第22話 帝国騎士団で変な人気があると聞かされた時点で、わたくしの知らないところで話が大きくなっておりますわね
かなり面倒な戦いになる。
そう思っていた矢先に、教室前で上級生に呼び止められ、完全別枠案まで浮上していたのだから、もはや静かな学院生活という言葉自体が遠い夢に思えてくる。
それでも、完全別枠を回避できそうだと分かっただけで収穫はあった。
問題は、そこから先である。
教室の扉を開ける前、ルークはふいに足を止めた。
「アルトヴァイス嬢」
「何かしら」
「もう一つ、言っておくべきことがある」
レオノーラは少しだけ眉を寄せた。
まだあるのですの?
そう思ったが、口には出さない。
ルークの顔つきは真面目だ。軽口ではない。
「何でございましょう」
「お前、自分が騎士団でどう見られているか、どこまで把握してる?」
レオノーラは数秒考えた。
「多少、武勇伝が流れている程度ではなくて?」
「多少、ね」
ルークは片手で額を押さえた。
「その認識は改めた方がいい」
嫌な予感しかしない。
「……どういう意味ですの?」
「若手を中心に、だいぶ変な人気がある」
変な人気。
ひどい言い方だが、たぶん正しいのだろう。
美化せずに言うところに、むしろ誠実さを感じる。
「具体的には?」
「剣聖令嬢、竜断ちの公爵令嬢、巨剣の姫騎士……そのあたりの呼ばれ方をしてる」
やめてくださいまし。
レオノーラは本気でそう思った。
ひどい。
非常にひどい。
「何ですの、それは」
「俺に言うな」
「言いますわよ。初耳ですもの」
「初耳なのはそうだろうな」
ルークは乾いた声で言った。
「お前、自分からそういう連中の集まりに近づかないだろ」
「当然ですわ。面倒ですもの」
「だから余計に神格化が進むんだよ」
なるほど。
なるほど……ではない。
なぜ近づかないことが神格化に繋がるのか。
理解はできる。できるが納得はしたくない。
「どういう理屈ですの?」
「距離があるから、勝手に理想像になる」
ルークは淡々と説明した。
「しかもお前、竜を斃しただの、大剣を振るうだの、実際の実績まである。若手や実戦派からすると、かなり危険な刺さり方をしてる」
「危険な刺さり方」
「“本物だ”って意味でな」
レオノーラは少し黙った。
専門家に認められること自体は、悪いことではない。
だが今の文脈では、明らかに良い意味だけではない。
「……それが、今回の別枠案にも?」
「多少は影響してる」
ルークは隠さなかった。
「完全別枠にすると、“やっぱり学院でも別格扱いか”って騎士科連中が騒ぐ」 「通常枠に混ぜると、“どこまでやれるか見たい”って目が増える」 「どっちに転んでも面倒だ」
最悪ですわね。
レオノーラは心の中で静かにうめいた。
知らないところで、勝手に評価され、勝手に期待され、勝手に神格化されている。
前世でも多少はあった。
だが、ここまで規模の大きい“勝手な物語化”はさすがに経験がない。
「先輩」
「何だ」
「わたくし、別に崇拝されたいわけではございませんのに」
「知ってる」
「知っていて放置されているのです?」
「全部は止められん」
ルークは肩をすくめた。
「それに、表立って礼を失してるわけじゃないから、上も潰しづらい」
そこがまた厄介だった。
失礼でも反逆でもない。
ただ、勝手に憧れて勝手に盛り上がっているだけ。
となると、統制のしようがない。
「ちなみに」
ルークは少しだけ言いづらそうに続けた。
「お前の学院入学、騎士科の上級生にはだいぶ話が回ってる」
「……でしょうね」
「“あの剣聖令嬢が来た”ってな」
やめてほしい。
本当にやめてほしい。
レオノーラは静かに目を閉じたくなった。
教室へ向かうだけで視線が多かった理由の、一端が分かった気がする。
単に大剣を背負っているからではない。
事前情報が回っていたのだ。
「ですので、来週の実力測定も見られる、と」
「そういうことだ」
ルークははっきり頷いた。
「殿下だけじゃない。騎士科の上級生や教員補佐も、かなり見に来る可能性がある」
面倒ですわね、が、今日はもう通り越している。
これはもはや、避けられない舞台だ。
