第六話 連鎖する破滅
第六話 連鎖する破滅
王宮夜会から三日後。
ローゼン男爵邸には、重苦しい空気が漂っていた。
食堂の長テーブルには豪華な銀食器が並んでいる。だが料理はほとんど手つかずだった。冷めた仔羊のロースト。硬くなった白パン。半分以上残されたポタージュ。
壁際の燭台だけが、静かに揺れている。
「ねぇ、お父様……」
マリアは震える声で口を開いた。
本日の彼女は淡い藤色のドレスを着ていたが、数日前まで好んでいた派手な宝石は身につけていない。顔色も悪く、目の下には薄く隈が浮かんでいた。
向かい側に座るローゼン男爵は、険しい顔で書類を睨みつけている。
「王宮からの使者は……まだ来ないの?」
「黙れ」
低い怒声。
マリアは肩を震わせた。
三日前の夜会以降、状況は急激に悪化していた。
まずバルツァー家の資産が凍結された。
領地管理権停止。
王宮口座差し押さえ。
保有魔石没収。
さらにキリアン本人が、悪魔契約による“所有権譲渡”状態にあると正式認定されたことで、関係各所は一斉に距離を取り始めた。
だが問題は、それだけでは終わらなかった。
コンコン、と扉が叩かれる。
執事が青ざめた顔で入室した。
「だ、旦那様……!」
「今度はなんだ!」
「王宮財務局の方々が……」
その瞬間。
ローゼン男爵の顔色が変わる。
重い靴音。
食堂の扉が開いた。
黒い制服を纏った王宮財務官たちが入ってくる。胸元には王家の紋章。腰には封印杖。
その中央にいた初老の男が、冷たく一礼した。
「ローゼン男爵」
「な、何の用だ……」
「通達です」
男は羊皮紙を広げる。
乾いた音が食堂へ響いた。
「ローゼン家は本日付けで全資産凍結となります」
マリアの呼吸が止まる。
「……は?」
財務官は淡々と続けた。
「マリア・ローゼン嬢は、キリアン・フォン・バルツァーとの間に財産共有契約を締結済み」
「そ、それが何だと言うの!?」
マリアが叫ぶ。
「キリアン様が持つ財産を共有するだけの契約よ!」
「ええ。ですが」
財務官の目が冷たく細められる。
「負債、契約義務、財産譲渡も共有対象となります」
しん、と空気が止まった。
「……嘘」
マリアの唇が震える。
「つまりあなたは、悪魔契約による財産没収対象にも該当する」
「そんな……」
ローゼン男爵が立ち上がった。
「待て!! そんな馬鹿な話があるか!!」
「ございます」
財務官は一切感情を動かさない。
「契約は絶対ですので」
その言葉に、男爵の顔が歪んだ。
「ふざけるな!! うちは被害者だ!!」
「契約内容を確認せず署名した責任は、ご自身にございます」
「っ……!」
マリアは青ざめたまま後退る。
頭の中が真っ白だった。
確かに彼女はキリアンと契約を交わしていた。
結婚後、互いの財産を共有するための契約。
あの時は夢しか見えていなかった。
伯爵夫人。
豪華な屋敷。
煌びやかな宝石。
社交界の頂点。
エルザを見下しながら生きる未来。
なのに。
「嫌……」
喉が震える。
「嫌よ……」
財務官たちは次々と封印札を貼っていく。
金庫。
絵画。
食器棚。
暖炉の上の装飾品。
全てへ赤い封印印が刻まれていく。
「やめて!!」
マリアは叫びながら駆け出した。
「それはわたくしの首飾りよ!!」
財務官の一人が冷淡に答える。
「既に差し押さえ対象です」
「返して!!」
「触れないでください」
杖が光る。
ビシッ、と青白い火花が散った。
「きゃぁっ!!」
マリアは床へ尻餅をつく。
涙で視界が滲む。
高級絨毯に零れた涙が、黒い染みを作った。
ローゼン男爵夫人が震え声で呟く。
「そんな……うちが破産するなんて……」
だが現実は残酷だった。
王宮は既にローゼン家との取引停止を決定している。
商会も融資を打ち切った。
貴族たちも離れていった。
誰も助けない。
誰も手を差し伸べない。
なぜなら――。
悪魔契約に関わる者へ近づくこと自体、恐怖だったからだ。
一方その頃。
アストリア伯爵邸では、穏やかな午後が流れていた。
大きな窓から春風が吹き込み、庭園の白薔薇が揺れている。
エルザはティーテーブルへ腰掛けていた。
本日の彼女は白いレース付きブラウスに黒のロングスカートという、比較的軽装な装いだった。だがその佇まいは以前より遥かに洗練され、美しかった。
テーブルには温かな紅茶。
蜂蜜入りスコーン。
苺ジャム。
小さなサンドイッチ。
バターの香りが部屋へ広がる。
エルザは静かにティーカップを傾けた。
「ローゼン家の資産凍結が始まったようです」
背後から声がする。
ルシアンだった。
銀髪の悪魔は窓辺へ腰掛け、愉快そうに笑っている。
「随分早かったわね」
「契約は連鎖しますから」
彼は肩を竦めた。
「特に“共有”は危険だ。人間は愛だの信頼だの言って簡単に署名しますが、実に愚かしい」
エルザは小さく微笑む。
「マリアは、自分だけは特別だと思っていたのでしょうね」
「ええ」
ルシアンの黄金の瞳が細められる。
「ですが契約は平等です。善人にも悪人にも、同じように牙を剥く」
エルザは静かに窓の外を見る。
風が白薔薇を揺らしていた。
ふと、三日前の夜会が脳裏をよぎる。
自分を笑っていた二人。
勝ち誇った顔。
奪われた指輪。
その記憶はまだ胸を刺した。
だが今は、その痛みすら甘い。
「……後悔しているかしら」
「マリア嬢ですか?」
「ええ」
ルシアンは笑った。
「もちろん」
悪魔はゆっくり立ち上がる。
「ですが人間は不思議ですね」
「?」
「破滅する瞬間まで、“自分だけは助かる”と思い込んでいる」
その言葉に、エルザは静かに目を伏せた。
遠くで雷鳴が響く。
空には黒雲が広がり始めていた。
ローゼン家の運命を嘲笑うように。




