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潔癖症の俺には中世風の魔法世界が無理でした ~妹のおくるみが汚すぎて叫んだら領地の「普通」がいつの間にか変わり始めました~  作者: 織 航(しき わたる)
第二部 街の通り

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第二話 窓越しではない街

 街が近づくにつれて、さっきまで遠くに見えていた壁が少しずつ大きくなっていった。

 飛竜のことを考えていた間は気にならなかったのに冒険者たちの姿を見送ってからは窓の外へ目を向けるたびに別のものが目につく。

 前を行く荷車。道の端を歩く人。馬の脚。車輪が通った跡。乾いた泥。そこへ、さっき見た血のついた手袋や靴まで勝手に脳裏に重なってくる。


「――アルノ、それはさすがに暑いんだろう?」


「いえ、暑くないですよ」


「だったらなぜ気にしてるんだ?」


 ユリウスに言われて俺ははっとした。顔に巻いた布を無意識に触っていたらしい。


「……触ってるだけです」


 俺は正面に座っているユリウスから顔を背けた。

 街の門の前には荷車が何台か並んでいた。前回来た時にも人や馬がいたことは覚えているが、あの時は街の中ばかり気になって門で何をしているのかまであまり気が回らなかった。

 門の前の列は少しずつ進んでいる。先頭の荷車が門の手前で止まると、兵とは少し違う格好をした男が御者に声をかけて、荷台へ近づいていく。後ろにはもう一人いて、手に持った蝋板へ何かを書きつけていた。


「あれは……何をしてるんですか?」


 父上ではなく、レオルが俺の視線を追った。


「荷を見てるんだろ」


「荷? 門の前で?」


「ああ。街へ売りに来た物は門の前で確認する決まりだ」


 ちょうど男が荷台に積まれた袋の口を開けて、一つだけ確認していた。中まですべてひっくり返すわけではないらしい。御者といくつか言葉を交わし、袋の数を数えている。横にいた男が蝋板へ尖筆を走らせた。


「全部止めて確認するんですか?」


「売り物ならな」


「荷車一台いくら――とか?」


「違う。何を持ってきたかで変わる」


 レオルが答えた後に、横から父上が続けた。


「量も見る」


「量も?」


「麦を一袋持ってくるのと十袋持ってくるのを同じにはできんだろう」


「それはそうですけど……」


 確認が終わった荷車が門を通っていくと、次が門の前で止まる。今度は小さな樽がいくつも積まれていた。男が御者へ尋ねる声が、窓を開けているこちらにも少し聞こえてきた。

 どこの村から来たのか。

 樽の中身は何か。

 街で売るものなのか。

 いくつあるのか。

 御者が答えるたびに男が蝋板へ記していく。


「税金ですよね?」


「ああ。市場で売る品には税をかける」


「門で払うんですか?」


「そうだ。ここで荷を確かめてから徴収する。中へ入れてしまったら商人が何を持ち込んだか分からなくなるからな」


 なるほど。

 街へ入る場所が限られているから外から来た荷物は必ずここを通る。その時に見た方が確かに楽だ。


「でも、街に入る人が何か持ってたら全部に税をかけるんですか?」


「そんなことはしない。自分で使う程度の物まで一々、税はかけない。売るために持ち込んだ荷だけだ」


「じゃあ、あの人たちはここで税を払ったら終わり?」


「市場で場所を使うなら、そっちはまた別だよ」


 レオルが答えた。門で払うのは、品を街へ持ち込んで売るためのもの。市場で場所を借りるならその場所にもお金が必要になるらしい。


「結構取るんですね」


「街に売り物を持ち込むのと、市場で場所を使うのは別なんだから当然だろ」


 ユリウスが言った。


「兄上が急に父上みたいなこと言い始めた」


「習ったからな」


「俺も――これから習うの?」


「たぶん」


「……そうですか」


 三歳にはまだ早いと思う。そう思ったが、門の前で実際に荷車を止めているところを見ると前世の記憶が少しだけ刺激された。前世で読んだ中世の話にも、街の門で荷を調べて税を取るものがあった気がする。

 俺たちの馬車が門へ近づくと、兵士たちがこちらへ気づいた。ヴァイスベルク家の紋章を見たのだろう。すぐに場所が空けられ、兵たちが頭を下げる。俺たちまで荷を調べられることはなかった。


「父上たちは払わないんですか?」


「当たり前だ」


 俺が言うと、父上は呆れたように言った。

 そうだよね。もらう側だもんね。

 馬車がそのまま門を抜けると、道のすぐ両側に建物があった。街の中の通りは屋敷の周りにあるような広い道ではない。そのために少しだけ圧迫感がある。道は石を敷いたところと踏み固められた土が入り混じり、その上を何度も通った荷車の轍が続いている。

 道沿いには家や店が隙間なく並び、通りへ張り出した庇の下には木箱や籠が置かれていた。店の前で品物を並べる人がいれば、そのすぐ横を荷を背負った人が通り、向こうから来た馬を避けて道の端を歩いている人もいる。

