第23話 静かな学院生活は難しくても、どう騒がしくするかを選べるなら、まだこちらの勝ち筋はございますわ
それだけでも十分な武器だった。
レオノーラは馬車の窓から夕暮れの街並みを見ながら、静かにそう考えていた。
問題は増えている。
婚約話。
実力測定。
騎士団での妙な人気。
そして学院内での立ち位置。
だが、全部が制御不能というわけではない。
少なくとも今は、まだ選べる。
どう見せるか。
何を見せるか。
誰に何を誤解させ、誰には何を理解させるか。
そのあたりは、まだ自分の手の内だ。
「お姉様」
「何かしら」
「少しだけ顔色が戻りましたね」
「そうかしら」
「ええ。馬車に乗った直後は、騎士団をまとめて埋めてしまいそうなお顔でした」
ひどい言われようだった。
「そこまで物騒ではありませんわ」
「そこまでではなくても、だいぶ嫌そうではありました」
それは否定しない。
レオノーラは素直に頷いた。
「嫌ですもの」
「でしょうね」
「知らぬところで妙な二つ名が増えているのは、本当に気分がよろしくありませんわ」
「剣聖令嬢、でしたか」
「ええ」
「竜断ちの公爵令嬢、も」
「それもですわ」
クラウスは少しだけ考え込んでから言った。
「お姉様」
「何かしら」
「来週の実力測定で、それらの印象を薄めるのは難しいと思います」
「でしょうね」
「ですが、方向を変えることはできます」
レオノーラは弟を見た。
「どう変えるの?」
「“憧れの対象”から“理解しづらい対象”へです」
なるほど。
レオノーラはそこで少しだけ口元を緩めた。
「あなた、本当に頭が回りますわね」
「知っております」
「自分で言うのは、だいぶ図太いと思いますの」
「お姉様にだけは言われたくありません」
それはそうかもしれない。
だがクラウスの整理は正しい。
騎士団の若手が勝手にかぶれているのは、レオノーラを“理想の武人”として見ているからだ。
ならば、その像を少し崩せばいい。
ただし弱く見せる必要はない。
むしろそこは逆効果だ。
必要なのは、
強い。 だが、普通の物差しでは測れない。 だから安易に理想化すると危険。
その印象である。
「そうですわね……」
レオノーラは小さく呟いた。
「騎士団にとって都合のいい偶像になるのは、よろしくありませんもの」
「ええ」
「ですが、ただ扱いづらいだけでは、学院側の評価も悪くなりますわ」
「ですから」
クラウスは指を一本立てた。
「学院には“制御可能”を見せる」
次に二本目。
「騎士団には“理解不能”を見せる」
三本目。
「婚約相手候補としては“面倒”を見せる」
見事だった。
かなり見事だ。
「採用ですわ」
「ありがとうございます」
この弟は、補佐役としてあまりにも優秀である。
できれば学院にも一緒に通ってほしいくらいだが、それは無理だ。
「ただし」
クラウスが続ける。
「一つだけ問題があります」
「何かしら」
「殿下です」
やはりそこへ戻る。
「でしょうね」
「お姉様の“面倒さ”や“異質さ”を見ても、殿下は引くより先に理解しようとします」
そこが厄介だった。
単純に嫌われるなら楽なのだ。
皇太子が
“この公爵令嬢は扱いづらいからやめておこう”
となってくれれば、かなり助かる。
だがアルベルトはそうではない。
扱いづらさを認識しても、それを理由に退くタイプには見えない。
「……本当に面倒ですわね」
「ええ」
クラウスはためらいなく頷いた。
「ですから、お姉様が来週やるべきことは一つです」
「ええ」
「殿下に“興味深い”ではなく“実際に婚約すると面倒が多すぎる”と思わせることです」
それは、なかなか高度な要求だった。
「興味深い相手」 と 「婚約相手としては避けたい相手」 は、似ているようでだいぶ違う。
前者は物語になる。
後者は実務上の損失になる。
つまりアルベルトに必要なのは、ロマンではなくコスト計算をさせることだ。
「……ええ」
レオノーラはゆっくり頷いた。
「それですわね」
馬車が屋敷へ着くころには、レオノーラの頭の中でかなりの整理が進んでいた。
その夜、彼女は自室で再び紙を広げた。
今度は中央にこう書く。
来週の実力測定で与える印象
そこから枝分かれ。
学院側 ・制御可能 ・指示に従う ・空間認識がある ・安全意識が高い
騎士団・武芸系 ・強い ・だが単純な武人理想像ではない ・勝手にかぶれると危険 ・価値観がずれている
皇太子 ・面白いでは済まない ・婚約すると調整コストが高い ・普通の妃候補ではない ・本人の意思が強すぎる
「……」
書いてみると、だいぶはっきりする。
つまり必要なのは、実力測定それ自体より、その前後の言動だ。
剣だけでは足りない。