レオノーラは数秒だけ黙り、やがて静かに息を吐いた。
「……分かりましたわ」
「何がだ」
「隠しきれないなら、見せ方を選ぶしかございませんもの」
ルークの目が、少しだけ変わった。
たぶん今の返答が、彼の求めていた水準だったのだろう。
「そういうところだよ」
「何がですの?」
「騎士団の連中が妙にかぶれる理由だ」
やめてくださいまし。
レオノーラは内心でそう返したが、表情は崩さなかった。
「わたくしは現実的なだけですわ」
「そういう“現実的”の方向が、若手連中には刺さるんだよ」
「意味が分かりませんわね」
「分からなくていい」
ルークはそこで話を切った。
「とにかく、来週は“強い”を見せるだけじゃ駄目だ。“騎士団にとって便利な偶像”にもなるな」
その言い回しは、かなり胸に刺さった。
便利な偶像。
たしかに、それが一番まずい。
強くて。
理にかなっていて。
高潔そうに見えて。
しかも手の届かない公爵令嬢。
そんな像を勝手に作られたら、今後ずっと面倒になる。
「先輩」
「何だ」
「本日は、本当にありがとうございました」
レオノーラは今度こそ、心からそう言った。
「ここまで具体的に伺えたのは助かりますわ」
「そうか」
ルークは少しだけ目を逸らした。
「ならいい」
その反応を見る限り、この人は本当に“役に立つ情報だから伝えた”だけなのだろう。
好感が持てる。
そして、だからこそ余計に、この学院では“まっとうな相手ほど厄介”という困った状況になっていた。
教室へ戻る直前、ルークが最後に言った。
「あと一つ」
「まだございますの?」
「これはただの忠告だ」
「ええ」
「騎士科の若手に囲まれたら、笑って流せ。まともに相手すると余計に燃える」
経験則なのだろう。
とても説得力があった。
「善処いたしますわ」
「その言い方に不安しかないな」
そこまで言って、ルークはようやく去っていった。
レオノーラは一人、教室の扉の前で小さく息を吐く。
情報は増えた。
面倒も増えた。
だが、やることはむしろ明確になった。
来週の実力測定で目指すべきは三つ。
学院には、制御可能な強さを示す。
皇太子には、婚約相手としての扱いにくさを滲ませる。
そして騎士団には、偶像化しづらい現実的な異質さを見せる。
「……難題ですわね」
そう漏らしつつ教室へ入ると、視線がいくつか集まった。
当然だろう。
始業直前に上級生と連れ立って戻ってきたのだから。
アーネストなどは、もう隠しもしない顔で笑っている。
「何だった?」
即座に聞いてくる。
実に分かりやすい。
「少々」
レオノーラは昨日から使い慣れた返答を返した。
「少々、ですわ」
「それで済ませるには顔が真面目すぎるだろ」 「気のせいではなくて?」 「いや?」
アーネストが食い下がる。
リヒャルトがすぐ横からため息をついた。
「お前は少しは学べ」 「何を」 「人には言いたくない話がある」 「分かってるよ。その上で気になるだけだ」 「それを配慮がないと言う」
ありがたい。
本当にありがたい。
レオノーラは席につきながら、あえてアーネストを見た。
「気にしてくださるのは結構ですけれど」 「おう」 「全部を知る必要はございませんわ」 「……なるほど」
アーネストはそこで、珍しくあっさり引いた。
「悪い」
これも少し意外だった。
この人はもっと押しの強いタイプだと思っていたが、線を引けば一応下がるらしい。
ただし、毎回きちんと線を見せる必要がある。そこが面倒なのだろう。
「いえ」
レオノーラは短く返した。
そのやり取りを、アルベルトは静かに見ていた。
やがて彼が口を開く。
「ヴァンハイム先輩は、昨日からずいぶん君に肩入れしているようだな」
そこへ行きますのね。
だが、その言い方には嫌味より観察の色が強かった。
「肩入れ、というほどでは」
「では?」
「話が通じる方ですわ」
それは本音だった。
アルベルトは少しだけ目を細める。
「それは高い評価だな」
「そうかしら」
「君の基準なら、そうだろう」
その返しは少し困る。
まるで、自分の人間評価の軸を読まれているようで。
「……何だか、殿下はわたくしを妙に理解してくださるのが早いですわね」
