第二十二話 生力というもの
「……で、もう感じないのか?」
「……はい。さっきは分かったんですけど」
「最初はそんなものだ。慣れてくればもっとはっきり分かるようになる」
男はそう言いながら地面へ下ろしていた荷物を整理し始めた。厚い布で包んだ角や骨をまとめ、紐を掛け直していく。その横では槍を持った女が皮の束を確かめていた。
俺はまだ右手を開いたままだった。小刀を握っていた時の感覚はもうほとんど分からない。指を動かしても掌に力を込めてもさっきのような流れは感じられなかった。
思わず生力を知りたくて触ってしまったが、あの小刀は薬草採取に使っていると言っていた。使い込まれた柄には何がついていたのだろう。
右手を見た。見た目には何もついていない。でも、それで綺麗だとは思えなかった。
しばらく迷った末、俺は革手袋をはめ直した。内側まで汚れてしまうのは気になるけれど今は仕方がない。帰ったらすぐに手を洗ってこの手袋も綺麗にしてもらおう。
「生力でどうやったら強くなるんですか?」
「鍛えるんだよ。身体の中を巡っている生力を意識して、それを動かす練習をする。最初はうまくいかないだろうが少しずつ扱えるようになる」
「魔法とは違うんですね」
「ああ。魔法は魔力を使って術を起こすんだろ? 生力は自分の身体に循環させるものだからな」
なるほど。
魔法を使った時は身体の奥にある魔力を掌へ集めて外へ出した。生力は身体の中を巡らせることで普段より強い力を出せるようになるらしい。ただ、さっきは流れを感じただけだった。あれを自分で動かすとなるとどうすればいいのだろう。
「じゃあ、俺も練習すれば馬を止められるようになるんですか?」
男の目が見開く。
「……できるとしても、ずいぶん先の話だな」
「やっぱり難しいですか?」
「難しいぞ。俺だって最初からあんなことができたわけじゃない。身体を鍛えて生力を扱う練習をして、それを何年も続けてきたんだ」
男は自分の腕を軽く叩いた。革鎧の袖から覗く腕は太く、俺の頭よりずっと太かった。生力がなくても相当な力がありそうだ。
「それに、誰でも同じように強くなるわけじゃない。生力の強さにも違いがあるし、どこまで扱えるようになるかは本人次第だ」
「そうなんですね……」
魔法と同じで適性のようなものはあるらしい。
実際に感じて、鍛えて、どれくらい使えるようになるのかを確かめていく。自分の限界はその先にしか分からないそうだ。
男がまた荷物へ手を戻す。俺はその動きを見ながら以前飛竜と戦っていた時のことを思い出していた。大きな爪を盾で受け止めても倒れなかった。街では馬が暴れているところへ飛び込み、手綱を掴んで踏ん張っていた。
あの時、男の身体の中でも生力が巡っていたのだろう。今ならほんの少しだけ想像できる気がした。
「それから装備も大事だな」
男が背中の盾へ手を伸ばした。
「魔物の素材で作った武具には生力が宿っている。俺たちは自分の生力だけじゃなく装備からも力を引き出して戦ってるんだ。ただ、強い装備を持っただけでその力を全部使えるわけじゃないぞ」
「この盾も魔物の素材なんですか?」
「ああ。何種類か使ってる。長く使ってるから俺の身体にも馴染んでるんだ」
男は盾を少し持ち上げて見せてくれた。
表面には細かな傷がいくつも残っている。飛竜の爪を受けた時のものもあるのだろうか。
あんなに大きな魔物を相手にしても壊れなかった盾だ。装備を手に入れれば数字が変わって強くなるものだと思っていた。でも、ここでは使う人間の鍛錬も必要らしい。その強さを身につけるまでには俺が想像するよりずっと長い時間がかかっているのだろう。
あの時は、ただ大きな盾で飛竜の攻撃を受け止めているように見えた。その裏では自分の生力も盾に宿る生力も扱っていたらしい。
「そういえば、もう一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「生力を鍛えた人なら馬が引いてる荷車も引けますか?」
男が少し考えた。
「そりゃあ、できるだろうな」
やっぱり。
街へ入ってくる荷車は何台もある。全部を人間へ置き換えるのは難しくても少しずつなら何とかならないだろうか。そう考えていると、男が笑った。
「だが、そいつを荷運びに雇うのは大変だぞ」
「どうしてですか?」
「そんなに強いならもっと稼げる仕事があるからさ」
男は背負った荷物を少し揺らした。
「俺たちは魔物を狩って素材を売って暮らしてる。強い奴ならもっと価値の高い魔物を相手にできるだろう? もちろん、いつも上手くいくとは限らんし、魔物が見つからない日だってある。怪我をすることもある。それでも腕のいい奴なら狩りに出た方が稼げる」
男はそう言って、仲間たちが運んでいる荷物を指した。
槍の女が背負っている大きな皮。弓の男が持っている膨らんだ袋。ハンマーの男がまとめた角や骨。
どれも魔物から取ったものなのだろう。これだけの量を持ち帰っているのだから売れば相当なお金になるのかもしれない。
「……これは全部売れるんですか?」
「ああ。商人に買い取ってもらう。今日は悪くない仕事だったからな」
「そんなに高いんですか?」
「物による。珍しい素材なら高く売れるし、よく取れるものでも数があればそれなりの金になる。だからできるだけ傷めずに持ち帰るんだ」
