第十話 馬糞の話ではなく物流です
翌日の午前中、フェルナー先生の授業を聞きながら、俺は昨日のことを思い出していた。
机の上には領内の地図が広げられている。街から伸びる道、その先に点々とある村。前ならただ線でつながっているようにしか見えなかったけれど、昨日市場へ行ってからはその道の上を荷車が走っているところまで想像できるようになった。
市場に並んでいた野菜も、積み上げられていた袋も、どこかで作られて荷車に載せられ、この道を通って街へ来る。そして、その荷車を引いているのは馬だった。
この街だけであれなら、もっと人の多い街はどうなっているんだろう。
前世では、都会ほど便利なことが多かった。人も車も多かったけれど、道路は舗装され、電車などの公共交通機関も充実していた。大勢の人間が暮らすならそれを支える仕組みも違っていた。なら、この世界も同じなのではないか。俺はそう思って手を上げた。
「フェルナー先生」
「はい、アルノ様」
「もっと大きな街だと馬って少なくなるんですか?」
「少なく……ですか?」
昨日の街では荷車が来るたびに馬がいた。馬が増えれば当然あれも増える。だから聞いたのだけれど、フェルナー先生は少し考えたあとで頷いた。
「なるほど。物流の話ですね」
物流。
そう言われてみれば確かにそうだった。
昨日見た野菜も荷車も、街の外に広がる畑も全部そこにつながっている。
「はい。そうです」
本当は違うのだが、話が拗れそうだったので俺はフェルナー先生の意見に乗っかった。
「基本は今の街と変わりませんよ。人が増えればそれだけ食料も薪も必要になります。職人が増えれば材料も要りますし、出来上がった品を運び出す必要もある。大きな街ほど出入りする荷は増えます」
「ということは……」
「馬も荷車も増えますね」
増えるのか。
俺が期待していた答えとは真逆だった。
「でも、人が多いなら道も整っていますよね?」
「もちろんです。主要な通りを広く取ったり、大きな荷車が入る道を決めたりする街もあります」
「掃除する人も増えますか?」
「増えます」
そこまで聞いて少しだけ安心した。やっぱり人が増えればその分だけ仕組みも大きくなるらしい。
「ただ、それで汚れが減るとは限りません」
「どうしてですか?」
「通る人も馬も増えますから。この街くらいなら、店の者も店先を掃きますし、通りを掃除する者もおります。それである程度は間に合います。ですが、大きな街では場所によっては掃除する者を増やしても追いつきません」
人が増え、必要な物が増えると、荷が増えて荷車が増える。当然、その分だけ馬が増える。その結果、馬糞も増える。
最後だけ俺にしか重要ではない気がするが、俺にとってはそれが一番の問題だ。
「……掃除する人をもっと増やしても駄目なんですか?」
「限りがありますからね。それに、街に住む人が多くなれば全員が決まりを守るとも限りません」
「決まり?」
「ごみや汚れたものを出す場所を決めている街もあります。便所から出たものも、本来なら決められたやり方で運ばせます」
そこまでは少し安心できる話だった。やっぱりこの世界の人だって、何でも道へ捨てていいと思っているわけではない。
「ですが、わざわざ決められた場所まで運ぶのを嫌がる者もおりますし、どうせ通りを掃除する者がいるのだからと、その場へ捨ててしまう者もいます」
それは納得のいく話だった。誰かが片づけるならわざわざ運ぶのが面倒になるだろう。
「王都では二階の窓から通りへ捨てる者までいると聞きますよ」
「……窓から?」
「もちろん、してよいことではありません。罰を設けている場合がほとんどです」
それはそうだろう。さすがに窓から捨てることまで許されているわけではないらしい。けれどフェルナー先生はため息をついたあとに続けた。
「それでも、する者はおりますが」
と。
俺は話をしながら昨日歩いた街を思い出す。店先を掃いている人がいて、馬糞を拾っている人もいた。俺が馬車から降りる場所までわざわざ掃いてくれている。少なくとも、俺たちの街ではそこまでひどくないらしい。
これから先、俺が王都へ行くことだってあるかもしれない。その時は窓の下を歩かないようにしよう。
「……アルノ」
レオルに呼ばれて顔を上げる。
「さっきから何をそんなに考えてるんだ?」
「物流についてです」
フェルナー先生の言葉を借りて俺はすかさず言った。レオルは俺を少し見たあと、フェルナー先生へ視線を移した。
「……そうか」
嘘ではない。馬が物流を支えている以上、馬糞まで含めて物流だ。少なくとも俺の中では。
フェルナー先生は俺が荷の流れに興味を持ったと思ったらしく、そのまま街道や途中の村について話し始めた。
昨日までは馬糞をどうにかしたくて見ていただけなのに、野菜がどこから来るのかを知ってからは荷そのものも少し気になっている。
机の上の地図を見る。街から伸びた一本の道にも、昨日まではなかった荷車や人の姿が浮かぶようになっていた。
次に街へ行く時は、もう少し別のものも見られそうだ。もちろん、馬の後ろだけはちゃんと警戒するけれど。