思わずそう言うと、アルベルトは数秒だけ黙った。
そして、ごく普通のことのように答える。
「理解しないまま扱う方が危険だと思っているからな」
その言葉に、教室の空気がほんの少しだけ変わった気がした。
レオノーラは瞬きを一つする。
その発想は、少しだけ前世の自分に似ていた。
現場で厄介そうな事案ほど、まず正確に把握する。
分からないまま判断する方が危険だからだ。
だからこそ、困る。
そういう相手は、婚約回避の障害として質が悪い。
「……それは、ありがたいような、ありがたくないような」
レオノーラが正直にそう返すと、アーネストが吹き出し、リヒャルトが目元を押さえた。
アルベルトだけがわずかに口元を緩める。
「正直だな」
「感想ですもの」
「そうか」
そして、その短いやり取りのまま授業が始まった。
午前の授業中、レオノーラはかなり集中した。
意識を散らすと、どうしても来週の実力測定や、騎士団での妙な評価へ思考が流れるからだ。
ならば、今は目の前を処理する。
歴史。
政治経済。
帝国法制の基礎。
座学は嫌いではない。
むしろ実務的で助かる。
ただし、その間もやはり視線はある。
昨日までの単なる興味だけではない。今日からは、そこへ“何か事情があるらしい”が薄く乗った。
つまり、朝のルークとの件も完全には見られていたのだろう。
「……面倒ですわね」
休憩時間に小さく漏らすと、セシリアが二列前から振り返った。
「本当にそうですわね」
妙に同意された。
「セシリア様も?」
「ええ。わたくしまで少し気を遣ってしまいますもの」
申し訳なさが少し湧く。
「ごめんなさいませ」
「いえ、レオノーラ様が悪いわけではございませんわ」
そう言ってくれるのはありがたい。
だが一方で、自分の周囲にいるだけで他人に気を遣わせる状況も、やはりあまり好ましくない。
午後の授業まで大きな事件はなかった。
だが、放課後が近づくころには、レオノーラはすでに一つの実感を得ていた。
来週の実力測定は、単なる試験ではない。
学院、皇太子、騎士科、婚約話。
その全部が薄く絡んだ、一種の公開査定になる。
そして、それを理解しているのは、自分だけではない。
授業終わり際、アーネストが前を向いたままぼそりと呟いた。
「来週、たぶん人増えるな」
レオノーラは即答しなかった。
代わりに、隣のリヒャルトが低く返す。
「増えるだろうな」
「殿下も来るし」 「来る前提で言うな」
「だって来るだろ?」
その問いに、アルベルトは否定しなかった。
つまり来るのだろう。
レオノーラは静かに天井を見たくなった。
が、やめた。
そういう小さな仕草すら見られている気がするからだ。
「……お姉様」
その日の帰り、馬車へ向かう途中で待っていたクラウスが、レオノーラの顔を見て言った。
「何かしら」
「今日はまた、表情が少し固いですね」
「そうかしら」
「ええ」
クラウスはすぐ歩幅を合わせた。
「何か増えましたか」
「増えましたわ」
「でしょうね」
即答である。
「騎士団でのわたくしの評判を、少し詳しく伺いました」
レオノーラがそう言うと、クラウスは一瞬だけ眉を上げた。
「なるほど。それはたしかに表情も固くなりますね」
「剣聖令嬢、ですって」
「まあ」
全然“まあ”ではない。
もっと驚いてほしい。
「驚きませんの?」
「いえ、かなり妥当だと思いましたので」
ひどい弟だった。
だが、クラウスはすぐに続けた。
「でも、それは困りますね」
「ええ、困りますわ」
「偶像化されると、婚約回避にも実力測定にも悪影響です」
話が早い。
そこまで言わずとも分かってくれるのはありがたい。
「ですので、来週は」 「ええ」 「“強い”より、“基準がおかしいが制御は効く”を出す方向で」 「同意ですわ」
そうして馬車へ乗り込んだ時、レオノーラはようやく少しだけ心が軽くなっていた。
問題は増えている。
だが、対処の方向も見えている。
来週までに、まだできることはある。
言葉の選び方。
立ち位置。
そして、誰に何を見せるか。
静かな学院生活は、たぶんもう難しい。
だが、どう騒がしくするかなら、まだ選べる。
それだけでも十分な武器だった。




