第十二話 馬糞の話をしていたはずなんですが
魚商に話を聞いた日の午後、俺はミーナと父上の書斎へ向かった。
「それで……何を見た?」
父上は机の向こうから俺を見た。馬車を手配してもらうときに街で見てきたものはあとで話せと言われている。
「市場で、屋敷に来る野菜を見ました。荷車に積んでたやつです」
「ああ」
「店では野菜を分けてたし、屋敷の人も見てから買ってました。それから街の外に畑があって、そこで使う肥やしも見ました。野菜が畑から市場へ来て、そこから屋敷に来るのも分かりました」
「前にも市場へ荷が集まる話はしたはずだが」
「聞きました。でも、きちんと見れたのは初めてです」
「そうか」
父上が少しだけ目を細めた。
「魚も調べました」
「魚?」
「近くの川の魚は生かしたまま、必要な分だけ出してるそうです。遠くから来るものは塩をしたり干したりしてました」
「お前は街を見に行ったあと魚商にまで話を聞いたのか」
「どうやって屋敷まで来るか分からなかったから」
「なるほどな」
何か納得された。俺としては魚が何日も木の台に置かれていなかったと分かっただけでも十分だった。
「それから、馬を減らすのは無理そうでした」
父上の視線が戻る。
「急に馬の話になったな」
「最初から馬の話です」
「そうだったか?」
「そうです」
少なくとも俺の中ではずっとそうだった。
「街に馬が多いから、もっと大きな街なら少ないのかと思ってフェルナー先生に聞きました。でも、人が増えたら食べ物も薪も必要になって、荷が増えて、荷車も馬も増えるって」
「そうだな」
「道を広くしたり、掃除する人を増やしたりはするそうです。でも馬そのものはいなくならない」
「そうだ。馬は物流の要だからな」
「え? ええ、まあそうです」
急に物流の話になった。フェルナー先生の時と同じだ。そのせいで馬糞の発生源はなくならない。
「……それで野菜がどこから来るか調べたのか?」
「野菜は見たら気になっただけです」
「魚もか?」
「魚もです」
「大きな街の荷についてフェルナーに聞いたのは何故だ?」
「馬が減るか知りたかったからです」
父上は椅子の背にもたれた。
少し考えている。
「つまりお前は馬を減らせないかと思って街を見た。だが荷を運ぶのに必要だと分かった。それで、どこから何が運ばれてくるのか気になった、ということだな」
「……だいたい合ってます」
「それを荷の流れを見ると言う」
「フェルナー先生にも物流って言われました」
「同じことだ」
同じなのだろうか。
俺は馬糞を減らしたいだけなのに、父上とフェルナー先生の中ではずいぶんまともな話になっている。
「でも、俺が気にしてるのは荷物じゃなくて――」
「馬だろう?」
「馬というか、その……」
その後ろだ。馬の尻から出てくるものだ。
「馬を減らすのは難しいんですよね」
「フェルナーから聞いたのだろう。その通りだ。簡単に減らせるならどこの街も苦労はしていない」
「ですよね……」
「それでも気になるなら、次に街へ行った時は地面だけでなく荷車も見ろ」
「荷車?」
「馬が必要なのは荷を運ぶためだ。何のために街へ入り、どこまで行き、どこで止まっているのか。それを知らずに減らせるかどうか考えても仕方がない」
言われて、昨日の市場を思い出す。
野菜を積んでいた荷車は店の近くに止まっていた。大きな袋を積んだものも見た。でも、どこから来て、どこまで行くのかまでは見ていない。
言われてみれば、俺は馬の数ばかり気にして、その馬が街の中で何をしているのかはほとんど見ていなかった。
「見ます」
「今度は早いな」
「必要だと思いました」
「そうか」
父上は少しだけ口元を緩めた。
「全部を追いかける必要はない。門から入った荷車がどこへ行くか、店の前で何をしているか。それくらいでいい」
「はい」
それならできそうだ。
「フェルナーにも話しておく」
「……何をですか?」
「次は荷の流れを見ることになったとな」
「そこまで言ってないです」
「今、見ると言っただろう」
「言いましたけど」
何か違う。
でも、どこが違うのか説明しようとするとまた馬糞の話へ戻る。
父上はもう書類へ手を伸ばしていた。
話は終わりらしい。
俺は椅子を降り、ミーナと一緒に書斎を出た。廊下へ出ると、ミーナがこちらを見た。
「次は荷車をご覧になるのですね」
「そうなったみたい」
「フェルナー先生のおっしゃった通り、物流のお勉強になりましたね」
「馬糞の話をしてたはずなんだけど」
「途中から野菜と魚のお話もされておりましたので」
「全部そこからつながったんだよ」
「馬糞からでございますか?」
「うん」
ミーナが少し考えた。
「それは、旦那様には伝わっていないかもしれませんね」
「そうだよね」
翌日の授業では、机の上にいつもの領内地図が広げられていた。フェルナー先生は村でも川でもなく、街へ入る門を指した。
「ガルム様から伺いました。次に街へ行かれる際は、荷の動きを見たいそうですね」
「……はい」
見たいというより見ることになった。
「でしたら、今日は街へ入った荷がどこへ向かうのかを少し考えてみましょう」
先生の指が門から市場へ続く道をなぞる。横からユリウスが俺を見る。
「アルノ、荷車が好きなの?」
「違います」
「でも昨日から馬とか荷車とか聞いてるよね」
「必要だからです」
「何に?」
答えようとして止まった。
馬糞を減らすため。
間違ってはいない。
ただ、ここでそれを言うと踏んだ時のことを蒸し返されそうな気がした。
「……街をきちんと見るためです」
「ふうん」
納得したような、していないような返事だった。
フェルナー先生はもう地図の説明を始めている。
次に街へ行ったら荷車がどこで止まるのかを見る。そうすれば馬がどれくらい街にいるのかも分かる。
俺は地図の門を見た。
馬糞のことを考えていただけなのに、いつの間にか授業で荷車を追うことになっていた。




