第二十四話 魔法はしばらくやめます
次の日までにいくつか考えた。
まず布。
手に巻けば直接触れなくて済む。
次に手袋。
薄い革なら少しくらい感触も分かるかもしれない。
それが駄目なら匙。
朝の勉強が終わると順番にフェルナー先生へ聞いた。
「布を巻くのは?」
「細かな感触が分かりません」
「薄い革の手袋なら?」
「昨日も言いましたが最初は素手の方がいいでしょう」
「匙は?」
「何に使うのでしょう」
「土を触る代わりです」
フェルナー先生が少し黙った。
「それでは土を触ったことにはなりませんね」
全部駄目だった。
ユリウスが横で笑っている。
「そんなに嫌なら触らなきゃいいだろ」
「触らないと駄目らしいです」
「じゃあ触ればいいじゃないか」
「簡単に言わないでください」
「土だぞ?」
「だからです」
分かっていない。
たぶん一生分からない。
昨日と同じ場所まで歩いた。
城壁沿いの地面は今日も固く踏まれている。
昨日俺が出した土はもう片づけられていた。
「まずは土を出してください」
右手を前へ出す。
「土よ。ここに形を成せ」
魔力が腕を通った。
指先に茶色い光が集まり土が落ちる。小さな山になったところで意識して魔力を止めた。
「上手くなりましたね」
「触らなくてもできました」
「出すだけなら、ですね」
余計な一言だった。
フェルナー先生が土を示す。
「まず指先だけで構いません」
俺はしゃがんだ。
目の前には自分で出した土がある。
虫はいない。
葉もない。
石もない。
昨日見たものと同じだ。
右手を伸ばす。
途中で止まった。
「アルノ様」
「分かってます」
もう少し伸ばす。
人差し指が土に触れた。
柔らかい。
少し冷たい。
ただそれだけなのに指先がぞわりとした。
指から腕へ。腕から体全体へ一気に広がる。
前世でも同じことがあった。汚れていると分かった服を着ている時だった。肌に触れている場所がずっと気になる。脱ぐまで何をしていても忘れられない。
今は指先だった。
土が触れている。
それだけで右手全部が気になった。
「少し掬ってみましょう」
「これ以上、触れるの?」
「はい」
嫌だった。
でも昨日先生が土を握っていた理由は分かる。
触らなければ固さも湿り気も分からない。
指を少し深く入れた。
土が爪の近くまで来る。
またぞわりとした。
そのまま四本の指を入れる。
掌に土を載せた。
柔らかい。
少し湿っていた。握るとまとまり、力を抜くと崩れる。
「どうです?」
「……柔らかい」
「他には?」
「少し湿ってます」
「ええ」
「握ると固まる。でもすぐ崩れる」
フェルナー先生が頷いた。
「その感触を覚えてください」
覚えた。
嫌なくらい覚えた。
土を落とす。
「洗ってきます」
「どうぞ」
水場まで右手を体から離して歩いた。
石鹸を使う。
指の間も洗う。
爪の際も洗う。
土が見えなくなってからもう一度流した。
それでも指先の感触はしばらく残った。
戻るとフェルナー先生は俺が出した土をまだ見ていた。俺は言った。
「少し試してみたいことがあります」
「何です?」
「昨日先生は、この土なら植物がよく育つと言いましたよね」
「言いました」
「本当に育つか見たいです」
フェルナー先生の目が少し細くなった。
「比べるのですか?」
「はい」
庭師に頼んで同じくらいの大きさの苗を二つ用意してもらった。
一つは庭の土。
もう一つは俺が出した土。
鉢も同じようなものを使う。
水も同じだけ。
置く場所も隣にした。
植え替えるのは庭師に任せた。
そこまで自分でする必要はない。
「これで何が分かるのでしょう?」
「俺にもまだ分かりません」
ただ確かめたかった。
俺が出したものが本当にただの綺麗な土なのか。
その日はそれで終わった。
翌朝。
勉強部屋へ行く前に二つの鉢を見に行った。
遠くからでも違いが分かった。
足が止まる。
庭の土へ植えた方は昨日とほとんど変わらない。
葉が少し下を向いている。植え替えたばかりならこんなものなのかもしれない。
その隣。
俺の土へ植えた方は葉が上を向いていた。
茎もしっかり立っている。
昨日より色まで濃く見える。
フェルナー先生も二つを見比べた。
「ずいぶん違いますね」
嬉しそうだった。
「たった一日で……」
「ええ。それだけ土の状態がよいのでしょう」
やっぱり。
先生はしゃがんで葉を確かめている。
俺は鉢の中の土を見た。
植物がよく育つ。
それは土として正しい。
水なら澄んでいる方がいい。
土なら植物が育つ方がいい。
そこまでは分かる。
でも植物がよく育つ土には何がいる?
前世で知っていた。
土の中には目では見えないほど小さな生き物がいる。
植物と関わっているものもいる。
俺が出した瞬間からいたのか。
苗の根についていたものが移ったのかもしれない。
水から入ったのかもしれない。
外に置いた間に入ったのかもしれない。
昨日出したばかりの土なら何もいないと思っていた。
今もそうなのか分からない。
誰にも確かめられない。
目にも見えない。
フェルナー先生にも分からない。
目の前の植物だけが元気だった。
それで十分だった。
触りたくない。
昨日感じた土の感触が指先に戻ってきた。
「アルノ様?」
フェルナー先生が振り返った。
「今日はこの続きをしましょう。次は出した土ではなく地面の土を動かします」
「地面?」
「ええ。掌をついて魔力を流せば土の動きを感じやすいでしょう」
足元を見る。
踏み固められた地面。
誰が歩いたかも分からない。
馬も通る。
雨も降る。
その中に何がいるのかも分からない。
ここへ手をつく。
昨日までは嫌でもやるつもりだった。
魔法を覚えるためなら必要だと思っていた。
でも今は無理だった。
「やりません」
「今日は――ですか?」
「土はもう触りません」
フェルナー先生が黙った。
「魔法を学ぶなら避けては通れませんよ」
「それでもいいです」
「水や風も学ばないのですか?」
少しだけ迷った。
水は欲しい。
でも魔法の授業を続ければ土もやることになる。一番適性が高いのだから先生も俄然その気だろう。いつか地面へ手をつく日が来る。土を握る日も来る。それを考えただけで指先が気になった。
「……いいです」
フェルナー先生はしばらく何も言わなかった。
二つの鉢だけが隣に並んでいる。
俺の土へ植えた方は元気に葉が上を向いている。
この日を境に兄上たちが魔法を習う時間になっても俺はついていかなくなった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
金色の適性が判明したアルノですが、魔法についてはここでいったんお休みです。
アルノが改めて魔法と向き合い、実際に使っていくのはもう少し先のお話になります。
今はまだ三歳。
しばらくは、アルノの手が届く範囲のお話が続きます。




