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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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20/95

第20話 来週の見せ方を考え始めた時点で、わたくしもだいぶ戦闘態勢に入っておりますわね

 普通の婚約話で黙って詰む気など、さらさらなかった。


 そう自覚した時、レオノーラはむしろ少しだけ落ち着いていた。


 問題が大きくなるほど、やるべきことを細かく分ける。

 優先順位をつける。

 感情ではなく、処理手順へ落とし込む。


 前世からの癖だった。


 夕食の席では、父も母も婚約の話を蒸し返さなかった。

 クラウスも同様である。


 助かった、とレオノーラは思った。

 今の自分は、食事の席でさらに条件整理を詰めるより、一度頭を冷やしてから明日の学院へ備えた方がいい。


 だが、完全に平穏というわけでもない。


「レオノーラ」


「はい、お父様」


「来週の実力測定で、訓練場を壊すな」


 やはりそこは言われる。


「その予定はございませんわ」


「予定の話ではない」


 父は真顔だった。


 レオノーラは口元だけで微笑む。


「善処いたしますわ」


「その返事を聞くたびに胃が痛い」


 ごもっともである。


 母はスープを口にしながら楽しそうに言った。


「でも、少し安心したわ」


「何がですの?」


「あなた、婚約の話を聞いてからの方が、むしろ頭が回っているもの」


 それはたしかにそうだった。


 曖昧な不安は人を鈍らせる。

 だが輪郭のある問題は、対処の対象になる。


「ええ」


 レオノーラは素直に認めた。


「敵がぼんやりしている時より、形が見えた方がやりやすいですもの」


「敵、なのね」


 母が少し笑う。


「婚約そのものが敵ではございませんわ」


「では何かしら」


「わたくしの意思を無視して進む流れ、です」


 父も母も、その言葉には何も言わなかった。


 代わりにクラウスだけが、静かに頷いた。


「そこは、一貫していますね」


「当然ですわ」


 レオノーラは本気だった。


 誰かに人生を決められるのが嫌なのだ。

 皇太子だからどうこうではない。

 相手が誰であれ、勝手に敷かれた線路に乗せられるのはごめんだった。


 夕食後、自室へ戻ったレオノーラは、机の上へ紙を広げた。


 書く。

 整理する。

 目に見える形にする。


 この作業は有効だ。前世でも散々やってきた。


 紙の中央へ、まず大きく書く。


 来週の実力測定


 その下へ三本線を引いた。


 学院側への印象

 周囲への印象

 婚約回避への影響


 そこからさらに枝分かれさせる。


 学院側への印象。  ――危険ではない。  ――制御できる。  ――指示に従う。  ――問題児ではない。


 周囲への印象。  ――強い。  ――だが扱いが難しい。  ――普通の令嬢ではない。  ――迂闊に踏み込むと面倒。


 婚約回避への影響。  ――単なる“優秀な公爵令嬢”で終わらない。  ――剣聖基準の価値観が透ける。  ――皇太子側へ“安易に進めると厄介”と思わせる。


「……悪くありませんわね」


 そこまでは整理できた。


 問題は、どう見せるかだ。


 強すぎれば加点される。

 弱すぎれば意味がない。

 派手すぎれば注目を浴びる。

 地味すぎれば印象に残らない。


 必要なのは、ちょうどいい“厄介さ”だった。


「厄介さ、ですのよね……」


 レオノーラは椅子にもたれ、天井を見上げる。


 すると自然と、学院での顔ぶれが頭に浮かぶ。


 アルベルト。

 アーネスト。

 リヒャルト。

 レティシア。

 セシリア。


 特に問題なのは、アルベルトだ。


 あの皇太子は、単純な派手さでは動じない。

 むしろ“強い”だけでは、余計に興味を持つ可能性すらある。


 ならば必要なのは、力ではなく、価値観だ。


 ここでレオノーラは、ふと気づいた。


「……あら」


 婚約回避に有効なのは、竜殺しの条件そのものではない。

 それを当然だと思っている自分の認識だ。


 つまり、来週の実力測定で必要なのは、


 ただ強いことを見せるのではなく、強さの捉え方そのものが常人と違うと匂わせること


 なのではないか。


 これなら、下手に婚約条件を口にしなくても済む。

 周囲が勝手に「この令嬢、基準がおかしい」と理解する。


 かなり良い。


 レオノーラはさっそく紙へ追記した。


 ポイント:強さの価値観が異常だと自然に分からせる


 そこでノックの音がした。


「お姉様、入ってもよろしいですか」


「ええ、クラウス」


 弟が入ってくる。

 寝る前に様子を見に来たのだろう。


 机の紙を見て、彼は一瞬だけ沈黙した。


「……もうそこまで整理したのですか」


「必要でしたので」


「さすがですが、少し怖いですね」


「失礼ですわね」


 クラウスは机の横へ来ると、紙の内容へ視線を落とした。


「“強さの価値観が異常だと自然に分からせる”」


「ええ」


