第二十三話 土を出せましたが触りたくありません
翌日になっても金色の光が頭から離れなかった。
土だった。
一番得意なのが土だ。
何度考えても嬉しくない。
朝の勉強が終わる頃になるとフェルナー先生が羊皮紙をまとめた。
「今日は外へ出ましょう」
「外ですか?」
「昨日の続きをしましょう」
嫌な予感がした。
「魔法?」
「ええ。適性が分かった以上、一度実際に使ってみた方がよいでしょう」
やっぱり。
俺は尖筆を置いた。
「水からでもいいですか?」
「まずは土です」
「どうして?」
「最も強く適性が出た属性から始める方が魔力を掴みやすいからです」
「水も光ってました」
「光っていましたね」
「青も結構大きかったです」
「そうですね」
「なら水でも……」
「まずは土です」
駄目だった。
ユリウスが笑っている。
今日はそれに腹を立てる余裕もなかった。
勉強部屋を出て廊下を進む。
石の階段を下りると内庭へ出た。
屋敷の建物に囲まれた石敷きの庭を使用人たちが行き来している。厨房の方から煙の匂いが流れてきた。そのまま内庭の端にあるアーチをくぐる。抜けた先は外庭だった。
こちらはずっと広い。
厩があり、その向こうには荷車を入れるための大きな戸が並んでいる。壁際には樽や薪が積まれ、馬を引いた使用人が俺たちの前を横切っていった。
さらに奥へ進む。厩や倉から離れるにつれて人の姿が減った。外庭の端には建物を置かずに残された広い場所がある。城壁沿いの地面は何度も踏まれて固くなり、ところどころ土がむき出しになっていた。兄上たちや屋敷の兵が剣や魔法の稽古に使う場所らしい。
「ここでやるの?」
「ええ。この辺りなら周囲を気にせず試せます」
フェルナー先生は城壁から少し離れた場所で止まった。
レオルとユリウスもついてきている。
二人とも見る気らしい。
「最初に私がやってみせます」
先生が右手を前へ出した。
掌を地面へ向ける。
「昨日感じた魔力を手の先へ集めます。それから属性を意識して詠唱します」
「詠唱?」
「長いものではありません」
フェルナー先生が一度息を整えた。
「土よ。ここに形を成せ」
指先に淡い茶色の光が浮かんだ。
その下にぱらぱらと土が落ちる。
ほんの一握りほどだった。
先生が手を下ろす。
「最初はこれくらいで十分です」
土を見る。
普通の土にしか見えない。
「これを俺が?」
「ええ」
嫌だ。
でも昨日の水晶を思い出す。
水の適性が高い水術師なら澄んだ水を出せる。
台所でそう聞いた。
なら土も同じではないだろうか。
適性が高いほど状態のいいものが出る。
俺の適性は金色だった。
もしかしたら。
何も混ざっていない綺麗な土が出るかもしれない。
庭にある土とは違う。
魔力だけで作られた土。
そう考えると少しだけやる気が出た。
フェルナー先生が場所を空ける。
「右手を前へ」
言われた通りにする。
「力を入れなくて構いません。昨日の水晶へ流した時と同じです」
体の奥を探す。
昨日感じた脈のようなものはすぐに見つかった。
腕を通って掌へ集まってくる。
「そのまま土を思い浮かべてください」
土。
嫌なものまで思い浮かびそうになって慌てて止める。
何も入っていない土。
誰も踏んでいない。
虫もいない。
腐った葉もない。
できるだけ綺麗な土。
「では唱えてください」
一度息を吸った。
「土よ。ここに形を成せ」
掌が熱くなった。
茶色い光が指先に滲む。
ぱら。
何かが落ちた。
続いてぱらぱらと茶色い粒が地面へ落ちていく。
「出た」
「そのままです」
土は止まらなかった。
先生が出した量をすぐに越える。
さらさらと落ち続けて小さな山になった。
「アルノ様。少し魔力を抑えて」
「どうやって?」
「流す量を減らすように意識してください」
分からない。
分からないけれど、とにかく止めるつもりで手を握った。
土が途切れた。
俺はすぐ掌を見る。
何もついていない。
指の間。
爪。
大丈夫。
そこまで確認してから地面を見る。
土がこんもりと積もっていた。
想像していたよりずっと多い。
見た目も少し違った。
庭の固い土より柔らかそうだった。
さらさらしているのに乾ききってはいない。
色も濃い。
虫はいない。
枯れ葉もない。
石もない。
少なくとも見えるものは土だけだった。
少しだけ期待する。
本当に綺麗な土なのかもしれない。
「これは……」
フェルナー先生がしゃがみ込んだ。
土へ手を伸ばす。
そのまま指を入れた。
「え」
止める間もなかった。
先生は両手で土を掬った。
握る。
崩す。
また手を入れて下から持ち上げる。
ふかふかになった土が指の間から落ちていく。
俺は先生の手を見た。
普通に触っている。
迷いもない。
「先生」
「はい」
「土、触れるんですか?」
フェルナー先生が少しだけ首を傾げた。
「触れますよ」
「汚れますよね?」
今度は先生が自分の手を見た。
指にも掌にも土がついている。
「汚れたら洗えばいいだけでは?」
言葉が出なかった。
それで終わるのか。