そういえば飛竜の時も冒険者たちは身体をむやみに傷つけないように戦っていた。高く売れる素材をできるだけ綺麗な状態で持ち帰る。そのために戦い方まで考えているのだろう。
「じゃあ、もっと強い人ならもっと高い素材を持って帰れるんですね」
「そういうことだな。危険も増えるが強い奴ほど高い依頼を受けられるし、珍しい魔物も狙える」
男は何でもないことのように答えた。
「……じゃあ、あまり強くない冒険者ならどうですか?」
男が俺を見た。
「荷運びを頼むのか?」
「はい。強い人じゃなくても普通の人よりは重いものを運べますよね?」
「そうだな。まだ下位の冒険者でも生力を鍛えている奴なら普通の人間より力がある。実際、狩りだけでは食べて行けずに街で荷運びや積み下ろしの仕事をしてる奴もいるぞ」
それを聞いて少し安心した。そういう仕事をしている冒険者がいるならやっぱり可能性はある。高い報酬を払わなくても、荷物を運んでもらえる人がいるのかもしれない。
「じゃあ、その人たちに荷車を引いてもらえば……」
「いや、そこまでできるかは別だ」
男が首を横に振った。
「まだ生力を上手く扱えない奴もいるし、持てる重さだって違う。倉庫で荷を積み下ろしするならともかく、荷を満載した馬車を引いて歩くとなれば話が違うからな」
「……やっぱり無理ですか?」
「無理とは言わんが何人も必要になるだろうな。重い荷を運べる奴を集めて歩かせる。それなら馬を使った方が安く済むんじゃないか?」
言われて、少し考えた。
前世でも荷物を運ぶためにはトラックや車を使っていた。人間が運べる重さには限界があるし、何人も雇えばその分だけお金がかかる。
この世界では生力があるから人間でもかなりの重さを運べる。弱い冒険者なら報酬は安くなるかもしれないけれど今度は運べる量が足りなくなる。どちらにしても馬車一台分をそのまま人間へ置き換えるのは難しいらしい。
「……馬って、そんなに便利なんですね」
思わず口にすると男が笑った。
「今さら何を言ってるんだ。あれだけの荷物を長い距離運べるんだから便利に決まってるだろ」
「……そうですよね」
分かっている。
街を走る馬車を見ていても馬が必要だから使われていることくらいは理解していた。それでも、冒険者の力を知ってから少し期待していたのだ。人間でもあれほど強くなれるなら馬を使わずに荷物を運ぶ方法があるのではないかと。
けれど、目の前の冒険者たちは魔物を狩って暮らしている。
あれだけの力を身につけたのも重い荷車を引くためではない。
そう考えてから男の背中の荷物へ目を向けた。角や骨を包んだ布が肩から腰の辺りまで大きく膨らんでいる。これだけの素材を持ち帰れるからこそ荷車を引く必要がないのだろう。
男は仲間たちへ目を向けた。槍の女が荷物をまとめ終え、ほかの二人も出発の支度をしている。
「そろそろ行かないとな。商人のところへ持っていかないと今日の仕事が終わらん」
「……いろいろ教えてくれてありがとうございました」
「気にするな。生力に興味があるならまた大きくなってから鍛えてみるといい」
男は笑って手を上げた。
「それと、今度はちゃんと領主様に許可をもらえよ」
「……はい」
俺が答えると男はもう一度笑い、仲間たちと一緒に街へ向かう道を歩いていった。
大きな盾に、重そうな荷物。
その背中を見送りながら俺は右手を開いた。
もう生力の巡りは感じられない。
ただ、あの小刀を握った時のことは覚えていた。
いつか練習すれば自分でもあの流れを動かせるようになるのだろうか。別に馬を止められるほど強くなりたいわけではないが自分の身体にまだ知らない力があるというのは面白かった。
魔法も、生力も、この世界には前世で空想だったものがたくさんある。
あの森の奥にもまだ見たことのない魔物がいるのだろう。いつか自分の足で見に行けたらそれはそれで楽しそうだと思った。
「アルノ様、そろそろ戻りましょう」
ベルタに言われて頷いた。
護衛の一人が先へ進み、俺もそのあとへ続く。
帰り道は、来た時より少し歩きやすく感じられた。落ち葉の下に何がいるかは気になるが、さっき通った道だから避けた方がいい場所も少し覚えている。
目の前を歩いていた護衛が少し横へ動いた。その先には細い枝が伸びている。枝と木の幹の間には蜘蛛の巣が張られ、中央には大きな蜘蛛がいた。
俺は足を止めた。ちょうど顔の高さだった。護衛は身体を傾けて通り過ぎ、ベルタも同じように抜けていく。
俺は蜘蛛の巣とその下に積もった湿った落ち葉を交互に見た。横へ回れば避けられそうだ。でも、そちらには何か分からない草が生えている。あれは踏んでもいいものだろうか。
「……ベルタ」
「はい?」
「ここ、ほかに通れるところはないですか?」
ベルタが振り返った。俺の視線を追い、蜘蛛の巣へ目を向ける。それから何でもないことのように腕で蜘蛛の巣を振り払った。
「これで通れますね」
「……ありがとう」
ベルタは特に気にする様子もなく頷いた。腕についた蜘蛛の巣を払っている。俺はその様子から目を離せなかった。払ったあとの袖を気にする様子もない。
そんなことを考えていると今度はベルタが不思議そうに俺を見た。
「アルノ様?」
「……何でもない」
冒険者になるのはもう少し先でいいかもしれない。
ようやく道へ戻ると馬車が少し先に見えた。
早く手を洗いたい。
俺はそう思いながら馬車に乗り込んだ。




