオノーラは少しだけ安心した。
これが正式な申し入れなら、話はもっと面倒だった。
「なぜ、わたくしにそのようなお話を?」
落ち着いて問う。
すると、向かって右側の騎士が胸を張って答えた。
「レオノーラ様は剣聖にございます!」
やめてくださいまし。
左側の騎士も熱を込めて続ける。
「竜を単騎で討ち、あの大剣を御身の延長のように扱われる!」
「しかも驕らず、ただ当然のように鍛錬を重ねられるその御姿――まさに、我ら若輩の目指すべき理想!」
父が、静かに天を仰いだ。
母は扇で口元を隠している。
笑っているのか、頭痛をこらえているのか判別しづらい。
たぶん両方だ。
クラウスだけが、ひどく冷静に口を開いた。
「お二人とも」
「はっ」
「姉は、そういう評価を受けると非常に困ります」
その忠告は正しい。
実に正しい。
だが若手騎士二人は、一瞬だけ固まり、それから妙に感動した顔になった。
「やはり……!」
「名声を厭われるのですね……!」
やめてくださいまし。
そこをそう解釈しないでくださいまし。
レオノーラは、今度こそ本気でこめかみを押さえたくなった。
「違いますわ」
きっぱりと言う。
「わたくしは単に、朝から騒がしいのが嫌なだけですの」
一拍の沈黙。
若手騎士たちは互いに顔を見合わせた。
そして、なぜか揃って深く頷いた。
「飾らない……!」
「これこそ本物……!」
通じていない。
レオノーラは静かに悟った。
この手合いは、まともに説明するほど補強される。
前世でもあった。
相手が都合のいい物語を作り始めた時、正面から否定すると、その否定すら材料にされる。
つまり今必要なのは、説得ではない。
収束だ。
「お父様」
レオノーラは父へ向き直った。
「こちらのお二方は、どのような経緯でここへ?」
父は咳払いを一つして答えた。
「今朝、騎士団詰所経由で面会を求めてきた。正式な要請ではないが、第三隊隊長の副官が“失礼のないようにするから一度だけ話を聞いてやってほしい”と」
なるほど。
つまり、若手の暴走を完全には止めきれなかったが、せめて正式問題化しない範囲で処理したい、ということか。
だいぶ分かる。
レオノーラとしても、その副官には少し同情した。
「それで、ご指導とは具体的に何ですの?」
問い直すと、若手騎士の一人が勢いよく答える。
「来週の非番日に、どうか一度だけ稽古を――」
「お断りしますわ」
即答だった。
二人が同時に固まった。
父が少しだけ安堵した顔になる。
母は扇の陰で、やはり少し笑っている。
「り、理由を伺っても……?」
若手騎士の問いに、レオノーラは淡々と答えた。
「学院の実力測定が控えておりますもの」
「は」
「今はそちらが先ですわ。わたくし、自分の予定を崩してまで、騎士団の若手教育を引き受ける立場にはございません」
かなりはっきり言った。
だが、これは必要な線引きだ。
若手騎士二人はしゅんとした。
よし。
ここで下がってくれれば助かる。
だが、右側の騎士が次の瞬間、思いもよらない方向へ食いついた。
「実力測定……!」
「つまり今は、学院の務めを優先なさると……!」
「私情ではなく、まず公の責務を……!」
やめてくださいまし。
本当にやめてくださいまし。
レオノーラは数秒だけ沈黙した。
父も黙った。
クラウスは静かに目を閉じた。
母だけが、とうとう肩を震わせ始めた。
「……お母様」
「ごめんなさいね」
全然ごめんと思っていない声だった。
「でも、これはもう少し笑ってしまうわ」
「笑い事ではございませんわ」
「そうなのだけれど、本当に見事に噛み合わないのですもの」
それはたしかにそうだ。
若手騎士二人はレオノーラを“高潔な剣聖”として見ている。
レオノーラ本人は“実力測定前に余計な予定を入れたくないだけ”でしかない。
認識が噛み合う余地がない。
「では」
左側の騎士が、今度はやや慎重な声で言った。
「実力測定の後でしたら……?」
しつこいですわね。
だが、むしろここで曖昧にすると長引く。
レオノーラはきっぱりと答えた。
「その時は、その時に考えますわ」
完全拒絶ではない。
だが約束もしていない。
前世でも、こういう時は“今ここで確約しない”のが鉄則だった。
断りきれないなら保留。
だが保留を希望と受け取らせすぎてもいけない。
「少なくとも、現時点ではお受けいたしません」
はっきりと重ねる。
「理由は三つございます」
「三つ……!」
なぜそんなに嬉しそうなのか。
「一つ。学院の予定が優先であること」
「はい!」
「二つ。わたくしは騎士団の正式な指導役ではございませんこと」
「……はい」
「三つ。わたくしは、自分が指導に向く性格だと思っておりませんわ」
これは本音だった。
教えること自体は嫌いではない。
だが、一般的な若手騎士へ“崇拝込み”で向き合われるのは違う。たぶんろくなことにならない。
