三:影なき真鍮歩兵、襲来
気配を完全に遮断した、三十体の【真鍮歩兵】。
身長五十センチほどの小柄な人形たちは、全身を光を反射しない艶消しの黒真鍮で覆い、手には音もなく首を刎ねる高周波振動ナイフを握りしめていた。
天井の梁の上に張り付いた特務部隊長機『ファントム・ワン』のカメラアイが、部屋の中央をズームした。
『――目標ヲ視認。四角イ神話熱源炉【エターナル・カルノー・コア】ヲ確認』
『熱源炉ニ寄生スル生体目標、ソラ・ヴァルハイト……無防備ニ机ニ顎ヲ乗セ、視線ヲ一点ニ固定中』
『生体反応、極めて微弱。心拍数、毎分三十五。戦闘準備、完全ニ皆無』
部隊長機の人工知能が、即座に「勝率九十九点九パーセント」の判定を下した。
『排除シーケンス開始。音波カッターニヨル首部切断、並ビニ熱源炉ノ回収ヘ移行――』
スッ……。
音すらなかった。
天井から三体の真鍮歩兵が、重力落下を利用してソラの無防備な後頭部目掛けて一直線に急降下した。
高周波ナイフが、大気を切り裂いて不可視の刃を伸ばす。
その時――。
(……あー、もう! イライラする!!)
ソラは、心底ブチギレていた。
視線の先にある湯呑み。どうしても手が届かない緑茶。
喉の渇きと、動きたくない怠惰のジレンマが臨界点を突破し、ソラのイライラは天元突破していた。
(届かない! 飲めない! なんで湯呑みがそこにあるんだよ!
邪魔だ邪魔だ邪魔だ! 手元にないものは全部邪魔なんだよッ!!)
ソラは八つ当たり気味に、手元にあった「剥ぎ取ったばかりのミカンの皮」の破片を、親指と中指でパチンと弾いた。
本当に、ただの八つ当たりだった。机の上のゴミを床にペッと払い落とすような、気のないデコピン。
だが――。
ソラの体内に眠る、スプーン一杯の極小魔力。
それが、「ゴミを最速で視界から消し去りたい」という強烈な拒絶反応と同調し、ミカンの皮の内部に含まれる天然精油の分子構造へと超高密度に浸透した。
リモネンが、神代の魔導触媒へと変質する。
超高圧で弾かれたミカンの皮の一片は、空気抵抗を完全にゼロにしたまま、信じられないことに「上空へ向けて鋭角にホップする螺旋弾道」を描いて跳ね上がった。
ビュンッッッ――!!
「――ギ!?」
急降下していた真鍮歩兵の先頭機の眉間に、時速八百キロのミカンの皮が直撃した。
直撃しただけではない。
皮から弾け飛んだ超高密度の柑橘精油が、カラクリ人形の真鍮装甲の微細な隙間に浸透。
内部の歯車を潤滑していた最高級の機械油を、一瞬にして分子レベルで完全分解・融解させたのだ!
ギギギギギギギッッッ!!!
「ガガッ!? ギ、ギアガ……焼キ付ク……!?」
油を失った歯車が猛烈な摩擦熱で赤熱し、内部回路が一瞬でショート。
先頭機は爆発四散し、その破片が後ろに続いていた二機の中枢演算ユニットを正確に貫通した。
ドゴォン! ガシャンッ!!
三体の殺人カラクリが、ソラの頭上数センチを通過して、背後の絨毯の上へただの鉄屑となってバラバラと崩落した。
「……ん? なんか後ろで落ちた?」
ソラは首を回すのすら億劫だったので、振り返りもしなかった。
「あ、風でカーテンの留め具でも落ちたのかな」程度にしか思っていない。
だが――天井裏に潜んでいた残る二十七体の真鍮歩兵にとっては、それは悪夢以外の何物でもなかった。
『エ……エラー……!?』
『味方機三体、瞬間消滅……!? 攻撃手段、未確認……!』
『観測データヲ再検証……敵ハ……敵ハ、果実ノ外皮(ミカンの皮)ヲ指先デ弾イタダケ……!?』
部隊長機のカメラアイが、ガタガタと激しく痙攣した。
人工知能の論理回路が、恐怖という名のオーバーヒートを起こしかける。
『馬鹿ナ……! 我ガ機巧都市ノ最高傑作たる特殊真鍮装甲ト耐熱油回路ヲ……柑橘類ノ精油ト投擲技術ダケデ、ピンポイントニ融解・自壊サセタダト……!?
偶然カ……!? イヤ、あり得ん!
見ヨ、あの男の姿勢ヲ! 机に顎を乗せたまま、微動だにせず、視線すら合わさずに迎撃してみせた……!
全テ……最初から我らの落下軌道、風速、装甲の化学組成に至るまで、完全に計算され尽くしていたというのか……!!』