土を触る。
汚れる。
終わったら洗う。
フェルナー先生にとってはそれだけらしい。
授業の前には手を洗うし服もいつもきちんとしている。
先生は汚れることを気にしないわけではない。
汚れたあとに洗えば戻ると思っている。
俺とはそこが違った。
フェルナー先生はそんな俺を気にする様子もなく、また土へ両手を入れた。
「それにしても素晴らしいですね」
土を掬い上げる。
指の間からさらさらと落としながら先生の顔が少し明るくなった。
「柔らかい。それでいて軽すぎない」
また土を崩す。
今度は両手でわしゃわしゃと混ぜ始めた。
そんなに触るのか。
俺は少し引きながら見ていた。
「先生」
「はい」
「どうですか?」
聞くのが少し怖かった。
でも期待もしていた。
適性の高い水術師は澄んだ水を出せる。
なら土だって。
余計なものがない。
綺麗な土。
そういう答えが返ってくるかもしれない。
フェルナー先生は手の中の土をもう一度崩した。
「これほど状態のよい土はなかなかありません」
よし。
俺は少しだけ息を吐いた。
「綺麗ですか?」
「綺麗?」
先生が顔を上げた。
「植物を育てるにはとてもよい土です。これならよく育つでしょう」
「……植物が?」
「ええ。この柔らかさなら根も伸びやすい。水もすぐ流れきらず溜まりすぎもしないでしょう。畑にこれだけの土があれば喜ばれますよ」
フェルナー先生は本当に嬉しそうだった。
また土へ手を入れる。
指の間から黒っぽい土がさらさら落ちていった。
違う。
俺が聞きたかったのはそこじゃない。
でも先生の答えを聞いているうちに分かってしまった。
水なら澄んでいく。
その方が状態がいいからだ。
土なら?
当然、植物がよく育つ土になる。
それが土として状態がいいということだ。
当たり前だった。
俺は目の前の土を見る。
虫はいない。
枯れ葉もない。
小石も見えない。
魔法は土を出した。
虫や葉まで一緒に作ったわけではない。
そこまでは分かる。
なら、もっと小さいものは?
前世で聞いたことがある。
土の中には目では見えないほど小さな生き物がいる。植物が育つ土に特に関わっている。
そもそも今出したばかりの土にいるのかも分からない。
魔力から作ったのなら、いない気もする。
むしろその方が自然な気もした。
でも、いないと誰が確かめた?
見えない。
匂いでも分からない。
フェルナー先生にも分からないだろう。
目の前では先生がまだ両手で土を触っている。
俺は一歩だけ下がった。
「アルノ様も触ってみますか?」
「……いいです」
「ご自分で出した土ですよ」
「分かってます」
分かっている。
自分で出した。
虫はいない。
枯れ葉も糞も入っていない。
微生物だっていない可能性の方が高いと思う。
魔力から今作ったばかりなのだから、その方が自然だ。
それでも確信がない。
「触りません」
フェルナー先生が土のついた手を止めた。
「なぜです?」
「分からないからです」
「何がですか?」
「中に何がいるか」
フェルナー先生が手の中の土を見る。
「虫はいませんよ」
「もっと小さいものです」
「小さいもの?」
「目では見えないくらい」
先生が黙った。
当然だと思う。
この世界で微生物という言葉が通じるとは思っていない。
俺だって目で見たことはない。
前世の知識として知っているだけだ。
だから余計に困る。
いないと確かめる方法もない。
「少なくとも私は、魔法で作った土から何かが生まれたという話は聞いたことがありません」
「ですよね」
それは少し安心した。
少なくとも虫まで一緒に出てくるわけではないらしい。
でも完全には安心できない。
フェルナー先生はもう一度土を掬った。
軽く握ってから指を開く。
土が形を残しながら崩れていった。
「ですがアルノ様。これから土魔法を学ぶなら、いずれ触れる必要はありますよ」
聞きたくない言葉が聞こえた。
「どうして?」
「出すだけなら今のままでもできます。ですが土を固める。崩す。形を整える。そういったことを覚えるには土そのものを触って魔力を通す必要があります」
フェルナー先生は指先についた土を擦り合わせた。
「乾いているのか湿っているのか。柔らかいのか固いのか。どれほど握ればまとまるのか。実際に触れた方が分かりやすいし、魔力も流しやすい」
嫌だ。
とても嫌だ。
でも言っていることは分かる。
「……手袋は?」
思いついた。
これなら触れる。
直接ではない。
「手袋ですか」
「はい」
「最初のうちは外した方がいいでしょうね」
即答だった。
「どうして?」
「革越しでは細かな感触が分かりません」
逃げ道がなくなった。
フェルナー先生は何でもないことのように続ける。
「今日は初めてですからここまでにしましょう。次はこの土を実際に触ってみます」
目の前には自分で出した土がある。
虫はいない。
枯れ葉もない。
石もない。
たぶん普通の土よりずっと状態がいい。
それでも土だった。
次はこれに手を入れるらしい。
想像しただけでぞっとした。