剣をどう捉えているか、何を当然と思っているか、そこが重要になる。
レオノーラは羽根ペンをくるりと回し、次の欄へ書いた。
避けるべきこと ・見せつけるような発言 ・安易な挑発 ・皇太子を意識しすぎた反応 ・騎士科の若手を喜ばせるような台詞
ここで少しだけ手が止まる。
騎士科の若手を喜ばせるような台詞。
これが意外と難しい。
なにせレオノーラ本人にとっては、実務的な当然が、向こうには格好良く聞こえるらしいのだ。
たとえば、
「安全管理は必要ですわ」 ですら、 「さすが実戦派……」 みたいに受け取られかねない。
「本当に、面倒ですわね……」
思わず独り言が漏れたところで、またノックが鳴った。
「お姉様」
「ええ、クラウス」
今日の弟は出入りが多い。
だが、こちらとしてもありがたい。
入ってきたクラウスは、今度は紙へ視線を落とす前に言った。
「母上が伝言を」
「何かしら」
「明日、朝のうちに少しだけ奥様方の来客があるそうです」
レオノーラは眉を寄せた。
「奥様方?」
「ええ。たぶん、学院初日と婚約の噂がらみかと」
やはりそうですのね。
公爵家というものは、本当に情報の回りが早い。
しかも学院で何かあれば、その日のうちに親世代へ届いてもおかしくない。
つまり明日は、学院へ行く前から社交戦が始まる可能性がある。
「……お母様は何と?」
「“レオノーラは普通にしていなさい”と」
「それが一番難しいのですけれど」
「母上もそう仰っていました」
困る。
非常に困る。
だが、これもまた避けられないのだろう。
「分かりましたわ」
レオノーラは頷いた。
「学院前に変に疲れないようにいたします」
「それが賢明です」
クラウスは机上の紙へ視線を移し、少しだけ口元を緩めた。
「かなり整理されましたね」
「ええ」
「でも、一つ足りません」
「何かしら」
「お姉様ご自身です」
レオノーラは目を瞬いた。
「わたくし?」
「はい」
クラウスは静かに言う。
「お姉様はいつも、学院側、殿下、騎士団、周囲の視線ばかり整理します」
「必要ですもの」
「必要です。ですが、今回はお姉様自身の消耗も考えた方がいい」
それは盲点だった。
いや、完全な盲点ではない。
ただ優先順位の下に置いていた。
だが、たしかにその通りだ。
婚約話。
実力測定。
騎士団の妙な崇拝。
これだけ立て続けに来て、平気なわけがない。
レオノーラは意識して平然としている。
だが、それと疲労がないことは別だ。
「……少しは、疲れておりますわね」
「でしょう」
「認めるのが悔しいですけれど」
「そこは認めてください」
クラウスは少しだけ表情を柔らかくした。
「お姉様は、追い込まれるほど頭が回るところがあります」
「良いことではなくて?」
「半分は」
「残り半分は?」
「限界まで気づかないことです」
図星だった。
前世でもそうだった気がする。
切羽詰まっている間は平気で、終わったあとに一気に落ちる。そういうところがある。
「ですから」
クラウスは最後に言った。
「来週までは、意図的に休む時間も作ってください」
「……努力いたしますわ」
「そこは善処ではないのですね」
「そこまで信用がないの?」
「かなり」
はっきり言われた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
気を遣って言っているのが分かるからだ。
クラウスが部屋を出たあと、レオノーラは机上の紙へ最後の一行を書き足した。
自分を消耗しすぎないこと
かなり大事だ。
結局のところ、婚約回避も、学院での立ち回りも、剣の管理も、全部は自分が動くことでしか進まない。
ならば、自分を壊さないことは最優先の一つである。
「……本当に、実務ですわね」
夢も色気もない。
だがレオノーラには、むしろその方がしっくり来た。
乙女ゲームの悪役令嬢。
皇太子との婚約。
学院生活。
本来なら華やかな物語のはずなのに、自分がやっていることは完全に危機管理と運用設計である。
だが、それでいい。
それが自分なのだから。
夜が更け、紙をしまい、灯りを落とす頃には、レオノーラの頭の中はかなり静かになっていた。
問題はまだ山積みだ。
だが、輪郭は見えた。
だから眠れる。
そう思った、その翌朝。
朝の応接間でレオノーラを待っていたのは、社交界の奥様方ではなく、見覚えのない騎士団の若手二人だった。
そして二人は、レオノーラの姿を見た瞬間、やたらと真剣な顔で一礼し、こう言った。
「レオノーラ様」
「我ら、帝国騎士団第三隊所属にございます」
「どうか一つ、ご指導を賜りたく――」
レオノーラは足を止めた。
そして、静かに思った。
――本当に、休ませる気がございませんのね。




