第二十話 冒険者を見たいけれど触られたくはありません
屋敷へ帰ると、俺はいつものように玄関で街用の靴を脱ぎ、履き替えてから部屋へ向かった。
ミーナに手伝ってもらい、手袋と顔の布を外す。服も着替え、手と顔を洗ってからようやく椅子へ座った。それでも、ミーナが脱いだ服をまとめているのを見るとどうしても確認したくなった。
「……ミーナ」
「はい」
「背中も汚れてた?」
「少し埃がついておりましたね」
「泥は?」
「目立つものはございませんでした」
「手袋で掴まれたんだけど」
「そのことも伺いました。きちんと洗いますのでご安心ください」
「……うん」
そこまで聞いて、ようやく服から目を離せた。
さっきの男の腕を思い出す。あの人がいなければ今頃こうして椅子に座っていることもできなかったかもしれない。 本当に助かった。
それにしても、あんなに冒険者に力があるとは思わなかった。
飛竜と戦っているところは見た。でも、あの時は目の前の戦いを追いかけるだけで精一杯だった。それが今日はほんの数歩先で馬を止めるところを見た。
あの大きな馬が暴れても男は革具を離さなかった。あの力があれば荷車くらい引けるのではないだろうか。 馬を減らしたいと思ってから何度も街の荷車を眺めてきた。けれど、荷物を運ぶには馬が必要だと分かるばかりで代わりになるものは見つからなかった。
「坊ちゃま?」
ミーナに呼ばれた。
「何?」
「まだ何か気になりますか?」
「……冒険者のことかな」
「冒険者……でございますか?」
「うん。今日助けてくれた人、ものすごく力が強かったんだ。ほかの冒険者もあんなことができるのかな」
話しているうちにまたあの光景が浮かんできた。
「……冒険者ってどこまで強くなれるんだろう」
思わず呟くとミーナが少し笑った。
「フェルナー先生にお尋ねになってはいかがでしょう」
「先生も知ってるかな」
「私よりは詳しいかと存じます」
「それはそうだね」
俺も笑った。 確かに先生なら教えてくれるかもしれない。けれど、話を聞くだけでは分からないこともある。 できれば、もう一度見てみたい。 今度は冒険者がどうやって戦っているのかを。
「父上。お願いがあるんですけど」
夕食が終わってから俺は父上に声をかけた。
「何だ?」
「冒険者が戦っているところをもう一度見てみたいんです」
父上は手を止めた。
「……今日あんな目に遭ったばかりだろう」
「はい」
「それなのに、今度は魔物を見に行きたいのか?」
「魔物も見たいですけど冒険者の方です」
父上はしばらく俺を見た。
「何を知りたいんだ?」
「どれくらい強いのかです。今日の人は馬を止めましたよね。でも、ほかの冒険者が何をできるのかは分からないので」
「それを知ってどうする?」
「……馬の代わりにならないかなと思って」
父上が俺を見た。
「馬の代わり?」
「はい。あれだけ力があれば荷車も引けるんじゃないかと思ったんです。そうすれば馬を減らせるかもしれないでしょう?」
父上はすぐには答えなかった。 少し離れたところではレオルとユリウスもこちらを見ている。
「冒険者にも仕事がある。荷車を引くために鍛えているわけではないぞ」
「それは分かってます」
「仮に引けたとしても相応の報酬が必要になる。馬の代わりに何人も雇えると思うか?」
「……それはまだ分かりません」
確かに、冒険者を雇うとなればお金がかかる。 馬を減らせても、それ以上の費用が必要なら意味がないのかもしれない。でも、そもそも一人でどれほどの荷物を運べるのか分からないのだから今は比べようもなかった。
「だから、もう少し知りたいんです。あの人以外にも同じくらい強い人がいるのか、どれくらいの力が出せるのか」
父上は何も言わずに聞いていた。 俺は少し考えてから言葉を続けた。
「今まで馬の代わりになるものが見つからなかったんです。でも今日、人間でもあんなことができるって分かりました」
