四:湯呑みの引力と、全方位殲滅
『引クナ! 包囲殲滅陣形ヲ展開セヨッ!』
部隊長機が下した苦渋の決断。
残る二十七体の真鍮歩兵が、四方八方の床の影から一斉に這い出し、こたつを取り囲むように円陣を組んだ。
手にした魔導散弾銃の銃口が、一斉にソラへと向けられる。
『全機、一斉射撃! 熱源炉ごと、蜂の巣ニシテ――』
その時。
ソラは、いまだに届かない「三十センチ先の湯呑み」を見つめながら、深いため息をついていた。
(……はぁ。やっぱりお茶飲みたい。
どうにかして、あのお茶をこっちに引き寄せられないかな……。
あ、そうだ)
ソラは名案を思いついた。
手元には、まだ「ミカンの皮」が三枚残っている。
これを投げて湯呑みの向こう側に当てれば、その反動で湯呑みがこっちに滑ってくるんじゃないか?
(よし、やってみよう。起き上がるより、投げるほうが百倍楽だ)
ソラは、だるそうに二枚目のミカンの皮をつまんだ。
そして、湯呑みの底の縁――そこをピンポイントで突いて、手前へ滑らせるための角度を計算した。
幼少期、父親の道場で「相手の重心を指先一つで崩して手前に引き倒す合気柔術」を骨の髄まで叩き込まれていたソラの身体が、無意識に極限の力学演算を完了させる。
シュッ……!
ソラの指先から放たれた二枚目のミカンの皮。
それは、信じられない超低空のホップ軌道を描き、床すれすれを滑空していった。
だが、その直線上に――ソラを包囲しようと床を這っていた真鍮歩兵の三番機が、偶然にも飛び込んできた。
カツンッ!!
「ギニャッ!?」
ミカンの皮は三番機のスネの関節を粉砕。
体勢を崩した三番機が前のめりに倒れ、その拍子に手にした魔導散弾銃が暴発した。
ズガガガガガガッッッ!!!!
暴発した鉛の散弾の嵐が、円陣を組んでいた周囲の二十体の真鍮歩兵たちを完璧なフレンドリーファイアで直撃!
装甲が砕け散り、歯車が飛び散り、一瞬にして部屋の四方で大爆発が巻き起こった。
ドガバキボコォォォォンッッッ!!!!
さらに!
跳ね返った散弾の最後の一粒が、ソラの狙い通り、天板の上の湯呑みの底の角を――カツンと微かに叩いた。
ツーッ……。
陶器の湯呑みが、天板の上を滑らかに滑り、ソラの目の前――わずか五センチの場所へと、ピタリと停止した。
「……あ、来た」
ソラは嬉しそうに目を細めた。
計画通り。大成功である。
ソラはこたつから一ミリも肩を出すことなく、手元の湯呑みを両手で包み込み、ズズズ……と温かい緑茶(※冷え切っていたがソラには極上)をすすった。
「……ふぅ。うまい……生き返る……」
至福の表情を浮かべるソラ。
自分の投げたミカンの皮が、背後で二十機以上の最新鋭殺人兵器を全滅させたことなど、一ミリも気づいていない。
だが――。
最後に生き残った部隊長機『ファントム・ワン』は、その場で四つん這いになり、オイルの涙をボロボロと漏らしながら狂乱していた。
『ア……アアア……ッ……!!』
全部隊、全滅。
放たれたのは、わずか二枚のミカンの皮。
しかも、敵は一度としてこちらを見ず、ただ「茶を飲む片手間の動作」だけで、機巧都市が誇る最強の暗殺部隊を同士討ちさせて壊滅させたのだ。
『コ……コレガ……神竜帝……!
我ラガ命がけノ包囲陣すら……茶を一口啜るための『道具』ニ過ギナカッタトイウノカ……!?
熱源炉から一歩も出ず……! 汗一つかかず……!
我ら無機物の矜持すら、茶菓子のゴミで踏みにじりおったァァァッッッ!!!!』
部隊長機の自律思考回路が、絶望のあまりショートした。
バチバチと火花を吹き上げながら、部隊長機は自爆装置を解除し、床に額を擦り付けて平伏した。
『降伏……! 完全降伏セヨ……!
