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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第13話 竜も単騎で斃せぬ方は、わたくしの伴侶候補として下の下ですわ

 アルトヴァイス公爵家の馬車が屋敷へ着いた時、レオノーラは学院に向かう朝よりも、よほど疲れていた。


 肉体ではない。

 精神である。


 暴れ馬。

 武芸棟。

 皇太子。

 一組。

 レティシア・フローレンス。

 そして最後に、婚約の話。


 情報量が多すぎる。

 初日で処理する密度ではなかった。


 だが、疲れているからこそ、今のうちに確認しなければならない。

 曖昧な不安を抱えたまま一晩越す方が、よほどよろしくない。


 馬車を降りると、すでに玄関ホールにはクラウスが先回りしていた。


「お帰りなさいませ、お姉様」


「ただいま帰りましたわ」


「父上と母上には、先にお伝えしてあります。応接室ではなく、小会議室へ」


「ありがとう」


「使用人も必要最低限以外は遠ざけてあります」


 さすがに仕事が早い。

 レオノーラは少しだけ安堵した。


 こういう時、話が外へ漏れない環境を先に整えるのは大事だ。

 前世でも、重要な確認は人の少ないところでやるに限ると嫌というほど学んだ。


 小会議室の扉を開けると、すでに父ヴァルターと母エレオノーラが待っていた。


 父は重々しい顔。

 母は一見いつも通りだが、目だけが少し鋭い。

 つまり二人とも、すでにただ事ではないと理解している。


「レオノーラ」


「はい、お父様」


「学院で何があった」


 単刀直入だった。


 レオノーラは父母の前に座り、姿勢を正す。


「まず確認したいことがございます」


「何だ」


「わたくしと、皇太子殿下との婚約についてですわ」


 部屋の空気が、一段静まった。


 父はすぐには答えず、母はわずかに目を細めた。

 クラウスだけが、壁際で静かに成り行きを見ている。


 やがて父が低く言った。


「……誰から聞いた」


「殿下ご本人からですわ」


 父のこめかみに青筋が浮かびかけた。


「学院でか」


「教室で」


「教室で?」


「はい」


 父は深く目を閉じた。


 その沈黙だけで、だいぶ気持ちは伝わる。

 たぶん今、皇太子とその側近に対する評価が下がっている。


 母は扇を閉じ、静かな声で言った。


「正確には、“婚約の話が進んでいるのに、あなたは何も聞いていないのか”という確認でしたのね?」


「はい、そのような趣旨でしたわ」


「なるほど」


 母はそこで小さく息を吐いた。


「では、隠していても仕方ありませんわね」


 やはり、あったのだ。


 レオノーラは心の中で構えを固めた。


「打診が来ております」


 父が言った。


「まだ正式決定ではない。皇室側から、将来的な婚約を視野に入れた打診が来ている段階だ」


「いつ頃からですの?」


「数か月前だ」


 思ったより早かった。


 いや、公爵令嬢としては自然なのかもしれない。

 学院入学前後で有力な縁談が動くのは、むしろ当然だろう。


 だがレオノーラにとっては、十分に重い。


「なぜ、わたくしにはお伝えにならなかったのです?」


「決まってからでよいと判断した」


 父は率直だった。


「調整がまとまる前に話せば、お前は先に拒絶するだろうと思った」


「その認識は正しいですわ」


 即答した。


 父が頭を抱えそうな顔になる。

 だが、本当にその通りだから仕方がない。


 母が少しだけ笑った。


「ええ、そうでしょうね」


「お母様」


「だってあなた、皇太子殿下と婚約するくらいなら、まず先に剣を振るいそうですもの」


「いくらなんでも、いきなりは振りませんわ」


「いきなりではないのね」


 そこを拾わないでいただきたい。


 父が咳払いを一つして、場を戻す。


「レオノーラ。お前の意思を確認したい」


「はい」


「この打診を、受ける気はあるか」


 レオノーラは、一瞬たりとも迷わなかった。


「ございませんわ」


 即答だった。


 部屋が静まる。


 父は眉を寄せ、母はやはりどこか面白そうで、クラウスは予想通りという顔をした。


「理由を聞こう」


 父の声は低い。

 責めているのではない。

 ただ、本気で理由を求めている声だ。


 レオノーラは、静かに答えた。


「わたくし、自分より弱い殿方と婚約するつもりはございませんもの」


 父が沈黙した。


 母が目を丸くしたあと、扇で口元を隠した。

 クラウスは小さく目を閉じた。


「……やはりそこへ行きましたか」


 弟の呟きに、レオノーラは少しだけ眉を寄せる。


「当然ではなくて?」


「当然ではない」


 父が即座に断じた。


「何を当然のように言っている」


「婚約とは、人生を預ける契約でもございますでしょう?」


 レオノーラは本気でそう思っていた。


「でしたら、少なくともわたくしより弱い方では困りますわ」


「皇太子殿下は、別に弱くは――」


 父が言いかけたところで、レオノーラはきっぱりと続けた。


「少なくとも、竜を単騎で斃せぬ方は、伴侶候補として下の下ですわ」


 今度こそ、父が言葉を失った。


 母は扇の向こうで肩を震わせている。

 笑っている。絶対に笑っている。


「レオノーラ」


 父が低く言う。


「基準がおかしい」


「そうかしら」


「そうだ」


「ですが、お父様」


 レオノーラは本気で首を傾げた。


「わたくし、剣聖ですわ」


「それは知っている」


「竜殺しでもございます」


「それも知っている!」


 父の声が少し大きくなった。


 だがレオノーラは怯まない。

 なぜなら、本当にそこが基準だからだ。


「でしたら当然でしょう?」


