第二十三話 通りは避けて歩くしかないと思いました
森から戻った日の夕方。
案の定、俺は父上に叱られた。
小刀へ触ったことを自分から話すと、危険がないからといって勝手なことをしてよいわけではないと注意された。ベルタに落ち度がないことだけは伝えられたが生力についてもう少し知りたいと言ったところで父上の眉間にまた皺が寄ったのでその日は大人しく引き下がった。
それから数日後、俺は再び街へ出ていた。
いつもの領地の勉強だ。
今日も馬車が行き交い、荷を積んだ馬が店先で待っている。市場へ近づくにつれて店先に積まれた荷物が増えてきた。馬車から木箱を下ろす者もいれば大きな麻袋を肩へ担いで運ぶ者もいる。
「――父上、少し聞きたいことがあるんですけど」
「何だ?」
「この前、森で会った冒険者から聞いたんです。冒険者を辞めた人とかあまり強くない冒険者が街で荷卸しをしてるって」
「ああ。そういう者もいるな」
「実際にどれくらい運べるのか聞いてみたいんです」
父上は少し考えてから隣を歩くフェルナー先生へ顔を向けた。
「今日回る倉庫にもいるか?」
「荷役をしている者の中には引退した冒険者がいると思います。確認してみましょう」
「なら、着いてから聞いてみるか。ただし仕事の邪魔はするなよ」
「はい!」
返事をして、もう一度通りを見た。
荷車は何台も止まっている。大きな車輪に積み上げられた木箱や麻袋。その前には決まって馬がいた。少しでも馬を減らして馬糞を減らしたい。全部を人間に置き換えるのは難しくても少しずつなら何とかならないだろうか。
目的地は、市場から少し離れたところにある倉庫だった。
以前も何度か来たことがある。商人が運んできた荷を一時的に置いたりする場所だ。倉庫の前には大きな荷車が止まっていた。男たちが荷台から木箱を下ろし、次々と奥へ運び込んでいる。
その横では一人の男が大きな麻袋を担いでいた。
袋は男の胴ほどの大きさがある。持ち上げる時には少し腰を落としていたけれど肩へ載せてしまえば普通に歩いていた。倉庫の奥へ消えたかと思うと今度は別の袋を担いで戻ってくる。あれだけの荷物を続けて運べるのなら相当な力がありそうだった。
父上が倉庫の担当者と話し始めたので俺は護衛と一緒に少し離れた場所で待っていた。
レオルとユリウスはフェルナー先生から説明を受けている。俺も聞かなければと思ったけれど、どうしても荷物を運ぶ男の方が気になった。何度か往復したところで男が最後の袋を運び終えた。すると倉庫の担当者が男に声をかけ、こちらへ呼んでくれた。どうやら、あの人が元冒険者らしい。
「お呼びでしょうか」
「この子が荷運びについて話を聞きたいそうだ。少し時間をもらえるか」
「俺にですかい?」
男は驚いたように俺を見た。腰には武器らしいものはなく、革の前掛けをつけた仕事着だった。袖を肘までまくっていて腕はかなり太い。でも、森で会った盾の男ほど大きくはなかった。
「さっきの袋って生力を使って運んでるんですか?」
「そうです。よくご存じで」
「森で冒険者の人から教えてもらったんです。荷運びをしてる元冒険者もいるって」
「ああ。俺も昔は冒険者をしておりましたからね」
「じゃあ、どうして辞めたんですか?」
「俺の腕じゃ、大して稼げなかったんですよ。強い魔物を倒せるほどではありませんでしたし、だったら荷運びの方が向いてると思いましてね」
男は笑いながら答えた。
冒険者だった頃に鍛えた生力は今でも仕事に役立っているらしい。
俺は倉庫の前に止まっている荷車を見た。あれだけの袋を一人で担げるなら荷車だって引けるのではないだろうか。
「……じゃあ、あの荷車も引けますか?」
「荷を減らして短い距離ならできますよ。でも、あれだけ積んだまま引くのは無理です。途中で動けなくなっちまいます」
「……そうですか」
森で会った盾の男なら引けるかもしれないけれど、あの人は魔物を狩った方が稼げると言っていた。
それなら、ほかに何かないだろうか。
目の前には今も大量の荷物が積まれている。男は荷物を運ぶ力があるし、元冒険者なら魔物の素材にも詳しいはずだ。何か、まだできることはないのか。考えがまとまらないまま俺は次の質問をしていた。
「……ところで、商人になろうとは思わなかったんですか?」
男が目を丸くした。
「商人ですか?」
「はい。冒険者だったなら魔物の素材も分かりますよね。自分で運んで売るとか……」
そこまで言って、自分でも何を聞いているのか分からなくなった。商人になったところで男の力が強くなるわけではないし荷車が軽くなるわけでもない。
男は少し考えたあと、困ったように笑った。
「いやあ、俺は商人にはなりたくありませんね」
「……どうしてですか?」
「毎日のように小言を聞かされてますからね」
「小言?」
「商人たちですよ。荷を運んでると、よく愚痴を聞かされるんです。買った品が売れないだの、値を下げなきゃならないだの。売れ残ったせいでほとんど儲けがなくなったって話も聞きますね」
男は倉庫の奥を指した。入口から少し離れたところに木箱がいくつも積み重ねられている。ほかの荷物は次々と運び出されているのにそちらから運び出す人はいなかった。