直チニ本国ヘ打電……! 「神竜帝ノ熱源炉ニ手ヲ出スナ! アレハ触レタ者ヲ茶菓子ニ変エル絶対不可侵ノ虚無ダ」トォォォッッッ!!!!』
五:静かなる茶卓と、広がる勘違い
カチリ……と最後のカラクリが完全に機能を停止し、部屋に再び静寂が戻った。
ソラは湯呑みをコト……と天板に置き、ふぅと満足げな息を吐いた。
喉も潤った。ミカンも食べた。
こたつの中は相変わらず極楽の三十八点五度。
(……よし。完璧だ。これで夕方まで、心置きなく二度寝ができる……)
ソラは再び天板の上に突っ伏し、こたつ布団を鼻先まで引き上げた。
心地よい睡魔が、まぶたの裏を甘やかに溶かしていく。
「あー、床に散らばった鉄くず、後でエレノアに掃除させなきゃな」とぼんやり思いながら。
その、わずか数秒後。
バタンッッッッ!!!!
寝室の扉が、凄まじい勢いで跳ね開いた。
「マスター・ソラァァァッッッ!!!!」
「敵襲の魔力反応を感知いたしましたわッッ!!」
血相を変えて飛び込んできたのは、大斧を構えたバルガス、完全武装のエレノア、そして大十字架を掲げたセレスティーナだった。
彼女たちが目にしたのは――。
部屋中に散乱する、数十体の最新鋭真鍮歩兵の残骸。
内部から融解し、同士討ちの弾痕にまみれて沈黙した、機巧都市の誇る暗殺人形たちの山。
そして――。
その破壊の嵐の真ん中で。
魔導こたつに顎を乗せ、スースーと幸せそうな寝息を立てている、パジャマ姿のソラだった。
天板の上には、綺麗に剥かれたミカンの皮が二枚。
そして、静かに湯気を立てる湯呑みが一つ。
「……っ!?」
エレノアが息を呑み、眼鏡をガタガタと震わせた。
床に転がる部隊長機の残骸から、破損した記録水晶を抜き取り、自らの魔導具で瞬時にログを再生する。
そこに記録されていた映像――。
ソラが視線すら合わせず、ミカンの皮をわずかに弾いただけで、音速の暗殺部隊を同士討ちさせ、湯呑みを手元へ引き寄せながら優雅に茶を啜る、あまりにも美しく、あまりにも冒涜的な「絶対強者の日常」。
「……あ、あ、あああ……っ!」
エレノアはその場に両膝をついて崩れ落ち、手帳を胸に抱きしめて号泣した。
「マスター……! なんという……なんという神域の所作……!!
機巧都市が総力を挙げて送り込んだ最新鋭の無人暗殺軍団を……!
一歩もあの聖域から出ることなく……!
あまつさえ、喉を潤す茶卓の余興として、ミカンの皮二枚で全滅させられたというのですか……!!」
「マジかよおい……」
バルガスが大斧を取り落とし、顎が外れそうなほど口を開けて立ち尽くした。
「無機物の暗殺者だぞ!? 殺気も魔力もねえカラクリを……寝ぼけ眼のデコピンひとつで解体しやがった……!
あのお方にとっては、国家最高機密のステルス兵器すら、ミカンの皮を捨てる手間のついでに過ぎねえってのかよ……!!」
「ああ……神よ……!」
セレスティーナが狂喜の笑みを浮かべ、十字架を胸に祈りを捧げた。
「見なさい、あの残された湯呑みを!
敵の猛攻をことごとく利用し、自らの喉を潤すための推進力へと変換する……!
これこそが、我が主ソラ様の掲げる『不戦にして完全無欠の循環合気』……!
戦わずして勝ち、動かずして敵を従え、ただ茶を飲むだけで世界を調律される……真の絶対神の御姿ですわッッ!!」
「急ぎなさい、セレスティーナ!」
エレノアが涙を拭い、鋭利な筆頭監査官の顔へと戻った。
「機巧都市の総統へ、この破壊された部隊長機の首を送り届けます!
『我が主の茶卓を汚した罪を償いたくば、全都市の無人兵器の破棄と、都市エネルギーの全権をマスターのこたつ維持費として献上せよ』と……!!」
「承知いたしましたわ! 今すぐ教皇庁と帝国軍を動かし、機巧都市を包囲・無血開城させましょうッ!!」
「おうよッ!! マスターのこたつの電源コード一本、絶対に傷つけさせねえぞォッッ!!」
三人の狂信者たちは、床の残骸を恭しく片付けると、新たな国家併合の謀略を胸に、嵐のように部屋を飛び出していった。
再び、完全なる静寂が戻った寝室。
こたつの中で、ソラは「むにゃ……」と気持ちよさそうに寝返りを打った。
(……ん……なんか外が騒がしかったけど……まあいいや……。
足元があったかい……。
やっぱり冬は……こたつに限るな……zzz)
まさか、自分が「喉が渇いたからミカンの皮を投げただけ」で、大陸最強の工業国家が自爆同然に降伏し、世界の全エネルギー利権がこたつの下に集約されることになるとは――。
至福の微睡みの中にいるソラには、永遠に知る由もないのであった。