「それ、かなり良いですね」


「でしょう?」


 珍しく即座に肯定された。


 レオノーラは少しだけ得意になる。


「お姉様が竜殺しを最低条件と思っていること自体は、婚約回避には強い材料です。ただ、それを直球で言うと挑発になります」


「そこですのよ」


「ですが、実力測定の場で“基準の置き方”が自然に滲めば、周囲が勝手に察する」


「ええ」


 クラウスは少し考え、それから言った。


「たとえば、教師から“十分だ”と言われた時の反応ですね」


 レオノーラは目を瞬いた。


「どういうこと?」


「お姉様にとっての“十分”と、学院にとっての“十分”は違うでしょう」


 なるほど。


 たしかにそうだ。


 学院側が安全確認のために求める水準は、おそらくかなり低い。

 だがレオノーラにとって“十分”とは、有事に生き残れるだけの実用水準だ。


 そのズレが自然に出ればいい。


「たしかに、それは効きますわね」


「ええ。わざとらしくなく、“あ、この人の基準は普通じゃない”と伝わります」


 クラウスの頭は本当に回る。


「ありがとう」


「いえ。ただし」


「また、ただし、ですの?」


「はい」


 弟は容赦がない。


「やりすぎると、殿下が余計に興味を持ちます」


 それが最大の問題だった。


 レオノーラは顔をしかめる。


「そこですのよね……」


「はい」


「強さだけなら興味を引く。価値観を見せすぎても興味を引く。なら、どうすればよろしいのかしら」


「一つだけあります」


 クラウスはわりとあっさり言った。


「何かしら」


「殿下自身を基準の外に置くことです」


 レオノーラは黙った。


 それは、確かに一番効く。


 アルベルトが“自分も測る側だ”と思っているなら、その土俵へ立たせない。

 レオノーラの基準そのものが別世界にあると示せばいい。


 要するに、皇太子であるかどうか、貴族として優秀かどうかとはまったく別の軸で人を見る女だと自然に分からせる。


 それは婚約回避にも、かなり有効だろう。


「……本当に、あなた優秀ですわね」


「知っております」


 平然と返された。

 少し悔しい。


 だが、これで来週へ向けた骨格は見えた。


 あとは、授業の流れと学院側の指示に合わせて微調整するだけである。


「お姉様」


「何かしら」


「一つ、気になっていることがあります」


「ええ」


「レティシア嬢のことです」


 レオノーラは少しだけ表情を引き締めた。


「どう思います?」


「まだ判断しかねますわね」


 それが正直な答えだった。


「好意的すぎるのです。ですが、悪意は感じません」


「ええ」


「わたくしの記憶が曖昧だからこそ、勝手に危険視しすぎるのも違うと思い始めております」


 クラウスは静かに頷いた。


「それでいいと思います」


「え?」


「危険か味方かを早く決めすぎると、後で認知が歪みます」


 前世仕込みの言い方で返された。


 たしかにその通りだ。

 人は最初に決めた印象へ都合よく情報を寄せてしまう。

 レティシアが“ヒロインっぽいから危険”と決めつければ、以後の解釈が全部そちらへ引っ張られる。


 それはよろしくない。


「では、保留ですわね」


「ええ。保留しつつ観察、です」


 そこまで話したところで、窓の外はだいぶ暗くなっていた。


 レオノーラは紙をまとめ、机の引き出しへしまう。


 今日の整理はここまでだ。


「明日から、また学院ですわね」


「ええ」


「面倒ですわね」


「ええ」


 クラウスは否定しなかった。


「ですが、お姉様」


「何かしら」


「少なくとも、昨日よりは戦いやすいでしょう?」


 その問いに、レオノーラは少しだけ考え、それから頷いた。


「ええ。だいぶ」


 婚約話の輪郭は見えた。

 皇太子たちの性格も、少しずつ分かってきた。

 学院側が何を見ているかも、かなり明確になった。


 なら、動ける。


「それなら結構です」


 クラウスは一礼して部屋を出ていった。


 一人になったレオノーラは、しばらく窓の外を見ていた。


 明日も学院。

 たぶん静かではない。

 だが、それでもいい。


 曖昧に怯えているより、よほどましだ。


「……婚約を潰したいわたくしと、なぜか面白がっている殿下では、最初から噛み合うはずがありませんわね」


 ぽつりと漏れた独り言は、誰にも聞かれないまま夜へ溶けた。


 だが、その言葉の通りでもある。


 レオノーラの願いは平穏。

 アルベルトの興味は観察。

 この時点で、噛み合うはずがないのだ。


 そして翌朝。


 学院へ向かったレオノーラを待っていたのは、予想していた視線でも、婚約話の再燃でもなく、教室の前で仁王立ちしている一人の上級生だった。


 見覚えがある。


 騎士科三年、ルーク・ヴァンハイム。


 彼はレオノーラを見るなり、はっきりと言った。


「アルトヴァイス嬢。朝から悪いが、少し来てくれ」


 レオノーラは足を止めた。


 そして、静かに思った。


 ――本当に、静かに始まる日は来ませんのね。

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