エピローグ:神域の静寂(大嘘)と、窓の外の狂信パレード
世界樹の至高ベッドの上でソラが何気なく左側へ「コロン」と寝返りを打った結果、帝都全土が不老不死の桃源郷へと強制アップデートされてから、丸三日が経過していた。
ヴァルハイト公爵邸の最上階。
『天帝の涙硝子』による完全防音、世界樹の芯材による無限霊脈アロマ、そしてエルフ族秘伝のシーツによる摩擦係数ゼロの包容力。
客観的に見れば、ソラの寝室は全宇宙で最も完成された「引きこもり特区」としての極致に到達していた。
――そう、「部屋の外」で巻き起こっている未曾有の地獄絵図さえ無視できれば。
「……んぁ……ん……?」
午前十時過ぎ。
ふかふかの枕に顔を埋めていたソラは、違和感に眉をひそめながら、重い目蓋をわずかに持ち上げた。
(……なんか、うるさいな……?)
防音ガラスは完璧なはずだった。
しかし、その防音壁を強引に貫通して、耳の奥に微かに響いてくる「地鳴り」のような振動。
ズズズズ……ドォォォォン……と、重低音の波がベッドの脚を通じて伝わってくる。
ソラは、だるそうに毛布から這い出た。
寝心地は最高だった。腰の痛みも完全に消え、肌はゆで卵のようにツルツルになっている。
だが、この得体の知れない「外の気配」が気になって、二度寝の深い深度へ潜り込めない。
ソラはスリッパをつっかけ、窓際へとふらふら歩み寄った。
そして、遮光カーテンの隙間を、人差し指でわずか一センチだけ開けて外を見下ろした。
「……………………は?」
ソラの顎が、外れそうな勢いで落下した。
見下ろした帝都の光景――それは、もはや国家の首都などではなかった。
公爵邸を取り囲む貴族街の大通り、広場、屋根の上、さらには遠くの外郭防壁の彼方に至るまで。
見渡す限りの地平線を埋め尽くしていたのは、純白の巡礼服を着込んだ数百万人規模の人間と亜人の絨毯だった。
「「「おおおおお……! ソラ様……! 神竜帝ソラ様ァァァッッッ!!」」」
巡礼者たちは、公爵邸の窓へ向けて両手を天に掲げ、涙を流しながら大地に額を擦り付けている。
先頭にいるのは、車椅子を放り投げてブレイクダンスを踊り狂う元重病人の老人たち。
その横では、神域化の余波でハゲがフサフサの黒髪に治った中年貴族たちが、「ソラ様毛根再生万歳ッ!!」と刺繍された巨大な旗を打ち振っている。
さらに空を見上げれば、機巧都市の飛行船が「ソラ様が寝返りを打たれた聖なる方角(左)」を指し示す巨大なコンパスを空中に投影し、エルフ族の合唱団が三千人編成で『至高の微睡み讃歌』を大音量で大合唱していた。
道端の露店では、
『ソラ様が吸って吐き出された神聖二酸化炭素入り気体缶』
『世界樹ベッドから落ちた木屑で作った無病息災のお守り(金貨五十枚)』
『ソラ様が召し上がったミカンの皮の乾燥粉末(万病に効く)』
が飛ぶように売れ、もはや帝都全体が巨大な宗教テーマパークと化していた。
「な……な……な……ッ!?」
ソラはカーテンから飛び退き、壁に背中を激しく打ちつけた。
「なんでえええええええええええええええッッッ!?」
頭を抱え、絶望のあまり膝から崩れ落ちる。
「静かに寝たいからベッドを新調したんだよ!?
なんで前より百倍うるさくなってんの!?
何万人いるのあそこ!? ていうかあの旗なんなの!? 毛根再生って僕なんも関係ないだろ!!」
ソラが脂汗を流しながらパニックを起こしていると、カチャリと扉が音もなく開いた。
入ってきたのは、神々しいまでの笑顔を浮かべたエレノアと、手帳を抱えたセレスティーナだった。
「おはようございます、マスター! 素晴らしい朝でございます!」
セレスティーナが嬉し泣きしながら駆け寄ってくる。
「マスターの放たれた神域の浄化波動に導かれ、大陸全土から押し寄せた巡礼者の数が、先ほど五百万人を突破いたしましたわ!
彼らはマスターの呼吸音をわずかでも拝聴しようと、公爵邸の周囲で一週間前から野宿を続けております!」
「ええ、経済効果はすでに天文学的数字に達しております」
エレノアが眼鏡をクイと押し上げ、無慈悲な帳簿をペラリとめくった。
「帝都の全ホテルは向こう五十年先まで満室。巡礼者たちが落とす喜捨金だけで、我がギルドは大陸の全銀行の筆頭株主となりました。
なお、マスターの安眠をより強固にお守りするため、巡礼者たちには『マスターの寝返りの瞬間のみ、全員で一斉に歓喜の祈りを捧げること』を義務付けておりますので、ご安心ください!」
「安心できる要素がミジンコ一匹分もねえよおおおおおおッッッ!!!!」
ソラは敷き詰められた世界樹のシーツを両手で激しく叩いて絶叫した。
寝返りを打つたびに、外の五百万人が地鳴りのような祈りを捧げる?