 ゆっくり進んでいく荷車は、車輪が石へ乗るたびにごとごとと音を立てていた。店先から呼びかける声や誰かの笑い声が聞こえてくる。少し先では馬が立ち止まり、その脇を籠を抱えた女がすり抜けていった。

 布で鼻を覆っていても匂いまでは完全に防げなかった。

 どこかで肉を焼いているらしく、香ばしい匂いが流れてきたかと思えばすぐに薪の煙が匂いに混じる。荷車が通れば馬の獣の匂いと革具の匂いが鼻につき、そのあとには糞の匂いがした。

 窓の下を見ると馬糞があった。

 前にも見た。馬が歩きながら落としていて、人が片づけていた。綺麗になったように見えてもそこには馬糞がたしかにあったのだ。片づけられると何があったのか分からなくなる。前回、俺が馬車から降りられなくなった理由の一つだった。


「やっぱりあるな……」


「そりゃあ、通りにはあるだろ」


 ユリウスが当然のように答える。


「分かってるよ」


 俺も即答した。だから嫌なのだ。さっきまでただの土や泥に見えていた場所にも、馬糞があったのではないかと考えてしまう。

 馬車は通りをさらに進んでいった。

 建物の間から別の道が見え、その向こうにも店や人が続いている。通りの端では店先を箒で掃いている男がいた。掃き集めた藁やゴミを道の脇へまとめている。お店で売られているものも多くが台の上に置かれていて、直接土の上に置いている人は少ない。

 この光景も前回見た。街の人たちは何もかも放りっぱなしにしているわけではない。店の前は掃くし、売り物もなるべく汚さない。馬糞だって見つければ片づけている。それでも、馬は通る。荷車も通る。片づけても、また汚れる。分かっているからこそ馬車が進むたびに次から次へと気になるものが増えていく。

 泥。

 馬糞。

 荷車の車輪。

 人の靴。

 さっき見た冒険者たちだって、あのまま戻ってくる。

 考え始めるときりがなかった。


「もうすぐ着くぞ」


 父上の声に顔を上げると、馬車の速度が落ち始めた。外を見ると見覚えのある場所だった。前回、父上たちが降りていった場所。そして俺だけが馬車の中に残った場所だ。

 馬車が止まると御者が扉を開け、父上が先に降りた。レオル、ユリウスもそれに続く。俺はすぐには立たず、開いた扉の向こうを見た。前回と同じ道のはずだった。石が敷かれているところと剥き出しの地面が混じっている。道の端には泥も残っているし、少し離れたところを馬も歩いている。でも、何となく前より綺麗に見えた。

 気のせいかと思って、踏み台に足をかけてからもう一度足元を見る。馬車のすぐ下には大きなごみがない。藁もほとんど落ちていない。少なくとも、今見える範囲に馬糞はなかった。それだけで少しほっとした。


「――アルノ?」

 

 外からユリウスが俺を呼ぶ声がする。


「今、降ります」


 今日はそのために来た。

 顔は布で覆っている。手袋もしているし、万が一の替えも持ってきた。それにこの靴も帰ったら玄関で脱ぐ。洗うまでは屋敷に持ち込まない。前回は、地面を踏んでしまう恐怖で頭が回らなかった。だが今日は、少なくとも帰った後のことはすでに決めてある。

 踏み台を一段下りる。もう一段。地面には乾いた泥も少し残っている。ここに以前、何があったのかまでは分からない。掃かれているから綺麗に見えているだけかもしれない。それでも、その汚れは屋敷の中に入ることはない。

 そこまで考えてようやく俺は――右足を下ろした。靴底に地面の硬さが返ってくる。続いて左足も地面につけた。ほどなくして両足で街の中に立った。

 何も起きなかった。

 当たり前だ。

 ただ馬車から降りただけなのだから。

 それでもしばらく、自分の足元を見ていた。顔を上げると、父上とレオルはもう少し先にいる。フェルナー先生も後ろの馬車から降りてこちらへ来ていた。

 俺もそちらへ向かおうとした時、通りの端にいた男が箒を持ったまま父上へ近づいていった。


「あの……領主様」


 声が少し強張っている。

 父上が振り返る。


「――何だ?」


「この辺り……これくらいでよろしいでしょうか」


 男はそう言って、俺たちが降りた辺りへ視線を向けた。父上も一度足元を見る。


「ああ。十分だ」


「ありがとうございます」


 男はほっとしたように頭を下げた。手にしている箒の先には、まだ土と細かな藁があった。

 俺はもう一度、自分の足元を見た。前より綺麗に見えたのは掃いてくれていたからだったらしい。たぶん、前回俺が降りれなかったからだ。

 男は父上へもう一度頭を下げると、そのまま通りへ消えていった。俺のためにわざわざやってくれたのだと思うと少し申し訳ない。でも、今さら「掃かなくても大丈夫でした」とはとても言えなかった。


「――アルノ、行くぞ」


「はい」


 父上たちの後を追う。

 馬車の窓越しではない街が、目の前に広がっていた。

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