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『母親』の境界線

クラウスの高熱は3日ほど続いた。その3日間、アマーリエが指示をして、看病の手分けをした。エルヴィスはクラウスから離れようとしないので、寝室で仕事も食事も取れるように差配した。

 実家からフェリクスを呼んで、手伝わせる。幼い弟妹が発熱したときには、アマーリエとフェリクスで看病したから、フェリクスも看病には慣れているからだ。

「姉さま、少し休んでください。その間、僕が見てますから」

「フェリクス、助かるわ。少し休んでくる」

 アマーリエは吐き出した息の熱さに、自分でも驚いた。エルヴィスに視線を向けるが、彼はクラウスの小さな手を握りしめたまま、背中で対話を拒んでいる。屋敷の者たちは、主の狼狽ぶりに萎縮して使い物にならない。

 フェリクスがこの場にいてくれることだけが、沈みゆく泥舟の中で唯一の足場のように思えた。


「奥さま、大丈夫ですか?」

隣の自室に戻って息をつくと、アンネが飲み物とサンドイッチを持ってきてくれた。食欲は疲れからかあまりない。けれども、食べなければと、アマーリエはアンネに礼を言ってサンドイッチをひとつだけ口に運ぶ。味はしなかった。飲み込むと胃の腑が焼けるように熱い。

「アンネも休む時間よ。下がって大丈夫だから、休んで」

「ですが、奥さま……顔色が……」

「私は大丈夫よ。アンネこそ疲れた顔をしているわ。熱が下がりきってないから、まだ手がかかると思うから休んでちょうだい」

「はい、奥さま」

 ひとりになって、アマーリエはため息をつく。クラウスは確実に良くなってきている。問題はエルヴィスだ。叩いた右の手が、ひりひりと痛みを感じる気がする。

(君は本当の母親じゃないからそんな風に冷静なんだろう!?)

 言われた言葉が胸に痛かった。アマーリエはぐっと涙を堪えた。仕方がない。本当のことだ。その上、愛していた妻を産後の肥立ちが悪く亡くしたエルヴィスが取り乱しても仕方がない。

 頭ではわかっている。

 けれど、この切ない気持ちはどうしようもなかった。

 なぜこんなに切ないのか。わかっている答えを、アマーリエは見ないようにしていた。

 少しだけ横になろうと、アマーリエは寝台に横たわった。寝台は驚くほど冷たい。体がひどく重かった。


「姉さま……姉さま……大丈夫ですか?」

「……フェリクス……? うん、大丈夫……」

 次に目を開けたとき、アマーリエはなぜかまたクラウスの枕元に座っていた。いつ戻ったのか、記憶が定かではない

 クラウスを見ながらうつらうつらしていたことに気がついて頭を振った。ふと視線を感じてエルヴィスを見れば、同じく心配そうな顔でアマーリエを見ていた。

「顔色が悪いです、姉さま。ここは僕に任せて休んでください」

「フェリクスこそ、休まないと……。ごめんなさいね、私の見ている番なのに」

「僕はまだ大丈夫です。姉さま、今は真夜中です。何かあったら呼びますから、休んできてください」

「でも、フェリクスが倒れたら困るわ」

「姉さまこそ、倒れられたら困るんです。僕は大丈夫ですから、休んできてください」

 フェリクスの声が水にくぐもったように聞こえる。

「わかった……なにかあったらすぐ呼んで」

 そう言って立ち上がろうとした時、目眩に襲われた。よろけたアマーリエを、エルヴィスが支えた。

「アマーリエ、君、熱が……」

「姉さま……!? 大丈夫ですか!?」

「大丈夫……」

 アマーリエはエルヴィスから離れると、よろよろと歩き出した。エルヴィスが追ってくる。

(嫌……!)

 支えようとした手を、アマーリエは思わず振り払った。

 自分で自分の行動に驚いて、そしてやはり驚いたように自分を見るエルヴィスに、アマーリエは謝ろうとして目眩に襲われる。そのまま意識を手放したのだった。

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