第21話 魔族領の巨大結界に異変
魔族領土。
魔王城を中心に広がる巨大結界は、長年にわたって魔族たちの暮らしを守り続けていた。
かつては魔獣や魔物による被害が絶えなかったこの土地も、結界が完成してからは大きく変わった。
魔族は安心して暮らせるようになり、各種族はそれぞれの技術や知識を生かしながら、平和な日々を送っていた。
しかし――。
その平和の裏側で、少しずつ異変が起きていた。
結界の外側では、魔獣や魔物が以前ほど討伐されなくなっていた。
魔族領へ侵入できない魔物たちは、大森林の奥へと追いやられ、次第に数を増やしていった。
やがて、増え続けた魔物たちは森の一帯へ集中するようになる。
魔力が濃くなり、流れが滞り、地面の奥から不自然な魔力が湧き上がる。
それは、魔力だまりと呼ばれる現象だった。
魔力だまりの影響を受けた魔物たちは、次第に凶暴性を増していく。
普段なら縄張りを守るだけの魔物までが、周囲の魔物を巻き込みながら移動を始めた。
森の奥で、無数の気配がうごめいている。
このまま魔物の増加が続けば――。
大規模なスタンピードが発生するのは、時間の問題だった。
◇◇◇
ハーン地方。
領主の執務室に、一人の兵士が慌ただしく駆け込んできた。
「領主様! ご報告があります!」
「騒々しいぞ。何事だ?」
机に向かっていたハーン領主が、顔を上げる。
「魔族領との国境付近で、多数の魔物が確認されました!」
「何だと?」
領主の眉がぴくりと動いた。
「数は?」
「現在も増え続けているとの報告です。森の奥から、次々と魔物が現れているようです」
「魔族どもめ……!」
ハーン領主は机を叩いた。
「魔物を使って攻撃してくるとはな!」
兵士は困惑した表情を浮かべた。
「それが、魔族が直接魔物を操っているという確かな証拠は、まだ……」
「証拠だと?」
領主は兵士を睨みつけた。
「魔族領の国境付近から魔物が現れたのだ。ならば、魔族の仕業と考えるのが当然であろう!」
「はっ……!」
兵士はそれ以上何も言わず、頭を下げた。
領主の言葉を否定できる立場ではなかった。
「それで、魔物はこちらへ向かっているのか?」
「はい。現在の進行状況から考えると、このままでは一週間ほどでハーン地方へ入り込んでくると予想されます」
「一週間……」
ハーン領主は椅子の背にもたれ、考え込んだ。
領地に魔物の大群が押し寄せれば、甚大な被害が出る。
兵士たちだけで食い止められる保証もない。
領主としての権威にも傷がつくだろう。
「何か手はないのか……」
その時、執務室の隅に控えていた軍幹部が、静かに近づいてきた。
「領主様」
「何だ?」
軍幹部は周囲を確認してから、領主の耳元へ顔を寄せた。
「隣のオゴ地方に、犠牲になってもらってはいかがでしょうか」
「……ほう?」
領主の目が細くなる。
「詳しく話せ」
「オゴ地方のモロヤ村へ、少数の兵を向かわせます。魔物の群れをそちらへ誘導できれば、ハーン地方への被害は軽微で済むかと」
「モロヤ村を犠牲にするというのか?」
「結果として、そうなる可能性はあります。しかし、ハーン地方を守るためには必要な判断かと」
軍幹部は平然と言い切った。
「隣の地方で起きた魔物の被害です。こちらが意図的に誘導したと知られなければ、疑われることもないでしょう」
ハーン領主は黙り込んだ。
しばらくして、口元に薄い笑みが浮かぶ。
「なるほど……それなら、我が領土への被害は最小限で済むわけか」
「はい」
「おぬしも、なかなか汚いことを考えるものだな」
領主は不敵に笑った。
軍幹部も、口元をわずかに緩める。
「ハーン地方ミスギ村にいる兵士を使いましょう。扱いにくく、あまり役に立っていない者たちです。そいつらをモロヤ村へ向かわせればよろしいかと」
「言葉が汚いぞ」
領主はたしなめるように言った。
しかし、その顔には笑みが残っていた。
「まあ、よい。そいつらに任せるとしよう」
「承知しました」
軍幹部は深々と頭を下げた。
ハーン領主は窓の外へ目を向けた。
自分の領地さえ守られれば、それでいい。
隣の地方で何人が犠牲になろうと、知ったことではない。
少なくとも、今の彼はそう考えていた。
◇◇◇
その頃、ハーン地方のミスギ村。
村人たちの間には、魔物の異常な増加についての噂が広がっていた。
村の広場では、数人の村人が不安そうに話し込んでいる。
「聞いたか? 国境の森で魔物が大量に発生しているらしいぞ」
「ああ。しかも、こっちへ向かってきているって話だ」
「魔族が魔物を操っているんじゃないか、なんて噂もあるらしい」
「本当かねえ……」
村人たちは顔を見合わせた。