鐘楼から何度荷車を眺めても、結局は馬が必要だった。 荷物を運ぶためには仕方がないと半ば諦めかけていた。 けれど、あの男が馬に力負けしなかった時もしかしたらと思ったのだ。 まだ何も分かっていない。それでも、その先を確かめずに諦める気にはなれなかった。
「……それに、前の飛竜の時は飛竜を見るのに夢中だったんです」
「そうだったな」
「今度は冒険者がどうやって戦うのかちゃんと見たいです」
「それは荷車とは関係ないだろう」
「……まあ、そうなんですけど」
父上の口元が少し緩んだ。 俺もつられて笑ってしまった。 馬を減らす方法を探しているのは本当だ。でも、冒険者の戦いをもう一度見たいのも本当だった。 生力という力を知った今なら前とは違うものが見えるかもしれない。
父上は椅子へ背中を預け、腕を組んだ。
「アルノ。今日、お前が無事だったのは運がよかったからだ。護衛も動いていたが、あの男がいなければ間に合わなかったかもしれん」
「……はい」
「魔物との戦いなら、なおさらだ。前に飛竜を倒したあとも近づくことは許さなかっただろう」
「覚えてます」
あの時は、すでに倒された飛竜を見たいと頼んだだけだった。それでも父上は駄目だと言った。 今度は戦っているところを見たいと言っているのだからもっと危険なのは分かっている。
「……やっぱり駄目ですか?」
「わざわざ魔物と戦っている場所へお前を連れていくわけにはいかん」
父上ははっきりと言った。
そうだよな。
俺だって危ないことはしたくない。今日みたいな目に遭うのはもう十分だ。
ただ、せっかく見つけた可能性まで諦めるのは惜しかった。冒険者の力を知るだけならほかにも方法があるのかもしれない。
「……分かりました」
父上は少し意外そうな顔をした。
「ずいぶん素直だな」
「今日のこともありますから」
「そうか」
父上はしばらく考えていた。 俺も何も言わずに待っていると、やがて口を開いた。
「安全に見られる機会があるかどうかは調べさせておこう」
「……え?」
「連れていくと決めたわけではない。危険がないと判断できる場所があれば考えてもいい。ただし、無理なら諦めてもらうぞ」
「はい!」
「それと、護衛の指示には必ず従え。今日のようなことは二度と御免だからな」
「分かってます!」
「まだ行けると決まったわけではないからな」
「はい!」
父上は少し呆れたような顔をした。
それでも、調べてくれるというのだから十分だった。
あの力が荷車を引くことに使えるのかまだ分からない。父上の言うようにできたとしても仕事にしてもらえるとは限らない。
けれど、今日までは人間が馬の代わりになるなんて考えもしなかったのだ。 今まで行き止まりに見えていたところにもう少し進める道があるような気がした。
俺は父上に礼を言って部屋を出た。
廊下を歩きながら今日の冒険者の姿を思い出す。馬を引き戻した腕と背中にあった大きな盾。
またあの冒険者たちが戦うところを見られるかもしれない。 そう考えると、どうしても顔がにやけてしまう。今度は生力を使っているところも、もっとよく見てみたい。 その力でどれほどのことができるのか分かれば荷車についても何か考えられるはずだ。
けれど、部屋へ戻る途中でふと別のことを思い出した。
あの革鎧には泥がついていた。
手袋もずいぶん汚れていたし、袖口には何のものか分からない染みまであった。
今日だって、服を替えるまではずっと気になっていたのだ。 それなのに、もっと汚れるはずの魔物との戦いを自分から見に行こうとしている。
飛竜の時も戦っている間は気にならなかったが、終わってから血や泥だらけの冒険者を見てしまった。
あんな人たちが何人もいる場所へ本当に行くつもりなのか。
また近づかれたらどうしよう。
少し考えてから、自分の袖へ目を落とした。
もう新しい服に着替えてある。泥も埃もついていないしあの手袋で触られたのは別の服だ。
……見るだけなら触られないよな。
俺はもう一度、自分の袖を確かめた。
今度は、なるべく離れたところから見せてもらおうと心に決めた。