二人は今度こそ、やや現実を理解したらしい。
肩を落としつつ、一礼した。
「出過ぎた願い、失礼いたしました」
「ご寛恕いただければ」
「ええ」
レオノーラも礼を返す。
「熱意そのものを否定するつもりはございませんわ。ただ、向け先は選びなさい」
すると、また二人が少しだけ顔を上げた。
やめてくださいまし、その顔をしないでくださいまし。
何か受け取ろうとしないでくださいまし。
「向け先、でございますか」
「ええ」
ここは慎重に、とレオノーラは頭の中で線を引いた。
「本当に強くなりたいなら、手の届かぬ偶像へかぶれるより、目の前の上官や教官から盗めるものを盗む方が早いですわ」
言ったあとで、しまった、と思った。
これはだいぶ良いことを言ってしまった気がする。
案の定、若手騎士二人が目を見開く。
「なるほど……!」
「目の前の実務を積め、と……!」
違いますわ。
いや、半分くらいはそうですけれど。
ですが、そこまで感動しないでくださいまし。
ルーク先輩の忠告が脳裏をよぎった。
笑って流せ。まともに相手すると余計に燃える。
まったくその通りである。
レオノーラは、ここで会話を切ることにした。
「以上ですわ」
きっぱり言う。
「学院へ向かう時間ですので、これ以上は失礼いたします」
「はっ」
「貴重なお時間をいただき、感謝申し上げます!」
二人は深々と礼をして辞した。
扉が閉まる。
ようやく静かになった応接間で、レオノーラは一言だけ漏らした。
「……疲れましたわ」
父が深く頷く。
「見ているだけでも疲れた」
「わたくしは当事者ですわ」
「そうだろうな」
母はまだ少し笑いを引きずっていたが、やがて扇を閉じて言った。
「でも、一つ分かったわね」
「何がですの?」
「あなた、若手騎士に本当に刺さるのね」
嬉しくない事実確認だった。
「いりませんわ、その人気」
「でも現実としてある以上、使い方は考えないといけないわ」
それもまた正しい。
レオノーラは小さく息を吐いた。
「偶像化は困りますわ」
「ええ」
母は真面目な声になった。
「だから、崇拝の対象ではなく、“遠くから見ているだけでは分からない、実務と規律の人”だと分からせるのよ」
そこはクラウスとも一致している。
要するに、理想像の武人ではなく、
実務にうるさい現場型の変な公爵令嬢
として印象をずらすのだ。
「お父様」
レオノーラは父を見た。
「来週の実力測定、騎士団側にも見学が広がる可能性が高いですわ」
「だろうな」
「ならなおさら、完全別枠は避けるべきです」
「そこは同意する」
父も頷いた。
「学院側にはこちらからも一度確認を入れる。お前自身も、必要ならはっきり言え」
「承知しましたわ」
クラウスが壁際から言った。
「お姉様」
「何かしら」
「今の若手騎士二人への対応、八割くらいは正解でした」
「残り二割は?」
「“目の前の上官や教官から盗めるものを盗う方が早い”は、少し格好良すぎました」
やはりそこですのね。
レオノーラは項垂れたくなった。
「実務的なことを申し上げただけですわ」
「お姉様の実務的は、たまに武人の名言になります」
ひどい。
だが、否定しにくい。
父が少しだけ呻くように言った。
「来週までに、これ以上妙なファンを増やすなよ」
「努力いたしますわ」
「お前、その返ししかできんのか」
「善処よりはマシではなくて?」
「誤差だ」
それは少しだけ笑えた。
レオノーラは立ち上がる。
「では、学院へ参りますわ」
「気をつけてなさい」
「ええ」
屋敷を出て馬車へ向かうまでの間にも、レオノーラの頭の中では考えが回っていた。
若手騎士は、実力だけでなく言葉にも反応する。
ならば来週の実力測定では、
何を言うか
も相当重要になる。
強さを見せるだけでは足りない。
変に格好つければ偶像化が進む。
逆に突き放しすぎれば学院側の印象が悪くなる。
つまり必要なのは、
強い。 だが夢を見せない。 現実的で、規律を重んじ、少しばかり面倒。
その線だ。
「……本当に、調整の連続ですわね」
馬車の中でそう呟くと、クラウスが小さく返した。
「お姉様は昔からそうです」
「そうかしら」
「ええ」
弟は淡々としていた。
「力任せに見えて、実際にはずっと調整しています」
その言葉には、少しだけ救われた。
他人からどう見えているかはともかく、少なくとも家族は自分を分かっている。
それだけでも十分ありがたい。
学院へ着く頃には、レオノーラの頭の中で来週へ向けた方針がまた少しだけ明確になっていた。
だが、その日一日が静かだったかと言われれば、もちろんそうはならない。
なにせ一組の教室へ入った瞬間、アーネストが嬉々としてこう言ったのだから。
「朝から騎士団の若手に会ってたって本当か?」
やはり情報が回るの、早すぎませんこと?