「魔王軍が攻めてくるつもりなのかもしれないな」
「だとしたら、どうすればいいんだ……」
その会話を、少し離れた場所で聞いていた女性がいた。
セシリアである。
彼女は魔王ゼルヴァートの命令を受け、ハーン領主の動きを探るために、この地方へ潜入していた。
村人に紛れ、情報を集めていたところだった。
だが、聞こえてきた話に、思わず口を挟んでしまった。
「そんなことは……ないはずだ」
「……え?」
村人たちが一斉に振り向く。
セシリアは、自分が発言してしまったことに気づいた。
「魔族が魔物を操っているなんて、そんな簡単に決めつけることはできないはずだ」
「お嬢さん……?」
村人の一人が、不思議そうに首を傾げた。
「どうして、そんなことが分かるんだい?」
「それは……」
セシリアは言葉に詰まった。
自分は魔王に仕える身だ。
魔族が無実だと信じているからこそ、思わず口にしてしまった。
しかし、ここで正体につながるようなことを話すわけにはいかない。
「……すまない。今の話は忘れてくれ」
セシリアはそれだけ言うと、足早にその場を立ち去った。
背後では、村人たちが不思議そうに顔を見合わせていた。
◇◇◇
人目のない路地へ入ったセシリアは、壁に手をつき、小さく息を吐いた。
「何をやっているんだ、私は……」
潜入調査中だというのに、余計な発言をしてしまった。
幸い、村人たちは深く追及してこなかったようだ。
だが、問題はそれだけではない。
「魔族が魔物を操っている、か……」
セシリアは空を見上げた。
ゼルヴァートが、魔族領土を守るために巨大結界を築いたことは事実だ。
しかし、その結界が原因の一端となり、魔物の異常な増加を招いている可能性がある。
もしスタンピードが発生すれば、魔族領土だけでなく、人間族の領地にも被害が及ぶかもしれない。
それなのに、魔族が意図的に魔物を操っていると誤解されている。
「このままでは、人間族と魔族の関係まで悪化してしまう……」
セシリアは唇を噛んだ。
さらに、先ほどの村人たちの会話が頭をよぎる。
魔物の大群が向かってくるという話。
そして、どこか不自然な噂の広がり方。
何かがおかしい。
ただの自然現象ではないのかもしれない。
「早く魔王様に報告しなければ」
セシリアは決意した。
「それに、オゴ地方の民を救わないと……!」
まだ、モロヤ村へ魔物が向かうことも、ハーン領主が何を企んでいるのかも、確かなことは分からない。
だが、嫌な予感がしていた。
セシリアは周囲を確認し、再び調査へと戻った。
魔王ゼルヴァートへ報告するためにも、まずはハーン領主の動きを突き止めなければならない。
◇◇◇
一方、その頃――。
サヤ湖では、のんびりとした時間が流れていた。
「いやあ、やっぱり湖畔のキャンプはいいなあ」
ユウマは椅子代わりの丸太に腰掛け、満足そうに湖を眺めていた。
隣ではリリアが釣り糸を垂らし、ミーナは鍋の中を覗き込んでいる。
「ユウマ、まだ魚は釣れないの?」
「焦るなって。釣りは待つ時間も楽しむものなんだよ」
「さっきから、ずっと同じことを言っている気がするけど?」
「……気のせいだ」
ユウマは目を逸らした。
その瞬間、リリアの釣り糸がぴくりと動いた。
「あっ、来た!」
「おおっ!」
リリアが勢いよく竿を引く。
水面が跳ね、銀色の魚が飛び出した。
「やった!」
「おお、リリアすごいじゃないか!」
ユウマが拍手する。
「ふふん。私だって、やる時はやるのよ」
リリアは得意げに胸を張った。
「これで夕食のおかずが増えましたね」
ミーナも嬉しそうに笑った。
鍋からは温かな湯気が立ち上り、湖面には夕日が映り始めていた。
ユウマは大きく伸びをする。
「タープが完成したら、こういう旅がもっと快適になるな」
「うん。次はどこへ行くの?」
「そうだなあ……」
ユウマは少し考えた。
「まだ決めてないけど、いろんな場所を見て回りたいな。きれいな景色も見たいし、珍しい食材も探したいし」
「おいしいものが食べられる場所がいい!」
リリアが即座に言った。
「私も、いろいろな町や村を見てみたいです」
ミーナも微笑む。
「よし。じゃあ、みんなで相談しながら決めよう」
三人は笑い合った。
彼らはまだ知らない。
国境の大森林で、魔物の大群が膨れ上がっていることを。
ハーン領主が、隣の地方を犠牲にする計画を進めていることを。
そして、セシリアが必死に真相を探っていることを。
サヤ湖に穏やかな夜が訪れる。
しかし、世界のどこかでは、確実に危機が迫っていた。
ジャーニーメイツの三人が再び旅立つ時、その行き先は思いもよらない事件へとつながっていくのだった。