そんな環境で、一体どこのどいつが熟睡できるというのか。
(……逃げられない。
静寂を求めて適当に動けば動くほど、世界が勝手に神格化して、僕の周りに狂信者の壁を作っていく……。
僕の平穏はどこへ行ったんだ……? 僕の静かな休日は、一体どこの次元へ消滅したんだよぉぉぉ……!!)
ソラは力なく世界樹ベッドの上へ倒れ込み、掛け布団を頭から深く深く被り直した。
シーツの心地よさは宇宙一なのに、精神的な胃痛は過去最大。
窓の外から微かに響いてくる「ソラ様万歳!」「二度寝万歳!」という五百万人の大合唱をBGMに、哀れなる至高の絶対神は、今夜もまた涙で枕を濡らしながら、来ないはずの静寂を求めて目を閉じるしかなかったのである。
あとがき
全国津々浦々の「休日に布団から出たくなくて、遠くのリモコンを手繰り寄せるために足の指を酷使して筋を違えた同志」の皆様、お待たせいたしました! そして今日も今日とて労働という名の不条理な現世の荒波に揉まれている皆様、今すぐ全ての通信機器の電源を切って毛布にダイブしてください、こんにちは!
本作『深淵の怠惰 〜無能と蔑まれた公爵子息、適当に動いたら絶対無敵の怪物として崇拝される〜』第3巻を最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!!
さて、第2巻のあとがきで「次は北方の竜騎士帝国と機巧都市が攻めてきますよ!」と予告したわけですが……フタを開けてみたら、防衛戦の主武器が『こたつ』『ミカン』『孫の手用の枯れ枝』という、完全に『実家の冬休み』みたいなラインナップになってしまいました。
作者自身、執筆しながら「おい待て、竜騎士の師団を全滅させたのが『酸っぱいミカン一発』で、最新鋭の暗殺ロボ軍団を壊滅させたのが『ミカンの皮二枚』って、これファンタジー小説じゃなくて農協のプロモーションビデオか何かか!?」と頭を抱え、真夜中に笑いすぎて腹筋を崩壊させておりました。
今巻の暴走劇をダイジェストで振り返ってみましょう。
第一章・第二章:
ソラ「足先が寒いから上の風止めろ」(意訳:隙間風うぜえ)
ソラ「お茶が届かないから皮投げて引き寄せよう」(意訳:動きたくない)
敵連合軍「成層圏からの果実弾幕ッ!? 柑橘精油による装甲分子融解だとォッ!? 降伏しますゥッ!!(壊滅)」
第三章:
機巧都市「お詫びに全自動怠惰ベッド献上します!」
ソラ「揺れすぎ! ゼリー甘すぎ! 読書レーザー眩しすぎ! 壊れろォッ!!(摩擦ゼロ魔力で自爆粉砕)」
敵総統「神竜帝は自然との調和を求めておられる……! 科学を捨てて木こりになりますッ!!(エコロジー覚醒)」
第四章・第五章:
ソラ「背中痒いから落ちてた木の枝でガシガシ掻こう」(意訳:孫の手最高)
世界樹ユグドラシル「ンアッ……ソコ……! 数千年のコリが治ったァッ!!(木材自ら射出)」
エルフ族「聖樹様がイキ狂ってベッドの板を献上されたァッ!? ひれ伏せェッ!!(完全信徒化)」
ソラ「あ、ベッド気持ちいい。寝返りうと」(コロン)
帝都「オーロラ噴出! 街中が不老不死の神域化! ハゲ完治! 猫ゴロゴロ!(大狂乱)」
……ソラくん、君は本当にさあ……!!
本人は一貫して「こたつから出たくない」「お茶飲みたい」「背中痒い」「柔らかいベッドで寝たい」という、日曜日の昼下がりの自堕落なお父さんみたいな欲望しか抱いていないのに、結果として成層圏を制覇し、機巧都市をエコロジー化させ、エルフの不可侵聖域を陥落させ、首都を丸ごとエデンへと昇格させてしまいました。
エピローグで判明した通り、静かに寝たいがために街を神域化させた結果、五百万人の巡礼者が押し寄せて「以前より圧倒的に騒がしくなる」という、因果応報の極みみたいなオチには、作者も涙を流して同情(大爆笑)いたしました。
さて、怒涛と爆笑の勢いで駆け抜けた第3巻ですが、全8巻構想の本作、物語のスケールはここからさらに異次元へと突入いたします!
続く第4巻では――地上、海、樹海、空のすべてをソラに(不本意ながら)制覇されたことで、ついに「天界に座す神々」と「深淵の魔界に眠る真祖の魔王」が同時に危機感を抱き、
「地上の神竜帝とやらが神域を拡大している……このままでは我らの領域まで昼寝スペースにされるぞ!」
と戦慄して動き出します!
もちろん、当のソラは「夏に向けて風通しのいい場所で昼寝したい」という理由だけで、神界と魔界の均衡を適当に粉砕する予定です。
最後に、ソラのどうしようもない自堕落と、周囲のブレーキが粉砕された勘違い劇を、誰よりも温かく(そしてツッコミを入れながら)愛してくださる読者の皆様に、魂の底からの特大の感謝を!
皆様の笑い声と応援がある限り、ソラくんの「絶対に働きたくない戦い」は終わりません!
それでは、また第4巻の『神界・魔界も昼寝スペース編』でお会いしましょう!
(私もこれから、世界樹ベッド……は無理なので、実家のせんべい布団に潜り込み、ミカンを五個ほど貪り食って冬眠に入りたいと思います。探さないでください……zzz)