「あれなんか、しばらく前からずっと置いてありますよ。ギルドから買い付けた素材だそうですが、なかなか買い手がつかないらしくて」
「……売れないんですか?」
「値が合わないそうです。仕入れた値段より安く売るわけにもいきませんし、だからといって、いつまでも置いておくわけにもいかないんでしょうね」
俺は木箱を見た。冒険者が持ち帰った魔物の素材は冒険者ギルドで買い取ってもらえるらしい。けれど、そのあと商人が買い付けたものまで必ず売れるとは限らない。当たり前の話だ。前世のスーパーでも売れ残りはある。
「別の街へ持っていけば高く売れるかもしれないですよね?」
「そりゃあ、そうかもしれません。でも、運ぶにも金がかかりますからね。馬の餌代や宿代を払って、向こうでも売れなかったら目も当てられませんよ」
男は肩をすくめた。
「だから、誰か全部まとめて買い上げてくれたらいいのにってよく聞きますよ」
「……全部?」
「ええ。多少安くても一度に全部売れれば次の仕入れができますから。高く売ろうとして何日もかけた挙句に余らせるより、そっちの方がいいって商人もいるんです」
なるほど。高く売れるまで持っていてもその間の経費が余分にかかれば儲けは減ってしまう。それなら、少し安くても確実に買ってくれる相手がいた方がいい場合もあるのだろう。
「俺なんか荷物を運んだ分の金をもらえばそれで終わりですからね。売れたの売れないのまで心配したくありませんよ」
男は笑っていた。商人の話を聞いているうちに何だか最初の質問からずいぶん離れてしまった気がした。そもそも、男が商人になったところで馬の代わりになれるわけではない。
俺はもう一度、倉庫の前の馬車を見た。
大きな荷台には木箱が何段も積まれている。その前には馬がつながれ御者が出発の支度をしていた。あれを自分の力だけで運ぶのは無理だと目の前の男は言った。せっかく見つけた可能性だったのに駄目らしい。
「……ありがとうございました」
「いえいえ。大した話じゃありませんよ」
男はそう言って頭を下げた。その時、倉庫の奥から男を呼ぶ声がした。振り返ると、別の荷車から新しい荷物が下ろされ始めている。男はもう一度俺へ頭を下げ、仕事へ戻っていった。
「アルノ、もういいか?」
父上に呼ばれて振り返った。倉庫の担当者との話は終わったらしい。兄上たちも父上のそばに戻っていた。
「……はい」
「聞きたいことは聞けたのか?」
「聞けました。でも、思ってたのとは違いました」
「そうか。では、次へ行くぞ」
父上が歩き始めた。
俺も護衛と一緒にそのあとを追った。
倉庫を離れるとすぐに大通りへ出た。
門の方から荷車がやってくる。荷台には麻袋が山のように積まれ、御者が手綱を引きながら人の間を進んでいた。
もうあの馬の代わりを探しても仕方がないのだろうか。
そんなことを考えながら馬車を見送る。
道には轍が残り、その脇には乾いた泥が固まっている。少し離れたところには馬糞も落ちていた。馬糞を避けようとすれば右側へ回るのがよさそうだった。
そんなことを考えているうちに、ふとリリアの姿が頭に浮かんだ。今はまだ屋敷の中だけれどそのうち歩くようになる。
もし、あの馬糞を踏んでしまったら。
助けを求めて俺の方へ歩いてきて、いつものように手を伸ばしてきたら。
俺は、その手から逃げてしまうかもしれない。
そんなことを考えると胸の辺りが落ち着かなくなった。だから何とかしたかった。馬を減らせば馬糞も減る。そう思って冒険者のことを調べたけれど、結局、馬の代わりになるものは見つからなかった。
前世なら車があった。でも、この世界にはない。
今ある荷物を運ぶには馬が必要で街の人たちもそのことを分かっている。俺が嫌だからといって、なくせるものではなかった。
もう一度、道を見る。
馬糞は確かに落ちている。けれど、少し離れたところには乾いた地面も見えていた。そこから先にも汚れていない場所は続いている。
俺は今までそういうところを選んで歩いてきた。
前は街へ降りることさえできなかったけれど今はこうして歩けている。
なら、リリアが歩く時にも俺が先に確かめればいい。手をつないで踏まないように教えてあげればいいのだろう。馬糞がなくならないなら避けるしかない。少なくとも、今はそれくらいしか思いつかなかった。
「アルノ、何をしている。置いていくぞ」
父上の声に顔を上げた。いつの間にか少し離れていたらしい。兄上たちも立ち止まって俺を待っていた。
「……今行きます!」
返事をして、もう一度足元を確かめる。
もし、リリアと一緒ならもっとゆっくり歩かなければならないだろう。小さな手を握って足元を一つずつ見ながら歩く。そう考えていると、前を歩くユリウスが振り返った。
「アルノ、遅いぞ」
「……足元を見てるんです」
「そんなに見てたらいつまで経っても着かないぞ」
それはそうかもしれない。
でも、踏んでしまうよりはずっといい。
俺はユリウスの足元を見た。さっきから何も気にせず歩いているのに今のところ馬糞を踏んだ様子はなかった。
どうしてあんなに普通に歩けるのだろう。
少し羨ましく思いながら俺も次の一歩を踏み出した。