「何が当然だ」


「わたくしより弱い方と婚約して、何の意味がございますの?」


 父が黙る。


 レオノーラはさらに淡々と続けた。


「有事の際、わたくしの方が前へ出ます。相手を守る側になります。ならば最初から、婚約という形を取る合理性がございませんわ」


 これは脳筋理論ではある。

 だが、レオノーラの中では完璧に筋が通っていた。


 伴侶とは、並び立つ者であるべきだ。

 少なくとも、自分の後ろで守られるだけの存在では困る。

 まして、自分が剣聖で竜殺しなのだ。基準が実戦になるのは当たり前だった。


 母がようやく笑いを収め、柔らかく言った。


「なるほど。あなたの理屈は分かるわ」


「お母様」


「ええ、分かるの。とてもレオノーラらしいもの」


 父が信じられないものを見る目で妻を見た。


「分かるのか?」


「分かるわよ。だってこの子、怖がっているのだもの」


 レオノーラは少しだけ目を見開いた。


「わたくしが?」


「ええ」


 母の声は穏やかだった。


「あなたは婚約そのものが嫌なのではなく、“自分の運命を他人に握られること”が嫌なのよ」


 その言葉に、レオノーラは一瞬だけ返せなかった。


 図星だったからだ。


 断罪。

 婚約破棄。

 投獄。


 前世の記憶が曖昧でも、その流れだけは嫌というほど残っている。

 誰かが決めたシナリオ通りに、自分の人生を運ばれることがたまらなく嫌だった。


 だから鍛えた。

 だから強くなった。

 だから、婚約相手にも“自分を左右できるだけの格”を求める。


 そうでなければ納得できない。


「……そうかもしれませんわね」


 レオノーラが小さく認めると、父は深く息を吐いた。


「少なくとも、お前がこの打診を歓迎していないことはよく分かった」


「はい」


「だが、相手は皇室だ。単純に“嫌です”で切れる話ではない」


「承知しておりますわ」


「なら、どうするつもりだ」


 そこでレオノーラは、少しだけ口元を引き締めた。


 ここが本題だ。


「条件を出しますわ」


「条件?」


「ええ」


 父と母、そしてクラウスの視線が集まる。


「わたくし、自分より弱い方とは婚約いたしません」


「それはさっき聞いた」


「ですので、それを正式な条件といたしますの」


 父が嫌な予感を隠さなかった。


「具体的には?」


 レオノーラは、きっぱりと言い切った。


「少なくとも、竜を単騎で斃せる程度でなければ、お話になりませんわ」


 父が天を仰いだ。


 母はついに笑い出した。

 上品に、だがはっきりと笑っている。


 クラウスは額を押さえていた。


「お姉様」


「何かしら」


「皇太子殿下に竜単騎討伐を婚約条件として求めるおつもりですか」


「最低条件ですわ」


「最低……」


「ええ」


 レオノーラは真面目だった。


「剣も振れぬ、竜も斃せぬ、いざという時に自分の身も守れぬ方と婚約して、何の意味がございますの?」


 この部屋で、その言葉を本気で当然だと思っているのはレオノーラだけだった。


 父はこめかみを押さえながら言う。


「相手は皇太子だぞ。竜殺しを婚約条件にする令嬢があるか」


「おりますわ。ここに」


「開き直るな」


「開き直ってはおりません。むしろ一貫しております」


 それは事実だった。


 幼い頃から、レオノーラの基準はずっと変わっていない。

 強くなる。

 生き残る。

 自分の人生を他人任せにしない。


 この三つだ。


 母がようやく笑みを整え、レオノーラへ向き直る。


「でもね、レオノーラ」


「はい」


「その条件、婚約回避にはとても有効だけれど、逆に変な火をつける可能性もあるわよ」


 その指摘は鋭かった。


 たしかに、相手が普通の貴族なら引くだろう。

 だが皇太子がどう出るかは分からない。

 矜持の高い相手なら、むしろ“そこまで言うなら”と食いつく可能性もある。


 そこまで考えて、レオノーラは少しだけ顔をしかめた。


「……面倒ですわね」


「ええ、面倒なの」


 母は優雅に頷く。


「だから条件は出してもいいけれど、言い方を選びなさい。真正面から喧嘩を売るのではなく、“レオノーラ・アルトヴァイスはこういう価値観を持っています”と示す形にするのよ」


 なるほど。


 それはたしかに重要だ。


 前世でも、同じ内容を伝えるにしても、言い方一つで相手の受け取り方は変わった。

 目的は婚約回避であって、無駄な対立ではない。


「分かりましたわ」


「本当に?」


 クラウスが疑わしそうに言った。


「ええ。本当に」


「その返事、少し不安です」


「失礼ですわね」


 父はしばらく黙って考えたあと、低く言った。


「正式な返答は、こちらで一度預かる」


「はい」


「ただし、お前の意思は伝える。少なくとも、安易に話を進めるつもりはない」


 それだけで、レオノーラは少しだけ肩の力が抜けた。


「ありがとうございます、お父様」


「礼を言うのはまだ早い。相手が相手だ」


「承知しておりますわ」


「それと」


 父はじろりと娘を見る。


「学院で、殿下本人にこの基準をぶつけるな」


 レオノーラは少しだけ目を逸らした。


「……努力いたしますわ」


「今の間は何だ」


「いえ、別に」


 母がまた笑い、クラウスがため息をついた。


 どうやら、レオノーラの婚約回避戦略は、こうして家族会議の場で正式に始まったらしい。


 竜を単騎で斃せること。


 剣聖たる自分より弱くないこと。


 普通の令嬢なら絶対に出さない条件だったが、レオノーラにとっては至極まっとうだった。


 そして、彼女はまだ知らない。


 その条件が、婚約話を遠ざけるどころか、別の意味で火をつける可能性があることを。

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